グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

社宅からの桜

2012-04-06 14:04:49 | Weblog
現在住んでいる社宅の廃止は決定となった。
思えば、私の初めての引っ越しがこの社宅だった。
衣装ケースに洋服だけを積んで、父と兄がそれらと私を車で運んでくれた。
5月のよく晴れた日だった。
夕方までに届くはずの照明器具が、なかなか来なくてハラハラしたっけ。

あれから、約8年。
今思えば、とても暮らしやすい社宅だった。
朝も昼も夜も、穏やかで心地よいので気に行っていた。
だから、この社宅の近くに引っ越したいと思えたのだろう。
実際、この近くに引っ越していく人は少なくはない。

だけど、私たちの部屋から見える公園の桜も今年が最後。
社宅の敷地に入らないように毎年剪定されてしまうので、近くにあるのは花の少ない背だけが高い桜。
公園の中で一番遅くに花づくその桜が、今日ようやく満開となった。
だから、今日は部屋から窓越しに花見をしながらブログを綴る。

公園はいつもにぎやかで、それを嫌に思うこともあったけど、それでもよかったと今は思う。
朝早くは、犬の散歩。
8時を過ぎると、ゲートボール。
家事が一段落したお母さんと乳幼児。
小学校を終えて男の子も女の子も元気に遊ぶ。
夕方にはまた犬の散歩。
ベンチに座りぼんやり休んでいるご年配の方。
近道に自転車で通りぬける様々な人たち。
ここは昔、畑だったのだと教えてくれたおばあちゃん。
たばこを吸う中学生をびっくりするくらい大きな声で叱ったおじいさんと素直に謝った不良少年。

引っ越し先のマンションの部屋から、この景色と人々の行きかう様はもう見れない。
とても近くなので、思い立ったらすぐにこの公園には来れるのだが。
そう、距離の問題なのではないのだ。
ただ見えて聞こえている光景に、なんとなく私の気持ちに交流が生まれていたのだと思う。
そのぼんやりとしたものを失うのが残念でならない。それが、唯一の未練なのかもしれない。

でも、公園とはご縁があるのか、引っ越し先のマンションのすぐそばにも公園が出来た。
小さな公園なのだが、もう遊んでいる親子がいた。小さな公園だが、明るい雰囲気。
また、社宅の窓から見える集合住宅と似たような別の集合住宅がマンションの窓から見える。
それも社宅から見えるのと同じような角度で同じ数の棟なのだ。
偶然なのだけど、もし1年前だったら工事中で、この景色は完成していなかったらしい。
なんだか、不思議でありがたい。やはり縁というものを信じてしまう。
だからなのか、マンションに引っ越しても同じように穏やかに暮らせるように思う。

引っ越しは、もちろん楽しみだ。
新しい家具も買ったり、生活をイメージしたり。
心配なのは、躁転・鬱転。
うれしい刺激満載なのもストレスなので、どちらも注意するようにトリ先生からのお達し。
特に引っ越し直前に荷造りで頑張りすぎたり夜更かしで躁転することや、引っ越し後に一気に鬱に落ちる
パターンが多いというのだ。

だから、計画的に進めようと色々準備していたら、今度は夫からイエローカード。
家に帰ってくる度に部屋の中が片付きすっきりしていき、準備と称してやっていることのパフォーマンスが高いと。
私は、それっていいことばかりではないかと言うと、やりすぎているのがいかんのだということだ。

それからは、毎日朝食を済ませると二度寝の日々。
だいたいお昼に起きて、洗濯もそれから。
外出や買い物も控えて、ノンストレス生活を送ろうと目論んだが、やはりそう上手くはいかない。
やることがない時間がストレスになるのだ。

イラついてくるとトイレ掃除などの水回りを掃除したが、やりすぎて手がガサガサ爪ボロボロ。
気分転換にカーテンなどのパンフレットを開くも、真剣に検討しすぎてどうしていいか思い悩んだり。
何をやっているんだとその場を離れ、やたらとタバコの数が増える。
ああ、私本当に何やってるんだ。

粗大ごみを物置に移したら、部屋の中がすっきり。
本も捨てたし、もう取り合えずやるということがなくなった。
「週末に活動する代わりに平日は休むこと」と夫。
頭の中の活動は、平日だろうと止まらないんだが。

今朝、生理になったのでイラつきからは解放されると願う。
本当に躁転すると自分では分からないので気をつけねばと思うけど。
桜よ、私の思考に潔さをくれまいか。凛としてたおやかな心を。