「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「おいせ」参り~艦内編

2013年08月29日 | 護衛艦いせ
さて、いよいよ中に入ります


「いせ」といえば、このエレベーターですかね~

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「いせ」はヘリコプターを最大11機搭載できる日本最大級の空…おっと、護衛艦ですが(笑)


そのヘリを格納庫から甲板に運ぶエレベーターです


ごらんの通り、広いです!


で、早いです!


これに乗っていると、エヴァ初号機(零号機でも弐号機でもいいんだけど)


になった気分です(笑)


ちなみに、この日は雨だった(降ったり止んだりしてた)ので、


外にいらっしゃる乗組員の方の中には、そう!レインコート(雨衣)をお召しの方もいらっしゃいました



かっこいいんですよね~、レインコート


ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、


「制服(軍服)を着た軍人は傘をささない」ので、


傘ナシ、レインコート姿、と相成るわけです。


って、ここまで書いて、写真撮り忘れた…スミマセン


しかし、本当に大変だなぁ…。


傘をさすと視界が悪くなるっていっても、ぬれても視界どころじゃないんじゃないかと…





で、格納庫…。

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あ、この3つの写真も5月のものです…。


人がいないのはそのせいです。


…ここで、私、ふと気づいた…。


一般公開時のいせは初めてだという事に…


人が多い時に見学したのは初めてです(←自慢


だから、グッズ販売している時に行ったことない…。


と、いうわけではりきってお土産を購入♪


KIMG1085.jpg


な~んと、「いせ」の塩羊羹ですよ(笑)


まぁ、なんですか・・・この「塩羊羹」という文字と、


護衛艦のコラボレーションのありえなさが、なんともたまりません・・・(笑)


しかし、なぜあえて羊羹????


ちなみに、柿羊羹もありました(なんで「柿」なのか・・・


ですが、このレトロ感たっぷりの絵がなんともいいですね~


この中に羊羹があるとはちょっと想像つかない


あとこれ↓


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ピンバッチ♫


はるゆきの時も購入したので、欲しかったんです~。


これから、護衛艦乗るときは、必ず買い集めると思う


はるゆきのピンバッチもそうですが、


これって、たぶん、七宝焼なんじゃないかと思うんですが・・・。


なかなか凝った作りです。







そうそう、最後に、


はるゆきに続き、いせの中でも、


気になる変なものを見つけました~


それがこれ↓

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艦橋に置いてあった双眼鏡。


はい、テプラにちゅも~く。


「大切に扱ってね♡」


かわいすぎ~(*´`)


こんなのみたら、


「もう、しょうがないなぁ」っていうしかないです(笑)


こういうのを見つけるにつけ、毎度、


海上自衛官って、どんだけお茶目なの~って思います



そう、「いせ」がステキなのは艦だけじゃないんです


乗組員の皆さん、今回も相変わらずのホスピタリティで感激でした


お手洗いに行った時、


案内役の女性の乗組員の方がトイレの入口の近くに立っていらしたのですが、


中の個室に入ると、トイレットペーパーが、キレイに三角に追ってありました。


おそらく、使用後に、彼女が中に入って、一つ一つ折っている様子でした。


ここまでやるのは、一流ホテルでもないでしょうね・・・。(トイレに人件費をかけられないしね)


そして、いつ中に入ってもチリ一つ落ちてないです。


新しいだけじゃなく、本当にキレイ。


一般公開の時は、そりゃ、公開時はキレイにしてるだろうって思いましたが、


そうでない時も、変わらずいつもキレイです。










そして、


この「いせ」をまとめていらっしゃる、梅崎艦長のお人柄がまた素晴らしいです


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めっちゃカッコイイ・・・だけではなく、


一般公開見学者で賑わう様子を、


とってもうれしそうに見ていらしたのが印象的でした。


実際お話しすると、とても気さくで、ず~っと笑顔の


とってもステキな艦長さんです


そして、艦長の元、いせの運用にそれぞれ重要な責任を負っていらっしゃる、


いせ主要幹部のみな様


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責任ある立場の方は、自衛隊でも民間でも大変ですし、その責務は重要ですが、


やはり、海上自衛隊きっての、最新鋭護衛艦の1つである「いせ」だと、


その責任の重さはまた、格別なのではないかと推察します。


実際、ある護衛艦の士官の方曰く、


「やっぱり、「いせ」などの大型護衛艦に着任する人たちは、優秀ですよ。

 大きい艦だと、やっぱり難しいですしね…」


と。


どの艦の方も、艦を預かる以上は、


強い責任感でその任に就いていらっしゃるのは間違いないと思いますが、


やはり、様々な意味で注目度が高く、重要な艦である以上、


この艦の着任し、任務に携わり、かつその責任を負うているということは、


どれだけの重責なのだろうと思わずにはいられません…。






最後に、


梅崎艦長が、


故郷の唐津に寄港された後、


FM唐津の取材に応じてくださった時の


コメントがとっても素晴らしかったので、ごく一部をご紹介させていただきます。


「・・・我々の使命は国を守ることですが、それは、家族、隣人を守ることに他ならず、
 
 皆様の熱烈な歓迎は、我々が守るべきも大切なものを改めて感じさせてくれるものでした。

 (中略)「いせ」という誇り高き艦名に恥じぬよう、乗員一同、一致団結して任務に邁進し、

 皆様の負託に応えていく所存です。」



この中の「我々が守るべきも大切なものを改めて感じさせてくれるものでした。」


という一節が、私はとても大好きで、読んだときに目頭が熱くなりました。


このような想いで、日々、国防に務めていらっしゃるのだと思うと、


ありがたい気持ちでいっぱいになりました。






「いせ」は確かに素晴らしく美しい護衛艦です。


ですがやはり、いせの魅力はそれだけではありません。


一般公開の時は、艦のみでなく、


ぜひ、いろんな自衛官の方とお話しされることをお勧めします。


それによって、艦の魅力が深まるのはもちろん、


自衛官を身近に知ることで、感じ取れる何かは、あなたの人生にとって、


貴重な何かになると思います。




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「おいせ」参り~入港編

2013年08月28日 | 護衛艦いせ
九州・中国地方が大雨に見舞われた中、


下関、馬関祭りで一般公開が行われた護衛艦「いせ」に行って参りました♪


下関は、土曜日こそ、雨足が強かったですが、


日曜日は小雨程度で、けっこう止んでいたこともあり、


見学者が集中していたようです。




ちなみに、私は、23日の入港から見学していました♪


だって、


5月の唐津入港の時は、私が岸壁についた時には、


すでに、接舷間近だったので、


やっぱり遠くから徐々に近づく姿を見たかったんですよ~


しかも、ここには、天敵「ソーラス条約」もない!(笑)(←しつこい








・・・と、いうわけで、


臨月のお友だち(とても元気な妊婦さん)を誘い、下関に向かいました♪


13:30に入港だったので、


12:30に着き、お昼ごはんを食べてから、


岸壁に向かいました。


すると、


ちょうど関門海峡をくぐった「いせ」がお目見え


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や~ん、あいかわらず、美人です


大きいから、あまり動いているように感じないのですが、


ちょっとおしゃべりをして油断していると…


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こんな感じで、めっちゃ接近しています


動いてるかんじがぜんぜんしないんですけどねぇ…不思議です。


そして、やはり圧巻です!


これだけ大きな護衛艦が近づいてくるシーンは圧巻ですよ


二回目ですけど、やっぱりドキドキしますね


そしてこれが、


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こうなります。


ど~ん!!!って感じですね。


あ、手前の岸壁が違うのは、これは5月の唐津の写真だからです


すみません…。


あの~ですね、夢中になりすぎて、撮り忘れるんですよ、写真…(←言い訳)


この5月の入港の時の様子を、ブログアップした時も書きましたが、


この、ゆっくり接舷する様子は、


本当に、憧れの人が近づいてくるようなドキドキ感があります


初めていせをみる、お友だちも同じことを言っており、


まぁ、なんですか…


中学校の廊下で、憧れの人と廊下ですれ違う時のような、


「来た来た!どうしよう~」的な


女子中学生二人組みのようなノリ(笑)


お友だちも、いせに一目惚れしたご様子。


うむ、そうであろう姫の美貌に魅了されぬ者などおるまいのう…。


あ、護衛艦って女性に例えられるらしいので(笑)


(しかしそれだと「~ゆき」系は名前的にどうなのか…?)


で、私の勝手なイメージは、やはり名前からのイメージで、姫君なんです


伊勢神宮といえば、古くは、天皇の姫宮を斎宮として遣わしていたので、


お祭りされている天照大御神よりも、↑こちらのイメージが強いので、姫君なのです。






話を戻します


私がこの時結構すきなのが、

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この、穴からにょろにょろロープが出てくるところ(笑)


なんか、こういう変なトコに反応する私・・・。


この時、他の壁の穴みたいなところから、


船員さんたちが顔を出している様子がまたカワイかったです


そんなこんなで、無事に入港を見届けました


次回、中の方に入りま~す。



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68回目の終戦記念日に思うこと

2013年08月15日 | 国を憂う
昨年は、東京にいたので、靖国神社に参拝して参りましたが、


今年は、そうもいかないので、12時に黙祷を捧げさせていただきました。






思えば、私は、元々は日教組教育のお陰で、


小~高校生時代はとてもサヨク的思想に毒されていました。


ですので、私はずっと、


日本は悪い国で、恥ずべき国で誇れるものなど何もない、と


思っており、さらに、


戦争に行った祖父を、ずっと悪い人だと思ってきていました。


ですので、軽蔑すらしていました。


私が、真実に気づいた時にはもう、祖父は、


生きてこそいますが、私の事は分からず、話もほとんどできません…。


忸怩たる思いでいっぱいです…。


もっと、祖父からいろんな話を聞いておけばよかった、


もっと、たくさん話をしておけばよかった、


もっと、敬意を払うべきだった…と、


悔やんでも悔やみきれません。






恐らく、こういう日本人は少なくないのではと思います。


歴史を、教育によって曲解している人は、


まだまだ多いでしょうね。


しかし、それと同じくらい問題なのは、


これらのことに無関心な人達です。


ファッションと恋愛、お金、自分にしか興味がない人達です。


こういう人達が増えていく事も、国家にとっては、


非常に深刻で危険だと考えます。


特に日本人は、「イメージ」で全てを判断するきらいがあります。


良いイメージを与えれば、信用し、納得する。


悪いイメージを与えれば、忌避し、除外する。


非常にコントロールしやすい人種だと感じます。


物事の本質を見ようとしないのですから。


判断を他人に委ね、自分で決断しようとしない。


そんな人間が本当に多いです。


教育や、メディアは、巧みにそういうバイアスをかけて来ます。


そこに気づかずにいると、


そういう人達が量産されていくわけですが、


どうしたらこれらを食い止められるものかと、思わずにはいられません。





あの戦争で英霊となられた方々は、


平和をこそ願っていらっしゃいましたが、


その平和とは、ただ戦争がないだけの、このような日本の姿だろうか?


戦争さえ起こっていなければ、平和だといえるのだろうか?


と彼らの遺書を目にする度に思います。


戦争がないことは、当然の大前提ですが、


それにしても今の日本は、本当に平和で豊かだと言えますか?


家庭内で、親が子を、子が親を殺害することが横行し、


命を軽んじるような凄惨な出来事が、次々に起こっている状況は、


とても平和で豊かだと呼べるものではないでしょう。


ですが、このような社会になってしまった背景は、


きちんとした歴史教育や、


道徳教育を行ってこなかった事に要因の1つがあると考えます。


そして、歴史教育の中でも重要なのが、


この大戦の位置づけです。


侵略戦争などでなく、実際に侵略されたのは日本だという事に、


そろそろ、気づく時です。










靖国神社の参拝問題で取りざたされる「戦犯」という言葉や、


それに伴う、東条英機元首相に対する感情…

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(真ん中が東条英機です。左は広田弘毅元首相【文人で唯一戦犯として処刑された】右は白鳥俊夫イタリア大使)


これも、イメージが先行しているだけです。


こちらをご一読いただくと、一般的なイメージがいかに歪曲されているか、


よく分かると思います。


東条英機元首相の「米英諸国に告げる」という文は、一読の価値があります。


この文の中で彼が述べていることは、至極真っ当なことです。


こんな人物が、学校の授業では、極悪人のように伝えられてしまうのは、


なんとも悲しいことです。


1つ参考までに知っておいて欲しいことは、


全てとはいいませんが、多くは、


「英雄」「素晴らしい人物」とされている人間と、


「残酷非道で悪逆な人間」だとされている人間が、


全く逆の状態で描かれ、伝えられているケースが多くあるという事です。


それは、歴史は常に、


勝者となった側が伝え、作っていくからに他なりません。


勝者は、敗者を支配する正統性を確保するために、


敗者を貶めねばならないからです。


この日本の歴史や先に述べた憲法も、そうした視点から作られているのだという事を、


知った上で色々なことを考え、判断する必要があります。







この終戦記念日は、この戦争の真実について触れ、


命をかけて日本を守ってくださった英霊方に思いを馳せてみてはいかがでしょうか…。

呉・江田島日記~江田島は聖なる墓所~

2013年08月12日 | 海上自衛隊
私が、ずっとずっと行きたかった場所が、ここです。


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江田島といえば、この海上自衛隊第一術科学校、


そして、旧海軍兵学校の事を指すといっても過言ではないでしょう。


ちなみに、アメリカの合衆国海軍兵学校、イギリスの王立海軍兵学校と並んで、


世界の三大兵学校でもあります。


どうしても、一度は行ってみたかった場所です。


行きたかった理由は、


特攻隊員(これは陸軍ですが)の手記や前記した獅子文六の「海軍」などを読んでから、


「こんな人達がもし、現在にも少数なりといるとするなら、それは、

 江田島で教育を受けた人以外にはいないのではないだろうか?」


となんとな~く、感じたからです。









サヨク的な教育や情報の中では、「洗脳」として忌み嫌われる戦前の教育…


特に幼年学校や士官学校などの兵学校での教育ですが、


この時代に生きた方々の手記や手紙を読むにつけ、


否応なしに感じるのは、当時の教育水準の高さです。


美しい文字と教養に裏打ちされた美しい文章、


もしくは、覇気と英気に満ちた力強い文字…


そして何より、当時の人達の責任感の強さや人を思いやる気持ち


現代の日本から急速に失われていっている「生き方」に対する


美意識や品格を、そこには確かに感じることができます。


私の祖母は、戦時中、高校生だったのですが、


祖母が通っていた高校の先生方は、みんな軍人で、軍服を着て授業をされていたそうで、


それはそれは厳しかったそうです。


茶道の授業もあったそうで、お茶の先生は男性で、


いつも綺麗に袴をはいて、袱紗(ふくさ)を腰につけていらして、


キリッと立ち振る舞いが美しい方だったとか。


このように、規律や美意識を教え伝えることができる教師は、


現代ではなかなか望むべくもないでしょう…。


間違いなく、教育の質の低下と共に、日本人の質が低下していると感じます。








ですが、ここ江田島には、戦後に日本が失ったなんたるかが、


日本で唯一、残っているような気がしていたのです。


それは、実際にここで教育を受けた海上自衛官の方々と


お会いするにつけ、徐々に確信になっていきました。


それは、やはり「伝統墨守」の言葉のとおり


最も色濃く戦前の文化や教育が残っている風潮があるからだとは思いますが、


私は、そこが好きです


どんなものか、海軍初級士官心得というものがありますので、こちらをご覧下さい。


こういう精神が、いくらかなりとも残っている、と感じさせる方は、


民間人ではあまりいなかったのではないかと…。


やはり、戦前の方や、そこに近い生まれの方や、その方から教育を受けられた方、


くらいだったように思います。










旧海軍兵学校から数えると、ほぼ一世紀近くも、ここにあるのですが、


同じ場所に同じ建物、同じ使用目的で、現代まで使われ続けている所というのは、


世界でもそう多くはありません。


ですので、歴史的にも非常に価値が高い場所で、


なんといっても、ここは単なる資料館や歴史的建造物がある場所なのではなく、


今なお、海上自衛官が日々訓練に励まれている所です。


帝国海軍の精神が息づいているのを、肌で感じることができます。


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どうみても、美しい歴史資料館や美術館、迎賓館のようにしか見えませんが、


やはりそこは、


毎日、自衛官の方々が、お掃除をしてこられたことで、


維持されているのでしょう。


聞くところによると、この手前の砂利も毎朝みんなで掃除し、


熊手できれいに筋をつけるのだそう


掃除といえば、それこそ、戦前から日本軍は陸・海を問わず、やたらと掃除・洗濯をします。


掃除が徹底されているかどうかは、


その組織(官・民問わず)の規律や生産性、士気の高さを測る指標になると考えます。


会社でも、実が伴っている会社は、


とても掃除が行き届いています。


余談ですが、


私は20年前、一度、中国は上海に旅行に行った時、


なぜか中国共産党軍の宿舎に泊まることになったのですが、


まぁ、汚いのなんのって…。


特にトイレの汚さたるや、筆舌に尽くしがたいものがありました…。


どんな状態だったか、絶対書けないくらい(笑)


ちなみに、なぜ泊まることになったのか、未だによく分からない・・・。


これについては、そのうち記事にする予定です(笑)


で、翻って、我が国の自衛隊は、艦船でも建物でも、本当にいつもきれいです。


掃除の徹底っぷりは、随一ではないのでしょうか?


この江田島は、博物館級の建物が現役で使用されているわけですが、


人が日常的に利用しているとは思えない、美しさです。

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こちらは、廊下です。


本当に美術館か博物館にしか見えません…。


上部のランプシェードは、よく見ると碇のマークが描かれており、


こちらの階段のてすりにも、碇のマークがあります。


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この階段も、見れば見るほど、実際に使用されているとは思えないです…。


なんともいえない艶感と色合いが、歴史を感じさせます。


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こちらは、大講堂です。


平成10年に大規模な改修が行われています。


そして、こちら…

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教育参考館です。


こちらには、海軍の英霊方の遺書などが展示されている資料館のような場所ですが、


ここは、資料館というより、聖なる墓所という方が相応しい気がします。


エントランスに立つと、正面に階段があり、その階段上の奥には、


海軍の東郷元帥、山本五十六元帥、イギリスのネルソン提督の遺髪が安置されています。


その入り口に立つだけで、なんともいえない荘厳な空気を感じました。


ここでは、まず、一礼してから中に入り、出る時も一礼します。


そういうところからして、やはり、ただの資料館とは一線を画していると感じます。


ここで、最後に一番印象に残ったのが、


壁一面貼ってあった、


太平洋の地図上に、どこでどの艦艇や部隊がどれだけ人命を失ったかを、


記してあったものです。


館内は撮影禁止ですので、図として出すことができないのが残念ですが、


ひと目で、太平洋戦争の規模の大きさ、その被害の大きさが分かります。


北はアリューシャン列島、南はオーストラリアのすぐ近くまで、


戦線が延びきって拡大してしまっており、


当然、


補給が限界に達している…いや、


限界を超えていることが一目でわかります。


これまで、様々な文献や資料で、各所での局所的に凄惨な戦いの様子を、


知識として知ってはいましたが、


一面にあらわされているものを、マクロな視点で見ると


改めてその激戦さを感じます。


地図上に無機質に、ただ、部隊名や艦隊名が、戦死者数と平記してあるだけの、


簡素なものでしたが、言葉を失うばかりです。


これを見るだけで、あの戦争がどれ程の負担を国民に強いたのか、


どれほどの兵士が、下士官が、士官が、司令官が、命を落としたのか、


その凄惨な状況が容易に想像できました。


勝てないと分かっていながら、否応なしに引きずり込まれたこの戦いの、


悲しい足跡に見えました。


この教育参考館には、


先に述べたように、東郷平八郎元帥、山本五十六元帥はじめ、


数多の戦死者の遺品が安置、展示されていますが、


だからというわけではなく、


ここは、英霊たちの聖なる墓所だと感じました。


そして、


この場所で、


その伝統と意志、精神を受け継いだ方々が、


海を守ってくださっているのだと、


一層頼もしく感じることができるのが、


江田島の魅力の1つだと思います。
















憧れの呉・江田島の旅~呉・大和ミュージアム編~

2013年08月10日 | 海上自衛隊
「てつのくじら館」を観た後は、当然こちらです。


「大和ミュージアム」


こちらは、明治維新以降から戦後までの、軍港、造船の町としての


呉の歴史の歩みを見ることができる資料館で、こちらの入場は有料です。


かの、戦艦大和の10分の1サイズの模型があることでも有名ですね。


これです。


ダウンロード


さすがに、なかなか見応えありましたね。


しかし、私は大和よりも、ここで気になるのは、


こちら。


02_img.jpg


これは、小さい潜水艦に見えますが、違います。


「回天」という、海軍の特攻兵器です。


私は、以前「海軍」という、まさに太平洋戦争中に書かれた小説を読んだのですが、
(すっごくマニアックな小説で、「読んだ」と言うと、知っている人は必ず驚く作品(笑))


ここで書かれているのが、この回天のことなのです。


回天は、いわば、魚雷型単座式兵器とでもいいますか、


魚雷そのものに一人で乗って、敵艦に向って行き、自爆する、というものになります。


ある青年士官から提案されたもので、


100人もの、平均年齢21歳の若い命が失われました。


彼らの遺書などを目にすると、やはりどうしても目頭が熱くなります。








また、呉は、軍港だったことから、激しい空襲も受けており、


戦時中は壊滅的な打撃を受けた町でもあります。


この、空襲については、一言言いたい。


単に戦争の悲惨さ、悲しさで語られる事が多いのですが、


もちろん、そうなのだけども、


そもそも、戦時中といえども非戦闘民を大量に殺してよいという法はないのです。


にも関わらず、米軍はこれをやったのだということを、少し心に留めて置いてください。


いいですか?


空襲も、原爆投下も、無辜の非戦闘民を大量虐殺した行為なのだという事実を、知ってください。


一方的に虐殺されたのは、日本人の方なのだということに、


そろそろ、もう少し多くの日本人が、気づくべき時だと思うのです。


大量虐殺をしたのは、日本人ではないのです。


南京虐殺でもそうです。


「なかった」といいのは御幣があります。


あれは、日本軍のフリをした中国人が行ったことなのです。


日本軍が行ったことが皆無とは言いません。


ですが、


あれほど残酷なことを、日本人がする民族かどうかは、


過去の歴史を見れば分かります。


日本も長きにわたる戦国時代を経ていますが、


その間に、目を覆うような残酷な仕打ちで敵を殺害したという話はほとんど出てきません。


むしろ、例え敵であっても、その死には尊厳を払ってきていました。


翻って中国はどうでしょう?


日本人には、想像も付かないような残酷な方法で敵や憎む相手を殺害している、


という記述には枚挙に暇がありません。


また、「特攻日誌」などの当時の軍隊の教育のあり方を見ていると、


とてもそのようなことを起こす軍隊とは思えないのです。


この大和ミュージアムでもそうですが、


当時の生の資料に触れることで、


当時の帝国軍人の生き様や、覚悟、どんな思い出その命を捧げて戦ったのか、が


辛いほどに伝わってきます。


その事実を歪曲し、あたかも日本人にこの戦争の全ての罪があるように見せ、


教育し、日本人の尊厳を貶めてきたのです。


それが、現代日本の姿です。


このままでは、日本のために命を捧げていった英霊たちに、


顔向けができません・・・・。






最後に、友人から教えて頂いた、戦艦大和の語り部さんの言葉を。


若者よ、君たちが生きる「今日」という日は

死んだ戦友たちが生きたかった「未来」だ。



私たちは、決してこの事を忘れてはならない…。