55年前の和裁の独習書が出てきたことから、以前ある俳句の解釈に違和感を持ったことを思い出しました。
ちょっと辛口になるので書かないでおこうかと思ったのですが、書いてみます。
解釈の対象になったのは、三橋鷹女の、とても有名なこの俳句です。
白露や死んでゆく日も帯締めて
作者の三橋鷹女は明治32年(1899)生まれで昭和47年(1972)に亡くなっています。
この句を作ったのは昭和25年、52歳の時です。
この句の季語は「白露」で秋の季語です。
昭和25年当時、52歳といえば初老といってもよい年齢であり、人生の秋と重ねて白露という言葉が用いられ、死を意識し始めての句かと思います。
この句の眼目は、あっという間に年をとってしまう人生のはかなさを白露に重ね合わせつつ、それでも死んでゆくその日も、いつもと同様に帯を締めると表明する、毅然とした生の在り様でしょうか。
私が違和感を持ったのは、俳句の勉強の為に買った石寒太著「初めての俳句の作り方」の中のこの句の解釈です。
この句について彼は「白露のはかなさと清浄さとの配合でナルシズム的な句」としています。
そして句の意味も「私が死んでゆく日も、・・・きちんと帯を締めた正装で死を迎えたい」としています。
私が『えっ?』と思ったのは、「正装」という言葉です。
正装とは、何らかの儀式の際に身に着ける装いのこと、要するに和装洋装を問わないフォーマルな衣装のことです。
句そのものには正装という語は使われていません。ただ、昭和25年という年代から「帯締めて」の言葉だけで正装と考えるのは無理があります。当時、日常的に着物を着ていた人は珍しくなく、帯もまた普通に締められていました。
実は例の55年前の雑誌にも、和服の正装に関する記述がほとんどありません。和服に正装が連想されるのは、近年のことなのです。
そして、この句の帯を締める着物が、正装かどうかで、句のイメージがガラッと変わってきます。
句では、死んでいく日も、ですから、その日だけでなく毎日、正装だということになります。
毎日、正装の人って、どんな人ですか。その勘違いから、「ナルシズム的な句」と評されているみたいなのです。
私がこんなことを書くのは、母が亡くなって、残されていた着物をたまに着るようになって、その時の人の反応が、ちょっとビックリだったからです。
要するに、着物というだけで、カジュアルな場にフォーマルな衣装で来たみたいな反応をされたことがあったからです。(もちろん私はフォーマルな着物、つまり正装で出かけたわけではないのです。)
石寒太氏の解釈は、そういう、着物=正装という感覚に基づいてされているのではないかと思ったのです。
着物=正装という感覚は、現代の、間違った知識による感覚です。
今でも、着物全体から見れば正装といえる着物は少ないのです。
過去の俳句を解釈する場合、作られた時代背景をある程度知っていなければならないのは当然です。
と同時に、着物みたいな日本文化については、基本的な知識を抑えておくべきだと思います。
時代という側面では、女性作家の作品について安直に「ナルシズム的」というような評は、昭和ならともかく平成ではNGだと思うのです。
ちょっと辛口になるので書かないでおこうかと思ったのですが、書いてみます。
解釈の対象になったのは、三橋鷹女の、とても有名なこの俳句です。
白露や死んでゆく日も帯締めて
作者の三橋鷹女は明治32年(1899)生まれで昭和47年(1972)に亡くなっています。
この句を作ったのは昭和25年、52歳の時です。
この句の季語は「白露」で秋の季語です。
昭和25年当時、52歳といえば初老といってもよい年齢であり、人生の秋と重ねて白露という言葉が用いられ、死を意識し始めての句かと思います。
この句の眼目は、あっという間に年をとってしまう人生のはかなさを白露に重ね合わせつつ、それでも死んでゆくその日も、いつもと同様に帯を締めると表明する、毅然とした生の在り様でしょうか。
私が違和感を持ったのは、俳句の勉強の為に買った石寒太著「初めての俳句の作り方」の中のこの句の解釈です。
この句について彼は「白露のはかなさと清浄さとの配合でナルシズム的な句」としています。
そして句の意味も「私が死んでゆく日も、・・・きちんと帯を締めた正装で死を迎えたい」としています。
私が『えっ?』と思ったのは、「正装」という言葉です。
正装とは、何らかの儀式の際に身に着ける装いのこと、要するに和装洋装を問わないフォーマルな衣装のことです。
句そのものには正装という語は使われていません。ただ、昭和25年という年代から「帯締めて」の言葉だけで正装と考えるのは無理があります。当時、日常的に着物を着ていた人は珍しくなく、帯もまた普通に締められていました。
実は例の55年前の雑誌にも、和服の正装に関する記述がほとんどありません。和服に正装が連想されるのは、近年のことなのです。
そして、この句の帯を締める着物が、正装かどうかで、句のイメージがガラッと変わってきます。
句では、死んでいく日も、ですから、その日だけでなく毎日、正装だということになります。
毎日、正装の人って、どんな人ですか。その勘違いから、「ナルシズム的な句」と評されているみたいなのです。
私がこんなことを書くのは、母が亡くなって、残されていた着物をたまに着るようになって、その時の人の反応が、ちょっとビックリだったからです。
要するに、着物というだけで、カジュアルな場にフォーマルな衣装で来たみたいな反応をされたことがあったからです。(もちろん私はフォーマルな着物、つまり正装で出かけたわけではないのです。)
石寒太氏の解釈は、そういう、着物=正装という感覚に基づいてされているのではないかと思ったのです。
着物=正装という感覚は、現代の、間違った知識による感覚です。
今でも、着物全体から見れば正装といえる着物は少ないのです。
過去の俳句を解釈する場合、作られた時代背景をある程度知っていなければならないのは当然です。
と同時に、着物みたいな日本文化については、基本的な知識を抑えておくべきだと思います。
時代という側面では、女性作家の作品について安直に「ナルシズム的」というような評は、昭和ならともかく平成ではNGだと思うのです。