「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

出港風景   輸送艦しもきた

2015年01月30日 | 海上自衛隊
先日、田母神閣下の講演会に出席していたのですが、


その後、少し会場を早めに出ると…


グレーのおふねが目に入りました


会場のすぐ後ろは博多港ですので、


そこにいるようです。


…しかし、昼間までいなかったのに???


と思いつつ、ともかく博多港ターミナルに走りました


講演中、閣下が後半、


「護衛艦」を連発されるものだから、


すっごい見たかったんですよね(笑)


そしたら、真裏にいた、と。


自衛隊の女神様、いつもありがとうございます


あの位置からマストが見えたという事は、


結構大きめの艦…輸送艦か


しかし、博多港ターミナルの港についているのがわかったのはいいのですが、


飛行機と同じで、


乗客でなければ中に入れません。


係員に尋ねると、


3回の展望テラスでないと見ることはできないようでした。


仕方なく、そちらに向かったのですが、


存外、これはアタリでした


何故なら…






甲板とほぼ同じ高さだったから(笑)


ん~ナイスビューポイント


はい、というわけで、輸送艦しもきたでした


しもきたさん、この前は佐世保でもお会いしましたよね







…と、思って見ていると、


もう、舷門でラッタルの収納準備が始まりました。


えっ????もう????


到着してそんなに時間たっていない様子なのに。


2時間もいなかったと思うので、


本当に、なんかの作業のためだけに立ち寄った、


タッチ&ゴーだった模様。


そんなわけで、直ちに出港作業が始まりました。







お馴染の出港風景、舫い作業です。



下で待っているのは、こういう時、舫いを外すお手伝いをするための、


地本の方がたです。


…一度でいいから、お手伝いをしてみたい…


いつも、そう思いながら見ている作業です(笑)






すると、息せき切って現れたおじさんが、いきなり、


「ちょっとすみませ~~~~ん教えてほしいんですけど~

 この船(←おじさんの中ではこっちの字だったはず)の名前~」


と私の隣で叫んだ。


一見、近そうに見えるけど、声は絶対に届いていないとわかったので、


「輸送艦しもきたです」


と、しもきたの皆様に代わって答えました(笑)


「えっ???なに???」


おじさん、ちょっと耳が遠いご様子。


「輸送艦しもきた、です」(←大きな声ではっきりと)


「あ、そう。…くわしいね!

 じゃあ、もうひとつ聞いていい?」


「はい、どうぞ」


「これ、輸送艦って、なんでここ平らなの???」


「あ~、輸送艦だから平らなんですよ。

 その方が輸送効率がいいので。

 陸上自衛隊の車両なんかを運ぶ時によくつかわれます」


「えっ?じゃあ、上だけ???この中には何も載せないの?」


「いえ、中にも載せます。車両とか戦車とか。

 ただし、後ろ半分はLCACという水陸両用ホバークラフトを2隻載せています」


「へぇ~~~~。じゃあ、あの扉はなんなの?」


あの扉↓↓↓↓この日はもちろん閉まってます。(写真は昨年の佐世保のです)



「あ~、あそこから車両を積み込むんです」


「あ、あそこから~。なるほどね~。

 じゃあ、この船、武器とかはないの?」


「あれ(CIWS)だけです。大砲とかあると邪魔じゃないですか」


「たしかにね~。いや~、ありがとう


そうして、しばらくそのまま出港作業を眺めていると、


出航ラッパが鳴り、出港用意が聞こえました。


艦がゆっくりと動き出します。





この瞬間、たまらなく好きです






すると、さっきのおじさんが、


「この船、なんで真横に動くの????」


「タグボートが後ろから引っ張っているからです。

 後で見えると思いますよ、タグボート」


「あ~、あれ???あ、見えた!!」





       ↑↓タグボート




入出航作業における、タグボートの様子は、


さながら、姫君のエスコート(に、私には見える)です。


ここでおじさん、


「いや~、ありがとう!」


と言って、去っていきました。


これを機に、おじさんが自衛隊に興味を持ってくれて、


応援してくれるようになってくれるといいなぁ…と、


なんちゃって広報幕僚は願うのでした(笑)











大分、離れました。


…ラジオでも言ったのですが、


昨年、練習艦隊がガタルカナルに立ち寄った時、


137柱の英霊の御遺骨を、


遺骨収集ボランティアから受け取り、


日本に帰国させてくれたことがありました。


この時、かしまの艦長は実習幹部たちに、


出港の際、出港の美学について語られたのだそうです。


こういう「出港の美学」というような世界観に弱い私は、


萌え萌えしながらその記事を読んだわけですが、


かしまが、ガタルカナルを出港する時も、


そういう美しく見える出港を演出されていたようです。


ある海自OBの元艦長さんにお会いした時にも、


「出港の美学というものがあると聞いたのですが、

 やっぱり、そういうものなのですか?」


と尋ねたところ、


「そういうもの、じゃなくて、そうあらねばならないんだよ」


ときっぱりと仰ったのを聞いて、


惚れぼれしてしまったことがありました(笑)


いや~~~カッコイイ


…ということで、


ただでさえ出港大好きなのに、ますます好きになってしまった私でした


その出港の美学に思いを馳せながら、


しもきたをお見送り…ちょっとした至福の時間でした。













横須賀散策  おまけ

2015年01月29日 | 海上自衛隊
馬門山を後にして、


いろいろご案内して頂いた、


チャンネルNipponの方と、駅でお別れしました。


いろんなお話を聞かせていただけて、


すごく楽しかったです


ありがとうございました






さて…。



せっかく横須賀まで足を伸ばしたので、


やっぱりしばらくここで、この風景を心ゆくまで楽しみたい…



ひゅうがの奥にいるのは、


たしか、101だったと思うので、むらさめです。


しかも、あと1時間ほどで、


自衛艦旗納めです


なので、しばらくベンチに座ってぼ~っと眺めていました。


…この場所でなければ、こんな寒い中外で1時間以上過す気にはとてもならないのですが、


ここなら平気です(笑)


むしろ、幸せ


そう思っていると…



潜水艦が入港してきたではありませんか


や~~~ん、もう、なんてラッキーなの


おやしお型ですね。



くるっと、方向を変えます。



タグボートのエスコート



タグボートの、よいしょっ、よいっしょっ、って感じが、なんともカワイイのだ~



奥にも、もう一隻、おやしお型潜水艦がいますね。


あぁ…なんて幸せな光景


潜水艦上にも、入港作業する乗員さんがいます。


…さすがの横須賀でも、


潜水艦の入港は珍しいのか、


道行く地元住民たちも、足を止めて見ていました。


…けど、私、二度ほど潜水艦の出港に出くわしたことがあるのですが、


入港は初めてでした。


いや~、この日横須賀に来てほんっとによかった


日没までの時間が、


思わぬ至福のひと時に変わりました。


…ん?と、いう事は…?


おお潜水艦の自衛艦旗納めが見られるではないか~~~~


なんてなんてラッキーなの


たぶん、こんなにニヤニヤしてヴェルニー公園にいた人間って、私だけだったと思う(笑)


もうわくわくして日没を待っていると…



国旗の前に整列しているのが見えました。


ひゅうがの艦上でも、国旗の前に1人いるのが見えました。


…以下、自分の心のシャッターに切り替えてしまったので、


写真がありませんのでご了承ください(笑)


なぜかといいますと、


自衛艦納めの時に、


あんまりシャッターを切る、


などの動作をしたくなかったからです。(←かしまで撮影済だし


…先月、某総監部(4択)にお邪魔して


ある自衛官といろいろお話していた時、


日没のラッパの音が聞こえました。


すると…


「あ、ちょっと待ってください」


と、その方は言って、そのまま静止。


…つられて、私もそのまま静止。


終わると、


「…それでですね、…」


と普通に会話の続きが始まったことに、


そうなることを知識として分かってはいても、


実際に、その様子を目の当たりにすると、


やっぱりちょっと軽い驚きを感じます。


その事を思い出しながら、艦上をみつめていると、


ラッパが鳴り響きました。


この時間が、何とも大好きです


特に基地では、一斉に各艦上からラッパの音が響くので、


不思議な協奏曲となって、海に響き渡る中で、


自衛艦旗がゆっくりと降ろされ、


丁寧に納められる、それまでの一連の流れが、


実に美しい儀式に感じられます。


…特別大きなイベントがあったわけでもないのですが、


この日の横須賀での1日は、


本当に充実した1日でした




横須賀散策  後編

2015年01月28日 | 海上自衛隊

こんなに後編を書くのが遅くなる予定ではなかったのですが、


お待たせしてしまい、申しわけございません…(←最近こんなのばっか





さて、引き続きチャンネルNipponの方と


ヴェルニ―公園を抜けて、三笠記念公園に行き、


それから、


京浜急行に乗って次の目的地に行きました。


駅を降り、しばらく歩いてたどり着いたその先は…


馬門山。


…そう、知る人ぞ知る(になるのかな?)海軍墓地です。





海軍墓地は、呉、佐世保にもありますが、


この2か所と比べると、


馬門山が規模が一番小さい、ということが、ちょっと意外でした。



ちなみに、海軍墓地とは、


1枚目の写真にある立て札にもある通り、


戦死者や殉職者を埋葬するための墓地です…


…が、ここ馬門山は、書いてある通り一般市民も埋葬されています。


この立て札があるところから、


なかなかの傾斜になっている坂道を登っていくと、


途中で、工事作業中の若者が二人いたのですが、


この二人が、


「こんにちは~」


と気持ちの良い挨拶をしてくれたので、


我々は、


「今時珍しい、感心な人たちだ」


と互いに言いあい、なんだか清々しい気持ちになって、


急傾斜の坂を登ることができました


道すがら知らない人と挨拶を交わす、って


結構大事な習慣だと思んですよね、私は。




さて、


登り終えると…





なんだか、学校の校門みたい。


奥に行くと、


だだっ広い広場という感じです。



中央奥にうっすらと、段差があるのは見えますか?


ここで毎年慰霊祭が行われます。


そう、ここでは、慰霊「祭」とちゃんと言う…というか、


言っていいのだそうですね。(理由は忘れましたが…)


えっ?と思ったアナタに少し説明しますと、


海上自衛隊が行う洋上慰霊式は「祭」ではなく「式」


と言わねばならぬのですよ。


なぜなら、政教分離がど~たらと、小うるさい輩がおりますのでね。


まぁ、そういう事です。


で、


周辺に各墓地がある感じでした(←うまく表現できない…)




こちらは、入口近くに建つ礼拝堂…なのだそうです。


見た目的には礼拝「碑」って感じですけども…


昭和7年8月に海軍が参拝者の一括礼拝に便利なように建設したものらしく、


正しくは「拝靈堂」というのだそうです。


高さ約250㎝、幅180㎝、奥行135㎝のコンクリート製の舟型のお堂…


…だから、こういう形なんですね。


正面の子扉内には「馬門山旧海軍墓地合祀者靈位」と書かれたお位牌が安置してあるようです。


海軍ならではの、簡素かつ洗練された、モダンなデザインですね。


そして、





整然と並んだ戦死者のお墓…明治20年代のお墓が多いようです。


日清戦争の英霊かと思われます。




こちらは、



上海事変戦死者之碑。


昭和7年、満州事変の後、抗日運動が激化した上海で、


日本托鉢僧襲撃事件が起こりました。


これがきっかけで、日本海軍は陸戦隊を出動させ中国軍と衝突しことを、


上海事変といいます。


この戦闘で戦死した59柱の英霊を慰霊するために、


昭和8年1月に馬門山墓地に建立されたのが、この碑です。









軍艦河内殉難者之碑。


軍艦河内は、明治45年、横須賀海軍工廠で建造された、


排水量20800トンの日本初のド級戦艦です。(←「超ド級」の語源)


河内は、大正7年7月12日、山口県徳山沖で火薬庫の爆発によりに沈没しました…。


軍艦筑波爆沈の翌年でもあり、乗組員1059人の内、死者621人という大惨事で、


碑は、翌大正8年2月に建立されました。


揮毫の正木義太とは、爆沈当時の河内艦長のことです。


台座の周囲には殉難者のうち行方不明者の階級・氏名が刻まれていて、


多くの遺体が流れ着いた、徳山湾の仙島にも慰霊碑が建てられているのだそうです。


ちょっと、戦艦陸奥を彷彿とさせる事故です…。







特務艦関東殉職者碑。


特務艦関東は、日露戦争で拿捕したロシア艦艇です。


大正13年12月9日、舞鶴に向け兵員物資を輸送するため呉軍港を出港したものの、


12月12日、暴風雨のため、福井県糠浦海岸の二ッ栗岩に激突し、座礁、沈没しました。


殉職者は96名または97名と言われていて、この碑には68柱が合祀されています。


この、1人増えているのは何なのかはすみません、分かりません。






軍艦築波殉難者之碑。


大正6年1月14日に横須賀軍港内の箱崎付近で沈没した、


軍艦筑波の殉難者152柱を供養する碑です。


死者数は72人、73人、305人といくつか説があるようです。


筑波は明治38年呉海軍工廠で完成した巡洋戦艦で、


排水量13,750トン(日本初の1万トン級)の大型艦でしたが…


…こちらも、火薬庫の爆発が原因で沈没しました…。


なんか、こういう事故が多いのは一体ナゼ???









側に錨があるのは、北京籠城軍艦愛宕戦死者之碑。


明治34年5月に小屋の台の忠魂祠堂の境内に建立された後、


大正大震災により堂宇が破損したため、


昭和7年8月に馬門山墓地に移されたものでだそうです。


碑前面には伊藤祐享大将による題額と、


愛宕艦長竹内平太郎中佐の撰并書による碑文が刻まれています。


明治33年の北清事変の際、北京の公使館区域の籠城戦に軍艦愛宕の陸戦隊が参加、


死者5名、重軽傷者多数を出したが奮戦し、帝國海軍の栄光を高めました。


…戦艦愛宕と、北京籠城が全く結びつかなかったのですが、


なるほど、陸戦隊のことかと、調べて納得。


そして、碑の前面左右には砲弾があったようですが、


写真撮り忘れた私…。






規模が小さいながら、


帝国海軍の様々な悲劇に思いをはせ、


様々な犠牲の上に、今日の平和が成り立っていることを感じることが充分にできます。


こういう海軍墓地は、馬門山に限らず、


戦後は放置され荒れ果てた時期もあったようなのですが、


現在は、遺族や元海軍人だった方など有志によって、


整備され清掃され、慰霊祭が続けられるようになりました。


こういう活動を続けてこられた方たちは、


当然ながらご高齢者がほとんどです。


ですので、我々世代がこのような志を受けついで、


後世に繋いでいく必要があると思います。


ちなみに、


護衛艦いせは、昨年の戦艦伊勢の洋上慰霊式の翌日、


藤原艦長以下乗員一同で、


呉の海軍墓地にある、


戦艦伊勢之碑の清掃活動を行いました。


…私が海上自衛隊を大好きな所以です。


今年は戦後70年。


今年の私は、どうやら自衛隊のイベント参加だけでなく、


英霊への慰霊顕彰という活動が増えそうです…。







横須賀散策  前編

2015年01月23日 | 日記
先日上京した時に、あるご縁のおかげで、


チャンネルNipponの方とお会いしました。


この「チャンネルNippon」は、


自衛官OBの方たちによって運営され、


国防に関する、様々な情報を発信されているWEBサイトです。


お会いした時に、


実は、私は横須賀は、ほぼ基地内しか行ったことがないことを話すと、


案内して頂けるということで、ご厚意に甘えさせていただきました








JR横須賀駅で待ち合わせして、


ヴェルニ―公園を歩きまます。


…すると、



おお~ひゅうががいました


このブログでは何回も取り上げている通り、


いせは、何度も乗艦させていただいていますが、


ひゅうがには、お初にお目にかかりました


「私、いせは何度も乗っているのですが、ひゅうがは見たの初めてです


と、興奮気味に言うと


「見た目は同じでしょ?艦番号が1か2の違いだけで(笑)」(←よく言われる)


とごくごく当たり前のことを言われます(笑)


…なんですが、私にとっては、


恋人と赤の他人ってくらいの違いがあるんです


この時は、ほんっとに初めまして~~


ってかんじでした。


それにしても、


ここのロケーションは、海自ファンにはたまりませんね


JR横須賀駅なんて、ホームからあんなに間近で護衛艦が拝めるのですから、


もう、駅に降り立った瞬間からテンションがダダ上がりです(笑)


うふ幸せ~


さて、


ヴェルニー公園を歩き、


こちらに案内して頂きました



海軍碑です。


「ヴェルニ―公園について」というWebサイトの中で、


この海軍碑について、以下のような説明文がありました。


浦賀に黒船が現れ鎖国の夢が破られた幕府は、横須賀に製鉄所を建設し、

近代海軍の創設を企画しました。明治維新により明治政府が樹立され、

政府は我が国の近代化に着手しました。

特に海軍の整備が重要視され、日清・日露両戦役を経て次第に整備充実され、

世界三大海軍国のひとつとしてその地位を占めるに至りました。

近代海軍の創設及び成長という歴史の流れの中において、

横須賀はその最枢要基地として我が国屈指の軍港都市となり発展を遂げましたが、

昭和20年の太平洋戦争終結と共に海軍は80年の歴史を閉じました。

(建立趣意より抜粋)




…う~~ん、なんだか、ぺらっぺら(笑)


「鎖国の夢が破れた」ってなんだ???(笑)


なんかこう、もうちょっと書きようがなかったのかなぁ…。


「太平洋戦争」という記述にもツッコミを入れたいところではありますが、


「海軍は80年の歴史を閉じました。」


の後に、


「その伝統は海上自衛隊に受け継がれています。」


くらい書いてほしいと、私は思うのですが。


ちなみに、この碑の右後ろに、


「建立趣意」


があるのですが、その中に、ちょっと気になる一文も…。


「我が国の永遠の平和を希求するため」


…もちろん、平和が悪いわけではないのですが、


この碑は、帝国海軍を偲ぶものでしょう?


海軍があったから、横須賀が発展したのでしょう?


そのことを後世に伝えるものですよね?


なのに、なんでわざわざこういう、


「憲法9条」を臭わせるような一文を盛り込ませる必要があるか、


と、ちょっと気になりました。


…これに関しては、言いだすと長くなりそうなのでこの辺にしておきます。






このあたりは、


このように、海軍に関する碑がいくつかあります。




戦艦山城の碑です。


老朽艦ながら、かのレイテ沖海戦に投入され、


無残な最期を遂げた艦です…。


戦死者1400名…もう、言葉になりません。



そして…長門。


私、この長門の最期について、


一緒にセイルタワーを見学していた、ある海自さんから初めて聞いた時、


すごく悔しい、やるせない思いでいっぱいになりました。


ご存じの方も多いことと思いますが、


長門は、戦後米軍に接収され、核実験の標的にされています。


感情的には、どうにも納得しかねるのですが、


しかし、技術的データを取得する貴重な機会だと捉えるなら、


仕方のないことなのだ思うしかないのでしょうね…。


悲しいですが。


ちなみに、実験後4日間沈まなかったそうです。



「国威発揚の碑」


軍艦の艦橋をかたどった碑です。


…が、碑分がはがされています…。


誰がこんなことをしたのかは分からないようですが、


こういう事を平気でする人って、


靖国神社に放火したり、池に放尿した輩と同じ精神構造なのでしょうね。



そして、正岡子規の和歌。


彼は、坂の上の雲を見たかどうかで、


インパクトが、かなり変わる人なのではないかと思うのですが…。


正直、私はもともと、彼の和歌にも彼自身にもさほど興味はなかったのですが、


彼の生き方は、少しだけ共感を覚えるところがありました。


様々なことに興味を持って、熱意を傾けるものが変わっていき、


やや軽薄に見えながらも、


最期には、その命を注ぎ込む対象をみつけ、打ち込んだところに…。









次にどぶ板通りを抜けて、


三笠公園に向かいました。







以外に思われるかもしれませんが、


ここを訪れるのは初めてです。


歩いていると、海軍関係の場所ですから当然…



こんなところにも、錨があります。


私はこれだけでも、ニヤニヤしてしまうのですが、


この時に、チャンネルNipponの方が、


「錨に錨鎖が絡まっているのはなぜだか知ってる?」


と尋ねられました。


「そういえば、私、ずっとそれが疑問でした。
 
 必ず鎖が絡まっている絵なので、なぜだろう?って…」


「錨に鎖が絡まるというのは、「絡み錨」といって、

 出航する時に、錨を収容できず、極めてみっともないんだよ。

 なので、船乗りにとって絶対あってはならないことで、

 そうしてはならない、という戒めのためなんだよ」


と教えてくださいました。


そうだったんだ


なので、海上自衛隊の桜と錨も…



はい、絡まっています。


…が、


私が聞いたところによると、


実は民主党政権時代に、このマークが変えられたらしく、



…錨鎖がなくなっています


そもそも、変える必要なんかないものを、


わざわざデザイン料を払って、


変える必要性ってなんでしょうかね???


妙に現代ナイズされた感じのデザインなのも、


個人的にはあまり好きではないのですが…。


ちゃんと意味があって描かれていた錨鎖、


そういう謂れがあるのものは、残していてほしいなぁと思う次第です。








そして、戦艦三笠。



この日は、乗艦はしませんでした。


言うまでもなく、


日露戦争において、日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破った、


連合艦隊司令東郷平八郎が乗艦していた旗艦です。


この頃の日本にはまだ、造船技術がなかったんですよね…。


いや、薩摩型が作られていましたが、


日露戦争には間に合いませんでした。


なので、就役した時には…というか生まれながらにして


すでに旧態化していたという…せつない


そう思うと、これからわずか20年後くらいには、


世界最大の戦艦を作っちゃうのだから、


この頃の日本人の熱意と向上心って本当にすごいなと思います。






そして、もちろんこの方、



言うまでもなく、


東郷平八郎元帥です。


どうでもいいのですが、


この方、私が思うに帝国海軍随一の男前だと思います(笑)



ほらっ


お歳を召されてからも、




渋くてすてき~


ショーン・コネリーみたい


ドラマ坂の上の雲は、


そこそこ本人に似た人で、かつ、本人よりも2~3割増しのいい男を


起用してあったように感じるのですが、


東郷平八郎に限っては、演じた渡哲也よりも、だんぜん本人の方が男前です


声は、渡徹也の方がずっと渋くてステキですけどね。


…そう、この方、声が極めて残念なのです


本当にどうでもいい話で、すみません


と、いうことで、


三笠公園を後にして、


馬門山へと向かいました。


…続く。











現代の空の神兵たち

2015年01月21日 | 陸上自衛隊

…もうこのタイトルでお分かりの通り、


ようやくこの記事を書くことができました。


先日、初の「降下初め」に行ってきたのです~


事前に、なんどか降下初めを見に行った方から、


朝早く行っても、いい場所を取るのが困難だったり、


正門からかなり遠かったり、


立ちっぱなしで見ないといけなかったりというお話を伺っていた上に、


知人の元空挺(しかもFF)さんも、


残念ながらこの日は別件があって案内できなくてごめんね~と仰ってたので、


ヘタレな私はさっさと早起きをあきらめて、開始直後くらいに悠々と到着した私(笑)


…なのだけど、


突如として連絡があり、案内して頂けることになったのでした


わ~~~~い


それで、急いで合流地点を目指していたのだけど、


事前に聞いていたイメージ以上に、


正門から現場まで遠かった…


なんか途中に、自動車学校とかあったしね(笑)





広い~~。


ここで、大きな車両の運転免許を取得するのだろうな、ということは分かります。


駐屯地内にあるんですね。


あと、途中に、航空自衛隊の分屯地もありました。


広いはずだわ。






とにかく必死で歩いていると、


「今どこ?」


と電話が入ります。


「今、何何が見えてまして~、あ、ヘリが飛んでます~」


「今、飛び降りたでしょ?」


「あっ降りました


そんなやり取りをしながら、まだ歩いて、


ようやく出会えました。


よかった~~~。


もう、人がかなりいるので、


正直いい場所で見るとか、そんな期待は露ほどもしていなかったのですが、


とりあえず、ついて言って奥へ奥へと進みますと、


多くの人が見学している高台(ここの最前列が最もいい場所)と


高台の隙間に存外いい場所がありましたので、


そこで見ることに。(座れるし)



↑↑↑こんなかんじのとこ。







さて、そうしていると、


どんどん航空機がやってきて、


次から次に、空挺団が空から舞い降りてきます



ヘリの先っぽの白い点、見えますか?


この、点に見えるくらい高いところから飛びおりる空挺部隊は、


陸上自衛隊が誇る最精鋭部隊の空挺団の中でも


選りすぐりの精鋭部隊である、自由降下(フリー・フォール)の方たちです


で、


さきほどもチラッ、と書きましたが、


この日、一緒にいてくれた自衛官さんも、


元自由降下の方なのです~



見よこの空挺徽章の中にあるFFの文字


そんなわけで、


いろいろ教えて頂けたので、ありがたかったです


さっきの、白い点が…





こんな感じでたくさん降りてきます。


そして、






こちらが通常の空挺部隊です。


パラシュートが丸いですね。


この降下の様子を見ていたおばさま方、口々に


「きのこみた~い」


「くらげみた~い」


と、ひねりも何もない見たままの感想を述べておいででした。


まぁ、確かにそう見えるよ、うん。


…なんだけども、


空の神兵に向かって、きのこやくらげとはなんたるモノ言いか


と、思わずにはいられない


仕方ないけど~~~~~でもでも~、


なんか、こう、もうちょっとね…敬意というものをね…


…払ってもいいんじゃないかと思ったりするのですけどもね…。


そんなことを思っていると、


次から次に…






一度に、20人飛んでました。


実は、昨年末に、空挺の方と会ってお話をした時に、


降下初めに行くことを話すと、


「実は、パラシュートが新しくなったので、

 今までよりも一度にたくさんの人が一度に飛べるようになったんですよ


と、すっごく嬉しそうに話してくれていたので、


楽しみにしていましたが、それがコチラですね。


せっかくなので、質問。


「パラシュートが新しくなったって聞いたんですけど…」


「そうそう。前のは、ぶつかるとパラシュートがしぼんじゃって、

 次に開くまで時間がかかって危険だったから、

 一度にあまりたくさん人が飛べなかったんだよ」


「そういうことなんですね。じゃあ、新しいのだと…」


「ぶつかってもしぼまないから、大丈夫」


「新しいのは日本製なんですか?」


「そうだよ」


で、もちろん、以前のは海外製。


ビバMade in Japan


そんな話をしている間も、


ほんとうに、これでもかこれでもか、ってくらい、


次々に飛んでくれます。







ジブリの作品で、よくこんなシーンを見る気がするなぁ…(笑)


ちなみに、


空挺っていうと、自衛隊の知識がほぼないと、


「え?空挺って航空自衛隊じゃないの???」


という、ものすごい勘違いをされている方が存外多く見受けられます。


びっくりしますが、


まぁ、パラシュートから降りるイメージとか、


単純に「空」という字がついているからとか、


そういう感じで、


勘違いをされている方が少なくないようです(笑)


まぁ、航空自衛隊の最精鋭部隊であるメディックは、


空挺と同じこともやるようですが、


あくまでそういうことも、やる、というだけで、


それが主たる任務ではありません。


そんな理由で、空挺の方とメディックの方って仲が良かったりもするようです。


訓練を一緒にしたりもするようですのでね。


ちなみに、


世界各国の空挺団で、


競技大会みたいなことが行われているらしいのですが(←見てみたい


ちょっとした空挺オリンピック(?)的なかんじで、


競技方法は、


20センチくらい?の赤い円をめがけて飛んで、


一番その近くに着地できた人が勝ち、というものらしいです。


なんかすごく楽しそう


民間人が見学できるものかどうか分からないけど、


一度ちょっと見てみたいですね(笑)


…アメリカであるみたいですが。


ちなみに、優秀なのはヨーロッパの方々らしいです。







さて、そんな話を聞いているうちに、


展示演習が始まりました。


この展示演習こそ、


高台と高台の隙間に現れた車両しか見ることができないので、


撮影は言わずもがな苦労したわけです(笑)


あっと思ったら、もう、行っちゃうのでね


それでもがんばりました(笑)


展示演習は、必ずシナリオがあるわけですが、


当たり前というか、


昨今は総火演の後段もそうですけど、


もっぱら島嶼防衛が前提になっています。


そりゃそうですが。


今回も、もちろん島嶼防衛でしたが、


一度、敵軍(どこ?)の手に落ちた島を再奪取する、


という、なかなかマニア心をくすぐる設定でした、えぇ。


そしてその間流れていたBGMが


クリスタルキングの愛を取り戻せ(爆)


どなた様の趣味か知らんが、


気合とヤル気はもう充分に伝わってきたよ、うん(笑)


「ゆあっしょ~~~~っ


が響く中、自衛隊による再奪取作戦が始動します。


そして今回ももちろん、3自衛隊による統合作戦、ということで、


まず登場したのは、総火演同様、


海上自衛隊の哨戒機P-3Cです。



あたりまえですが、艦は本物が登場しません。


…ですが、アナウンスで


「…海上自衛の護衛艦はたかぜによる艦砲射撃で敵上陸部隊を攻撃します」


と流れた瞬間、この日この場にいた見学者の中で、


一番萌え萌えしたのが私だったって自信があります(笑)


数ある護衛艦の中で、名前だけの登場とはいえ、


なぜ、はたかぜなのか、というのは、


おそらく、


護衛艦の中でも「戦闘艦」としての役目が強いからではないのかなぁと思いました。


で、そのはたかぜの艦砲射撃によって奥へと撤退せざるを得なくなった、


敵部隊を制圧するために、陸戦部隊が投入されます。


まずは、もっとも危険が大きい最初に投入されるのが、


そう、空挺団の自由降下部隊です。



これはやはり、


高いところから飛ぶことで、パラシュートを開くまでの時間が長くなるので、


つまりは、敵に見つかる確率が低いから、ということですね。


当たり前ですが、パラシュートが開くと敵地上部隊から発見されやすいわけですから。


そしてその後に、空挺団が続きます。







おもしろかったのは、


ヘリがかなり近くを飛んでくれたので、


迫力が満点だったことです。







結構近いでしょ?


あとは、



リぺリング(っていうんですよね?)


そして、撮りそこねたのですが



ちらっと、斜面の陰に見える点、分かりますか??


これ、車両を吊り下げて運んでいるんです。


ちょっと間に合わなかった~


まぁ、こんな感じで、


なかなか写真が取れなかったのです…。


ちなみに、


陸海空の統合運用だったのですが、


今回、航空自衛隊から登場したのは、


戦闘機ではなく、


ペトリさんでした。




ペトリさん、どうやら、同じ敷地内の分屯地から御出勤された模様。


だけど、島嶼奪還でペトリさん(ペトリオット=PAC-3)って、


何ですかね…ちょっと設定に無理がある気がするのですけど、どうなんだろうか?


そういえば、国会議員で、


P3-CとPAC-3を間違った人いましたよね(笑)


まぁ、分からなくはないけども…ん~(笑)


話がそれました・・・。


あとは、ギリースーツ来た偵察部隊も出てきました。


さらに、みんなが、


「アレ何????」


と不思議がった、


カモフラした車両が、もさもさ動いていた様子とかかわいすぎた


ホントに盛りだくさんで、


私は、個人的には総火演よりも好きでした(←何度目?)


・・・という感じで、


早朝から来て、


いい場所を取るのをあきらめたことを、


後悔したものでした。


来年は、頑張って早起きするぞ~~~~~と、思った。


展示演習終わった後も、


ヘリやペトリさんなんかを展示してくれてまして、


食べ物の屋台も出ていたし、


いろいろ楽しかったです


終わったあと、


「あんな時間に来たわりに、いい場所で見られたね(笑)」


と陸自さんに言われた通り、


予想外に、いい場所で堪能させて頂きましたので、


すっごく楽しい時間を過ごさせて頂きました


これもひとえに、一緒にいていてくれて、


いろいろ教えてくださった陸自さんのおかげです


ありがとうございました


…来年は、必ず早起きして早めに来ます…(笑)