グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

褒められたらどうする

2012-04-13 15:31:36 | Weblog
きのうのボランティアの集まりに、先日買った黄色い花のワンピースを着て行った。
正しく表現すると、黄色い花ではなく、黒地に大きい白い花いっぱいの真ん中が黄色のワンピースだ。
私がこの服を着て出かけるのは初めてなので、何と合わせるかクローゼットと鏡を何往復もした。
ちょっと恥ずかしいのと、新しい服のうれしさで、気合いをいれてわくわくしながら。

そして、みなが集まり、今年度の予定などの話が終わり、昼食休憩となった。
ここまでで、誰一人として、いつもよりおしゃれをしている私に気づく人はいなかった。
そりゃあ、目的はボランティアの活動ですものね、と仕方ないというか気づいて欲しがる自分はばかだなと。

いつものように、こっそり喫煙所でフードを被りながら一服してからコンビニへ行った。
サンドイッチが売り切れていたので、おにぎりをどれにしようか悩んでいたら、「ああ、気づかなかった」と仲間。
私もぼんやりしていたので「すいません、私おにぎりに夢中で気づきませんでした」。

集まりの部屋に帰ると、一瞬ばっと視線が集まった気がしたが、よく違う団体が部屋を間違えることがあるので
それを確認しただけだろうとコートをハンガーへかけてから席に座った。

そこへ「○○さん、あなた髪型変えたでしょ。すごく素敵、似合ってるわ。さっき誰かと思っちゃった。」と。
この人は、普段厳しく怖い印象の人なのだが、よく人を褒めてくれる気のいい人でもあって、しばし気まぐれのお世辞も言う。
だから、場の空気を壊さぬように、あえて否定はせず「あら~、本当ですか。うれしー」などと半分おちゃらけてお礼を言った。

すると、さっきコンビニで居合わせた人も「私もコンビニで隣にいたんだけど、どこのお嬢さんかと思ったの。」と言った。
お嬢さんって、さずがにそれはないでしょうと思うのだが、とっさに気のきいた切り返しが思いつかない。
「そんなことないですよ、またまたー」と今度は否定で言ってみたものの、他の人まで次々言葉をかけてくれた。

そのですね、あの、これは思いがけない展開なのですよ。
なんと答えると世間的な常識でありましょう。
そもそも、お世辞なんて謙遜で返すのがマナーざましょ。
でも、なんなんだ、この心地悪さ。

うう、私の唯一の他人と仲良くなれる場なんだけどな。
ちょっと年齢が離れているからって、半分からかっているのか、お世辞のやり玉?
あと、新しいワンピースでなく、髪型の方がそんなに影響しているのだろうか?
「みなさんがお素敵でらっしゃるんで、私も頑張ってみたんです~」とか返すのが望まれる?
そうではなく、相手が望むことなんて関係なくって、もはや返す言葉も態度も関心ないとか?

普通と言われる人々は、こんなことで立ち止まらないんだろうに。
私も、少し困った経験として片付ければいいのだろうに。
何かにつけて、社会にいなかった時間の長さに息をのむ。
せめて、社会で揉まれる新人社員の期間まで発病していなければとか。
まあ、こんなこと考えったって生産性はないし、たられば発想している時間なぞ意味がないんだから。
・・・ってことが、簡単に言えるような心の整理整頓はまだすっきりとは出来ない。
だから、今できることをするって言い聞かせてるのだけど。

心の整理といえば、今のところそして近い未来、私は子どもを産み育てる思いを止めると決断した。
30歳になったら、その決断をすると決めていた。
でも、事あるごとに、それは揺らいでいた。

マンションを決めるに当たっても、「もし養子を迎える日がきたら」という目でも見ていた。
今は望まない、でも何年か経って状況が変わったら、やっぱり考え直しそれが許されるなら。
先のことは分からないといわれるが、9割5分くらいで、私はそんな日を迎えない気がする。
そうなることを私は選んだ。私の意思でそうする。

「子どもを諦める」という表現は、あまりにもネガティブだ。
でも、仕方がないことだと知って甘んじて受け入れるという「諦観」なら、正面向いて先を見てるように思える。
このことについては、私はよく考えたし自分で納得していると知っている。

このことを褒められようと貶されようと、相手の望む答えに合わせる必要はないし一言では話しきれないのは明白だ。
誰もが納得して当たり前のこととして受け入れることなんて、突き詰めて考えたらないのかもしれない。
答えはないようで、自分次第だ。