最近、国宝づいてます。
まず万博のイベントで5人の人間国宝の芸を観ました。これについては記事を既にあげてます。
次に大阪市立美術館の国宝展を観に行きました。
そして先日は映画の「国宝」を観に行きました。
大阪市立美術館の国宝展ですが、観に行ったのが雨の日で、人が少ないかと思ったら逆。
人が多すぎて観るのが大変でした。
人の列は止まったまま動かないし、結局、人の肩越しで観る感じ💦
それでも教科書でおなじみの国宝をずいぶん観ました。
写真は薬師寺東塔の最上部に飾られていた水煙。撮影が許可されていたのはこれだけでした。



天人が天上から楽の音を奏でながら降りてくる意匠です。
外に出たら雨は止んでいて、見終わった疲れもあってしばらく休んでいました。

映画の「国宝」を観たのはつい先日。
3時間の長尺でしたがあっと言う間でした。
観ながら色々考えたり、思い出したり。
映画では、活気に満ちた昭和の猥雑さがうまく映像化されていました。
私は神戸の下町で子供時代を過ごしたので、“やくざ”というのは珍しくなかったのです。
子供の頃は街の銭湯で、女湯も男湯も自由に行き来していたので、時には男湯で倶利伽羅紋々の男達の裸も見ていました。
若い頃は謡曲を習ってましたので、能楽の方の人間国宝の私生活(女性関係)の下衆さも聞いています。
映画同様、人間国宝になるずっと前の話ですけど。
ただ映画で強調されていた“血”というのは、能楽では歌舞伎ほど重視されていないのではないかと思います。(映画がどれほど実態に即しているかどうかは知りませんが。)
逆に才能ある他人の子を奪って芸養子とし、自分の子は能役者ではないカタギの仕事につかせたという悪口は聞いたことがあります。
映画が実態に即しているかどうかでは、ネタバレになりますが、舞台で観客を前にして血反吐を吐くシーンとか、人間国宝の女形が晩年を安アパートで寝たきりみたいな状態で暮らすとか、無いんじゃないかと思います。
舞台で血反吐を吐くなんて、観客には絶対に見せてはならないシーンです。
周囲がすぐに取り囲んで観客には見せないでしょう。
それやこれやの釈然とはしない部分もありましたが、それらを凌駕する魅力のある映画でした。
主演の二人、吉沢亮と横浜流星は歌舞伎役者、それも女形を見事に演じてましたし、舞台シーンの映像美は特筆ものでした。
個人的には私は今、noteに発表するつもりで新体操の歴史について書いているのですが、人が“美”や“踊り心”に取り憑かれてしまうという点で共通するところがあり、そこも色々と考えた部分でした。
まず万博のイベントで5人の人間国宝の芸を観ました。これについては記事を既にあげてます。
次に大阪市立美術館の国宝展を観に行きました。
そして先日は映画の「国宝」を観に行きました。
大阪市立美術館の国宝展ですが、観に行ったのが雨の日で、人が少ないかと思ったら逆。
人が多すぎて観るのが大変でした。
人の列は止まったまま動かないし、結局、人の肩越しで観る感じ💦
それでも教科書でおなじみの国宝をずいぶん観ました。
写真は薬師寺東塔の最上部に飾られていた水煙。撮影が許可されていたのはこれだけでした。
全体像です。

部分


天人が天上から楽の音を奏でながら降りてくる意匠です。
外に出たら雨は止んでいて、見終わった疲れもあってしばらく休んでいました。

映画の「国宝」を観たのはつい先日。
3時間の長尺でしたがあっと言う間でした。
観ながら色々考えたり、思い出したり。
映画では、活気に満ちた昭和の猥雑さがうまく映像化されていました。
私は神戸の下町で子供時代を過ごしたので、“やくざ”というのは珍しくなかったのです。
子供の頃は街の銭湯で、女湯も男湯も自由に行き来していたので、時には男湯で倶利伽羅紋々の男達の裸も見ていました。
若い頃は謡曲を習ってましたので、能楽の方の人間国宝の私生活(女性関係)の下衆さも聞いています。
映画同様、人間国宝になるずっと前の話ですけど。
ただ映画で強調されていた“血”というのは、能楽では歌舞伎ほど重視されていないのではないかと思います。(映画がどれほど実態に即しているかどうかは知りませんが。)
逆に才能ある他人の子を奪って芸養子とし、自分の子は能役者ではないカタギの仕事につかせたという悪口は聞いたことがあります。
映画が実態に即しているかどうかでは、ネタバレになりますが、舞台で観客を前にして血反吐を吐くシーンとか、人間国宝の女形が晩年を安アパートで寝たきりみたいな状態で暮らすとか、無いんじゃないかと思います。
舞台で血反吐を吐くなんて、観客には絶対に見せてはならないシーンです。
周囲がすぐに取り囲んで観客には見せないでしょう。
それやこれやの釈然とはしない部分もありましたが、それらを凌駕する魅力のある映画でした。
主演の二人、吉沢亮と横浜流星は歌舞伎役者、それも女形を見事に演じてましたし、舞台シーンの映像美は特筆ものでした。
個人的には私は今、noteに発表するつもりで新体操の歴史について書いているのですが、人が“美”や“踊り心”に取り憑かれてしまうという点で共通するところがあり、そこも色々と考えた部分でした。