グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

楽勝!!

2012-04-22 12:44:53 | Weblog
もちろん勝負事ではなく、引っ越しの話。

先日、ついに見積もりに来てもらった。
マンションに引っ越すのは嬉しいが、引っ越す準備は不安でいっぱい。
不安を減らすために、細々と不用品をゴミに出し、新生活でも必要なものを吟味した。

心の中でどれが不用品なのかが分かっていても、ふと目にとまって焦ってしまう。
次第にやらなければならない項目ばかりが頭の中を行きかう。
でも、全部いっぺんに片付けてしまったら容易に躁転する気がして、気持ちをどうどうと抑えながら少しずつ。

週末に、夫が粗大ごみを物置に運んでくれて、少し気が楽になったそばから、今度は次の作業が浮かんでいる。
部屋の中にどれだけ使わないものをためこんでいたんだと何袋ものゴミをまとめ、空いたスペースに別のものを置いてみる。
同じ家にあったものなのに、少し位置が変わるだけで心に迷いが生まれ、また必要と判断したものを再度考えを巡らせる。
本当に必要なんだろうか、こんなものどうして大事にしまっていたんだろうか。

一人になると、止せばいいと頭では分かっているのに、まだ整理していないと扉を開ける。
処分すること自体は、よりよい生活に繋がるのだから、そこまで苦しくはないはずなのに。
しかし、作業中ともなると、動かす手も判断する頭もやたらめったら重いのだ。
よし、これは処分しよう!と決断できるのに、やっぱり自分の周りの空気は重苦しいまま。

まだ手つかずの場所、まだ判断できず保留しているもの、いらないのにまだ運べないもの。
部屋は、見渡す限り判断しなければならないものであふれていた。
少しでも早く、この気持を軽くしたい。
次の日も、その次の日も、ゴミはまとめらられ出て行くものもたくさんあるが、まだたくさんの物がある。
今現在も生活しているのだ、引っ越し先まで運ぶものもある、まだまだ引っ越しまで日がある、だから当然焦ることは必要ない。
周りからも大丈夫だ心配いらないと声をかけてもらうのだが、部屋に帰ってくるとまた不安がのしかかる日々だった。

約1ヶ月、細々と且つ計画的に、悩みながらも処分し、段々と棚や押入れや物置に空いたスペースが出来てきた。
やっと「これでいいんだ」と、まだすっきりしていない心持ながらも自分に自分で言い聞かせ、一区切りにすることにした。

次にやるのは、引っ越しの見積もりを取るという作業だ。
電話すれば、訪問してくれる。
この日を迎えるのが短期目標で、そのために片付けや処分をしてきた。
目標としてきたことが、重要だけどよく分からないままだったからこそ不安だったのだろう。
これまでの作業が苦しかったのは、その為だったのかもしれない。

電話をかけてから業者が見積もりに来てくれるまでの2日間、今度はインターネットやらでたくさん知識を入れて、後悔しない引っ越しのためにと、また各収納など再確認した。
いまの私が自分に声をかけてやれるのなら、「ジタバタしなさんな、あとはなるようになるから」か、「今の時点でやりすぎ、ぼんやり広い公園でソフトクリームでも食べてなさい」かな。
しかし、そんなことを言われたって、私というものは止まらないだろう。焦りモードにどっぷりはまってしまっては。

そして、見積もり当日。
きれいに掃除して、すべて確認してもらえるようにクローゼットの中も整理して。
直前になって、お客さん様のスリッパがないことに気付いたが、自分や夫のスリッパではみっともないからとゴミ箱の後ろに隠した。
まるで入試前かのような面持ちであったのではないかと思う。
ちらちらと時計で時間を確認し、落ち着くようにとおまじないする気持ちでタバコを吸った。

チャイムがなり、ドア越しに「はーい。」とできるだけ明るく言った。印象は良い方がいいでしょうから。
しかし、なにも返事がない。事前に電話をもらったのだから業者の人のはずなのだけれど。
「どちら様でしょうか。」とドア越しに聞くと、ボソボソとした男性の声で語尾の「です」しか聞き取れなかった。
玄関を開けての第一印象は「元気がない人」だなと、少し期待外れだった。

引っ越しについての話も、まったく私のペースなのだ。
私の話をさえぎることもないし、うまく表現できなくて言葉を選ぶ間も相手は一言もしゃべらない。
これは不思議な感覚で、相手を少しも感情的に見れない。そして相手がどう感じているかもわからない。
でも、この戸惑いは少しも負担にならないので、私は言いたいことは全部話せた。
また、私の感情も自然と出しやすくなっていて、最初から同じ態度であったその人がとても信頼できた。

その後の説明や見積もり計算など、心にさわやかな風が吹いた。
お金の話なのだが、銭計算というより、なんというか心のやりとりの語り合いなのだ。
見積もりが終わって、その人を見送って、部屋を振り返るとあの苦しかった部屋があたたかい部屋に戻っていた。
そして、私の魂も抜けて、じゃなくて、もとの魂がしっかりとあったのだった。

そりゃあ、もう、安心したの何のって!

余裕って大事なんだと再認識したのであった。
引っ越しなんぞに心を折られてたまるもんか!
抜かりなく楽勝に導いてもらうのに、私はやることをするだけだ。
なんか、自信ではないのだけど、それに似ている気持ち。