西園美彌 Blog ~情熱的にGoing My Way~

バレエ・モダン・コンテンポラリーダンサー 振付家 西園美彌(Miya Nishizono)のブログです。

Pina Bausch-Tanztheater Wuppertal 「Café Müller/das frühlingsopfer」

2016-01-31 00:00:48 | ドイツ生活

ついにこの作品を観ることができました。

「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」(二本立ての公演)。いつもこの2つはセットで上演されているようです。


「カフェ・ミュラー」は10年ほど前に見たことがありました(日本公演ではこの2つはセットではない場合が多い)。出演者も代替わりし、自分の見方も変わったためか、印象が違いました。



この2つの作品は初演が2年ほどしか変わらないものの作風は対照的で、やはり「春の祭典」の激しさがぐっとくるのですが、「カフェ・ミュラー」のなんともいえない空気感もまた脳裏に焼きつくものがありました。





「春の祭典」は奇才・ストラビンスキーが作曲した有名な曲で、使用の際は編集不可とされており、全編約35分。物凄い魂とエネルギーの込められたこの曲は多くの振付家が創作に挑んでいます。


ピナ振付の「春の祭典」。
始まる前から観客の間に緊張感が漂っており、始まってからもダンサーの緊張感とエネルギーがものすごくて、それに呼応するかのごとく私の身体は震えっぱなしでした。(1年前「春の祭典」の舞台に立たせていただいた時の身体の記憶が蘇り、反応していたのもあるかもしれない。)

ラストは涙が溢れました。







からだ、からだ、からだ。
鼓動。リズム。





やはり私の中でNo.1のカンパニーです。




ヴッパタール舞踊団のダンサーは、国籍も容姿も身体も本当に個性的です。それらの個性から生み出された作品や振付ばかりの中、代替わりをしながらも継続して公演を行っていることは本当に凄いことです。任されるダンサーのプレッシャーも半端ないものだろうと思います。


再演を繰り返していくことは観客(世の中)がそれを支持しているからこそ可能であって、今の時代、クラシックバレエ以外でこれほど繰り返し再演され続けているカンパニーはとても少ないのです。

私がこうして巨匠と呼ばれたピナの作品が観れるのも、ピナの亡き後その意思を受け継ごうと踊り続けるダンサー、舞踊団のお陰なので、心の底から感謝したいです。



…………………

「春の祭典」DVD買いました。

1978年撮影。(1975年が初演なので、オリジナルメンバーかな?)


鑑賞しましたが・・・やっぱり


生で観たのの方が良い!!!!!


これこそ息遣いからほとばしるエネルギーから何から、ライブで観ないと。
映像だと納まりきれていない・・・

もしこの「春の祭典」を子供に見せるなら、DVD持っていても見せないか、生の舞台を観てから見せたいですね。最初にDVDでイメージを作らせたくないなと個人的には思いました。

どこかネットの記事で見ましたが、「子供をバレリーナに育てたいのなら、テレビやネットの映像は見せないことです」と書いてあって、その理由が分かった気がします。


エネルギーの出ている生の身体、実際の身体、集団のエネルギー、臨場感を感じてこそ感動があるものですね。。




日本に来ないかなぁ~
「春の祭典」は難しいのかなぁ~

(「NELKEN」は2017年、来日予定のようです!)


---おまけ---

「春の祭典」土のフロアのセッティングの様子。
ヴッパタール・オペラハウスではいつも幕を閉じずに全部見せてくれます。


敷物をしく

ガラガラ、ドカン

エッサ、ホイサ

まんべんなくならす


完成すると観客からスタッフへの歓声と拍手。
観客とダンサーやスタッフとの距離が近い感じがして、この空気、好きです。






私はバレエが好き、という話。

2016-01-28 00:00:35 | ドイツ生活
久々にバレエの話を


骨折した足はほぼほぼ完治しているのではと思われます。筋力の左右差がありますが、これが怪我によるものなのか、長年の癖によるものなのかは正確にはわかりません。


かなりジャンプが跳べなくなりました。

でもこれにはもう一つの原因があります。

ただいま私は身体の使い方を改良・改善の真っ最中。




私を知る方なら理解してくださるとは思いますが、私はずっと、自分の身体、人間の身体、ダンサーの身体の改良・改善への飽くなき探求を常に行ってきました。




夏に骨折をした後、

理学療法士さんの所へ通っていた間に得た知識、

ピラティスに通い出して得た知識、

ジャイロトニック(パーソナルレッスン)で得た知識、、、


加えて


いろんなサイトで調べたこと、

自分のメンタルの影響や性格の傾向、

これまで通っていた諸先生方の指導現場での表現


についてを思い起こすなどして、

また深い領域が見えてきました。





身体の正しい使い方と、脱力



単に力を抜くわけではなく、緊張しすぎず緩み過ぎず、適度なハリのある状態を保つことは本当に難しい。

でもそこに行かなきゃ始まらない。



自分の身体の癖を知ること。

“機能的”とはどういうことかを知ること。

自分が持ってしまっていた先入観を一旦ゼロにすること。






初めの方は何もできませんでした。

身体が動かない!(笑)


動こうとすると違う筋肉がピッと動いて「違う違う違う!」と姿勢と呼吸からやり直したり。

・・・集中してて怖い顔になっている私に、先生は「Miya, smile(^_-)-☆」とウィンク(笑)

怖い顔もある意味変な緊張の表れなので、「あぁ、また固まってしまっていた」と反省したり。




でも徐々にできるようになっていくもの。日によっても感覚が違うし、先生によっても変わりますか、それを繰り返していくことで、少しずつ神経が育っていきます。



「“立つ”とはこういうことか!」とか

「ここに筋肉や脂肪がつくとこうなるわけね!」とか

「身体が柔らかい人はこうで、身体が固い人はこうで、だから誤解が生まれるのね!」とか

とかとかとか。


いくつかは中学生の頃に理解していたこと。それらを思い出すかたちでもあったのですが、ガリガリだった当時と今の体は全く違う身体なわけなので、今は今の動き方を見つけないと意味がないんですよね。



足裏トレーニング、

骨盤のコントロール、

座骨、

筋肉を固めて使わない、
(←筋肉自体は使っている)

筋肉と骨、それぞれの役割に任せる、





初めの“スタートライン”、つまり自分の身体の特徴を知り、

その上で与えられた動きに対してのアプローチを考える。



私は足の指がとっても短いのでそこから考えないといけなかったし、
手足の握力が弱いのも考慮に入れつつ、
股関節も実はそんなに開く方ではないからこれだけしか開かなくていい
などなど。

…合理的に使うことを第一に考えて一番や五番に立つと、全然180度なんて開かないのです。そんな自分の足の姿にはトホホ…という気持ちになるのですが、



真理に近づくため、また長く踊るため!
骨格的に正しく踊れるようになれれば、モダンもコンテも上手くなるはず!

という想いでレッスンしています。


実際、怪我する前よりモダンもできるようになってる気がします。怪我の功名♪



……………………………………

バレエが好きだなぁと思う瞬間。


それは


“ゾーン”とまではいかないまでも、バレエのレッスン中に神秘的な空間にいるような心地になることがあります。

身体が言うことを聞いてくれて、ぼんやりしているようで、記憶力が良く、全体が見えるような状態。昨日は絶望したのに今日は幸せを感じている。





身体と心は一つですから、整った身体をつくると、どんなに悲しい状況であっても前向きになれます。



そして



運気の流れも変わるんですよね~(これホント)。

私は自分に絶望してばかりいる人間ですが、やはりバレエだけは、私からは切り離せないです。




やっぱり私はバレエが好きです。

下手っぴだけど大好きです。

(ベルリンの壁)

あれこれつれづれなるままに・・・

2016-01-26 00:00:36 | ドイツ生活
まずは家族のこと。


ドイツに来て“2番目”にやりたかったこと。

それはこの写真を撮って、母にプレゼントすることでした。

(左)25年前と(右)現在



母へ

祝・還暦


……………………………………

豊かな人というのは、本当に広い心と穏やかさを持っているもの。お手本にしたいなと思えるような人に出会えることは大きな幸せです。




……………………………………

先日、バルセロナへ行ってきました。

念願だった本場のフラメンコ。

もう、感動。圧巻でした。
今でも思い出したら身体が震えます。


ふと、旅行好きで世界をたくさんまわっていた祖父の家にはフラメンコの人形があったなと思い出しました。きっと、祖父もスペインで同じような感動をしたからこそ、その思い出にと買っていったんだろうなと思います。(私も同じ衝動に駆られましたがお土産は買わず)


スペイン料理はどれも美味しく、特にパエリアは最高でした。

ガウディの建築もまた感動的で

サグラダファミリア内はナウシカの世界のようでした。

ガウディ建築は、カサ・ミラもオススメです。

…………………

実は1月頭にはパリへも。



パリでは大好きな振付家の一人、マッツ・エックの引退公演を観ることができました。


フォーサイスにマッツ・エック(振付家)、シルヴィ・ギエム(ダンサー)も引退という2015-2016。今は一時代の終焉なのか…。

……………………………………

多くの振付家の作品を見てきたことで、私の中に導き出されたもの。

私自身が、誰がなんと言おうと、「美しいな」と思えるもの。

大事に温め、育てていきたいなと思っています。



……………………………………

プロフェッショナルとアマチュア。


仕事として踊っているのがプロ
好きだから踊っているのがアマチュア

つまり責任感の違い。
仕事は結果を出すという責務があります。


プロの人々の、責任感や取り組み方、切り替え、見ている世界の違い…
プロとアマチュアの“当たり前”の領域の違い…


自分もプロフェッショナルとして踊っていたつもりでしたが、全然でした。考えも行動も甘かった。すべてにおいて。


自分の意識の甘さを痛感したのでした。
違いが分かったのなら、変えていかなければ。

一番嫌なのは、アマチュアなのに自分はプロフェッショナルだと慢心してしまうこと。そんな自分にはなりたくないです。


私はやはり子供たちの前に立っても恥ずかしくない大人になりたくて。

何をどう見極めたらいいのか、心に何を留め、道標とさせていくのか。


日々踊りながら、自分自身に問いかけ、答えの出ない“道”を歩んでいくのは、これからも変わりません。

成長したいです。


(パリ・オペラ座)

…最近またバレエが楽しくて。

様々なものを吸収した心身は、インプットもアウトプットも望んでいます。

……………………………………


直感なんて、実はあてにならないんじゃないの?!と思う今日この頃。

自然体でいるとか、ありのままにとか、直感に従うとか、

やることをやってからこその、最後の最後に神頼み、直感頼みなのだから、

努力をしないで答えなど出るわけがないのです。

……………………………………

海外へ来て良かったこと。


ダンサーの現実、欧米のダンス事情、海外のバレエ学校のこと、いろんな人々のいろんな生き方、働き方、思考、文化、価値観…それらを目の前で見て、聞いて、体験し、知りたかったことを知ることができました。

また、

自分自身と向き合うことや人間関係の変化と成長も。

欧米人の生活、ヨーロッパに住む日本人の人々の生活の様子を見て、人生の過ごし方や生き方の大きな参考になりました。





同じものを見るにしても、以前の自分より、より高いところから(つまり視野が広がり選択肢が増えた状態に変化して)見れるようになったと思います。


世界を知るということは大事だなと思いました。



でも留学という選択肢は、ある意味ギャンブルだから、人様には簡単には勧められないです。。

留学でしか学べないことはもちろんありますが、日本でも十分な環境です。海外へ出て分かったのですが、日本で手に入らないものはないです。まぁ、だからこそ便利過ぎて、欠乏感を持ち、刺激を求めてしまうのだろうと思いましたが。

ダンスで成長したいことがある場合も、正直、日本でも十分に吸収・成長できると思いました。私の場合、情報収集やチャレンジをしてこなかった自分の怠慢が原因だったと気づくための留学にもなりました。

人は無意識に情報の取捨選択をしているもの。アンテナは自分でしっかりコントロールしなければいけないですね。



私は人としてもダンサーとしても、軽くて透明な佇まいが目標です。


ナチュラルなムーブメントは、
ナチュラルなメンタリティから。


正しさと美しさと機能性は、おそらく同時に獲得されるもの。今はそこに向かっている実感はあります。と同時に、その道のりがまだまだ長いものあることも理解しています。
少しでも近づけるよう、これからも前進したいです。


新しいものの創造と、真実への探究心…

やっぱり探究のほうが好きなようです。


……………………………………

最後に、



先日、ブログの読者の方で、留学を検討されている娘さんをお持ちの保護者の方からの相談がありました。

微々たるものでしょうが、留学へのアドバイスをさせていただきました。

こんな私が何かのお役に立てたら幸いです。



バカの壁

2016-01-23 00:00:30 | ドイツ生活
たくさんのこと(主に哲学的なこと)を考えてしまう私のような人間にとって、考える時間が与えられているのはある意味とても幸せなことです。
(思考の種類がもしマイナス方向であってもどんどん進んでしまうので方向がそっちだと結構しんどいことになるのですが、、、)

とにかく日本ではない場所にいるというだけで様々なことを感じ考えてしまいます。もう10ヶ月もいるわけなので溜まりに溜まったものがいろいろあり、年齢的にも物事への見方や人生観がぼうっと見えてくるもので、今はまとめの時期、、集約されてきたものがあります。それらは思いつくままにiPhoneのメモ欄にいつも書いています。いつかブログなどにまとめて公開しようかなと思ったのですが、受け取る側(読者)のことを考えると、私をダンサーとして見ているか、先生として見ているか、一般人・常識人として見ているか、どのように見ているかで受け取り方が変わるだろうと思い、なかなか書けずにいます。

こうした私の得た経験、今のこのもどかしさ、それらは「バカの壁」にすべて書いてありました。そうそうこういうことよねって、私が感じていることが、きっと私の言葉よりも分かりやすく載ってあると思うので、まだ「バカの壁」を読まれてない方はどうぞ。





自分の言葉で書きたいのはやまやまなのですが、やはり言葉足らずとは恐ろしいもので、誰かを敵に回すことになりそうだし、誰かを傷つけることになるかもしれないのです。

自分の意見を持つことは大切。
でも子供たちに「自分の意見を持つことは大切だ」と言いながら、意見が違ったり態度が悪かったりすると批判的に受け止め、言葉遊びのように揚げ足をとるような人々が多いネット社会ではなかなか公表しにくいですね。それに、意図したことが伝わらなかったりすることの方が多いものです。だって、人間だもの、ね。感覚感情価値観は千差万別です。

だから、やはり思いというのは、大っぴらにするものではないのかもしれないですね。それか、抽象的に、例えばダンスに込めて、表現すればいいのかもしれないですね。

そういえば私はダンサーでした(笑)

抽象的であればあるほど、見る人それぞれの感覚的な領域に踏みこめるものなのですから。言葉にしないことも大切なことがあるものかもしれませんね。


またひとつ階段をのぼる

2016-01-11 01:11:44 | ドイツ生活
自分の眼を信じること。
自分の感性を大切にすること。
自分の人生を楽しむこと。

自分のこと、世の中のこと、人間の成長、自分のやってきたこと(点)が繋がった。

点が線となり円となり、一周するまでが大変だけど、一周したらあとは回転を速めるだけ。勢いが増せばその円(縁)は大きくなってゆく。

ふっと肩の力が抜けた。
日本を出て海外に来て良かったなぁと、急に幸せに満ちた感覚に。

なんだろうこの感情。幸せと感謝の感情って、きっとすごく似ている。