というわけで、表敬訪問を終えた理事が戻られ、
ブリーフィングが始まります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/70/c7f3d6174cd074e4205ff95d73ca4268.jpg)
パワポで広報官の方が、駐屯地について説明して下さいました。
桂駐屯地は、京都市内唯一の駐屯地で、
中部方面後方支援隊、関西補給所です。
以前お邪魔させて頂いた、佐賀県目達原駐屯地も補給所でしたので、
「あっ、目達原と同じですね?」
言うと、
「そうです、そうです」
と。
で、具体的な説明は、後ほどの駐屯地各所の説明と一緒にさせて頂きますね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
ブリーフィング終了後、
パーテーションで区切られた隣の部屋を見学させて頂きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/be/64fc8da3622638d5ecd43447ae7957a0.jpg)
以前、使用されていた看板です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ef/19a32ef5a60a09d91c536717775aa168.jpg)
そして、よく見かける陶器製の手榴弾。
ここのは、備前焼でした。
こうなると、手榴弾ももはや芸術品…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
ですが、ここで一番目を引き、興味をひかれるのは…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e9/2332c615bcb7daf04b82e63345dcebd7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/28/f3f2334b5c89ebecc54746f95920ba2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a1/35c8f2d6b3426aa5704ca41c9450fc41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/45/de4838d3d598606cd714518526f51f41.jpg)
はい、不発弾の数々です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
目達原もそうですが、ここ桂駐屯地にも、不発弾処理をする部隊があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/80c2259e84f439e756e3f671ed804239.jpg)
こちらは、処理後に贈られた感謝状。
新しいのはレプリカですが…戦争の爪痕を顕著に感じます。
まだまだ、ひっそりといろんなところに眠っているのでしょうね…
こういう危険な作業を、コツコツと黙々とする職人さん的な仕事をする方、結構好きです。
こういう不発弾処理って、米軍がやると非常に大雑把らしいですね(笑)
爆破処理の時、火薬の量もめちゃくちゃで、えらいことになるんだそうです(笑)
そして、これだけ見つかりました…的な地図がコチラ↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fb/933a4642bc790a56e9d2e81302d53f4b.jpg)
と、大阪市内で集中的に空襲があった場所を示した地図↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/923fb49a620838bb2662c0f6f804335f.jpg)
そして…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a1/3f66e171a23f61cd52aa94a49c65c338.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b7/ce901315b1f826c6886949df8f61e9c3.jpg)
米軍がばらまいた降伏勧告の文書です。
上部のは、以後の空襲予定地域の予告で、下が降伏勧告の文書。
これを読みながら、怒りが込み上げてきたのは言うまでもありません。
写真だと読みにくいのですが、ざっくり言うと、
「私たちは、無駄な殺戮をしたくない。だから早めに降伏しなさい」
ということが、しゃあしゃあと書いてあるわけです。
…東京大空襲の時、わざと逃げ道を火の壁でふさいで、非戦闘民を虐殺しておいて、
よくもまぁ、と思わずには居られませんでした。
「忘れてはならない東京大空襲」
これを、どこかの国のように、被害者主張ではなく、
事実ははっきりと国際的な場で、主張せねばならないと思います。
あの戦争で本当にひどい目にあったのは、一体どこの国民なのか?
事実がきちんと伝われば、ゆすり・たかりをする国もなくなるでしょう。
そして、どこよりも、そもそも、
この日本国内で、歴史の真実を伝えていかないといけません。
少しでも多くの人に、知ってもらわねばなりません。
先人たちの誇り高さと、教養の高さ、勇気、責任感、強さ…
今の日本から、急速に失われているあらゆるものを、それらを取り戻さねばなりません。
そんな思いを抱えながら、資料館を後にしました。
ブリーフィングが始まります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/70/c7f3d6174cd074e4205ff95d73ca4268.jpg)
パワポで広報官の方が、駐屯地について説明して下さいました。
桂駐屯地は、京都市内唯一の駐屯地で、
中部方面後方支援隊、関西補給所です。
以前お邪魔させて頂いた、佐賀県目達原駐屯地も補給所でしたので、
「あっ、目達原と同じですね?」
言うと、
「そうです、そうです」
と。
で、具体的な説明は、後ほどの駐屯地各所の説明と一緒にさせて頂きますね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
ブリーフィング終了後、
パーテーションで区切られた隣の部屋を見学させて頂きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/be/64fc8da3622638d5ecd43447ae7957a0.jpg)
以前、使用されていた看板です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/ef/19a32ef5a60a09d91c536717775aa168.jpg)
そして、よく見かける陶器製の手榴弾。
ここのは、備前焼でした。
こうなると、手榴弾ももはや芸術品…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
ですが、ここで一番目を引き、興味をひかれるのは…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e9/2332c615bcb7daf04b82e63345dcebd7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/28/f3f2334b5c89ebecc54746f95920ba2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a1/35c8f2d6b3426aa5704ca41c9450fc41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/45/de4838d3d598606cd714518526f51f41.jpg)
はい、不発弾の数々です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
目達原もそうですが、ここ桂駐屯地にも、不発弾処理をする部隊があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/80c2259e84f439e756e3f671ed804239.jpg)
こちらは、処理後に贈られた感謝状。
新しいのはレプリカですが…戦争の爪痕を顕著に感じます。
まだまだ、ひっそりといろんなところに眠っているのでしょうね…
こういう危険な作業を、コツコツと黙々とする職人さん的な仕事をする方、結構好きです。
こういう不発弾処理って、米軍がやると非常に大雑把らしいですね(笑)
爆破処理の時、火薬の量もめちゃくちゃで、えらいことになるんだそうです(笑)
そして、これだけ見つかりました…的な地図がコチラ↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/fb/933a4642bc790a56e9d2e81302d53f4b.jpg)
と、大阪市内で集中的に空襲があった場所を示した地図↓↓↓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/923fb49a620838bb2662c0f6f804335f.jpg)
そして…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a1/3f66e171a23f61cd52aa94a49c65c338.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b7/ce901315b1f826c6886949df8f61e9c3.jpg)
米軍がばらまいた降伏勧告の文書です。
上部のは、以後の空襲予定地域の予告で、下が降伏勧告の文書。
これを読みながら、怒りが込み上げてきたのは言うまでもありません。
写真だと読みにくいのですが、ざっくり言うと、
「私たちは、無駄な殺戮をしたくない。だから早めに降伏しなさい」
ということが、しゃあしゃあと書いてあるわけです。
…東京大空襲の時、わざと逃げ道を火の壁でふさいで、非戦闘民を虐殺しておいて、
よくもまぁ、と思わずには居られませんでした。
「忘れてはならない東京大空襲」
これを、どこかの国のように、被害者主張ではなく、
事実ははっきりと国際的な場で、主張せねばならないと思います。
あの戦争で本当にひどい目にあったのは、一体どこの国民なのか?
事実がきちんと伝われば、ゆすり・たかりをする国もなくなるでしょう。
そして、どこよりも、そもそも、
この日本国内で、歴史の真実を伝えていかないといけません。
少しでも多くの人に、知ってもらわねばなりません。
先人たちの誇り高さと、教養の高さ、勇気、責任感、強さ…
今の日本から、急速に失われているあらゆるものを、それらを取り戻さねばなりません。
そんな思いを抱えながら、資料館を後にしました。