「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

自衛隊にとっての3.11という日、そして…

2015年03月11日 | 日記
…まずは、震災で亡くなられた皆さまに哀悼の意を表します。


そして、震災後、復興に取り組まれている皆さま、


現地で必死に頑張る皆さまに、深く敬意を表します。





…当時、東京で、


あの日はさすがに、夜、怖くて寝付けなかったこと、


店頭から食料等が消えたことなどを思い起こし、


あの地震の一端を経験したことが、


確かに事実なのだということについて、4年の歳月を重ねると、少し不思議な気がします。


自分自身は、特に何か大きな変化があったことは、これと言ってないのですが、


この日を境に、生き方や考え方を大きく変えた方は少なくないようです。


さらに、歴史上の大きな転換期を迎えた組織があります。


いうまでもなく、自衛隊です。


私も、当時、最初はインターネットで、自衛隊の様々な活躍を拝見していました。


それからしばらくして、


ある陸上自衛官から、直接、当時のお話を聞く機会があり、


アメブロの方で紹介した、桜林美佐さんによる


「日本に自衛隊がいてよかった」


を読んで、涙が止まらず、改めて自衛隊に敬意がこみ上げ、


さらに、実際に、様々な自衛官から直接いろんなお話を伺う機会もあり、


いろんな面から、この4年前の震災を知るという、貴重な機会を頂きました。


先日も、このブログ内で「桂駐屯地での防衛講和」で、


震災についてのお話を伺ったことを書きました。







そして、


この時の自衛隊の様子がメディアに取り上げられ、認知されるようになるにつれ、


国民の自衛隊にする見方が、ガラッと変わり始めました。


先ごろ発表された「自衛隊の好感度が92.2%で過去最高」の文字が、ネット上を賑わせました。


戦後初めて、ようやく、自衛隊が報われる時代が到来したと言っても過言ではないでしょう。


ファンとしてはうれしい限りです…が、


私は、少し思いを致す部分がありました。


このニュースを見て、脳裏をかすめたのは、OBさんや退官近い世代の現役さん達から伺った、


「石を投げられた」


「難癖つけられた」


「暴言を吐かれた」


「防大の時、帽子を取られて捨てられた」


…等々のお話です。


ネット上にも、過去、自衛隊が受けた様々な誹謗中傷の記録もあります。


読んでいて、人間ってどうしてそんなに残酷なことが平気で言えるのだろう?


と、本気で苦しくなり、悲しくなります。


そんな中で、自衛隊を去っていた人たちもいますが、


そんな思いをしながらも、なお、自衛隊に居続け、


それでも、日本を守り続けてくれて、


国を護るという想いを、60年間繋ぎ続けてくれた方達がいるということを、


絶対に、私たちは知っておかねばならないし、忘れてはならないのだと思います。


今が評価され、認められているからいいじゃないか、ではなく、


そういう不遇の時代を、それでもなお、耐えてきてくれた自衛官の皆さまによって、


今という時代を迎えられたのだということを、ぜひとも知っておいて頂きたいのです。







同時に、自衛官の多くは、


うれしくないことはないけども、喜んではいけないという想いがあることも。


彼らは、あの吉田茂元総理の訓示に示される通り、


自衛隊が国民に歓迎される事態が、国難に際してであることを、実感してしまっているから…。


よかったねと言いたかったけども、なんとなく、それは憚かってしまいました。


別に、私が憚る必要な一切ないのですが、


この2年近く、あまりにもたくさんの自衛官と関わりを持ちすぎ、知りすぎてしまった事から、


彼らに対して、感情移入し過ぎているきらいがあるからだと思いますが、


どうしても私は、手放しで「よかったおめでとう」が言えませんでした。


もちろん、よかったって思っているし、すごくうれしかったのですが…。


ですが、その好感度が上がったき出来事の陰に、


どれほどの犠牲があったかということに想いを致すと、


やっぱり、安易に「よかった」とはどうしても言えませんでした。








現状、たくさんの自衛官が、いろんな想いや悩みを抱えながら、


日々、それでも私たちのために、その任を果たしてくれています。


そして私は、少しでもそういう彼らの想いを拾い上げて、


少しでも多くの人に、自衛官の素顔を伝えることができたら、いう気持ちで、


此方の「チャンネルNippon」でエッセイを書かせて頂いています。


今日の内容に関連した、彼らの想いについては、此方で書くつもりです。
(※これについては、いつ掲載になるかは分かりませんが…)


どれだけのことを伝えられるか、私にもわかりませんが、


それでも、私が自衛隊について、このブログでは書ききれない、


「知ってほしい」


を、できるだけ伝えられるよう、努力したいと思う次第です。











「こくりゅう壮行会」に行ってきました♪ 【こちらも手直し+さらに追記】

2015年03月10日 | 海上自衛隊

…この日のために頑張ってきたと言っても過言ではない。


そう、来月に就役する潜水艦「こくりゅう」の壮行会にお邪魔させて頂きました



「こくりゅう」は「そうりゅう」型潜水艦の6番艦です


2番艦「うんりゅう」


3番艦「はくりゅう」


4番艦「けんりゅう」


5番艦「ずいりゅう」


…ここでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、


1番艦「そうりゅう」と3番艦「はくりゅう」、6番艦「こくりゅう」は、漢字表記すると、


蒼龍、白龍、黒龍となります…が、


「龍」の漢字についてちょっと、説明させて頂きますと、


もうひとつ、「竜」という漢字がありますが、


これ、一般的に「龍」の略字だと思われがちですが、


実は「竜」の字の方が古くて、本来の竜にふさわしい漢字なのだそうです。


で、まぁ、そちらの字にあてはめますと…


蒼竜、白竜、黒竜となりまして、


かの田中芳樹著「創竜伝」でおなじみの、四海竜王伝説のうちの三竜王になります。


東海蒼竜王・南海紅竜王・西海白竜王・北海黒竜王


このうち、南を司る紅竜王だけがいないので、


そのうち、「こうりゅう」という名前の潜水艦もできると思うのですが、


そうすると、日本の四海を護る竜王が揃い踏みすることになります


実際、この壮行会の後の二次会で、皆さんが、


南だけいないんですよね~」


と仰ってましたしね~。


まぁ、帝国海軍ファンの中には、


「蒼竜の名前を、潜水艦に取られた…(空母…大型DDHにつけて欲しかった)」


と仰る方もいらっしゃるようですが、


取られたも何も、別に潜水艦が「その名をよこせ」と言ったわけじゃないので、


別にいいじゃない~~~と思うのですが…。


そもそも、日本は空母は持てないわけだし、


2DDH・22DDHは旧国名だから、仕方ないじゃん?みたいな。


ちなみに、「うんりゅう(雲龍)」は、龍は雲を駆って飛ぶので、


龍と雲はワンセットみたいなものなので、しっくりくる名前です。


…じゃあ、「けんりゅう(剣龍)」は?ってことですが、


まぁ、一般的には恐竜の種類ですけども…


ここは、字面的に強そうでカッコイイ感じがするから…なんじゃないのか?


と勝手に思いました。


そして、「ずいりゅう」は「瑞龍」。


「瑞」とはとても縁起が良い字で、「美しくみずみずしい竜」という意味になります。


女性に例えると、絶世の美女みたいなイメージがします


次は、ぜひとも続さんにしてください(笑)(←わかる人だけ分かってください)


しかも、最重要海域ですよ、南って(正確には南西ですけど)


なので、ぜひに


で、あとこれもご存じの方は多いと思いますが、


潜水艦はもろもろの事情で、


川重と三重が交互に作ることになっています。


…ところで、潜水艦の就役って「はるしお」以外、


全部3月なんですけど、これはなぜ???

(あ、くろしお型は除きます)







さて、壮行会ですが、


いや~~~~~これがもう楽しかったです


潜水艦こくりゅうの艤装員の皆さま方及び、


ドック入りなうの潜水艦の艦長さんたち(どの艦かはもちろんヒ・ミ・ツ


そして、潜水艦隊司令鍛冶雅和海将がお越しでした


余談ですが、司令は私服姿が大変ダンディな方です(←麻生太郎風


ところで、海上自衛隊のパーティは、


開始前の挨拶が短いのでありがたいです(笑)


それでも、


「長いぞ


とヤジが飛んでいたのが、関西らしいと言うか何と言うか(笑)


そんなわけで、さくっとご歓談開始



会場が会議室みたいなところだったのですが、


ケータリングでお料理は豪勢です


もちろん、おなじみの屋台も




ちなみに、潜水艦こくりゅうは川崎重工製。


ご存知の方もいらっしゃると思いますが、


海上自衛隊の艦艇は、


艤装中は、まだ製造元である会社のものです。


ですから、就役前の艦艇の乗組員さんたちのことを艤装員、と言い、


就役後艦長になる方のことを、艤装員長と言います。


ついでに、各科長のことは、


機関長予定、とか、水雷長予定、と言うようです。


で、就役…


引き渡し式・自衛艦旗授与式を以て、


川崎重工のものから防衛省のもの…っていうか国のもの?となり、


艤装員長は初代艦長となられるわけです。


…そして


3月9日に、引き渡し式・自衛艦旗授与式が雨の中行われましたので、


せっかくなので、こちらをアップしようと思い、手直ししました



自衛艦旗を受け取る艦長。



自衛艦旗が艦長から副長に手渡されます。


(※写真は全て海上自衛隊公式FBページより引用させて頂きました)

出港~UW


…ところで、艦番号と艦名っていつ消すんだろう????


てっきり、この時には消してあるのかと思っていましたが…。


と、思って某潜水艦艦長さんに聞いてみましたら…


母港に戻ってから消すんだそうですね。


へぇぇぇぇ~、そうなのかぁ。


あと、皆さまお気づきでしょうか?


艦長はじめ、こくりゅう乗員一同の顔が映っていない事に。


これは、潜水艦乗りの顔は出しちゃダメなのです…当然ですが。


ですから皆さま、くれぐれも、フェイスブック等で気楽に貼っちゃうのはおやめ下さいね~。


理由は書くまでもありませんよね?













さらに余談ですが、


私が主催している合コンイベントで、


陸上自衛官さんと海上自衛隊さんの会話がちょっとおもしろかったです。


海「今、艤装中でして…」


陸「え???偽装中って艦に何かするんですか???」


お互い、脳内で変換されている字が違うっていうね(笑)


ちなみに、陸自さんがいう偽装というのは、もちろん…



です。






さて、パーティ会場では、


私がいたテーブルの前には、


各潜水艦の艦長達がずら~~~っといらっしゃってて、


いろいろお話させて頂きました。


そうそう、各艦からお祝いのお酒が届いていました



どの艦がドック入りしていているかわかっちゃうので、下は切りました。

(加工だと、外すことができるらしいので~)


あ、ちなみにこのお酒の数と、潜水艦の数は一致しませんので悪しからず。









ご参加の艦長さんのお一人から、


「前に、練習艦隊のパーティで会いましたよね?」


と声をかけて頂きました


びっくりしていると、


練習艦のレセプションパーティでお会いした時に、


少しお話させて頂いたことを覚えていて下さっていました


うれしい~~~


…っていうか、私が忘れていて、大変失礼したわけですが…


そんな歓談中に、


艤装員の皆さまによる、軍歌「轟沈」の合唱が


…この「轟沈」は、潜水艦乗りの生活を歌った歌ですから、


潜水艦乗りさんによる、轟沈の合唱が聞けるとはなんたる幸運


ちなみに、こんな歌です

日本軍歌「轟沈」Japanese War song "Sinking"(歌詞付き/Lyrics)


なんだか、かわいい歌でしょう?


…そんな感じで、2時間なんかあっという間…


楽しすぎて、飲むのとおしゃべりで、食事はほとんどしていません(笑)



艤装員のみなさんは、本当に親切で楽しくて、


明るくて和気あいあいとした雰囲気いっぱいでした。


こくりゅうは、2年間に及ぶ艤装期間を終えて、来月に就役し、


その後はしばらく運用するための訓練が続き、過酷な潜水艦勤務がはじまります。


潜水艦勤務の海曹さんから聞いたのですが、新しい型になるほど、潜水艦内居住区は狭くなるんだそうです。


そんな環境で、懸命に日本の海を護ってくれている人たちがいることを、


多くの人たちに知ってほしいなぁ…と思う次第です。


こくりゅうの皆さまの訓練と航海のご無事をお祈りしています。




女性自衛官の活躍について♪  ~吉田ゆかり二等空佐の講演~

2015年03月10日 | 航空自衛隊
…このブログで、カテゴリー「航空自衛隊」をチョイスしたのは…


そう、わずか3回目…です


航空自衛隊には…何と言いますか、お詫びのしようもないのですが、


なぜか、これまで、航空自衛隊の知り合いだけが異常に少なくて、


そんなわけで、なかなかイベントに行く機会もなく…(←いいわけ)


で、ひそかに、今年目標にしていたのが、そう、


空自の記事を増やすということでした(笑)


決断したら、願いは叶うと言いますが本当にそうですねぇ


実は、来月楽しみにしている事があるんですよ~うふふ


ですので、空自記事をお待ちの皆さま、来月までしばしお待ちくださいませ






…すると、その前に、防衛協会佐賀支部女性部会があり、


その講演会に講師としてお越しいただいた方が、


吉田ゆかり二等空佐でいらっしゃいました


女性の指揮官クラスの方とお会いするのは2回目で、かつ、


私は航空自衛隊の佐官の知人がいなくて、お話を伺う機会もなかったため、


すごく楽しみにしていました


吉田ゆかり二佐は、防衛大学校40期…つまり、


女性が初めて、防大に入学することができるようになった年の、いわば女性1期生です


なぜ、この方がわざわざ佐賀の女性部会の講演にお越し下さったかと言いますと、


それは、吉田二佐が佐賀県出身だから、です


佐賀県って、武門の土地柄といいますか、優秀な武人軍人自衛官が多いように思います。


自衛官になる人も多いですしね。


前回の、唐津市民でよかった…に続き、佐賀県民でよかった…そんな日でした


…で、入場される前に、手元の資料で吉田二佐の経歴を拝見していると、


ペカペカピカピカなエリート経歴で、


いかにも、女性エリート高級幕僚的な方がお見えになるのかと、ちょっと構えておりましたら…


めっちゃ笑顔で、気さくな雰囲気満載の方で、ちょっと意外に思っていました。


しかも、つかみで、


「…分からない言葉があったら、遠慮なく聞いて下さいね

 あっ!分からんとこがあったら、聞いて下さいね、が、よかですかね(笑)」

(訳:分からない所があったら、聞いて下さいね、がいいですよね?)


と、佐賀弁でさくっと言ってくれた瞬間、私、惚れました


私自身、自他共に認める「姉さんキャラ」ですが、


そんな私が「姉さん」と思ってしまう、ステキな方でした~



(※雰囲気だけ感じてください)


この日のお話は、女性自衛官の働き方についてお話して下さったのですが、


自らのプライベートを参考事例に、かなり具体的に話して下さったので、リアリティ満載。


こういう所もすごいなぁと思ったんです。


自分のプライベートを題材にするって、なかなかできないと思うので


ちなみに、女性自衛官から見た場合、ご主人が自衛官である割合は…


89%に上るのだそうです。


つまり、外との出会いがないので、周囲は男性が多い職場ですから、不思議ではないです。


そして、夫:自衛官 妻:民間人 でも理解できない事が多い中で、


夫:民間人 妻:自衛官 だと、もっと難しい事があるだろうなぁと思います。


ある意味、夫婦共々自衛官でないと、奥さんの大変さは、なかなか分かってもらえないだろうなぁと。


…いわずもがな、離婚率もおのずと高くなるのですが…。









面白かったのは、吉田二佐がご出産後、ご主人と交互に育児休暇を取られた時のお話。


「自分が育児をしている時は、主人が帰ってきたら、帰ってきた時くらい子供の面倒を見てよ!

 と思っていたけど、自分が仕事に出た時は、仕事から帰ってきた時くらい休ませてよ!

 と思うんですよね(笑)」


これ(笑)


それぞれの立場にならないと分からないものですよね~。


あんまりこのあたりに言及するとめんどくさいことになりそうなので、このあたりで。


…今まで、ご夫婦共々自衛官という方で、男性側からお話を聞いたことはありましたが、


女性側からのお話を初めて聞いて、改めて、大変さを感じました。


女性の社会進出と、子育ての問題は絶対に切り離せません。


特に自衛隊において、女性が働きながら子育てするというのは、


その職務柄、民間企業で働く以上に様々な困難があることは、想像に難くありません。


そのあたりの環境がもっと整うことを期待します









ところで、


自衛隊って、何気に日本で一番女性の社会進出を推進させている組織じゃないかなぁ?


と、個人的に感じます。


本当に優秀な女性って、どんどん昇進していきますしね。


ちなみに、陸・海・空で現在一人づつ女性の一佐がいらっしゃるのだそうです。


現在の、女性二佐~一佐の中から、女性将官が誕生する可能性はそんなに低くはないでしょう。


ちなみに、過去3人の女性将官が誕生していますので、後に続かれる方が楽しみです


そして、最後、質疑応答の時に、女性指揮官にどうしても聞きたかった質問をさせて頂きました。


それは、


「自衛隊という、男性社会で女性で指揮官として仕事をしていくには、

 いろんなご苦労、大変なことがあると思いますが、
 
 仕事をする上で心がけていらっしゃることはなんですか?」


ということです。


まぁ、私もガチ男社会で仕事をしていたことがあるので、


勝手に色々シンパシーを感じる部分もありつつ、


ここまでの、ガチ男性社会の中で、地位を確立させて指揮官として仕事をするというのは、


どれだけ大変だろうって、やっぱり思いますよね。


昨年、練習艦隊で唯一の女性艦長である「せとゆき」の東良子一等海佐と


お会いした時も思ったのですが、女性が指揮官であるということは、


確実に男性よりも優秀でないと、その評価を得ることは難しい上に、


だからと言って、肩肘を張って、男に負けないなどと鼻息を荒くしては、


絶対に人望を得られないし、うまく部下をまとめることはできないからです。


ですので、本当の意味で優秀な女性って、


仕事ができる以上に、男性性と女性性のバランスがきちんと取れていることが、


とても大事だと思いました。


そういう意味で、私が実際にお会いしたお二人は、


そこのバランスが絶妙で、女性らしいかわいらしさを持った方達でした。


先ほどの質問に対する吉田二佐の


「とにかく笑顔でいることを心がけていました


という答えと、


思わず、友達になりたいと思わせてくれるような、気さくなその笑顔が、


その証左だと思います。


そんな吉田二佐は今、空幕人事部でお仕事をされていらっしゃいます。


過酷な市ヶ谷勤務、本当に大変だと思いますが、応援しています






















海上自衛隊の航跡  ~護衛艦はたかぜ梅崎艦長の講演~【ちょこっと修正】

2015年03月09日 | 海上自衛隊

あ、タイトル、パクりました(笑)


久野さん、ごめんなさい~。


…ですが、先日、このブログでも告知しました、


梅崎艦長の講演会は、


海上自衛隊の航跡(功績とかけています)と書くのに相応しいお話でした。






…前回も書きましたが、今回の講演の機会だけとってみても、


唐津市民でよかったと、心から思いました本当に


現職の海上自衛官の、しかも艦長を歴任してこられた一等海佐ご自身による、


あれほどまでに丁寧な、海上自衛隊に関する講演はそうそう実現しないでしょう。


ところで、梅崎艦長は本当に海上自衛隊の中でも珍しい…というより、唯一の方なのです。


今回、初めて知ったのですが、海上自衛隊で4回も護衛艦の艦長を歴任された方は、


梅崎艦長ただお一人なのです


…と思いきや、更新後、実は艦長を6回も歴任された方がいらっしゃることが判明


6回ってすごいですね…


…とはいえ、うち2回も艦長として、


自分の艦で故郷に錦を飾られた方は、さすがに、梅崎艦長だけだと思われますが(笑)


そんな梅崎艦長のお話は、海上自衛隊の活動内容から始まりました。


自衛艦隊の説明から、海上自衛隊の現有戦りょ…失礼、防衛力について、そして


海上自衛隊と中国・ロシアとの戦力比較図などのあと、


シーレーンの重要性と、海上自衛隊がそれを護っていることをお話して下さいました。


なので、いまいち海上自衛隊が何をしていているのか分からない方には、


本当に、よく理解できる機会だったと思います。


そして、以前艦長をされていた護衛艦「いせ」での仕事内容について、分かりやすく伝えるために、


同型艦ひゅうがの動画がありました。

【JMC】 平成22年度日米共同統合演習:護衛艦「ひゅうが」


…もちろん、「いせ」がないから「ひゅうが」を使用されたのだということは重々承知していますが…


「いせ」のはないんですね…







そして、海上防衛力の意義と言うことについてお話してくださいました。

以下、艦長がお話になった内容を元に、私の意見を交えた内容を書きます。


ですので、以下は、梅崎艦長がお話された言葉そのものではないということをここに明記しておきます。


艦長ご自身が仰ったお話に関しては、「艦長がこう仰った~」等々付け足した部分だとご理解くださいませ。


平素から有事の状況に応じて、いろんな顔を持って行動しているということですが、


主に、3つの顔が海上自衛隊にはあるわけです。


①常統的海外活動…言うまでもなく、ソマリア・アデン湾の海賊対処行動があります。


         様々な国の海軍がこの対処に当たっていますが、

         海上自衛隊のP3-Cが海賊を発見実績は、全体の60%を占めています。

         P3-Cの哨戒能力の高さがうかがい知れる数字です
          

         昨年末、半年間の任務を終えて帰国途中の「おおなみ」「たかなみ」が、
        
         突然消息を絶った、エアアジアの捜索に向かいました。

         この時海上自衛隊は、4遺体を発見しています。  

         駆けつけたのは、米軍に次いで2番目に早かったのだそうです。

        

         一昨年、フィリピン・レイテ沖に災害支援に向かった時、

         被災地支援に向かった陸上自衛隊は、東北の部隊でした。

         被災の辛さ、大変さを肌で知っている彼らは、一刻も早く行きたい!

         という思いで、現地に向かわれました。

         陸自の皆さま、慣れない船酔いで大変だったようです…。





②常統的警戒監視活動…海上自衛隊の艦艇は、いつも交代で沿岸警備を行っています。

           例の国が、ミサイル飛ばす、などと言う時は、洋上にイージス艦が出て

           ひたすら待機しています。(その間甲板には出られません)





この①、②については、私も知っていましたが、興味深かったのは、次の③番目でした。


③安全保障環境構築の活動です。


海上自衛隊は、一番、海外に出て他国との合同軍事演習を行っていますが、


「艦艇で海を行く」という性格上、そこには陸・空とは違った役割が自然と生まれてきます。


皆さまご存知の通り、自衛艦艇は日本の軍艦(←日本の主張がどうだろうと、他国からみたらそうなるでしょう?)


であることを示す、自衛艦旗を艦尾にはためかせながら洋上を航行するわけですから、


その際、シーレーンの重要ポイントなどを航行する場合、その移動自体が抑止力になる、と言えるわけで、


つまり、演習や海賊対処、災害派遣等々で海外に出る時、移動自体にプレゼンスを示すことができるという、


これには、なるほどと思いました。


①で上げた、海外活動を通じて、各海軍同士の交流や相手国との交流が多い中で、


国際関係を良くしていくことに貢献することも、艦長の務めの一つだということで、


世界が安定する活動を海上自衛隊はやっている」


という自負と誇りを、艦長は強くお持ちでした。


実際、自衛隊の海外での活動は、極めて国際的に日本の評価を上げることに貢献してくれています。


そのことを肌で感じてこられてきた艦長のお話は、聞いているだけで、


改めて日本人であることの誇りと、感謝がこみ上げてきます。


あとは、以前このブログでも取り上げた、ダーウィンのお話もしてくださいました。


いつも、梅崎艦長が仰る、先人への感謝の気持ちと、感謝の継承、この必要性を改めて感じます。


日本の素晴らしさ、豊かさ、美しさ…これらを命がけで護ってくれた、


大東亜戦争で亡くなられた方、生き延びられた方を問わず、戦ってくれたことと真実とを合わせて、


次の世代に感謝とともに継承していかねばならないと、改めて強く感じました。


梅崎艦長、いつも素晴らしいお話を機会を、本当にありがとうございます






桂駐屯地にお邪魔してまいりました♪  ~防衛講和+おまけ編~

2015年03月06日 | 陸上自衛隊
さて、工場見学が終わると、ちょうどお腹が空く時間となりました(笑)


ここでもちろん…そう、体験喫食です


体験喫食、今回のメニューは…たら~~~ん



かつおのたたきの漬けどんぶり


ご飯はすし飯で、けっこう、ぺろっとイケました(笑)


大変おいしゅうございました


食堂の一角をパーテーションで区切られた場所で、食事をさせていただいたのですが、


なぜわざわざ仕切られていたかと言うと…それはたぶん、私達のため…というよりは、


副隊長さんがご同席されたからではないかと思いました…たぶん。


そしてその副隊長さんが、これまたとっても素敵な方です


そしてさらに、食事の後、副隊長さんによって、


防衛講和をして頂くという、これまた貴重な機会を頂きました







会議室に移動すると、入口目の前には席順が貼ってあり、


奥には…



コーヒーが、これまた整然と準備してあります

そして、テーブルの上に…



それぞれ、ネームプレートが置いてあります。


そして、お気づきになったでしょうか?


プロジェクターのコードすら、まっすぐしていることに


なんかもう、いちいちすごさを感じさせる徹底っぷり…


そして、



桂駐屯地の副隊長 中村賀津雄一等陸佐による、防衛講和がはじまり、


主に、東日本大震災での活動状況についてのお話をして頂きました。


副司令は、当時、第6後方支援連隊長をされていたので、


震災の時は、石巻で、派遣部隊指揮官として災害支援の陣頭指揮を執られた方の一人でした。


当時、地元の隊員さんは、いつ終わるともしれない中で、


ひたすら災害支援に携わられていたということが、一番のストレスであったようです。


当然ですが、単に長い期間というよりも、


終わりが見えない、いつまでやるのか分からない、というのは、


人間にとってはものすごいストレスだということは、よく理解できますので、


ただでさえ、過酷な災害支援の中で、


これは本当に辛かっただろうと思いますし、指揮官としても、辛かったと思います。


特に、士長など若い隊員さんたちは、


どこまでやればいいかわからないので、ものすごく、生真面目に必死になって


いっぱいいっぱいで頑張られ、結果、心労がたたって、


残念ながら、自衛隊を去るという残念な結果になることも、しばしばあるのだそうです。


そのために、隊員同士のミーティングをするなどして、


色々な辛い思いを吐き出す場を作って、隊員さんのメンタルの安定のために腐心されました。


ご存知の方も多いとは思いますが、


被災地支援に従事された自衛官には、自ら震災で家族を失った方も少なくありません。


そんな中で、なぜ自分たちががんばれたのか、ということですが、それは、


「今頑張らないで、いつ頑張るんだ!」


という思いであったとのことでした。


長年、不遇を時代を過ごしてきた自衛隊。


地震と原子力発電所の事故という、二正面対処を強いられ、


危険度が増す中、自衛隊がやっぱり最後の砦として対処することで、


自衛隊の必要性を、国民がようやく認知することになりました。


国難において、はじめて歓迎されるという、かの吉田茂の訓示そのままの状況です。


自衛隊は、自分たちの出番がない方がいい、歓迎されない方がいい、と、


それを確かに思っています。


ですが、どんな人間でも、自分たちの存在意義が不確かなまま、


日々、過酷な訓練をするというということは、大きな悩みを抱くのではないかと思うのです。


この、大きなジレンマを抱えてきた組織が、


存在意義を見いだせたこと、国に、国民に認められたことは、


自衛隊にとっての転換期であったことは間違いないと思います。


もちろん、震災を歓迎するものでも肯定するものでもありません。


問題なのは、日本人の想像力の貧困さであり、


実際に国難に直面するまで、自衛隊の必要性に気づけない人が多いという現実です。


おそらく、現在は、「サヨク」でもない限り自衛隊は日本に不要だ、などと言う人は、


もはやいないでしょう。


皮肉にも、多くの国民が自衛隊の必要性を認識するには、


これほどの国難でなければ、気付けなかったという事実が問題だったのだと思います。


しかし今度は、自衛隊でなくとも、災害支援専門部隊というようにして武力放棄させるべきだ、


などと、叫ぶ人が現れました。


認識不足も甚だしいですが、自衛隊がなぜ、あれほど過酷な環境で災害支援ができるか、


それは、このブログでも再三書いてきましたが、


戦闘行為という、人間が行う中で最も過酷な訓練をしてきているからです。


まさしく、命のやり取りの訓練を行っているからなのです。


それは、襲ってくる国難が、自然災害であろうと、外敵からの攻撃であろうと、


最悪の事態が日本に起こった時に、なんとかして国民を護るために、


そういう訓練を命がけで行っている…それが自衛隊です。


それが、実戦で使うことが来ない日を祈りながら…。


ですから、当然、誤解してほしくないのは、


存在意義を認識できたからと言って、嬉々として、災害支援に従事された自衛官など一人もいないし、


むしろ、あまりに精神的に辛い状況を乗り切るためには、


「今頑張らずに、いつ頑張るんだ!」


という思いだけが…自分たちの存在意義を実感することだけが、原動力であったのではないのかと、


そんな風に思った次第です。


ですから、最近自衛隊が人気が出ていることに関して、


「いつから人気が出ていると思いますか?」


と自衛官から質問された時に、


「確実に、震災以降だと思います」


と答えると、正直、微妙というか、複雑な表情をされる自衛官は少なくありません。


少なくとも、嬉しそうにする自衛官を見たことはありません。


それは、彼らが一番、


自分たちが歓迎される事態の意味を、理解しているからに他ならないからです。


それを思うと、実際に被災し自衛官に救助されていない身で、


「震災での自衛隊の活躍がすごい!」


などと、軽々しく口にするのも憚られるような気がしなくもないです。


この時の、彼らが抱えていた様々な想いを慮ると…。


この時の防衛講和では、記事にすることができない話もありましたので、


お話のごく一部だけを、取り上げさせて頂きましたことを、明記しておきます。









お話の後、副隊長自ら正門までお見送りしてくださいました。


この日はちょうど、自衛隊を退官された方のお見送りのシーンにも遭遇でき、


本当に、貴重な数々の体験をさせて頂きました。


このような機会を作ってくださり、


お誘い下さった「いせ後援会」理事の方には、感謝でいっぱいです。


並びに、平素からお忙しい中、この日のためにさまざまな準備とお心配りをしてくださった、


桂駐屯地の皆さまには、お礼の申し上げようもございません。


皆さま、本当に、ありがとうございます。