今日は暑さ慣らしと足慣らしを兼ねて大阪は本町、富士フィルムフォトサロンまで行って来ました。
帰って、スマホの歩数計を見ると8550歩でした。
ちょっと遠出すると、それなりに歩数が稼げます。
目的は写真の展覧会です。
カメラ教室の時の知人が、所属するグループの展覧会に出展するというので、それを見に行きました。
知人の作品は2点だけですが、他のグループの展覧会も同時に開催されていて勉強になりました。
数多くの写真が展示されており、思わず『オオッ』と声に出さないまでも唸る作品、人のことは言えないのですが『なんでこんな写真を???』と首を傾げたくなる作品、色々でした。
実は私もカメラのサークルに入りたいとは思っているのですが、遠い場所は不便だし、検討中なのです。
カメラ教室のOB会には、去年末から名を連ねているのですが、2月末に開かれる筈だった撮影会はコロナで中止。
家の近くの公民館には一つ、そこで活動しているカメラのサークルがあって、見学に行こうかと思っていたのですが、それもコロナで公民館自体が閉館されていました。
今日行った展覧会も、本当は3月開催予定だったらしいのですが、コロナで今になったそうです。
サークルに入ると色々と刺激を受け、勉強になりますが、どこも1年に1度くらいは展覧会を開きます。
そこに作品を出品するのは正直気が重いです。
印刷とか額の装丁とか、カメラ教室の時に経験して、ちょっと大変でした。
私の場合はブログで作品(というほど大層なものではない)を見て貰い、当然、文章と組み合わせるスタイルで、展覧会に出品するような写真とはちょっと違うというのもあります。
友人で70才を過ぎて絵を描き始めた人がいるのですが、それを私ではない別の友人に言ったところ「今さらゴミ増やしてどうするの」と言われたとか。
額に入れた大層な作品にしてしまうと、確かに始末に困るのです。
(私の場合も、はっきり言ってゴミにしかならない)
その点、ブログに載せるだけの写真は物理的に嵩張らないという利点があるのです。
もちろん、本当に凄い写真は額装してもゴミにはならないのですが、そんな写真を自分が撮るのは夢の又夢です。
ただブログなどをやっていないカメラ趣味の人は、やはり展覧会にこだわるようです。
カメラに関しては、今後どうするか、色々と考え中なのです。
帰って、スマホの歩数計を見ると8550歩でした。
ちょっと遠出すると、それなりに歩数が稼げます。
目的は写真の展覧会です。
カメラ教室の時の知人が、所属するグループの展覧会に出展するというので、それを見に行きました。
知人の作品は2点だけですが、他のグループの展覧会も同時に開催されていて勉強になりました。
数多くの写真が展示されており、思わず『オオッ』と声に出さないまでも唸る作品、人のことは言えないのですが『なんでこんな写真を???』と首を傾げたくなる作品、色々でした。
実は私もカメラのサークルに入りたいとは思っているのですが、遠い場所は不便だし、検討中なのです。
カメラ教室のOB会には、去年末から名を連ねているのですが、2月末に開かれる筈だった撮影会はコロナで中止。
家の近くの公民館には一つ、そこで活動しているカメラのサークルがあって、見学に行こうかと思っていたのですが、それもコロナで公民館自体が閉館されていました。
今日行った展覧会も、本当は3月開催予定だったらしいのですが、コロナで今になったそうです。
サークルに入ると色々と刺激を受け、勉強になりますが、どこも1年に1度くらいは展覧会を開きます。
そこに作品を出品するのは正直気が重いです。
印刷とか額の装丁とか、カメラ教室の時に経験して、ちょっと大変でした。
私の場合はブログで作品(というほど大層なものではない)を見て貰い、当然、文章と組み合わせるスタイルで、展覧会に出品するような写真とはちょっと違うというのもあります。
友人で70才を過ぎて絵を描き始めた人がいるのですが、それを私ではない別の友人に言ったところ「今さらゴミ増やしてどうするの」と言われたとか。
額に入れた大層な作品にしてしまうと、確かに始末に困るのです。
(私の場合も、はっきり言ってゴミにしかならない)
その点、ブログに載せるだけの写真は物理的に嵩張らないという利点があるのです。
もちろん、本当に凄い写真は額装してもゴミにはならないのですが、そんな写真を自分が撮るのは夢の又夢です。
ただブログなどをやっていないカメラ趣味の人は、やはり展覧会にこだわるようです。
カメラに関しては、今後どうするか、色々と考え中なのです。
私としてはブログでその時々の写真を見て貰う方が良いと思うのですが、シニアにはブログはハードルが高そうです。
個人的には写真展で発表というのは苦手です。
そういう人達が今更なぜカメラ教室に来ていたかというと、デジタル写真の加工技術を学びたいというのもあったみたいです。
カメラ教室では、私は広報担当で、ブログで講義内容などを発信していたのですが、その時に分かったのはデジタルカメラは扱えても、ネットは縁遠い人が多いということ。
月毎に持ち回りの広報担当者にブログのやり方を色々と教えたのですが、おかげで私は「ブログの女王」という異名をとりました(笑)。
素晴らしいデジタル写真を撮れる人でも、それくらいブログはハードルが高かったのです。
当然、ハイスペックな一眼レフのデジカメで撮った写真でも、人に見て貰うには印刷して額装した写真展になります。
この傾向が後何年くらい続くのかは分かりません。
さすがに今、フィルムカメラの人はレアな存在だと思います。
ただフィルムカメラが無くなることはないみたいです。
博物館で学芸員が撮る写真はフィルムカメラです。
理由はフィルムカメラだと加工できない(してもそれと分かる)からだそうです。
やはり何らかの形で発表の場があったほうがいいですね。
ブログは、すぐにアップできるから、もっといいですね。
鳥や花など自然の美しい写真をリアルタイムで見せていただくことができてラッキーです。
父も昔は自分で現像していました。
ほとんど家族写真ばかりですが、何十年も経つと写真っていいなあと思います。
デジタルになじみのない人はやはり紙焼き写真にこだわるのでしょうね。
カメラはどうなんでしょう?やっぱりフィルムカメラですか?
いきおい写真展に力はいりますよね。ブログならもっとたくさんの写真が載せられますが実感できないのでしょう。
富士フィルムもネット上で写真展をしたらいいのに。。
それもいずれ処分しないといけないのです。
そういった趣味は、まさに自分だけの満足だと思うしかないです。
撮影旅行や撮影会に行き、写真撮って楽しんで、みんなでワイワイ言い合う。
その結果の作品は、一部はブログにアップし、他は外付けハードディスクに保存、が私の理想のスタイルかな。
私の母の刺繍の作品は形見分けでも皆が欲しがりましたが、実用にもなったからでしょう。
>「今さらゴミ増やしてどうするの」
関西のおばさんらしい言いぐさです。
本人が怒る気にならなかったのは、けだし至言だったからでは・・・。
でも発表の場が写真展しかない人は、どうしてもそこに力を入れますね。
時間もお金もかけます。
内心、ブログをやればいいのにと思います。
展示数が多かったのはコロナの自粛明けを複数のグループが待っていたからのようです。
サークル、おじさんが厄介か、おばさんが厄介か、どちらともいえないです。
あなたが厄介だと言われそう(笑)
変に気負わず、写真のことだけ考えていたら良いと思います。
受け取った人が同じように感じる事はほぼないですね。
両親の遺品の整理で、弟の反応を見て実感しました。
父も写真が好きな人で、気に入ったものを引き伸ばして
額装までして、かなりたくさん壁にかけていましたが、
弟は自分の家族のものもバッサリ(苦笑)
サークルで受ける刺激は他では得られないでしょうけど
展覧会に込めた思いの違いは埋めがたいですね。
その金額で撮影小旅行出来るかもなんて思ったら尚更。
悩ましい問題ですね
>「今さらゴミ増やしてどうするの」
あっはっは。
ズバッと言えるのは気の置けない間柄なのでしょう。
確かにね。形の残るものは始末を考えると悩みます。
うちも母の作った陶芸のお皿や鉢がたくさんあって・・・。
姪が作品を褒めたので、母はもう、これは姪に、これは△△ちゃんにと。
本人が好きでやってて生きがいになるなら
いくつになっても何をやってもいいけど、
出来上がったものは他人にとってはゴミかもしれない、
好みも価値観も違うのだから
と覚悟しておく必要はありそうですね。
写真展の案内は貰っていましたが 行ったことは ありませんでした
凄い数が 展示されているのですね
写真も良い趣味だと思います
撮影に出かけるし、身体にも脳にも良いでしょう
わたしも ブログなら 他人様の迷惑には ならないだろうと
思って始めました
会に属するって 勇気要ります
おじさんのいる会 気遣いで 疲れたことが あるのです
トラウマ
ただゴミと言ってしまうと極端な言いぐさですが、要するに断捨離の対象物ができてしまうのが問題なんです。
私の年代になると親が遺したガラクタ類の処分だけでなく、自分の所有物も、意識していないとどんどん増えていきます。
常に意識して増やさないことが大切です。
額装した絵や写真を狭い家の中に飾ることはほとんどの場合不可能です。
人に差し上げることは相手の迷惑にしかなりません。
額などは次回に使いまわせそうですが、実際には無理です。
展覧会の展示をカッコよく見せる為に全員の額を買い揃えることが多いからです。
私みたいにブログに載せるために写真を撮る人はいいんですが、そういうデジタル派は少なくて、ほとんどの人はアナログ派で、仲間内の写真展への出品に気合を込めます(笑)。
額代や会場費など、費用も半端ではありません。
絵はもっと大変みたいです。
というわけで悩ましいのです。
自分が死んだあと、残された人が困っても構わないというのなら、積み上げておくのですが、自分が親の荷物の処理に苦労したのでそれもしたくないのですよ。
一度拝読していいね、押して、コーヒー飲んでまた気になってコメント(笑)シニアになっていろいろやると、いまさらとかゴミになるとか==。でもシニアでもなんでもやっていいのでは?ゴミだと思えば捨てればいいし。残る時間は案外長い。まあ、その人なりの事情や考えもあるので余計なことだと思いますが、少し気になったので(笑)