翌朝は10時に荷物を預けてホテルを出発。
朝がゆっくりできたので助かりました。
フロントに集合だったのですが、少し早い目に行って、ホテルの前、ということは駅前なのですが、ドラえもんやら、のび太君やらを撮影。


こんな銅像がある理由は、ドラえもんの作者の藤子・F・不二雄氏が高岡の出身だからだそうです。
ツアーでは桟敷席で御車山の勢揃いが見ることになっていましたが、それまでに時間があり、高岡の金屋町の見学にいきました。
普段の高岡は路面電車が走っていますがその日は祭の為、一時的に撤去。
市内の交通規制もあり金屋町までタクシーに分乗して行きました。
金屋町だけでなく、高岡という町は、そもそもは加賀藩の二代藩主前田利長が隠居して高岡に城を築き、町づくり、産業づくりをしたことが最初だったらしいです。
金屋町の場合は鋳物師を招いて鋳物の産業を興したわけです。
金屋町は国によって重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


鋳物も最初は農耕具を作っていたようです。
でも段々と金属加工の高度な技術を会得して、明治以降は美術工芸品などで世界に知られるようになったとのことです。
前田利長は鋳物だけでなく、漆工や染織、菓子の職人まで招いたとか。
御車山の華麗な装飾には、そうした技術が用いられているとのこと。
実は高岡城は一国一城令により直ぐに廃城となっています。
通常、城が無くなると、そこにあった町も廃れるのだそうですが、利長亡き後も産業づくりは続いたみたいです。
高岡が栄えたのは、そうやって商工業を誘致・優遇したことにあったようです。
何もない場所に豊かな町を作ったのですから、半端ない町おこしをやったみたいですね。

というわけで、いよいよ高岡御車山祭の本番です。
ここは町の中心部、御車山の勢揃い式が行われる四ツ辻です。
手前の椅子が桟敷席で、ツアー客が座る場所。
まだ始まってません。

私はくじ運悪く3列目でした。
実はこの席、ちょっと問題ありで、ここに曳かれてきた御車山は向こうを向いて勢揃いするのです。
つまり勢揃いはお尻からしか見えないってこと。
一台一台、左手からやって来る御車山。






やって来た御車山はドッコイショといった感じで前が持ち上げられ、向こうを向きます。





お尻からしか見られなかったこと、添乗員さんは観光協会の方に後で文句を言ったそうです。
確かに、ツアー代には桟敷席料も入っていますから。
後で見たのですが、正面の席には緋毛氈(レッドカーペット)が敷かれ、町のお偉い方達の席のようでした。
私も最初の内こそ3列目の自席で写真を撮っていたのですが、桟敷席の前に行って写真を撮る人もいて「あんたも遠慮したらいかん」と隣の席の人に促され、桟敷席の前、邪魔にならないように地べたに座り込んで写真を撮りました。
前日SDカードを貸してくれた人も前にやってきて、お互い撮ることに夢中。
添乗員さんは後ろ向きの席のことで責任を感じたみたいで、7台の御車山が揃った頃、前で写真を撮っている人達のところにやってきて、御車山が奉曵されるルートを教えてくれました。
そこで私達写真組は移動。
道路の縁石に腰かけて御車山を待ちました。
やって来た御車山。





曳いている人達、ホントしんどそうでした。



写真を撮っていて思うことは、勝手だけど写真を撮る人が邪魔だってこと!
「あんた、どけ!」と言いたくなる。
しまいには撮る人を撮っちゃう。

実は私も撮られてました。
地元の富山チューリップテレビのカメラマンに私が写真を撮るところを撮られました。
その日のテレビには私が映っていたかもね。
これは御車山に乗っている人達。人形は「尉と姥」。

なぜかドヤ顔のおっちゃん。

というわけで、写真はここまで。
この日は暑くもなく寒くもなく。ちょうどよい季節のお祭りです。
ちなみに去年は雨が降って中止だったそうです。
日本の地方は昔から頑張ってきたし、今も頑張っていることが分かる祭でした。
ここまで見て下さった方、ありがとうございました!
朝がゆっくりできたので助かりました。
フロントに集合だったのですが、少し早い目に行って、ホテルの前、ということは駅前なのですが、ドラえもんやら、のび太君やらを撮影。


こんな銅像がある理由は、ドラえもんの作者の藤子・F・不二雄氏が高岡の出身だからだそうです。
ツアーでは桟敷席で御車山の勢揃いが見ることになっていましたが、それまでに時間があり、高岡の金屋町の見学にいきました。
普段の高岡は路面電車が走っていますがその日は祭の為、一時的に撤去。
市内の交通規制もあり金屋町までタクシーに分乗して行きました。
金屋町だけでなく、高岡という町は、そもそもは加賀藩の二代藩主前田利長が隠居して高岡に城を築き、町づくり、産業づくりをしたことが最初だったらしいです。
金屋町の場合は鋳物師を招いて鋳物の産業を興したわけです。
金屋町は国によって重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


鋳物も最初は農耕具を作っていたようです。
でも段々と金属加工の高度な技術を会得して、明治以降は美術工芸品などで世界に知られるようになったとのことです。
前田利長は鋳物だけでなく、漆工や染織、菓子の職人まで招いたとか。
御車山の華麗な装飾には、そうした技術が用いられているとのこと。
実は高岡城は一国一城令により直ぐに廃城となっています。
通常、城が無くなると、そこにあった町も廃れるのだそうですが、利長亡き後も産業づくりは続いたみたいです。
高岡が栄えたのは、そうやって商工業を誘致・優遇したことにあったようです。
何もない場所に豊かな町を作ったのですから、半端ない町おこしをやったみたいですね。








というわけで、いよいよ高岡御車山祭の本番です。
ここは町の中心部、御車山の勢揃い式が行われる四ツ辻です。
手前の椅子が桟敷席で、ツアー客が座る場所。
まだ始まってません。

私はくじ運悪く3列目でした。
実はこの席、ちょっと問題ありで、ここに曳かれてきた御車山は向こうを向いて勢揃いするのです。
つまり勢揃いはお尻からしか見えないってこと。
一台一台、左手からやって来る御車山。






やって来た御車山はドッコイショといった感じで前が持ち上げられ、向こうを向きます。





お尻からしか見られなかったこと、添乗員さんは観光協会の方に後で文句を言ったそうです。
確かに、ツアー代には桟敷席料も入っていますから。
後で見たのですが、正面の席には緋毛氈(レッドカーペット)が敷かれ、町のお偉い方達の席のようでした。
私も最初の内こそ3列目の自席で写真を撮っていたのですが、桟敷席の前に行って写真を撮る人もいて「あんたも遠慮したらいかん」と隣の席の人に促され、桟敷席の前、邪魔にならないように地べたに座り込んで写真を撮りました。
前日SDカードを貸してくれた人も前にやってきて、お互い撮ることに夢中。
添乗員さんは後ろ向きの席のことで責任を感じたみたいで、7台の御車山が揃った頃、前で写真を撮っている人達のところにやってきて、御車山が奉曵されるルートを教えてくれました。
そこで私達写真組は移動。
道路の縁石に腰かけて御車山を待ちました。
やって来た御車山。





曳いている人達、ホントしんどそうでした。



写真を撮っていて思うことは、勝手だけど写真を撮る人が邪魔だってこと!
「あんた、どけ!」と言いたくなる。
しまいには撮る人を撮っちゃう。

実は私も撮られてました。
地元の富山チューリップテレビのカメラマンに私が写真を撮るところを撮られました。
その日のテレビには私が映っていたかもね。
これは御車山に乗っている人達。人形は「尉と姥」。

なぜかドヤ顔のおっちゃん。

というわけで、写真はここまで。
この日は暑くもなく寒くもなく。ちょうどよい季節のお祭りです。
ちなみに去年は雨が降って中止だったそうです。
日本の地方は昔から頑張ってきたし、今も頑張っていることが分かる祭でした。
ここまで見て下さった方、ありがとうございました!