人はみな
それぞれにそれぞれの荷物を抱えてる
荷物?
盗みに会うような俗にいう財産でなく
心の中の他人様には見えないようなもの
いいえ
人さまではなく自分自身にも見えないものも
心の中に存在している
自分ではお荷物と思うものが生きる支えであったり
支えであると思うものがお荷物であったりもする
お荷物?
お荷物って何だろう
果たして
心のお荷物なんて存在するのだろうか
同じものが心の中を巡ってさえ
時には糧となり時には悪にもなる
貧すれば鈍すという諺がある
確かに貧しければ生きるために余分な労力がいる
だからって鈍するばかりでなく
苦労を知り傷みを知り他人にやさしくもなれる
たとえば貧者が身を切るようにより困る人に
手を差し伸べても
富者の貧者が一生かかって稼げない額の寄付などは
とんでもなく多くを助ける
だからって貧者の一灯って諺の如く
小さな真心を心のさまとして神様は受け取ってくださるのだ
経済発展を追い求めひたすら走る社会に
小さな真心なんて置き去りにされていくのだろうか
今日の糧を削った100円は神も受け取り
0がいくつも並ぶ長者の数億の寄付は多くを助ける
それは100円とか数億とかの金額でなく心
まごころ
まごころが人の心を動かす
まごころもなく投げ出されたお金には欲が群がり
まごころは人に感動を伝え
生きる勇気をもらう
書かなければと思って書き始めた「抱えるもの」
ふたつの事件の後
川崎市登戸の児童ら20人殺傷事件と
元エリート官僚の息子殺害事件
重く辛く悲しい事件
犯人が捕まって解決するような事件でない
こうした事件は
ずっとずっと以前から起きている
このふたつの事件の本質に流れるものに
一方は犯人の幼い頃からの生きづらさ
他方は父親に殺された被害者の
幼い頃からの生きづらさあった気がする
一方は複雑な生活環境からくるもので
他方は重圧な生活環境からだったのかもしれない
甘い
甘えてるなどと切り捨てることのできないもの
元エリート官僚の父は大切な息子のために
エリートの道を外れることは出来なかったのだろうか
エリートだから利用できる道もあったかもしれない
それにも頼らず息子が登戸のような事件を起こすまえにと
息子を切り捨てた
切り捨てたという言葉は元エリート官僚の熊沢氏にとって
心外かも知れない
断腸の思いで息子を殺害したのだろう
けれど
その殺害は
息子にとってなのか
自身にとってなのか
そしにその殺害は最善の方法だったのだろうか
熊沢家は生活に追われていたわけではない
少しか大きくかはわからないけれど
少し出世の道を外せば
出世でなくても
仕事のやりがいだったかもしれないけれど
はやくに息子と向き合っていれば
何とかなっていたかもしれない
経済的に追い詰められて
家族の問題も抱えてにっちもさっちもいかない家庭もある
だれにも「抱えるもの」がある
その抱えるものをお荷物にするかどうかは
持っている人次第
時にはお荷物であるけれど大切なものである
少しの間でもその大切なもの
誰かに預けたり誰かと担いだりできないのだろうか
少し負になる部分だって表に出してあげないと
太陽の光を浴びないとカビてしまったりして
どうにもならなくなってしまうまえに
どうにかしてあげないといけないよ
ああ養老の滝から流れ出す木漏れ日の下の清流や
田圃に水が入る今の季節の祓川の流れに
少し足を浸けてみたり
五十鈴川の流れをそっと手にすくってみたり
ああ少し
そんな時間が流れるといい
・・・・・ふたつの事件と
私の心に住み付くものと・・・・・
それぞれにそれぞれの荷物を抱えてる
荷物?
盗みに会うような俗にいう財産でなく
心の中の他人様には見えないようなもの
いいえ
人さまではなく自分自身にも見えないものも
心の中に存在している
自分ではお荷物と思うものが生きる支えであったり
支えであると思うものがお荷物であったりもする
お荷物?
お荷物って何だろう
果たして
心のお荷物なんて存在するのだろうか
同じものが心の中を巡ってさえ
時には糧となり時には悪にもなる
貧すれば鈍すという諺がある
確かに貧しければ生きるために余分な労力がいる
だからって鈍するばかりでなく
苦労を知り傷みを知り他人にやさしくもなれる
たとえば貧者が身を切るようにより困る人に
手を差し伸べても
富者の貧者が一生かかって稼げない額の寄付などは
とんでもなく多くを助ける
だからって貧者の一灯って諺の如く
小さな真心を心のさまとして神様は受け取ってくださるのだ
経済発展を追い求めひたすら走る社会に
小さな真心なんて置き去りにされていくのだろうか
今日の糧を削った100円は神も受け取り
0がいくつも並ぶ長者の数億の寄付は多くを助ける
それは100円とか数億とかの金額でなく心
まごころ
まごころが人の心を動かす
まごころもなく投げ出されたお金には欲が群がり
まごころは人に感動を伝え
生きる勇気をもらう
書かなければと思って書き始めた「抱えるもの」
ふたつの事件の後
川崎市登戸の児童ら20人殺傷事件と
元エリート官僚の息子殺害事件
重く辛く悲しい事件
犯人が捕まって解決するような事件でない
こうした事件は
ずっとずっと以前から起きている
このふたつの事件の本質に流れるものに
一方は犯人の幼い頃からの生きづらさ
他方は父親に殺された被害者の
幼い頃からの生きづらさあった気がする
一方は複雑な生活環境からくるもので
他方は重圧な生活環境からだったのかもしれない
甘い
甘えてるなどと切り捨てることのできないもの
元エリート官僚の父は大切な息子のために
エリートの道を外れることは出来なかったのだろうか
エリートだから利用できる道もあったかもしれない
それにも頼らず息子が登戸のような事件を起こすまえにと
息子を切り捨てた
切り捨てたという言葉は元エリート官僚の熊沢氏にとって
心外かも知れない
断腸の思いで息子を殺害したのだろう
けれど
その殺害は
息子にとってなのか
自身にとってなのか
そしにその殺害は最善の方法だったのだろうか
熊沢家は生活に追われていたわけではない
少しか大きくかはわからないけれど
少し出世の道を外せば
出世でなくても
仕事のやりがいだったかもしれないけれど
はやくに息子と向き合っていれば
何とかなっていたかもしれない
経済的に追い詰められて
家族の問題も抱えてにっちもさっちもいかない家庭もある
だれにも「抱えるもの」がある
その抱えるものをお荷物にするかどうかは
持っている人次第
時にはお荷物であるけれど大切なものである
少しの間でもその大切なもの
誰かに預けたり誰かと担いだりできないのだろうか
少し負になる部分だって表に出してあげないと
太陽の光を浴びないとカビてしまったりして
どうにもならなくなってしまうまえに
どうにかしてあげないといけないよ
ああ養老の滝から流れ出す木漏れ日の下の清流や
田圃に水が入る今の季節の祓川の流れに
少し足を浸けてみたり
五十鈴川の流れをそっと手にすくってみたり
ああ少し
そんな時間が流れるといい
・・・・・ふたつの事件と
私の心に住み付くものと・・・・・