「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

『空母いぶき』の映画について

2019年06月03日 | 映画の感想
『空母いぶき』第二弾予告映像【30秒】(5月24日 全国ロードショー)



最近、首相役の佐藤浩市氏の発言がネットで炎上しておりますが、ぶっちゃけそんなことよりも、かねがね吠えたかったことを吠えます。


一足早く試写会に行って以来、レビューを書きたくてうずうずしておりました。


なぜなら…期待外れもいいとこ。


不愉快でしかなかったからです。


色々言いたいことがありますが、まずは良いところから褒めましょう(←俳句の夏井先生方式)


戦闘シーンはそれなりに迫力ありましたよ。


特に、潜水艦の戦闘シーンは、最近、メディアでご活躍の、元潜水艦艦長である伊藤元呉総監が監修されているので、


そこはさすがと言うべきでしょう。


秋津艦長役の西島秀俊、新波副長役の佐々木蔵之介、アルバトロス隊の隊長・迫水役の市川隼人の配役は良かったです。


特に、市川隼人は、自衛隊に対するリスペクト、国防に対する熱意が演技を通して伝わってきました。


やはり、こういう映画には、こういう役者さんを使ってほしいものです。


秋津艦長のクールな感じもよかったですね。


原作は無表情ですが、映画は柔和な表情で「何を考えているのかわからない感」がより伝わってきました。


対する副長は…まぁ、佐々木蔵之介だからいい、という感じですが。


作品内の


新波「自衛隊は発足以来1人の戦死者も出していない。」

秋津「誇るべきは自衛隊員に戦死者がいないことではなく、ひとりの一般人も戦争で死者を出していないことだ。」

新波「我々は戦争をする能力は持っているが、絶対戦争はしない。」

秋津「戦わねば守れない平和もある。」



こういうやり取りは良かったです。


自衛隊が抱える矛盾。


平和憲法下での攻撃に対する対応の困難さ。


この辺は「かわぐちかいじ作品」の真骨頂というべきやり取りですね。


様々な制約下で国を守ろうとする秋津、熱い思いで護ろうとする迫水。


基本的に、役者さんには非はなく、皆さん、いい作品にしよう!とがんばられてるんですよね。


だからこそ、余計に許せない気持ちが沸き起こってくるんですが…。








さて、


私個人のこの映画についての評価は


「☆1つ」


圧倒的に「がっかり」「げんなり」の方が多く、何なら軽く「怒り」が込み上げてきたくらいです。


「原作レイプ」という言葉がありますが、この映画はまさにそうだと思いますね。


そもそもですが、人気漫画の実写映画化は、安易にやらない方がいいんです。


これまで多くの実写映画がされてきましたが、成功した作品って数えるほどです。


成功した実写映画化と言える作品は、「20世紀少年」「デスノート」「るろうに剣心」「銀魂」最近では「翔んで埼玉」「キングダム」…


くらいかと、私は思います。


分母に比べて、成功した実写映画はかなり少ないです。


比べて、原作の人気に反して大コケした作品の代表は「進撃の巨人」です。


まともな分析能力があれば、実写化の成功要因と失敗要因は簡単に分かると思いますが…残念ながら「空母いぶき」の制作陣には、


ろくな分析能力がなかったと思わざるを得ません。


実写映画化に絶対に欠かしてはいけない要素があります。


それは、


原作の世界観を守る・原作へのリスペクト・原作ファンの期待を裏切らないことです。


原作無視して、制作陣都合で改悪してしまえば、原作ファンを期待を裏切ることになってしまい、まずヒットしません。


「制作陣都合の改悪」として、最も行っていけないことに、


原作にはない設定を加える事、さらには、原作中には登場しない女性を登場させること。
があります。


この「空母いぶき」の映画には、最悪なことにそのどちらも当てはまっています。


…映画業界も男性主導だからでしょうか。


若い女性が出ていないとつまらい、見に来る人がいないんじゃないか?と安易に考えてキャスティングするんでしょうね。


出演女優に罪はありませんが、本当にこういうのが出てきた瞬間げんなりします。


私が見た時は当然、クローズ上映でかつマスコミ未発表の時点でしたので、この映画に関する何の前情報もなしに見てしまったのですが、


「中国」が「謎の諸島国家」になっていた点、原作にいない女性ジャーナリスト本田翼の存在、謎のコンビニシーンと中井貴一…


この3つに非常にげんなりしました。


「やっちまったなぁ…」


って感じです。


中国を謎の国にした理由は分からないでもないですが、そもそも、この「空母いぶき」という作品は、


中国と戦うからリアリティがあって、そのリアリティが支持されてるわけです。


もうね、ここを変える時点で「空母いぶき」という作品たりえないのですよ。


意味ない。


この時点でもう、別の作品になってしまうんです。


そして、そんなことに気づかない制作陣…。


原作者が何も言わないからいいんじゃないの?という意見もあるでしょうけど…私が原作者なら、それなら映画化やめてくれって言いますね。


作者自身、自分の作品に愛情がないのかな?とすら勘ぐってしまいます。


そして、本田翼・・・・一番いらない。


上司役の斉藤由貴も、いらない。


女性を出さないといけない部分はあるでしょう。


男性しか出てない映画なら、女性差別だなんだと言われかねない昨今です。


それならね?変なオリジナル女性キャラ出すくらいなら、原作同様、女性艦長を一人入れればよかったんじゃないの?!


個人的には、吉田羊なんか、女性艦長役にぴったりだったと思うけどな。


なんで「キングダム」がヒットしているか考えてほしい。


要素の一つとして、余計なオリジナルキャラを加えてない事があります。


(そして、こういう余計なキャラは、たいてい演技の下手な新人だったり若いアイドルとかその類…なんで余計な事するかな…)


長澤まさみの凛々しい美しさに賞賛が集まっているのが答えです。


ここで、凛々しく美しい女性艦長を出していれば、まだしもいい作品になってただろうに…。


演技力のない、若いだけの女の子を意味なく出すのはやめてほしいですね。


しかも、その役柄もほんっとにウザいだけの存在。


何しに乗艦してきたんだ…。



そして、コンビニのシーン…


コンビニ店長に中井貴一が出てきたせいで、いやでも「亡国のイージス」を思い出してしまったのは私だけだろうか?(笑)


そして、このコンビニのシーン自体、必要??????


平和な日常と戦闘シーンの対比を描きたかったんだろうけど、わざとらしすぎて陳腐なシーンになってるだけ。


こういう対比は、かわぐちかいじ先生自身は巧いだけに、非常に残念。


はっきり言って、全く違う作品なんですよ。


「空母いぶき」と一部登場人物の名を借りた、「空母いぶき」を参考して作った二次作品です~って感じ。


それも、なんか「亡国のイージス」の後編?続編?みたいな感じの。


一体、何の作品なんだろうか?って感じです。






あとね、レビューなんかでもちょくちょく書かれてますけど、これ、防衛省は一切協力してません。


エンドロールに名前がなくて、「えっ?」ってなりました。


まぁ、なぜ協力していないか、分からなくもないですが…だからなのか、制作陣に半島の方の名前が散見されたせいか、


この映画の「海上自衛隊」とされる艦艇には、一切自衛艦旗がありません。


日の丸もない、国籍を表す旗は一切掲げられていません。


乗員たちが来ている戦闘服には、自衛艦旗ではなく、一応、日の丸がぬいつけられてますけどね。


ですが艦艇に国籍を表す旗が何もなく、謎の諸島国家と海上自衛隊を模した国籍不明の艦艇かがなんかやってる作品、ということになります。


防衛省が認めていない…のは政治的な面から分からなくもないけど(というか、そもそもそれも変ですが)、


自衛艦旗もないそれで、「海上自衛隊」を名乗って、国防の映画だというのはどうにも納得できません。


さらに嘆かわしいのは、そこに気づく国民も少ないという現実です。


アメリカのこういう映画で、誇らしげに国旗が翻らない映画があるでしょうか?


海上自衛隊が日本を守るために出撃しているというのなら、自衛艦旗がその艦艇に翻るのは当たり前のことなんです。


あの作品はただの国籍不明艦艇…そうさせてしまっている中で、どんなメッセージを込めても希薄でしょう。






さて、最後に…


時々私の知人の中で「かわぐちかいじの思想は、右なのか左なのか?」と疑問を持ちかけられる時がたまにあります。


ご本人とお話したことがないので、作品から感じただけの印象では、「どちらでもない」と思います。


この方は、単に「自虐史観」から抜け出ていないだけの、どちらでもない人かな?というのが、私の印象。


単純に「戦争は人を殺すことだから悪いこと」だと考えていらっしゃるのではないのでしょうか。


だから、彼の作品中では、やたらと「攻撃すると敵兵を殺すことになってしまう…」と苦悶するシーンが出てきますね。


こういうシーンを読むたび、かわぐちかいじ先生は、自衛隊の取材はたくさんさせてもらっているけど、


自衛官たちと、きちんと話をしたことはほとんどないんだろうな、という事が分かります。


私が知る限り、そういう迷いを持った自衛官とは会ったことはありません。


もちろん、自衛隊に実際の戦闘はありませんが、実際の戦闘に際して、そういう迷いは起こるものなのか?と質問をしたことがあります。


答えは


「全くないとは言わないが、ここで自分が攻撃を迷うと、仲間がやられる。

 ひいては、日本を守る戦力が低下する。
 

 そんなことで迷っている暇はない」



というものでした。


これが、実際に日本を護っている人たちの意識なのです。


………まぁ、原作のあり得ない点では、


海自悲願の空母の初代艦長に


空自パイロット出身がなる、


という点が1番かとは思いますが(笑)





いろいろ書きたいことは他にもありますが、話も逸れて長くなりそうなので、この辺にしておきます(笑)


一言で感想を言うなら、原作を好きな人は見ない方がいいんじゃないかな?ということです。


見るなら、別の作品だと思ってみた方がいいでしょう。
















「宣戦布告」で日本の現実を感じてほしい

2016年05月01日 | 映画の感想


昨今の自衛隊人気、真に結構なことと思います。


…しかし、自衛隊の公式facebookページに寄せられるたくさんのコメントの多くに、私は違和感を感じることが少なくありません。


違和感の理由はいろいろあるのですが、その中の一つに、


自衛隊が精鋭部隊であれば国防は安心だと思っている人が少なくないことです。


言うまでもなく自衛隊の存在意義は、国民の生命と財産を護るためにあるのですが、


現実問題、現在の自衛隊では護ることはできない、ということを知らない人は案外多いようです。


これは、自衛隊自体に問題があるというよりは、もっと根本的な問題です。


それを視覚的に理解するには、この映画をご覧いただくのがよろしいでしょう。

宣戦布告



この動画で全編視聴可能ですので、ブログをお読みいただいた後に、ぜひともゆっくりとご覧いただきたいです。


この映画を観たら、普通の感覚を持ち合わせているなら、


「そんなバカな話があるのか?!」


と、誰もが思うでしょう。


しかし、誇張でも絵空事ではなく、映画のオリジナルでもなく、ほぼ現実に即した話であることを、少しでも多くの日本人に知ってほしいです。


現行法のままでは、いかに多くの自衛官や警官が、無駄に命を落とさねばならないかを、知ってほしいです。


私自身も、以前、この「日本は平和、という幻想」という記事の中で、同様のテーマを取り上げたことがあります。


この中でも書いているように、現状では、敵の命を大切にして同胞の命を見捨てる法律になっているのです。


それが、この映画を観ると、よりリアルに感じられるでしょう。


重火器を持つ敵から攻撃を受けて、仲間が撃たれても、現場は指揮所の上官に武器の使用許可を求め → 


→ 指揮所では最高司令官たる内閣総理大臣に、武器の使用許可を求めねばならず、


その許可が下りるまで、現場でたくさんの部下の命が次々に命を落としていくシーンを見てもなお、現行法に疑問を感じない人は、


利敵というだけでなく、人間らしい感情すらない人であろうと、私は思います。











また、この映画の中で、後半、事態が悪化し戦争状況になりつつある様子を見た時、政治家が


「…なんでこんなことになったんだ一体誰が宣戦布告をしたというのだ


と呻くような場面がありますが、現実はそんなものだと思いますね。


この映画の話で言えば、「事を大きくしたくない」という考えから、様子見 → 後手に回ってしまった結果、事態が悪化したわけです。


ですが、これもあながち映画の話というわけではなく、とてもリアルです。


この映画が作られたのは15年くらい前なので、現在は多少マシになっているとは思いますが、


それでも、自衛隊も軍隊同様に「ネガティブリスト」で行動できるようにならない限りは、同じ問題を孕み続けています。


同時に、シビリアンコントロールという言葉がありますが、無駄な法律にがんじがらめになっていて、


シビリアンコントロールですらないということが、大きな問題であるということが分かります。


法律に阻まれて、総理大臣が自衛隊を効果的に動かせないのですから。


ということで、この映画を観ると、自衛隊の最大の敵は「自国の法令」であることだとわかるでしょう。


…お願いだから、一人でも多くの人に、この映画を観てほしいです。


そして、日本が抱えている矛盾や問題に直面してほしいです。


自衛隊の矛盾は、憲法的に認められているかどうかという点ではありません。


国民の生命と財産を護るために存在しているのに、現実的にその使命を実行できない点にあるということを知って頂きたいと願う次第です。






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映画「永遠の0」

2013年12月26日 | 映画の感想



このブログでも、以前小説を読んだ感想として、取り上げさせていただいた、


「永遠の0」がついに公開されましたね。


さっそく見て参りました。





最初に引き付けられたのは、


姉弟が、実の祖父である宮部久蔵の調査を始めた時に、


最初に訪問した、長谷川宅のシーンです。


元戦闘機乗りだった長谷川は、戦傷を受け右腕がなく、


宮部に対しても、「海軍一の卑怯者」と激しい嫌悪感を抱いている人物です。


どうみても幸せな老後とは言い難い、独居生活のやや雑然としたアパートの、


その居間と台所を仕切る引き戸には、


「五省」が貼ってありました。


戦後60年を経て、今なお、自分の生活の場に


この「五省」を貼っているということに、


長谷川という男が、帝国海軍人しての誇りをどれほど大事にしてきたかが


よくわかりますし、


だからこそ、彼が、宮部を嫌悪していることが強調されていると感じます。


語らずして、こういう演出が出来るのは、映画ならではでしょう。







取材を進めていく中で、


宮部を「卑怯者」呼ばわりする人間ばかりの中、


好意的な話を、ようやくしてくれる人物が現れます。


病床にあり、余命幾ばくもない井崎の語りによって、


戦争中の回想シーンに入っていきます。


洋上に浮かぶ、航空母艦「赤城」の姿が現れ、


ゼロ戦が赤城の甲板を目指して飛来してくるシーンは、


海軍ファンにはもう、涙ものでしょう(笑)


初めての着艦を行うゼロ戦を、甲板で待ちかまえる、


赤城の乗組員たちの、パイロットたちへの揶揄を込めた表情が、


とてもいきいきと表現されていて、海軍の士気の高さを感じます。


同時に、


戦闘機での、甲板の着艦は非常に難しいということ、そして、


その中で、美しく完璧な着艦を行う一機の戦闘機だけ現れることで、


宮部久蔵という男が、非凡なパイロットであることが、


ここでも言葉を使わずして、伝わってきます。


ちなみに、赤城のシーンでは、


海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」の艦の一部や、海を行く時の美しい航跡が使われており、


海自ファンにとっては、ここでも「にやり(笑)」としたくなる場面といえます(笑)


ここでの、井崎の回想によって、


これまで、この時代に一切興味をもっていなかった、主人公の健太郎に対して、


一気に、戦争のなんたるかと同時に、祖父の実像が近付いてきます。


「臆病者」と呼ばれる裏に潜む、


本当の理由が分かるにつれ、宮部久蔵という人間の魅力が深まっていきます。


私が今回の映画で、


一番楽しみにしていたのは、


原作にはない、宮部が妻と子供が待つ自宅に戻る場面です。


期待していた以上に、すばらしい場面でした。


ほとんど、結婚生活らしい生活はなかった二人ですが、


それでも、宮部がどれほど家族を愛おしみ、大切に思っていたか、


そして、夫婦相互の温かい愛情と思いやりがしっかりと伝わってきた、


作中で唯一、温かく優しい幸せに満ちていた場面だと感じました。


ここで、思いがけない帰宅を果たした夫に、


驚いて


「帰るなら帰る、と一言連絡してください!」


と言う、


妻の松乃に対して、優しく微笑みながら、


「申し訳ありません。赤城が横須賀に戻ることは極秘だったのです」


とだけ、宮部が言います。


この時代は、


恋人や家族と容易に連絡を取ることができません。


今のように、当たり前に連絡がつく時代からすると、


考えられないくらいに、


恋人や夫が、どこで何をしていて、いつ帰ってくるのか、分かりません。


ですがそれでも、


この時代の女性たちは、辛抱強く、信じて待っていました。


現代から見ると、とても不幸に見えるかもしれません。


会うことはおろか、


電話はもちろん、極々一部にしかなく、遠方にいる人との連絡手段とは、


手紙か電報のみ。


その手紙さえ、戦争が厳しくなると、困難になりますし、


宮部が言ったように、軍人には、軍事機密上、行き先やもどる時期などは一切言えないのですから。


ですが、逆に、だからこそ、


この時代の人たちは、現代とは及びもつかないほど、


真剣にお互いを思いやり、愛しあっていました。


戦争によって、


日常の平和と楽しみの全てを奪われた生活の中で、


さらに、愛する人とも別れ、永遠に会えないかもしれない


という想いの中で、生きていかねばならない状況というのは、


現代に生きる我々には、想像は困難です。


だけど、


だからこそ、彼らは、真剣に


伴侶を愛してしたのだと感じました。


戦争にいくことを、拒否できない彼らにとっては、


国からの命令であるということを、


過酷な戦場で戦うという辛さを、


その愛する人を守る、という思いに変えて、


挑んでいたのではないでしょうか。


宮部が「臆病者」と呼ばれながらも、


他の軍人たちとは、はっきりと違う形で、


家族を守ろうとしました。


それを貫くには、


相当な精神・肉体両面の強さが必要です。


優美な面差しの中には、


家族への深い愛情と、


強い責任感を湛え、


かつ、その想いを貫くための


精密な技量と強靭な精神力が秘められていた、


と感じさせる、


素晴らしい演技を、俳優:岡田准一は見せてくれました。


すばらしいの一言です。








この映画を、見る人によっては、


戦争の美化だの、


右傾化の促進だのという人もいるでしょう。


映画の中でも、


特攻隊を「テロリスト」呼ばわりし侮辱する、若者たちのシーンが出てきます。


そう感じることしかできないメンタリティの人間もいるので、


それは仕方がないと思います。


私は、戦争を賛美したいのでも、戦死することが美しい思うわけでもありません。


この時代は、人々は洗脳されていたのだという人もいます。


ですが、


現代は、洗脳されていない自由な時代なのだと、


真逆の方向に洗脳されているだけだということに、


気づいていない人も多いです。


特攻が決まった、若い教え子に、宮部が、


「戦争が終わったら、一体どんな日本になっているのでしょう…」


と話す場面では、苦しさと悲しさで涙が止まらなくなりました。


特攻隊で亡くなった若者たちは、


選りすぐりの優秀で有能な人財でした。


宮部が、


「あなたたちは、戦争が終わったあと、日本を再興するために必要な人財なのです」


と、若い訓練兵に言います。


私が、初めて知覧に行って、彼らの遺書に触れた時、


はっきりと感じた事が、


まさに


「こんなに素晴らしい人たちをむざむざと死なせてしまったから、

 こんな日本になってしまったのだ」


ということでした。


戦争が終わったら、どんな日本に…?


まだまだ素晴らしいところもあるし、


誇れるところもあります。


ですが、


加速度的に劣化が進んでいます。


戦争さえなければ、いいというわけでないでしょう。


親が子を殺し、子が親を殺す。


戦時中よりも悲惨な状態です。


こんな国のために、彼らは命を犠牲にしたわけではないはずです。


ましてや、


靖国神社に総理大臣が参拝することさえ、


許されないような国に…。


自分の国に誇りを持つ、


自分の国は自分で護る、という考えを持つ、


これが、なぜ「右傾化」なのでしょう?


日本だけは特別?


特別だと洗脳されているだけす。


英霊を敬う事が軍国主義?


馬鹿げています。


私は、いたづらに美化することも彼らに対する侮辱だと考えます。


彼らは、拒否もできず、逃げることも許されずに、死んで行きました。


家族を守るために、


ひたすら生き抜くことにこだわった宮部が、


特攻隊に直面していくことで、


恐ろしいまでの罪悪感に苛まれます。


「生き残る罪悪感」


戦争で亡くなることは悲劇ですが、


生き残ったものはまた、


「生き残った」という、まさにそのことで


罪悪感を抱えて生きていきます。


戦争に行くことは、どちらも苦しみを抱えるのです…。


その苦悩の中、


宮部は、ついに特攻に行くことになります。


その最後の表情は、


今まで、戦闘員としての技量はひたすら封印してきた宮部の、


初めて、本当の戦いに挑んだ瞬間だったように感じました。


家族のために、自分の命を守る事をひたすら行ってきた宮部は、


戦闘機乗りとしての最後の誇りを技量の全てをかけて、


最後の最後に、アメリカに一矢報いることを静かに決めていたのだと思います。






「あと10年もしたら、我々世代はみんないなくなる」


と、最後に健太郎の義理の祖父が言います。


この役を演じられた夏八木勲さんは、今年の5月に世を去られ、


この作品が遺作となりました。


本当の戦後は、


この世代の方たちが全て世を去られたあとに、


やってくるのではないかと、危惧する次第です。





















































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風立ちぬ

2013年09月30日 | 映画の感想
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「永遠の0」を読んで、


今度は、当時世界最高の単座式戦闘機と謳われた、


ゼロ戦を作った堀越二郎に興味が出て、


もともと見たかったこの映画を、なんとしても観たいと思い、


ようやく、ようやく見ることができました!


感想はひと言…


大好きです!


ジブリなので映像の美しさは、いわずもがな。


今回は、台詞の美しさが秀逸でした。


この映画で語られている言葉は、


もはや、絶滅の危機に瀕していると言ってもいい、美しい日本語です。


それは、


日本語だけにとどまらない、


美しい所作や礼儀が随所に丁寧に描かれているので、一層引き立っています。


4歳くらいの妹が、怪我をしている小学生の兄に、


「まぁ、怪我をなさっています!赤チンを塗ってさしあげます!」というシーンが、


この時代の子供たちの、聡明さと礼儀正しさをよく表していると思いました。


この二人の、大人になってから久しぶりに会った時に、


きちんと座布団をおりて、二人で真の礼(もっとも深い礼)をしてあいさつをするシーンも、


素晴らしかったです。


次郎の、座布団から離れる時の立ち振る舞いは、


彼らの育ちの良さを実に良く描いてあります。


母親が、本を読みながら勉強部屋の畳で寝ている次郎に、


「ニ郎さん、お床でおやすみなさい」


という言葉がまた、母親の温かい愛情と品のよさがとてもよく表れています。


最初の10分程度のシーンで、


この時代の日本の、全ての美しさを濃縮したようなものを感じました。







二郎が愛する、


奈緒子がまたステキでした。


二郎の母親もそうですが、


この時代の育ちの良い女性の、


美しい所作や言葉を観るだけでも、心が洗われます。


奈緒子を見ていると、


名作「カリオストロの城」のクラリスを思い出しました。


髪型も似ていましたけど(笑)


クラリスよりは、溌剌とした感じで、


似ているというわけではないのですが、


なんとなく、クラリスを彷彿とさせました。












今回、ジブリでは珍しく、


ノンフィクションの要素が入っている作品ですが、


それだけでなく、


「大人でないとわからない」作品を宮崎駿が作ったことが、


一番驚きました。


この話は、二郎が9試単座式戦闘機の開発に成功するまでを縦軸に、


主人公次郎と奈緒子の恋愛が横軸で描かれています。


かつ、


堀越二郎という人物は、


完全なノンフィクションではなく、


作家の堀辰雄の人格も入っているので、


ゼロ戦ができるまでをメインで考えている人が見ると、


けっこうがっかりすると思います。


その辺を割り切って、


美しい恋愛ファンタジーを見ていると思うと、


最高に素晴らしい作品でした。


個人的には、


二郎と奈緒子の二人が、愛を深めていくところが、大好きです。







奈緒子は、結核を患い、東京の実家で暮らしており、


片や二郎は、飛行機の開発設計を任され、名古屋で仕事に没頭する日々。


現在でもなかなかの遠距離恋愛ですが、


この時代の遠距離恋愛は、今以上に距離を感じるものです。


電話がある家の方が珍しく、


電報か手紙が主な通信手段ですから、


当然、二人は手紙のやり取りで互いの思いを伝え合います。


この、


互いが、相手からの手紙を受け取って読む瞬間の、


少しでも早く読みたい!という気持ちがよく描かれています。


手紙は、現代においてはやり取りする方はなかなか少ないと思いますが、


自分の正直な気持ちを、


一番まっすぐに伝えてくれてるのが手紙ではないかと、私は感じます。


相手を想って選んだ、便箋と封筒に、


ペンや万年筆を走らせると、


実際に会うとなかなか言えないこと、


メールでは伝わらないことを、


自分の文字はきちんと相手に届けてくれます。


そして、人によっては、切手までも相手を想って選んで貼ってくれる…


随所に、相手への想いが込められている美しい行為が、


手紙を書く、ということのように思います。


二人が手紙をやり取りするシーンは、いろんな思いがこみあげてきました。





また、


奈緒子が、二郎とわずかな時間だけ新婚生活を送るシーンが好きです。


ジブリでは珍しく、初夜の場面があるのですが、


「初夜」という場面を、あんなにも切なく美しく、清々しく描けるあたり、


宮崎駿が天才たる所以だと感じます。


宮崎駿は、なんといっても生活動作を丁寧に丁寧に描くことで、


その人物の性格や性質を、余すところなく表現することができる天才です。


その真骨頂が、奈緒子と二郎が二人で過ごしている場面ではないでしょうか。


そばにいても、


二郎は仕事忙しく帰りも遅いので、それほど一緒にいられるわけでないけど、


帰ってきた、二郎の着替えを手伝い、


夜遅くまで部屋で仕事をする二郎を見つめ、


朝起きると、そこに二郎がいて、


仕事に行く二郎とそっと口づけを交わして、


いってらっしゃい、といって見送る…


そんな、


なんでもないことが、奈緒子にとって、


どれほど大きな幸せなことだったかということを、


気づいた人は、いったいどれほどいたでしょう…


最愛の男性に、たったこれだけのことができるということが、


どれほど、女性にとって幸せかということが、


わかった人はどれほどいたでしょうか…


それをしたいと望んでも、それを当たり前にできない女性にとって、


その時間がわずかでも与えられるということが、


どれほどありがたい、最大の幸福の時間なのかということが…


この二人の愛は、


限られた時間のものです。


それを知っていた二人は、精一杯互いを愛し、思いやりました。


宮崎駿自身が、


「この時代の人は、潔さがある。そこが美しいのだ」


と言っていました。


まさにそうだと思います。


この二人に、何かへの執着は一切ありません。


互いにすら、執着心がありません。


二人でいる時間の一瞬一瞬を大切にして、


二人は真摯に愛し合い、


「今」を生きていました。


だからこそ、この二人の愛は、強烈に清々しく美しかったのです。






宮崎駿は、この映画を最後に引退すると言っていますが、


そう思った気持ちが、わからないでもないです。


ずっと、


「アニメは子供向けにつくるべきだ」と言い続け、


最後にそれを覆し、


最高に練熟した、清々しく美しい純文学のような、大人の恋愛を描き切ったこの作品は、


天才の最後にふさわしい作品だと、私は感じました。