この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

こんな風にして見失ってしまう事も在るのです

2010-12-24 13:15:27 | Weblog



昨年の夏頃から

容態を崩していた父が

ようやく回復の兆しを見せて来た。




実は昨年の暮れに

突然亡くなった

妻の母親よりも

私の父の方が いつ逝っても

可笑しくないくらいだった。




亡くなった妻の母は

「しゅんじさんの お父さんが

年内 持ってくれると良いね」と

言っていたくらいだった。




父は夏頃から

容態が悪くなり

7月には1ヶ月程の入院をし

11月にも1ヶ月半程の入院をしていた。




12月の24日には

突然 入所していた

苑内の居室で倒れていて

意識が無い状態で発見されたと

緊急で連絡が入った時には

正直 もう駄目かなと思った。




その父が

以前の父のように

元気になり回復してくれたのだ。




いつも父の窮地を

何らかの手を打ち

救い出して来たのだけれど

今回ばかりは違った。




父を助けてくれたのは友人だった。

友人が試してみろと言ってくれた

とても高価な健康食品だった。




食欲が落ちてしまい

食に全く興味を示さなくなっていた父に

私も成す術が無く お手上げ状態だった。




その様子を見ていた

友人が これでなら

助かるかも知れないと

言ってくれて届けてくれた

友人のお陰で 父は 見る見るうちに

食欲を取り戻し助けられたしまった。




父が駄目かもしれないと

思えた時に私は 私の中の混乱し

ざわめいている 私の表面に

現れて来ている感情と共に動いてしまい




いつもの 弱くて 駄目で

情けない場所からでは無く

慌てふためく自分の感情を抑えながら

父が処置室から出て来るのを待っていた。




運良く

父の容態は

直ぐに回復していく程度のものだった。




そこからは

そのままの表面の自分のままで

父と関わっているから

父の深い内面と関わる事が出来ずに

父に元気を与える事も

出来なくなってしまっていた。




何も無い

自分の奥深い

内面に降りないままで

父をダイレクトに心配してしまう

それはそれで良いけれど




それでは大雑把なものしか

見れなくなって行ってしまい

小さな細やかな動きは見逃す事になる。




父に代わって 父の命に

向き合おうとしてしまっていた。

そんな 出来もしない大それた事を

しようとしてしまっていた。




一見 良い事の様に思えるけれど

自分が父の命と向き合おうとすれば

自分の命と向き合う事が お留守になってしまう。




結局 父の命と

向き合う事など出来やしないから

自分の命と向き合い続ける事から

転げ落ちてしまうだけと言う結果を

手にする事になってしまう。




それは独りよがりで

懸命に背伸びをしているだけに

過ぎない事になってしまう。




自分の命と向き合った上で

自分の命と向き合っている父と向き合い

その父を そっくり そのまま受け容れる。

これなら誰にでも出来る事だよ。




自分の中の

弱くて 駄目で 情けない

自分の姿を受け容れることが 

自分の命を受け容れる事だよ。




その 自分のままで

目の前の父の表面の姿ではなく

父の中に透けて見える 弱くて 駄目で 情けない 

素のままの父の姿を 受け容れてしまう事が

自分の命と 父の命の両方を

受け容れてしまう事が出来る道です。




それを今回

再び 身を持って

学ぶ事が出来た

父の窮地の中での 貴重な出来事でした。














































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