「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「ペルシャ湾の軍艦旗」

2015年06月09日 | 本の感想

自衛隊の海外派遣に関する議論で、国会は揺れておりますが、


そういう今だからこそ、ぜひとも読んでほしい一冊の本があります。


「ペルシャ湾の軍艦旗」





一度、FM番組内で取り上げましたが、


実は、ブログできちんと記事にしたいとずっと思っており、


今回、ようやく書くことができました。









この本は、自衛隊が初の海外派遣を行った、湾岸戦争後の機雷除去の任務にあたった、


海上自衛隊機雷掃海部隊の詳細なドキュメンタリーです。



1991年4月26日、部隊は出港の日を迎えた。派遣の大義名分は戦争ではなく、平穏な海を取り戻すための

平和目的―しかし、掃海の任務につくものからすれば、いささか違う。依然として恐るべき破壊力を持った

機雷と戦う掃海屋にとっては、戦場に赴くも同然であり、当然被害を想定しなければならなかった。
(本書裏表紙より)




久しぶりに、読んでよかったと思った本に出会いました。


この本は、今でも付き合いのある、中学生時代の社会科の先生から頂きました。


自衛隊に興味をもたれた先生は、自衛隊の事をもっと知りたいと思い、


この本を手に取られ、読み、


「自分がいかに自衛隊について知らないできたか」


ということに、改めて思いを致されたとのことで、


ぜひ、私に読んでほしいとのことで、手渡してくださったのです。










湾岸戦争において、日本は国際評価を著しく下げることになりました。


「お金出して、命を出さない」


と、諸外国から大きな非難を受けたのです。


また、中東に駐在していた企業は、戦争が始まるや否や、ただちに従業員を帰国させ、


日本人だけが中東からいなくなったのだそうです。


「日本は、憲法で戦争に加担しないと決まっているので、戦争に加わりません」


と、言ったところで、単に無責任で自分勝手だと思われるのは、当然です。


日本企業は、国家ごと大きく信用を失ないました。


かつてイラン・イラク戦争の時、自衛隊に代わって、ペルシャ湾を航行する日本のタンカーを、


米海軍やNATOの海軍が護衛してくれたのですが、


その時の彼らの心中は、実際に掃海部隊の海上自衛官に向けられました。


「自国のエネルギー源の70%を中東に依存している日本のタンカーを守るため、

 なぜ、アメリカやその他の国の若者が危険に身をさらさねばさならないのか」


腹に据えかねた、司令の落合一佐が


「日本人は130億ドル、国民一人当たり1万円払って国際貢献している」


と反論したところ、


「国民一人当たり1万円か。ニアリ―イコール100ドル。100ドル払えばペルシャ湾に来なくてすむのなら、

 今ここで100ドル払ってやるよ」


と切り返され、言葉に詰まる場面が出てきます。


また、現地に駐在していた企業の民間人は、


「なぜ日本の海軍はこないのか?」


とアラブ人から聞かれて、忸怩たる思いを抱えていたのですが、


初めて海上自衛隊の掃海艇と、艦尾にはためく「軍艦旗」を見た時の感激はいかばかりだったでしょう。


ここで書くまでもありませんが、自衛隊が自ら意志で、海外に行かなかったわけではないし、


海外のみならず、現在、小笠原などの離島に派遣できないのも、自衛隊が離島を見捨てたのではありません。


海外派遣であれ、国防であれ、充分に高い水準で任務を完遂する能力と意思を持っているにも拘らず、


あらゆる行動の制限の中で、手足を縛られたような状態で様々な任務についていらっしゃる現状を知ると、


中国を利するためのエセ平和主義論を声高に主張する、左野党に憤りを禁じ得ません。


そんな中でも、粛々と自分たちに与えられた任務を完遂され、


国際的に地に落ちた日本の信用を回復しただけでなく、世界で最も高い評価にまで上げてくれた自衛隊には、


感謝と尊敬の念しかありません。











その、国際貢献の第一歩が、このペルシャ湾における機雷除去なのです。


通常、掃海部隊は三隻で掃海作業を行いますが、数か月(終わりが未定)ということから、


長期に渡って作業可能なように4隻の編成で行われました。


「ひこしま」「ゆりしま」「あわしま」「さくしま」


掃海母艦「はやせ」補給艦「ときわ」が選ばれました。


小さな掃海艇でペルシャ湾には行って帰ってくるだけでも、相当困難なことです。


また、当時は、潜水艦「なだしお」事故の海難審判の一審が終わろうとしていた時だったので、


特に自衛隊に対する風当たりがひどく強かった時代でしたから、当時の広報官も相当な苦労をされていたようです。


…派遣部隊の人選が決まり、出港するまでの件は、平成の話とは思えない、


大東亜戦争時代の出兵と同じような緊迫感がありました。


なにをどう取り繕おうと、この派遣部隊は当事者にとっては「出兵」と何ら変わりがなかったことが分かります。


「二度と帰ってこれないかもしれない」


という思いを抱いていた方が、少なくなかったのです。


派遣の大義名分は戦争ではなく、平穏な海を取り戻すための平和目的

―しかし、掃海の任務につくものからすれば、いささか違う



その理由は、ミサイルはもう飛んでこないし、人間も銃を撃ってはこないという点で、戦争は終結しているが、


海中の「機雷は戦争を止めていない」ので、


掃海部隊にとっては、戦争は終わっていないので、戦地に赴くのと何ら変わりがなかったのです。


また、こんな話もありました。


灼熱の太陽の下、航海における最も過酷な任務は艦首見張りで、かつ、万が一触雷でもした場合、


最も命の危険がある配置なのだそうで、この勤務を、国内では当直に立つことのない先任海曹たちが、


進んで引き受けられたのだそうす。


「若い者は、我々より長く生きる権利がある。そんな彼らを先に死なせるわけにはいかない。

 だから、危険な艦首見張りは我々が引き受けよう」



帝国海軍魂が、平成の時代まで途絶えずに脈々と受け継がれていることを感じました。











ここで、海外派遣における自衛隊の武装について書きます。


海上自衛隊の元々の部隊編成プランでは、掃海艇は6隻、護衛艦を2隻つけるものだったそうですが、


「戦闘艦の派遣は不可という、国内の世論によって削られた」


のだそうです。


ほぼ丸腰と言ってもいい掃海艇の頼みの綱は、掃海母艦「はやせ」の3インチ砲のみとなりました。


「護衛艦がダメなら、せめて補給艦「ときわ」にヘリコプターを搭載してほしい」


と頼んでも、却下されたのだそうです。


理由はただ一つ、派遣部隊に軍事色が強すぎる印象を与えかねないという、決めて非論理的なものです。


無知で感情論だけの主張が、いかに自衛隊を危険にさらすものであるか、お分かり頂けると思います。


これよりあと、陸上自衛隊のPKO派遣が決まってからも、


「一人につき、銃を1丁だけ持たせるか」が、2丁まで持たせるかが議論になっていましたが、


甚だバカげた議論だと言わざるを得ません。


そして、こういうバカげた考えを持ちだしかねない内局の支配下に、


自衛隊を置かない事ことが、自衛隊を危険にさらさない手段を撮り得る最善の策だと考えます。


「私服組と制服組」を並列に置く意義は、まさしくここにあると考えます。


左に傾いた野党連中は、


「危険だから、派遣しなければいい」


という思考ですが、先も申し上げたように、国際社会から孤立するわけにはいかない以上、


もはや、自衛隊を派遣しない、という選択肢はないのですから、


危険な場所で、自分たちを、きちんと守れるための準備が不可欠です。


また、このペルシャ湾であれ、南スーダンやカンボジアであれ、


非武装地帯だからと、安全と言いきれる場所などないことは、まともな推察力を持っていれば分かることで、


だからこそ、必要な法整備をした上で、必要な武器を持たせて、送り出さねば危険なのではないでしょうか?


そう考えると、勘違いした平和主義で軽武装で危険な場所に赴かされることが、


どれほど危険なことか、想像するに難くないでしょう。


そもそも、海外の、正規軍であれ民兵であれ、民間人であれ、


「自衛隊は軍隊ではない」


と認識している外国人って、どれほどいるのでしょうか?


上記に挙げたように、諸外国から見たら、


海上自衛隊ではなく「日本海軍」という認識であり、そしてそれは、決して忌避されるものではないのです。


現地の新聞には「日本海軍来たる」という見出しが出て、港で、艦尾に翻る旭日旗を見た時に、


「これでやっと国際社会の仲間に入れた」


と、肩身の狭い思いをしていた現地日本人に勇気を与えたのです。


これが、国際社会の現実です。


イギリス人やインド人の友人も一緒になって、


「よかったな日本海軍が来るんだな


と喜んでくれたそうなので、国際社会における「日本の軍隊に対するアレルギー」とやらが、


いかに幻想で、それが特定アジアの日本を抑え込む戦略でしかないかということを、


いい加減、日本人は推して知るべきではないでしょうか。


結局、護衛に関しては、米海軍に頼ることになり、ヘリが必要な時も、


ヘリを搭載していないので米軍のヘリを借りるほかになく、それは、


「同じNavyの指揮官として、いささか落合一佐のプライドを損なうものであった」


ことは、「いささか」どころではないかと思います。


現在、集団的自衛権にかんする議論で、掃海部隊の派遣が挙げられていますが、


実際派遣されるようなことがある場合、よもや、このようなことはないだろうと思いたいものです。










この本を手に取った時、


海上自衛隊のことについて書いてあるにも関わらず、


「軍艦旗」


と書いてあることが疑問だったのですが、


帝国海軍時代と同じ旭日旗である自衛艦旗は、軍艦旗であるに違いなく、


海上自衛隊は、海外においては海軍と認識されるのは自然なことであろうと思います。


呼称がどうであれ、海上自衛官の中に、自分たちは帝国海軍の末裔なのだという誇りが受け継がれていること、


それが理屈抜きであることを、毎朝の自衛艦旗掲揚時に垣間見る思いです。











今回あまり触れませんでしたが、


ペルシャ湾で行われた機雷除去の様子は必見です。


「事実は小説より奇なり」


全てが事実であり、脚色が一切行われていない話であることに、驚くばかりです。


そしてこの本は、自衛隊の海外派遣の重要性を認識することができ、


海外派遣における法整備と武装の必要性について認識することができ、


日本の機雷掃海技術の高さを知ることがでる、素晴らしい一冊です。


自衛隊の問題に国内が揺れている今、ぜひ、読んでみられてはいかがでしょうか?






















歴史に触れて~前編~    「帝国海軍の航跡」

2015年01月03日 | 本の感想



以前、このブログで紹介させて頂いた、


帝国海軍と艦内神社


の著者、久野潤先生の新刊です。(といっても、昨年出版されていますが)






まず、ご覧くださいませ


帯がなんと、あの「永遠の0」の著者、


百田尚樹先生ではありませんか


曰く、


「戦争経験者の生き残りはまだ0ではありません!
 
 新進気鋭の著者渾身の力作で、改めてあの戦争の実態が明かされます」


と。


今回のこの「帝国海軍の航跡」


は、副題が「父祖たちの証言」


となっており、


あの物語のように、


実際の戦争経験者一人一人を、


著者である久野先生が訪ねられて、お話を直に伺った内容を、


あの大東亜戦争での主だった海戦を時系列にまとめてある、


まさに、リアル永遠の0ともいうべき名著となっています。





私が拝読して、感じたことは、


余計な感情が一切排除されており、


それが故に、非常にリアルに戦いの様子が伝わってきたということです。


語り手の言葉は、淡々とその状況だけを語ってあり、


とても客観的なのです。


なればこそ、


余計に胸に刺さってくるのです。


その戦いの様子と、その時艦上で戦っておられたご本人の想いとが…。






私は本は必ず最初から読みますが(大抵の方はそうだと思いますが)



今回は、


護衛艦いせによる戦艦伊勢の洋上慰霊式に行った後でもあることから、


かのレイテ沖海戦から読みはじめました。


ここはなんと言っても、


大東亜戦争の中で最も不可解なできごとといってもいい、


栗田艦隊の謎の反転があります。


私が以前、このブログで、


栗田中将に対してけっこうひどいことを書いたりもしましたけどね(笑)


その件については後編で書かせて頂きます。


ただ、この本を読んで興味深かったことは、


当の栗田艦隊の先陣を切っていた、軽巡「矢矧」の


元航海士の方のお話で、


「レイテが見えていたけど、突然の艦隊集合の命令を受けて、

 暗号通りに海図を入れると、集合地点がずっと北方で、

 私もみんなも『え~~っ?!』となりました」


という部分でした。


…たしかに、現場にいた人達からすると、


目標地点目前にして、


いきなりそんなこと言われたら


「え~~~っ?!」


となるしかないよね、と…。


しかも、


「行けば全滅だと分かっているから、何が何でも突入、という感じではないので、

 正直、ほっとしました」


というのは、本当に正直な感想だと思います。


対して、囮となった小沢艦隊の方からすると、もちろん


別の想いがあるわけですが、


それも、後編で書かせて頂きます。






ちなみに、このレイテ沖海戦のページでは、


「レイテ沖海戦からつながるフィリピンとの絆」


というタイトルの中で、


もちろん、一昨年のフィリピンレイテ沖での、


海上自衛隊の国際緊急援助活動についても


触れられています。


護衛艦いせ、輸送艦おおすみ、補給艦とわだが派遣されましたが、


以前、このブログでも触れましたが、


このような歴史の背景を知っていると、


国際緊急援助活動という中に、さらに


意義と意味を見出すことができ、


一層感慨深い想いになります。


戦艦伊勢の名を継いだ護衛艦いせが、


70年目にして、


仇敵と共に、フィリピン援助のために、


レイテに突入したのですから。


この章を久野先生はこう締めくくっていらっしゃいます。


 日本軍が、決死の戦いをもって守ろうとしたレイテ、そしてフィリピン。

 一度はアメリカ軍に奪回されたものの、終戦の翌年フィリピン共和国として

 独立が果たされた。

 戦争自体の是非を超え、フィリピンの防波堤として戦死した
 
 (今回の台風による犠牲者よりもはるかに多くの)陸海軍人について、

 そろそろ改めて思いを致すべき時期ではないだろうか。



私も、まったく同じ思いです。


今回、この新年にあたり、


この記事を上げた理由は、今年が終戦から70年という節目にあたるからです。


私のFMラジオの番組でも、昨年最後の放送から、


今年最初の放送にかけては、


歴史を問う内容を話しています。


また、


新年の天皇陛下のお言葉でも


「新しい年をみなさんとともに祝うことを、誠によろこばしく思います。

 本年が国民ひとりびとりにとり、少しでもよい年となるよう願っています。

 年頭に当たり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。

 多くの人々が亡くなった戦争でした。

 各戦場で亡くなった人々、広島・長崎の原爆・東京を始めとする各都市の爆撃などにより

 亡くなった人々の数は誠に多いものでした。

 この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,

 今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」



と仰っていました。


歴史認識を、もうそろそろ、日本人は変える時期でないですか?


もう少し、この時代に興味を持つべきではないですか?


教科書や、一般的なメディアが、


決して伝えない本当の歴史を、そろそろ学びませんか?


この本の著者久野先生の貴重な歴史勉強会を、


今年も開催してまいります。





平成27年最初の歴史サロンを、以下の日程で開催します


今回のテーマは、


日清戦争です


坂の上の雲のファンはもちろん必見ですよ


歴史の授業では、さらっと流すだけの日清戦争ですが、


この時代の日本人がどんな思いで戦ったのか、


それを知ることは日本人にとって、重要な事だと思います。




1月10日(土)

【場所】

渋谷シダックスビレッジクラブ 渋谷駅徒歩8分

渋谷区神南1-12-13渋谷シダックスビレッジ


【時間】

1915開場
1930お料理&飲み物
2015講演開始
2145質疑応答
2200~2330親睦会


【講師】

久野潤 大阪国際大学講師、歴史学者

【参加費】
一般6500円 (講演+飲み放題お食事込み)
学生3500円 (講演+飲み放題お食事込み)

※学生割引は20代前半のみ適応

☆参加希望の方は

1.お名前
2.学生の方は学生とお伝えください
3.1月誕生日か否か (バースデーケーキを御用意致します。)

お申込み先

info_yurukai_jsdf@yahoo.co.jp

峯まゆみ まで


歴史を楽しく、気楽に知るチャンスですよ~












「夢・大アジア」この書籍に、なんと・・・!!

2014年12月03日 | 本の感想


私、インタビュー受けました(笑)


今年、


産経新聞に取り上げて頂くわ、


TVのニュースに取り上げて頂くわ、


FMで番組つくっちゃうわ、


で、


なにかと、メディアづいていましたが、


今度は、な~~~んと、


本に載っちゃいました



じゃ~~~~ん



この中には、そう、


田母神閣下も執筆していらっしゃるのです~


その中に、



ほら、ちゃんと、私の名前がありますね?


この本は、


大東亜共栄圏じゃないけど、


「強い日本を創り、アジアの真の自由と独立を支援する!」


がテーマです。


このアジアに、あの国とあの国とあの国は入っていないことは自明の理であることは、


言うまでもないかと思いますが。


このブログでも、以前取り上げたことがありますが、


ウイグル問題などは、


日本人にとって、もはや対岸の火事ではないことを


知ってほしいです。


日本人が知るべき、アジアの問題がたくさんあります。


ぜひ、この機会に知って頂きたいです。





ちなみに、難しい話が多いので、


私は、箸休めとして呼んで頂いたわけです(笑)


もちろん、私が主催している自衛官との交流サロンについての


インタビューが、


6Pに渡って掲載されています


実はこのインタビューを受けた日は、


このブログでもレポートした、


じんつうの体験航海の後で、


ドロドロぐちゃぐちゃの、汗でほぼすっぴん状態という、


すっげぇぶっさいくな顔で、


写真を取られるという悲劇が起こりました…


まぁ、ありのままの私?みたいな?(笑)


そんな私が、


だいたい、このブログと変わらない口調で、


ガンガン飛ばしていますので、


大して、箸休めになってない感じですね~


書店でも売っていると思いますが、


あんまり見かけない可能性大(笑)なので、


御入用の方は、


こちらまで、お申込みくださいませ~


info_yurukai_jsdf@yahoo.co.jp
峯まゆみ


1冊1000円です(…わりといいお値段です…


送料はご負担をお願いいたします~(ノ_-。)


あ、ちなみに、発行人は私ではないので、


別にコレが売れたからって、


私にお金が入るわけではないので悪しからず~


ってことで、


ご興味がおありの方、お待ちしております( ´艸`)




「帝国海軍と艦内神社」

2014年06月25日 | 本の感想



最近読んだ本の御紹介を、久々に。


いかがですが、このタイトルからして、


思わず手が伸びずにはいられない感じ♪


実は、この著者の久野さんは、


日本各地で「れきべん」という歴史勉強会をされていらっしゃる歴史学者で、


あの、明治天皇の玄孫として有名な竹田恒泰氏の


竹田研究財団 理事でもある方です。


実は、実際によく知っている方なので、


先月お会いした時に購入しました♪


が、このタイトルなら、全然知らない人でも、


普通に書店に並んでいても、間違いなく買ったと思います(笑)







実は、海上自衛隊の護衛艦内には、必ず神棚があるのを知っていますか?


場所はまちまちのようですが、


あまり一般公開では立ち入れない場所であることが多く、


部外の方の目に触れることも少ないので、御存じの方は少ないと思います。


その神棚はもちろん、帝国海軍時代から、


その艦名と縁のある神社から、船霊(ふなだま)を頂き、


艦内神社をおいて、艦の守り神が祀られていました。


この本は、日本人にとっての神道というテーマから、


神々と国防の関係、そして、現在の海上自衛隊との関係について


極めて克明に記されています。


読み進めるたびに、久野さんがいかに、


どんな場所にでも丁寧に足を運んで詳細な取材をされたかが


よく分かります。


実は、最近、ある海上自衛隊のとてもエライ方(ヒミツ)にお会いした時、


この本を一冊贈呈させて頂いたのですが、


その方が、


「これは、ほんのさわりに目を通しただけでも、

 かなり深く調べないと分からないことまで書いてあることが分かりますね」


と仰っていました。


もはや希少となられた、大東亜戦争を戦い抜かれ、


生き残って来られた方々の貴重なお話の数々や、


神社に残され受け継がれてきた資料の数々についてのお話は、


海軍ファンにとっては、非常に興味深い一冊だと思います。






実は、私自身艦艇見学をする中で、常々気になっていたのが、


この艦内神社=護衛艦の中の神棚でした。


初めて知ったのは、昨年、


潜水艦内の見学をさせて頂いた時です。


見学前に偶然、艦内に神棚がある、という話を船員さんから聞いた私は、


荷物を一切持って入れないので、お賽銭だけを持って潜水艦内に入りました。


「神棚があると聞いたのですが、それはどこですか?」


と、近くにいらした船員さんに聞くと、


「ここですよ」


と示されたのは、本当に見落としそうな場所にある、狭い場所でした。


だけど、そんな場所にでも必ず神棚を置くという習慣に、


ちょっと感動しました。


「お参りしてもいいですか?」


と聞くと、その船員さんが


「ぜひ、お願いします。母港に無事に帰れるように…


と仰ったことがとても印象的でした。


その時に、いつだってこの方たちは、


帰ってくることが当たり前なのではなく、


もしかしたら、帰れなくなることもあるのかもしれない、


という不安の中で、でも懸命に任務を全うしながら、


日々、日本のために過酷な環境で国防に従事されているのだということを感じました。


心から、皆さんが御無事で母港に帰艦されることをお祈りしました。







その次に艦内神社を実際に見たのは、


護衛艦はるゆきに、2回目の乗艦をした時でした。


体験航海で、初めて乗艦した時には気がつかなったんですよね。


副長さんと船務長さんにご案内していて頂いた時、


ちょうど士官室の扉の左、


銃剣(慰霊式で使用する弔銃)が保管されていたところの上部に、


神棚があることを教えて頂きました。


「3月で廃艦になる時、神棚から魂を抜くのですが、

 はるゆきは、いろんな基地を転々としていたので、

 どこの神社から分祀していただいたか分からくなっていて…

 仕方ないので、佐世保の神社にお願いすることにしました」


と船務長さんが仰っていたことが、とても切なかったです。


そのあたり、船務長さんも無念に思っていらっしゃることが伝わってきました。


この本でも、旧軍艦のどの艦にどの神社から分祀していただいたかのかを、


とても詳細に調べてあります。


こういうお話を聞くと、とても困難な調査であった事は容易に想像できました。


神社側には必ず記録が残っているようですが、


逆にその神社を特定できないことには、無理なのです。


ですが、廃艦になるのだからどうでもよい、


というのではなく、


御霊を抜いてからということをきちんとしてから、というあたりに、


戦前から受け継がれる帝国海軍の伝統と、


古来から日本に付け継がれてきた、神様を祀り敬い感謝するという文化が


寄り添うように続けられてきたという事に、


安堵感を感じました。


このあたりに、海上自衛隊が洋上慰霊式を続けてきた、


理由の一端が垣間見えたような気もします。








それから、このブログでもなんども取り上げてきた


護衛艦いせですが、


この1年で、5回も乗艦させて頂いていたにも関わらず、


そして、かねがね気になってなっていたにも関わらず、


実は、いせの艦内神社を拝したのは、


5回目でようやく、でした。


科員食堂のすぐ側にお祀りしてあったので、なかなか機会がなかったのです。


実は、同じ日に著者の久野さんと竹田恒泰氏が、いせにいらしていました。


この日は、護衛艦いせの就航三周年記念の講演会があり、


竹田恒泰氏の講演が、呉基地内で行われたのです。


この本でも戦艦伊勢と護衛艦いせ、そして伊勢神宮がつなぐ、


戦前と戦後、帝国海軍と海上自衛隊についてもふれてあります。


この本で初めて知ったのですが、


帝国海軍の艦内神社には、


それぞれの艦名に由来した、縁のある神社から分祀されていたのですが、


もう1つ、必ず奉斎されていたのが、


伊勢神宮の内宮神楽殿で授与されたものなのだそうです。


どの艦にも必ず、とういうのが伊勢神宮がやはり特別である所以なのでしょう。


その伊勢神宮の名を艦名に頂く護衛艦いせは、護衛隊の旗艦でもあります。


また、護衛艦には艦名板が舷門に必ずありますが、


これもいせの場合は、伊勢神宮の鷹司大宮司による揮毫によるもので、


しかも、式年遷宮の際に出る元使用されていた欅に掘った物が舷門に掲げられています。



さらに、士官室にも揮毫が飾られています。




御存じの方もいらっしゃると思いますが、


伊勢神宮はその尊さゆえに、通常分霊を行いません。


江戸時代に一度だけ、熱烈な伊勢の信仰者だった鍋島藩の商人が


あの時代に、何度も何度も伊勢神宮に通ったことで、その熱い思いに感銘を受けた当時の宮司から、


特別に分霊を許されたというのが唯一です。

(つまり、日本唯一の伊勢神宮の分霊が行われた神社が佐賀市内にあるのです)


その伊勢神宮から、船霊として分霊を頂いたのが、護衛艦いせなのです。


このブログでも何度か取り上げた、


前艦長の梅崎一等海佐のお言葉も、本の中に掲載されていましたが、


「最も尊い御宮様に護られている」


という誇りを強く以って、艦長の任にあたられていらしたことが、とても強く伝わってきました。


その思いを持って、昨年末、あのフィリピンレイテ沖に災害派遣に行かれたのです。


私は以前、このブログで


護衛艦いせが昨年12月に災害派遣でフィリピンレイテ沖に向かったことについて触れましたが、


この本でももちろんそのことが触れてあり、


やはりこの一件は、海軍に思いを致す多くの人にとって、同じ境地に至る出来事であったのだなと感じました。










ただ、


このように書くと、現在の海上自衛隊がいかにも当たり前のように、


艦内神社があり、その神社との縁が深いように見えるかもしれませんが、


この本にも書いてあるように、


政教分離がどうのと小うるさい連中のせいで、


船霊を頂く、という伝統が危ぶまれているのが現状です。


海上自衛隊として、ではなく、


その艦の艦長が「個人として」神社に足を運び、


分霊して頂くという形を取ることで、どうにか続けられてきているのです。


そこまでして、この伝統が守られていることが喜ばしい半面、


このような素晴らしい伝統が、わざわざ形を変えねば続けることが困難という状況に、


悲しさと怒りを覚えます。


少し話がそれますが、


昨今の様々な劣悪な事件の数々や、子供たち、若者のマナーの悪さ、道徳心のなさは、


日本古来より、日本人に寄り添ってきた


神様への畏怖、というものが欠落してきたことが大きな原因でないかと考えます。


身近に子供たちと接していると、特に感じます。


仏様や神様に手を合わせる、敬う気持ちを持っている子供は、


礼儀正しく、思いやりがあるのです。


私は、新興宗教の類は個人的には好きではありませんが、


日本に昔から根付いている信仰が揺らぎ、失われつつあることに危機感を覚えます。


ましてや、政教分離といいながら、


海上自衛隊が艦内に神棚を祀ることは批判され、


日本有数の信者を誇る「あの」宗教が、政党まで抱えていることはスルーされる、


というのは、異常だと思います。


どちらがおかしいですか?


どちらがより、政教分離に反していますか?


子供でもわかることではないですか?


海上自衛隊は特定の宗教を信仰したいのではなく、


伝統にならい、艦を護り、日本の海を護り、国家を、国民の生命と財産を護りたいだけです。


なぜ、それが許されないのでしょうか?








来年、いせを上回る最大の護衛艦いずもが就航します。


私は当初、当たり前のように、出雲大社から分霊をされるものだと思っていましたが、


必ずしもそうではないというという事を聞き、驚きました。


対潜水戦の要といえる18から始まるDDHは、いずれも、ただの旧国名ではなく、


日本の歴史の始まりと深いかかわりのある神社が鎮座する国名です。


戦後60年以上、長い日本蔑視、自虐史観の中に、あらゆる美徳や功績までも葬り去られてきた中で、


今まで秘匿されてきた事実が広がりはじめるとともに、


若者や女性の間から愛国心が取り戻されつつあります。


そんな時期に誕生した、ひゅうが、いせ、いずもという艦は、


海上自衛隊にとっても、あらゆる意味で意義のある艦なのではないでしょうか。


集団的自衛権、憲法改正、日本にとって大きな転換期を迎えています。


我々、真の日本人は、国益を護ること、


歴史と伝統を大切にすることが、日本という国体を護ることになるだと思います。


このままでは、日本という国名だけが残り、


なりすまし日本人が跋扈する、歴史も文化も美徳も失われた


とても日本とは言えない国になってしまうのでないかという危惧があります。


私はこの国を、


そんな風にしたくない・・・。


ただ、それだけです。





日本人が神様を敬う心から、


歴史と国防を俯瞰することができ、考えることができる一冊だと思います。



















「約束の海」

2014年03月08日 | 本の感想
いつもコメントを下さる方から、ご紹介頂いて、


さっそく購入して読みました。


約束の海




「白い巨塔」や「不毛地帯」で有名な、山崎豊子の絶筆です。


今回は、実際に起こった、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」の事故をベースにしたお話でした。


偶然ですが、


おおすみの事故が記憶に新しい中でこの本を読むと、


潜水艦と輸送艦の違いこそあれ、


事故のことが非常にリアルに感じられます。


また、私自身、海上自衛隊に関する知識が、だいぶ増えてきたこともあり、


すんなりと読み進めることができました。






お話の流れは、けっこう淡々としていたのですが、


だからなのか、余計に現実味がありましたね。


潜水艦の生活や、任務が結構細かく書いてありました。


そのあたり、さすが山崎豊子だな~と。


潜水艦乗りの方と出会う前に、この本を読みたかったです。


以前、このブログでも書いた、ある潜水艦の艦長さん、


潜水艦の艦長を務めていらっしゃるので、スゴイ方だろうとは思っていましたが、


それよりも、知識のない身では、


「おもしろいおじさん」


としての印象の方が強かったので、


この本を読んだ後に、非常に非常に自分は失礼だったと深く反省した次第です…


話自体は、事故の事にスポットライトを当てているというよりは、


あくまで私の印象ですが、


潜水艦の任務やその意義を、その日々の行動を詳細に記すことで、


伝えてくれているように感じました。


最もわかりにくく知られていない、


潜水艦というものや、潜水艦に乗る人たちを少しでも知ることができる貴重な本ではないでしょうか。


それは、かの「沈黙の艦隊」などには描かれていない部分です。


あの作品を潜水艦のイメージの中枢に据えていらっしゃる方には、


違った意味で面白いと思います。


事故後は、予想通りといえばそうなのですが、


実際に、事故を起こした方々の心の叫びや苦悩が、読んでいて辛かったです。


先日のおおすみの事故でもそうなのだろうと思うと、余計に・・・。










潜水艦の船務士である主人公が、なんだか雰囲気はかっこよさそうな印象でしたね。


ちょっと不器用さはあるものの、生真面目でスマートな感じの、ザ☆海自士官という感じ


ちょっとしたラブロマンスもありなので、女性でも抵抗なく読めると思います。


個人的には、そのあたりの話は、わざとらしくて、あまり必要ない感じがしましたが(笑)


彼のお父様は、元帝国海軍で初めての捕虜になったという方。


この部分がもっと読み応えあっておもしろそうでしたので、


続きが一生出ることはないと思うと、非常に残念です。


この本は、本来三部構成だったのですが、


残念ながら、1部を書き終えた後に彼女はお亡くなりになってしまいました。


その、お父様についてのお話は2部で書かれる予定だったようです。


この本を書かれるために集められた、膨大な資料…


それを見るだけでも、見応えあって非常に面白かったのではないかと思いました。







しかし、この本は、


病床にあってなお、命を燃やしつつ、


その命が燃え尽きる直前まで執筆されていた本ということです。


そこまでして書きあげる想いとは、何なのだろうと思いました。


それは、私が、作中のどの部分よりも心を惹かれた、彼女の言葉…


本の帯に書いてあったこの言葉が全てだったのでしょう。


 戦争は絶対に反対ですが、だからといって、守るだけの力ももってはいけない、という考え方には同調できません。

 いろいろ勉強していくうちに、「戦争をしないための軍隊」

 という存在を追及してみたくなりました。

 尖閣列島の話にせよ、すぐにこうだ、と一等両断に出来る問題ではありません。

 そこを読者のみなさんと一緒に考えていきたいのです。

 戦争は私の中から消えることのないテーマです。戦争の時代に生きた私の、

 ”書かなければならない”

 という使命感が、私を突き動かすのです。



ここに集約されていると思います。


「戦争をしないための軍隊」という存在を追及してみたい言葉に、とてもシンパシーを覚えました。


そして、私が知る戦争体験者の方には、


「守るだけの力も持っていけない」


という考えに同調できないという方も、確かにいらっしゃいます。


間もなく、あれから3回目の3月11日を迎えます。


災害救助で大きな貢献をしてくださった自衛隊。


ですが、彼らの本来の任務は、災害救助ではなく、


国防なのだということを、再考してみる機会になるのではないでしょうか?