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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

ミーちゃん、過呼吸発作

2017年09月26日 | 
我が家の猫のミーちゃんを病院に連れて行きました。
過呼吸発作を起こしたからではないのです。
病院に連れて行ったらストレスで過呼吸になったのです。

なんで病院に連れて行ったかというと、ミーちゃん、左目が白濁していて見えません。
元の飼い主の家族の話によれば、昔、よその猫と喧嘩してそうなったとか。
左目、目ヤニも出やすく、よく固まった目ヤニが家の中に落ちています。

それで、ドロドロのや、固まった目ヤニがついていると、目ヤニを取ってあげていたのですが、かえってそれで角膜が傷ついたみたいで目の状態が悪化。
目には触らないようにしていたのですが、治らないので病院に連れて行きました。

ミーちゃん、キャリーに入るのも嫌がり、入ってからも異様な鳴き声を上げて助けを求めました。
病院で診療が始まって、お医者さんを前にすると、ミーちゃん、口を開けて犬みたいにハアハアと舌を出し入れし始めました。
こんなこと、初めて。他の猫でも見たことがありません。

目の方は、動物専門の眼科に行くか、取り敢えず点眼薬で様子を見るかと言われました。
ミーちゃんの様子はこれから他の病院に連れていける状態ではありません。
診療の後は薬だけ貰って急いで連れ帰りましたが、帰宅してからも不安そうに逃げ込める場所を探していました。

ミーちゃんの目の状態です。これでは病院に連れて行かないわけにはいきません。
でも連れて行くと過呼吸発作を起こされては・・・(^-^;

今は、お薬が効いたみたいで、少しづつ良くなっています。

ミーちゃんを病院に連れて行った前日、たまたま猫の譲渡会のお手伝いに行ってました。
今年の3月に行っていたのと同じです。⇒ここ

3月の譲渡会では物品販売の担当だったのですが、今回は会場担当でした。
その時、最初の打ち合わせで過呼吸発作のことを聞いていたのです。

会場担当のお仕事は、早い話が“案内”と“見張り”です。
来場された方々が気に入った猫を見つけられたらエントリーシートを渡したり、猫にストレスを与えるようなことしている場合はやんわりと注意したり。
また猫の様子がおかしい場合は主催者に知らせて指示を仰いだり。

打ち合わせで、稀にストレスで過呼吸発作を起こす猫がいると聞いていたので、翌日のミーちゃんの様子を見た時は『これかー』と思いました。
過呼吸といっても人間の過呼吸とはちょっと違うみたいですが。

子猫はそれほどでもないのですが、成猫は緊張が激しいみたいです。
過呼吸とまではいかなくても、成猫の場合、会場にいるだけで明らかに呼吸が早いのです(胸が早く上下に動くので分かります)。

子猫でも、野良の母猫に育てられて保護された子達は警戒が激しいです。
ケージの奥に固まって前に出てきません。
こんな感じ。

人間に育てられた子猫は人馴れしてます。
積極的に前に出てきて、この子は人気がありました。

譲渡会では、アピールできる猫が譲渡成立しやすいので、前に出てきてほしいのです。
黒猫ちゃんも良いですね。私が飼いたいような。


猫は犬以上に繊細なので、それなりに気を遣います。
厳しい条件があるのでハードルは高いですが、みんな、良い飼い主さんが見つかると良いですね。
ミーちゃんの目も早く良くなってほしいです。



ペットロスを乗り越えて -約束-

2017年07月19日 | 
私の愛猫、スズちゃんが今年の2月22日に亡くなって5か月になります。
今でも思い出さない日はないです。
ただ、当初のような、激しい感情はなく、スズちゃんが私に与えてくれた沢山の喜びを静かに偲んでいます。
今回、私に何があってペットロスを乗り越えたか、書いておきます。

私のペットロスの主な感情は喪失感以上に罪悪感からくるものでした。
スズちゃんの死が近いことは、半年以上も前の獣医さんの言葉から分かっていたからです。
私はスズちゃんに苦痛や恐怖を与えるような延命治療はしないで、普通の日々を過ごさせ、静かに逝かせてあげるつもりでした。

最後の10日間ほど、痩せて、たぶん脳の萎縮が起こっていたのだと思います。
スズちゃんに認知症の症状が現れ、愚かな私はスズちゃんが命の最後の炎を燃やしているのだと理解できず、きつく叱ったりしてしまいました。
詳しくはここ

スズちゃんが姿を隠して亡くなったことも相まって、私はどうしようもないペットロスの状態に陥りました。
これ以上ないほど純粋な存在を、最後になって傷つけてしまったという思いが私を苦しめました。

毎日、思い出しては自分を責め、泣いていました。
とりわけ夜中、ふと目覚めては思い出すと、心臓がペコンと凹んだように苦しくなりました。
こんな私は孤独に死ぬのだとか、自分の人生は失敗だったとも思いました。
とにかく苦しくて苦しくてたまりませんでした。

さすがに私はこのままではいけないと思いました。
スズちゃんと、ちゃんとお話がしたいと思いました。
仏教では、人は亡くなっても49日間はこの世に魂は留まっていて、行き先が定まるまで元居た場所辺りをさまよっていると聞いたことがあります。
猫だって、すぐにあの世にいく筈はないと思います。

だから私は、スズちゃんが亡くなってからも、スズちゃんがそこにいるかのように話しかけたりしていたのですが、もっとちゃんとスズちゃんに話さなければならないと思ったのです。

3月15日の夜10時頃、私は自分の部屋でのベッドに腰かけて、スズちゃんがいるかもしれない中空辺りに目をやって「スズちゃん、聞いてくれる?」と話しかけました。
そして自分がスズちゃんに対し間違ったことをしてしまったこと、スズちゃんに淋しい思いをさせてしまったことを謝り、間違いを繰り返さない為に、スズちゃんに二つの約束すると言いました。

一つは、相手が人であれ動物であれ、表面的なふるまいだけで悪く決めつけることは決してしないということ。
もう一つは、スズちゃんがそうやって生きて死んだように、私も最後の最後まで一生懸命生き抜いて死ぬということ。
この二つの約束をして、私がスズちゃんのことをどれ程好きだったか、亡くなった今も大好きな猫であるということを泣きながら話しました。

そうすると、スズちゃんが生きていた時と同じように、スズちゃんが私の話を真剣に聞いてくれているそんな雰囲気が漂い、私は話を終えることができました。

その夜、寝てからのことです。私はミーちゃんの鳴く声で目が覚めました。
時計を見ると夜中の2時でした。ミーちゃんは「にゃーにゃー」と止むこともなく1階の居間で鳴き続けていました。
そんなことは今までなかったことだったので、何があったのかと思ってあわてて起き、ミーちゃんの所にいってみると、ミーちゃんはいつも寝床にしている畳んだ毛布の上で、鳴き疲れたのかボンヤリした様子でいました。

私はふとミーちゃんはスズちゃんの気配を感じたのだなと思いました。
スズちゃんはミーちゃんに何か(多分、みどりさんの思いは受け止めたよ、それを伝えておいてというようなこと)を伝え、それで驚いて私を呼んだのだと思いました。
その夜は「大丈夫だよ」と言ってミーちゃんを落ち着かせ、そのまま寝ました。

このようなことがあって、私は少し落ち着くことができました。
でも、人間の意識は昼と夜とでは違います。
昼間の意識では、スズちゃんが私の話を聞いてくれたと思えたことも、ミーちゃんがスズちゃんの気配を感じて真夜中に鳴いたと思ったことも、私の手前勝手な思い込みであり、スズちゃんはやはり淋しい思いのまま亡くなったのではないかと思えて苦しくなることがありました。

ちょうどあの頃、ブログ友達のcoco21さんが、茨木のり子さんの詩集の紹介をブログでされていました。
それまでの私の印象では茨木のり子さんの詩は、惰弱な心をピシピシと打つような厳しいもの、というものでした。
私に必要なものはそういうものかもしれないと思い、ある日、梅田の紀伊國屋書店で「茨木のり子詩集」を見つけて、指針を求める思いで買って帰りました。

私は詩集の最初から読まずに、何気なく開いたページの詩を最初に読みました。
それは「夢」という詩でした。
内容は、亡くなられた茨木さんの夫の明日が49日という夜の、夢の中での夫との濃密な交歓を詠んだものでした。
茨木さんはその詩で、夢を「夢に過ぎない」というようには受け止めず、「あなたらしい挨拶」として受け止めていました。

私は茨木さんの詩に厳しいものを予想していたのですが、予想とは真逆であったことにまず驚きました。
そして指針を求めて読んだ詩がそういうものであったことの意味を考えました。

私は夢を見たわけではありません。
でも直観的にスズちゃんが私の話を聞いてくれたと思い、またスズちゃんがミーちゃんを通じて私に思いを受け止めたことを伝えたと感じました。
ならばそれを素直に受け止めることが大切なことなのではないかと思ったのです。
それに一連の出来事は、賢くて、活発で、やさしかった、いかにもスズちゃんらしい出来事だったからです。

ここで書いたことを馬鹿げた話だと思う人もいるかもしれませんが、おそらく一番大切なことは、私がスズちゃんにした約束を果たし続けることだと思うのです。
そうすることが、あのスズちゃんの思いに応えることなのだと思えます。
二つの約束は思った以上に難しいことでもあるのですが。

こうして私は何とかペットロスを乗り越えることができました。
当時、ブログを通じて励ましていただいた方々には改めてお礼を申し上げます。
有難うございました。
ブログはやっていて良かったと思います。
ブログをやっていなければ乗り越えることは難しかったと思うからです。

スズちゃんは49日も済んだ今、きっとあの世で幸せに過ごしていると思います。

最後に元気だった頃のスズちゃんの写真です。



茨木のり子さんの「夢」という詩に興味のある方は、茨木のり子 夢 の2語で検索して下さい。
読むことができます。



譲渡会でお手伝い

2017年03月27日 | 
猫のスズちゃんが亡くなって、スズちゃんの為に買ってあった猫缶やらカリカリをどうしようかということになりました。
中くらいのダンボール箱1箱くらいあるのです。

もう一匹の猫のミーちゃんがいるのですが、ミーちゃんは尿路結石症で、その病気用の特別な餌を食べています。
ですからスズちゃん用の餌は食べられません。
どなたかに貰っていただくしかないのです。

そこで思いついたのは近くで地域猫活動をしている知人です。
早速メールすると餌は頂きたいとのこと。
その時「みどりさんも市内のこの地域のグループメンバーだよ」と言われました。
確かにそうだったのですが、私、地域猫活動は何もしていませんでした。

地域猫活動はNPO法人になっていて、月一で定例会が開かれます。
でも、開かれる場所が同じ市内でも私の住んでいる所から行くには超不便で、足が遠のいていたのです。
申し訳ないなあと思っていたところ、そのNPOが猫の譲渡会のお手伝いを募集しているとのこと。
それくらいならできると思い、先日行って来ました。

私の仕事は会場設営のお手伝いとか、運営資金集めのための猫グッズの販売とかでした。
保護主さんに連れられた猫ちゃん達も見ましたが、今は子猫のシーズンではなく、成猫が多かったです。
子猫だと譲渡も成立しやすいのですが、成猫だと今一つだということでした。
譲渡会では猫を飼いたい人にケージに入れた猫を見てもらい、気に入った猫がいれば保護主さんと話合いの上で譲渡ということになるのです。(譲渡の条件は厳しいです。)

譲渡が成立しない理由はもちろん、子猫が欲しい人が多いということもあるのでしょうが、私が見たところ、成猫だと、どの猫もおびえきっていることもあるのじゃないかと思いました。
子猫だと、知らない場所に連れてこられても屈託なく愛想を振りまくのでしょうけど。
譲渡会は3時間で、短いようにも思うのですが、猫ちゃん達のストレスを考えれば、それが限界なのだと思います。

私も猫グッズを何点か買って帰りました。
玄関に飾った猫ちゃんの置き物です(鼠付き)

私には可愛すぎる猫のブローチ。

ブローチと同じ大きさの猫のマスコット。

マスコットとブローチは手作りで、素朴な味があります。
他にも色々手作りの猫グッズがありました。
資金集めにこういうグッズを作る活動もあるのだなと思いました。




さようなら、スズちゃん

2017年02月25日 | 
2月22日、奇しくも猫の日。
我が家の愛猫スズちゃんとお別れしました。
亡くなって以来、思うことはスズちゃんのことばかり。
日々、悲しさと後悔が募ります。
今回の記事でスズちゃんとの別れのあらましを綴ります。

スズちゃんの状態が良くなかったのは去年から分かっていました。
自然に逝かせるつもりでした。その記事→こちら

一月ほど前から、見るからにに痩せてきて、いつ亡くなってもおかしくない状態でした。
我が家では、ほぼ途切れることなく猫を飼っていましたので、私には猫の死期が経験的に分かります。

ただ、スズちゃんの場合、初めて経験することがありました。
亡くなる10日くらい前から、スズちゃんに『これが話に聞く猫の認知症か』と思うような、奇妙で困った行動が見られたのです。

人の後を意味もなく執拗に付け回したり。やたらウロウロして落ち着きがなくなりました。
何よりも異常な食欲の暴走。
私や兄が食事しようとすると、食卓の上に乗ってきて食べ物を盗る。
何度食卓から降ろしてもまた乗ってきます。
食べ物の獲り方の素早さは獲物を獲る時のそれでした。
おかげで、兄も私も落ち着いて食事ができなくなりました。
台所で料理していると料理中の食べ物を欲しがって足元で鳴いたり、傍のトレイや包み紙を捨てたゴミ箱を漁ったり。

もちろん、食べ物は十分に与えていました。
お腹がすいてというのではなかったのです。
人が持っている物や食べている物がほしいのです。
それまでのスズちゃんは賢い猫で、餌をねだっても私が少し大きな声で「ダメです」というとすぐに諦めてその場を離れました。
ですがスズちゃんは全く言うことを聞かない猫になりました。

スズちゃんは、ついにはミーちゃんの結石用の病猫食まで欲しがって、ミーちゃんが食べているとミーちゃんの頭を手で叩いて退かしてしまい自分が食べました。
スズちゃんはミーちゃんのことを以前は避けていたにもかかわらずです。
何しろミーちゃんは、重量的には痩せてしまった自分の3倍はある大きな雄猫で、スズちゃんが喧嘩を仕掛けられる相手ではないのです。

でもどんなに食べてもまるで太らず、亡くなる数日前にはヨタヨタの状態で、数段ながら階段から何度も落ちました。
亡くなる前日は夜、一緒に寝る私のベッドの上にも上がれなくなりました。
それでも食べ物に関しては異常な執着と俊敏さを見せていたのです。

そして22日、その日私は友達とランチの約束がありました。
時間が遅くなり、あわてて家を出ようとするとスズちゃんが甘えてきました。
私はあまり相手もせず、玄関先から「行ってくるよ」とだけ言って、廊下で私を見ているスズちゃんを見ました。
スズちゃんは大きな目を見開いて私を見ていました。
本当に、今すぐ死んでもおかしくないくらいの痩せ方でした。

その時、私はふと思ったのです。
スズちゃんの甘え方は、猫が死ぬ間際に飼い主に見せる甘え方ではないか。
私は出掛けてはいけないのではないかと。
でも私は1時間もすれば兄が帰ってくるだろうと思い、出掛けてしまったのです。

私が家に帰ったのは4時頃でした。
兄に「すずちゃんは?」と聞くと、「その辺にいるだろ、呼んだら出てくる」という返事。
それで私はスズちゃんを確認せずに、何か釈然としないまま、自分の部屋で用事を片付けていました。
1時間くらいして、部屋から出て、スズちゃんを捜しましたがいません。
にわかに不安になりました。
家の敷地の外に出ていったようなのです。

敷地の中なら大丈夫なのですが、外は‥、もうベッドに上がることさへできない猫なのです。
どうなるか分かりません。ただ食べ物の為なら思いもよらない俊敏さを見せる猫です。
でも私にはなんとなく分かりました。スズちゃんは外で亡くなったと。
その日の夕方、6時頃から雨でした。
ひょっとしてスズちゃんが戻るかもしれないので玄関は開けたまま寝ましたが、スズちゃんは戻ってきませんでした。

猫は死ぬ時に死に場所を求めて、人の目に触れないところで死ぬと昔からよく言われていますが、最近では事実はそうでないと言われています。
死ぬほどの状態の猫は体を休めるために暗くて人のいない場所で回復を待っていて、そのまま死んでしまうというのが本当のようです。
事実、今まで飼っていて亡くなった猫は、外にもねぐらのあった半ノラの猫以外、家で亡くなっています。
だからスズちゃんがいなくなったのは、死に場所はむろんのこと回復する場所を探してというのでさへなかったと思います。

元気な頃のスズちゃんはよく近所をパトロールしていました。
寒い日が続いたこともあり、ここ一月ほど、スズちゃんが敷地の外に出たことは私が知る限り1度くらいでした。
自分が弱っていることを分かっていましたし、他の猫に出くわす可能性のある危険なことを敢えてしないのです。
ただ認知症様の症状が始まって以来、判断力が落ちていました。
ポカポカ陽気に誘われるまま敷地の外に出て、そのまま亡くなったというのが真相のように思います。
スズちゃんの骸は遂に見つからないままです。

スズちゃんを外で死なせてしまったのは私の責任です。
その日、出掛ける時、出てはいけないかもしれないと思ったのに出てしまったのですから。
兄が帰った時には家で寝ていたそうですが、餌を貰ってそのまま外に出ていったようです。
私が家に帰った時には、たぶんもう亡くなっていたと思います。

死期が近いことは分かっていましたし覚悟もしていましたが、スズちゃんの死に際して、骸を見なかったことはとても辛いことです。
もう一つ、最後の10日間、認知症様の行動を取るようになって、その事でずいぶんスズちゃんを怒ったり、キツイ態度を取ってしまったこと、これは思い出すたびに後悔で泣いてしまいます。
スズちゃんの信頼を私は最後になって裏切ってしまったかもしれないのです。

スズちゃんはわたしにとって唯一無二の特別な猫でした。
よくペットは家族も同然と言いますが、スズちゃんは家族以上でしたし、どんな友達より深く結びついた友達だったのです。
もう二度とスズちゃんのような存在は私の前には現れないと思います。


これは亡くなる一月位前の写真。疲れたような表情です。
まだ認知症のような症状はでていません。


これは2006年に撮った写真。
若くて毛艶も良いスズちゃん。我が家に来て1年位です。


これは亡くなった母が作った小石のペーパーウェイト。
母が通っていたデイサービスで小石に絵を描くワークがあり、母はスズちゃんの顔をモデルに絵を描きました。(大きさが分かるように印鑑ケースを側に置いています。)


今の私は何をしても気持ちが動きません。
ただ、もうスズちゃんがいないのに世界がいつもと変わらず動いていることが不思議なのです。

膀胱炎と糖尿病、猫の。

2016年12月19日 | 
兄の入院中、猫まで病気になりました。
原因は兄ですが。

みーちゃん、様子がおかしくなりました。
やたらトイレに駆け込み、畳の上に赤っぽい尿が残っていたり。
また結石かと思い、一人で金属製の重いキャリーケースに入れて(小さなキャリーケースではキツキツで暴れる)、タクシーを呼んで獣医さんのところにいきました。

行きつけの獣医さんではありません。
行きつけの獣医さん、良心的なのですが、お歳で尿道にカテーテルを入れるような処置が今一つ上手くないのです。
猫にとっては災難です。
行きつけの獣医さんが紹介してくれた設備の整ったペットの医療センターに行きました。

大きなビル丸ごと病院で、獣医さんの数も10人は下らないみたいでした。
日曜日でしたので混んでいて、少し待ちました。

診断は膀胱炎。やはり石が原因のようでした。
ただ、今回は詰まってはおらず、尿は出ているようでした。
石のために膀胱が傷つき、それで膀胱炎になったとのことです。
人間の膀胱炎と同じで、何度トイレに行っても気持ちが悪く、何度となくトイレに行きたくなるのです。

原因は兄と言いましたが、みーちゃんの餌が問題でした。
以前の獣医さんに、病院で購入できるストルバイト結石用の餌しか与えないでくださいと言われていたのに、兄はスーパーで売っているストルバイト結石対応の餌を買ってきて与えていたのです。値段が全然違うのです。

それ以外にも、ストルバイト結石でも大丈夫なささみのおやつを与えていたのですが、鶏肉なら何でもいいんだろうとばかりに、鶏肉以外の物も入った鶏肉が主成分の缶詰やレトルト食品をネットで大量購入し、与えていました。
てきめんに病気が再発してしまいました。

獣医さんの話では、みーちゃんのように、ダメだと言われていることを飼い主がやってしまい、病院に再度連れてこられる猫はたくさんいるのだそうです。
すべて飼い主の責任です。

獣医さんは「お薬はのませられますか?」と私に聞きました。
家で薬が飲ませられない子には一週間効果のある抗生物質を注射するとのことでした。
私はそれをお願いしました。

血液検査をしてもらったところ、腎臓は大丈夫とのこと。
でも血糖値が180を超えていて、このままいけば糖尿病だと言われてしまいました。
というわけで、今は激しい食事制限の最中です。

おかげさまで、みーちゃん、おしっこのモヤモヤは解消したみたいです。

いつものベランダのダンボール箱で日向ぼっこ兼お昼寝です。

カメラを意識して体をグネグネしだしました。

ひとしきりグネグネして「なんやねん」と見上げるみーちゃんです。


もう一匹の猫のスズちゃんは、いかにもおばあちゃん猫ながら元気です。

ストーブにかじりついています。