風に身を任せ、心地良さそうに落ち葉は舞っている。
窓の向こうは、秋の色合いが濃くなっていた。
「ちょっと、いいかな?」
斉藤むつみは、驚いて体を反らした。
伸びてきた腕が窓を開け、冷たい風が入ってくる。
寒さに震える彼女に構わず、次は足がむつみの机を跨ぐ。
「え?」
驚くむつみの目の前を橋元優輝の体が移動し、彼は窓枠に体を乗せている。
廊下からの騒音がむつみの耳に届く。
「大変ね、橋元君。」
飯田加奈子が、からかう様な口調で言った。
「今だけだよ。いつも試合の直後だけ。」
昨日の決勝戦の結果が新聞に掲載され、朝から優輝の周囲は騒がしい。
「すぐに飽きる。」
その笑顔に曇りはなく、晴れ渡った空のように澄んでいる。
1階だから苦労はなく、外に飛び出した優輝が振り返り、むつみを見る。
「あのさ」
しっかりと目が合い、むつみは体を強張らせた。
「当たり前だけど…勝って良かったよ。」
廊下の騒ぎは続いているのに、むつみには優輝の声しか聞こえなかった。
「ありがとう。」
何も答えられなかったむつみは、軽快に走っていく優輝の後姿を見ていた。
優輝の姿が建物に隠れてから、むつみは冷たい風が入ってきているのを思い出して、立ち上がると窓を閉めた。
そして、また窓ガラスの向こうを見る。
窓を開ける指先も、窓枠に置かれた足も、自分を見た瞳も。
脳裏に焼きついて離れない。残っているテニスの残像だけでなく、優輝の全てが自分の心に入り込んでくる。
むつみは、そんな事を考えていた。
「むつみ。」
名前を呼ばれて驚いて見ると、加奈子が自分を見ている。
「何度も呼んでいるのに。ずーっと見てるんだから。」
加奈子の言葉に恥ずかしくなり、むつみは居心地が悪そうに椅子に座った。
「随分と雰囲気が違う、橋元君が転校してきた時、そう言ったよね?」
何か追求されるのかと思っていたが、加奈子の声は穏やかだった。
「納得した。別人ね。」
加奈子が微笑む。
彼女には何も話せなかった。何度も心配の言葉をかけてもらっていたけれど、何も話せず困らせるだけだった。
「良かったね、むつみ。」
加奈子は何も問い詰めない。
「これからは普通に話せるようになるよ。」
加奈子がむつみの耳元で囁く。
「橋元君、自分を取り戻したみたいだもの。今の彼が、むつみの知っている〝優輝君〟でしょ?」
優輝は活気に満ちている。
転校してきた時の彼は別人かもしれない、そう思ってしまうくらいだ。初めて会った時の優輝も、転校してきた時の優輝も、そして今の彼も、同一人物に間違いはないのに、1人の人間が抱える物が違うだけで、こんなにも人が変わってしまう。
別人に見えるけれど1人の人物。
明るい笑顔の奥に、むつみは彼の影を見てしまう。
強い意思を感じさせる瞳から、涙が零れ落ちたのを覚えている。
「加奈ちゃん、私…」
むつみの小さな声は、廊下の喧騒に消されそうになるが、加奈子は耳を傾けて、むつみの声を拾う。
「怪我が治って試合に出て欲しい、勝って欲しい…それだけしか思っていなかったのに…」
止まらない想いがむつみの心を占領していく。
「むつみは、それを望んでも良いんじゃないの?」
加奈子が不思議そうに首を傾げた。
「ライバルは多そうだけれど。」
廊下に集まる生徒の中には女子生徒が含まれていて、彼女達が優輝に好意を抱いているのが分かる。
「むつみは、あの中の1人じゃないよ?それは、橋元君も分かっているんじゃないかな?」
加奈子は優しい口調で、むつみに言った。