「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

はるゆきくんの最後のお色直し

2013年11月29日 | 海上自衛隊
しばらく、ブログの更新ができず、申し訳ございませんでした。


先日、お友だちと、佐世保に「じんつう」の一般公開に行ってきました♪


・・・ってっ書く予定から、早一週間・・・本当にすみません






午後イチで倉島に行く前に、


腹ごしらえで、「ふくろう」という名前のカレー屋さん(というか居酒屋)


に行くことにしました。


元・くらまの給養員長(つまり料理長)さんがされてるお店


佐世保では結構有名な、海軍カレーのお店なんだそう


って、ことでもちろん、海軍カレーを頂きました♪





これは、ライスは国土(!)ルーは海、じゃがいもは(どこの?(笑))さやえんどうは護衛艦を表しているのだそうです。


かわいい~~~♪


ちなみに、こちら、サラダもついてなんと500円ですよ


いうまでもありませんが、めっちゃおいしいです


ガラムマサラがきいている感じなので、多少好みはあるかもですね~。


私は好きです





さて、腹ごしらえも済ませたところで、倉島へGO!


受付をすませて、岸壁に向かうと…





3隻並んでいるではないの~


手前から、いそゆきくん → はるゆきくん → じんつうくん(←今回の一般公開当番艦…小さいので見えません


こういう時、ラッキーって思うのよね。


だってさ、一般公開の艦が一番奥なのだから、


いそゆきとはるゆきを通っていくわけだから、3つの艦に乗れるなんてラッキーなのと。


ちなみに、はるゆきくんは、この日長い航海を終えて帰ってきたばかりだったので、


思わず、


「はるゆきくんおかえりぃ~~~」


と叫ぶ二人(笑)


うきうきでまず、いそゆきくんに乗り込んで、次いではるゆきくんを通過





これももう、見られないのですね…(涙)


そして、じんつうへ。


…なんだけども、甲板に向かっても、私たち二人ははるゆきくんが気になって仕方がない。


だってだって、となりのはるゆきくんでは、最後の塗装作業が行われているんだもの!!!!





その様子を、じんつうから眺める二人の女(笑)


はっきり言っておくが、別に塗装作業をしている自衛官に興味があるのではなく、


最後の塗装をしている、まさにその行為に興味と一抹の淋しさを抱えつつ眺めていたわけで、


だいぶ、変な女二人だと言える(笑)


まぁ、だいたい二人ともいせになんども乗っているし、護衛艦にも載っているわけだから、


別にじんつう自体に興味と目的を持ってきたわけじゃないんですよ(←ヒドイ


言うなれば、ただひとえに、艦上にいたい…そんな理由なのよね~。


そんなことを言うと、また、海上自衛官から


「どうして海自に入ってくれなかったんですか?!」とか言われそうだわぁ…(笑)(←よく言われるのよね)


いつまでも、塗装を眺めていても仕方がないので、


護衛艦訪問のお・や・く・そ・く


溺者くんの溺写メコーナーですよ(笑)


お友達が、


「じんつうはイケメン多いんですよ


というから、よし、それならイケメン捕まえて


「すみませ~ん、溺者ってどこにいますかぁ?


と聞こうと画策…したの…だがしかし


いかんせん、イケメンがいない


私「イケメン、いないじゃん…」(←なにしに来たん?)


友「いませんねぇ…」


私「こうなったら、せめて面白い人捕まえよう。つまんない人捕まえたら最悪だから」(←ほんとに何しに来たんだ?!)


とか言いながら歩いていると、


ん?????


私「あ、溺者いた


…ちっ…自力で見つけちゃったよ…





友「あ~、かんおけに入れられてますねぇ…」


うん。


お顔が見えない…。


っていうか、顔をあえて見せないようにしているあたり、


アヤシイ…(笑)絶対アヤシイ…。


さては、お客様にとても見せられないような代物だな?!と推察。(←推察じゃなく妄想だろ?)


まぁ、縛り方は普通だとお見受け。(←コラ!)


だって、


北海道の某海自ファンから投稿頂いた、みょうこうくんの溺写メ…


ちょっとそれは、みょうこうの品格が疑われかねない縛り方でした(笑)


これ(笑)↓↓↓↓


みょうこうくん・・・(笑)


なんのことか分からない、心が清い方は流してください…。


大爆笑したそこのあなたは、大人で無駄な知識があるのだということで(笑)


ってことで、ほら、溺者をみたら、その艦の品格がわかるでしょ?


ちなみに、この溺者くん、そもそもどんなお役目なのかというと、


名前のとおり、溺れた人に見立てた人形なので、


訓練では、海に落ちた彼をレスキューするのだけど、その際、


いい年した大人たちが、艦上から溺者くんに向かって、


「お~いがんばれ~もう少しだぁ~


とか声をかけるだそう。


訓練なので至って真面目なのですけど、傍から見ると(聞くと)とても面白い光景ですねぇ。


一度見てみたいけど、真面目な訓練なのに、一人でニヤニヤしそうだからなぁ。


・・・しかし、海自ファンのブログって多いけど、


溺者でここまで語るブログって他にあるんだろうか?







溺者の顔が見えないことに、不満たらたらで歩いていると、


今度は、11時方向上部に大量のほうきを発見




これでみなさん、毎日この甲板を掃除しているんだなぁ、と


しみじみします。


こんな写真ばかりとっていると、お友達が、


「みね姉さんって、ほんとに変なもの好きなんですねぇ」


と言った(笑)


うん、好き。


たぶん、艦の見学に来て、およそ無視されるようなものに反応する私。


あとは、これ・・・っていうか、ココ。





ココが何か、一目でわかったあなたは、かなりの護衛艦ツウですな。


ここは、通路のザラザラです。


以前紹介した、殺傷力すさまじい(笑)「艦艇見学守則」で出てきた、




この「砂のまいてあるところ」とは、ここのことです。


この時にも書きましたが、ここはデフォルトでザラザラになっているのではなく、


乗組員たち自らの手で、このようにザラザラの滑り止めをつくっているのです。


ですので、艦艇見学の際は、こうした見えない自衛官の努力も見ていただけるといいなぁと思います。






そうしてほどなく一周しそうな時、はるゆきくんが見えると、


やっぱり、二人ともはるゆきくんが気になる・・・。


じんつうくんには、悪いんだけど、やっぱ、はるゆきくんLOVE


見ると、はるゆきの船員さんが、ここでもお一人でペンキ塗りをしていらした。


その様子を、二人で眺めて思わず、


「おつかれさまです~(*´▽`*)」(←満面の笑み)


とお声がけ、さらに、


「おかえりなさ~い(*´∀`*)」


作業中の方、とってもいい笑顔で


「ありがとうございます」


と答えてくれました。


ペンキ塗りの様子を、しばし眺めていると、


コード線のような、非常に細かいところまで塗っているではないですか





「そんな細かいところまで塗るんですか?!」


「はい。もうすぐ最後の出航(うん、知ってる)なのですけど、やはり塗らないわけにはいかないので・・・」


と。


本当に、はるゆきは、なにかにつけ「最後の」という枕詞がついてしまいます。


そして、それももう終わってしまいます。


初めての体験航海の艦であり、


そのあとも交流をさせていただいた、思い出深い艦なので、


寂しさと残念さがひとしおです。


ですが、退役間近でも、それを感じさせないほどキレイな艦だったのは、


こうして、乗組員さんたちの手で、丁寧にお手入れされてきたからなのだということを、実感しました。


帰ってきたはるゆきくんに再会できた時は、


「お疲れ様でした」


と声をかけに行きたいです。


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誇りある帝国海軍の末裔たち

2013年11月21日 | 海上自衛隊
以前、


「なぜ海自が好きなのか?」


と私に問われれば、理由はいろいろあると書きましたが、


恐らく、この理由が一番なのだろうと思いました。


「誇りある帝国海軍の末裔だから」


それが、明確になったのは、


頂いた、2012年観艦式のDVDを観たからです。


あの「亡国のイージス」の作者福井晴敏と、


元護衛艦隊司令官倉本憲一氏の対談がメインで構成されていて、


この部分が非常におもしろかったですね。


単なる観艦式の解説ではないんです。


対談の中で倉本氏が、解説をしてくださるのですが、


この倉本氏、護衛艦隊司令官時代に、


東日本大震災が起こった時、


「可動全艦出港せよ」


という、


海上自衛隊創設以来初めての指令を出した方なのです。


もうそのフレーズを目にしただけで、


めまいがしそうなくらいシビれました(笑)


いや、惚れました…。


大好きです、そういう方。


もともとは哨戒機のパイロット出身なのだそうです。


しかも、結構はっきり本音を言ってくださっているので、


非常に貴重なDVDだと言えると思います。




ここで、観艦式の意義と目的について簡単に言います。


もともとは、14世紀に、イギリスのエドワード3世が、


英仏戦争の際に、艦隊を訪れたことが始まりで、


日本では、明治元年に天皇陛下が大阪天保山で行われてから、


以来、現代まで続いており、


自衛隊の最高司令官である内閣総理大臣が訪れることで、


士気を高めることとされています。


…ん?士気を高める???


ここでちょっと、引っかかりました。


前回の観艦式の時の総理大臣・野田。


…はたしてこれで、士気が高まるのだろうか?と。


いや、コイツはまだマシだろう、コイツに比べたら…。


管直人。


自分が自衛隊の最高司令官である事を知らなかったとか、


防衛大臣は自衛官だと思っていたとか、


大丈夫かコイツ???というようなヤツが来て、


果たして、士気は高まるのか?


と思わずにはいられない。


それはさておき、


他にも観艦式の目的があるらしいです。


上記のことを鑑みたら、こちらの方が主目的と思わざるを得ませんが。


それは、抑止力。


形も大きさも違う艦(いせやひゅうがもいるから…)が、


一定間隔を保ったまま単縦陣で航行するのは、


かなりの運用技術が必要らしく、


それを見せることで、ミリタリー・プレゼンスとなるんだそうです。


我々は、これだけの運用能力を持っているんですよ、と。


うん、これは理解できる。







そして、この観艦式で大きな意味を持つのが、


掃海艇です。


自衛隊は、創設60周年を迎えたわけですが、


周知の通り、戦後軍は解体されました。


だけど、実は、旧海軍は完全に解体されたわけでなく、


戦争中に夥しい数の機雷が日本近海にばら撒かれていたため、


これを除去する掃海艇は残されたのです。


さらに、そうこうしているうちに、


朝鮮戦争が勃発し、米国から掃海を依頼され、


戦場での掃海活動を行うことになりました。


軍備を放棄した直後に、


戦争中の只中にだまし討ちのように派遣されたのです。


それでも、掃海艇は、戦死者をだしながらも粛々と任務を果たします。


その働き振りと技術の素晴らしさに、


米国が、この技術は途絶えさせてはいけない、


護り続けるべきだ、ということで、


陸上自衛隊が、旧陸軍出身者は絶対に入れない形で、


陸軍との完全決別をさせられたのに対し、


海上自衛隊は、旧海軍出身者で構成され、


その伝統は引き継がれたのです。


この違いが、現代でも


陸上自衛隊と海上自衛隊の様々な違いを生んでいると思います。


スタートが真逆ですから。


倉本氏が遠洋航海に行かれた時は、


米国海軍には、まだ太平洋戦争の経験者が現役でいらしており、


彼らは、


「あの戦争であれほどまでに自分たちを苦しめた、

 誇りある帝国海軍の末裔


とそれはそれは敬意を払って接してくれたのだそうです。


仕事において、


有能な人を有能だと評価できるのは、有能な人だけです。


スポーツの世界では珍しくない、


優秀な敵を讃えるという行為は、


実はそれ以上に、命と命のやり取りをしている世界でこそ、


多く見られるように感じます。


軍事において、私が好きなのは、実はこの要素なのです。


優秀な敵への、惜しみない賞賛。


戦後、自らを否定してきた日本人より、


当時の彼らを誰よりもどこよりも賞賛し、評価しているのが、


実は、仇敵のアメリカなのです。


この対談の中で、倉本氏もはっきり言っていらしたのに


ちょっと驚いたのですが、


 戦後、日本は教育によっておかしくされてきましたが、

 海軍の技術においては、それを守らねばならないと思ったのです。

 そして、仲良くすることで危険な敵を友とすることで、危険性を

 排除したのです。


というような趣旨のことを明言されてました。


「友とは親しく。敵とはもっと親しく」


という言葉が、マフィアの格言であるんだそうですが、


まさに日米同盟がそうだと言えます。


もう、このブログでもなんども言っていますが、


アメリカは、政治的には、日本はとにかく弱体化を推進させた、


その一方で、日本の軍事に関しては、


逆の方針だったのです。







とはいえ、自分たちが押し付けた憲法で軍隊を放棄させたし、


日本もアホみたいに律儀に守ってるし…


さぞ、自衛隊創設まで様々な思案がなされたことでしょう。


しかし、官って、異常にネーミングうまいなぁ、といつも感心します。


日本人の「イメージ先行」の特徴を、


よくも悪くも非常に理解しています。


それは、その辺の大企業のマーケティング部なんぞ、足元にも及びません。


「軍 ⇒ 自衛隊」


「駆逐艦 ⇒ 護衛艦」


とか、まぁよく思いついたなとおもいますよ(笑)


なんですが、


日本がいくらごまかしたところで、
(ごまかす、って国内と近所に対してだけですが)


海外では、日本海軍と見られているのだと仰ってました。


それは事実です。


先日、セイルタワーに行った時、


アデン湾での海賊対処の最中の映像を見た時、


海上自衛隊に救助を求める、


海外の商船との無線のやり取りの様子で、


当然、海上自衛隊は、


「こちら、Japan Maritime Self-Defense Force(なげー)」


というのですが、


相手は、


「Japan Navy」


としか言いません(笑)


このやり取りがしばらく続きますが、


最初はがんばっていた海上自衛隊も、最後は、


「Japan Navy」


と言っていました(笑)


まぁ、外国人からすると当然、自衛隊なんて概念はないわけで、


海にいる護衛艦を見れば、そりゃ海軍だと思うでしょう。


それを、軍隊じゃない、と言いはるのは、


欺瞞だと思いますね。


倉本さん曰く


「いくらこちらが、戦争放棄をうたっても、周りが攻撃してこない保証はないので、

 その侵略から、自国を護る必要がある」


と。


とってもあたりまえのことですが、


その最たる容疑者のスパイや同胞が、国の中枢にいる以上、


それを阻止しようとする動きが絶対あるわけです。


しかも、それがあたかも民意であるように操作して。


倉本氏は、日本近海の哨戒を長年行ってこられた方です。


おそらく、言い知れぬ危険を肌で感じてこられたことでしょう。


空を飛んでいると、


最も敵を身近に感じるのではないかと推察します。


敵を見つけるのが任務なので、当然なのでしょうけど。










それにしても、


私自身、海上自衛官と接するたびに感じていたことなのですが、


彼らは確かに、


「自分たちは、誇りある海軍なんだ」


という自負を持っています。


彼らがはっきりと公言することはないのですが、


そのことは、はっきりと感じます。


今回、倉本氏のお話を聞いていて、やっぱりそうなのだと確信しました。


前回の記事で、「いせ」による洋上慰霊祭が企画されていたと書きましたが、


実は、海上自衛隊は、洋上にて海戦が行われたり、


戦艦が沈没している所を航行する際、


洋上慰霊を艦上で行っているのだそうです。


もちろん、全員正装して。


訓練や演習で航海に出ている時なので、


あまり知られていないことですが…。


先人達を慰霊し、敬意を忘れることなく、


その伝統を引き継いでるのだと言う誇りが、


世界に誇る、帝国海軍の末裔なのだ


という矜持を持つに至っているのではないかと感じます。


それは、日本で唯一、


戦前の文化や伝統、思想が受け継がれている教育機関、


江田島が存続してきたからだと推察します。


ここで、帝国海軍の誇りと魂が護られ引き継がれる限り、


世界からJapan Navyとして敬意を払われる存在であろうと思います。


そして、そういう存在であることを、


彼らが命をかけて護っている、日本国民にこそ、知って欲しいです。









18日、いせと共に輸送艦おおすみも出港しました。


おおすみは、伊豆諸島での災害派遣から、そのまま離島奪還訓練に向い、


その訓練途中でフィリピンに行くことになりました。


輸送艦の少なさから、


おおすみに過度の負担がかかっていることは、想像に難くありません。


乗組員の方は、どれほどの間ご家族や恋人と会えないことでしょう。


家族の方は、どれほど寂しい思いで


ご主人やお父さんの帰りを待っていることでしょう。


それでも、必要な輸送艦は必要な場所に配置せねばならないので、


行かねばならないのです。


圧倒的に、海上自衛隊は人員が不足しています。


日本は海洋国家である以上、


海の護りは不可欠です。


帝国海軍の末裔としての誇りを、


受け継ぐ若者が増えることを願う次第です。




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「軍艦伊勢、レイテに突入」

2013年11月20日 | 護衛艦いせ
こういうタイトルを掲げると、眉を顰める人がいそうですが、


気にしません(笑)


先日も記事に上げましたが、


護衛艦いせが、フィリピンのレイテ島に国際緊急救助活動に向いました。


この出来事、単に救助活動としてだけでなく、


多少なりとも歴史に造詣がある人であれば、


なにかしら感慨深いものを感じずにはいられないことでしょう。


なんせ、


軍艦伊勢の娘である護衛艦いせが、


フィリピンのレイテ島に向うのですから。


しかも、日米共同の救助活動として…。


歴史の可能性とは、かくも豊かなのかと感じずにはいられません。







フィリピンのレイテといえば、


言わずと知れた、海戦史に残る激戦の1つ、


レイテ沖海戦が繰り広げられたところです。


私は、そこまで詳細に記憶していはないのですが、


ここでの有名な出来事は、


栗田艦隊の謎の反転…


もし、これがなかったら、この戦争の勝者は違っていたかもしれない、


とさえ言われている事件(?)がありますね。


歴史に「もし」はつきものですが、


敗戦国側からすると、その思いはひとしおです…。


私も、ここの下りを本で読んだ時は、


「何やってんだコイツ????


と怒りが込上げ、


「っていうか、こんなヤツがなんで中将とかなわけ???


と腹が立って仕方なかったわけですが。


レイテ沖海戦について、詳細を知りたい方は、


コチラをご参考下さいませ。


この海戦に限らず、


太平洋戦争の話…特に陸軍の牟田口(←こいつだけは許しちゃいかん


の話なんかを読むと、


怒りしか込上げてきません。


これは私見ですが、


司令官レベルが粗悪すぎて(中には素晴らしい人もいましたが)


佐官、尉官や下士官、兵士(早い話が将より下)が優秀としか思えなくて、


これが原因で戦争に負けたんじゃないかとすら思ってしまいますね。


敗戦要因については、いろいろありますけども。


…あ、話が逸れてしまいました…


このあたりの話になると、つい、興奮してしまいます。


悔しくて…。





話を戻します。


伊勢は、もともと戦艦でしたが、


姉妹艦の日向(前世からふたりは姉妹だったのね)と共に、


急遽、航空母艦として改装されます。


まぁ、このあたりに、戦後日本初の空…失礼、


ヘリ搭載型大型護衛艦(めんどくさー)2DDH型に、


この「ひゅうが」「いせ」という名前が与えられた背景が伺えますね。


余談ですが、去る2012年の我が日本が誇る海上自衛隊の観艦式において、


そうそうたる艦列の中に身を置く、


2隻の護衛艦、「ひゅうが」と「いせ」を見た外国の来賓が、


「あれは空母ですよね?」


と通訳係りの海自士官にご下問したそうな。


海自士官、答えて曰く、


「いえ、あれはDestroyer(護衛艦)です」


聞いた外国来賓は驚いて


「え???あれ、駆逐艦???空母じゃ…」


海自士官


「Destroyerです」


来賓


「え???Destroyer???」


海自士官


「はい、そうです」


というやり取りをしたそうな(笑)


まぁ、仕方ないよねぇ…。


中国人も、


「これを護衛艦って言いはってるのか日本は?!どうみたって空母だろ?!」


といきり立ってましたっけね(笑)


うん、どうみたって、空母だよね…。


君らみたいに、ロシアから、ボロッボロの空母買って、


改装中に何人も亡くなって、


ようやく完成したら、今度は迷子が続出っていう、


愉快な空母とはだいぶ違いますけどね~(笑)


うちは、誰がなんと言おうと護衛艦ですから~。


閑話休題(2度目…)





そんなわけで、


航空母艦に改装された伊勢は、レイテ沖海戦では、


空母「瑞鶴」・「瑞鳳」の第一群を護衛するものの、


この2隻の空母は伊勢の護衛もむなしく撃沈されます。


残された日向と伊勢は、ほぼ無傷で帰還、無事でした。


その後も伊勢は様々な危険の中、奇跡的に生き延びていきます。


以下、ウィキペディア引用

この後の「伊勢」は燃料不足のため「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定され、燃料不足と米軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま呉港外三ツ子島(倉橋島北東、34゜12'N/132゜31'E)海岸付近の海面に停泊した。7月24日、米軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、牟田口艦長も戦死、浸水は5000tに達する。師岡勇高射長が艦長代理となり呉工廠第四ドックに曳航しようと作業中の7月28日、再び米軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破着底、戦死者は573名に及んだ。終戦後、「伊勢」は引き揚げられてスクラップとなった。

なお、伊勢は呉空襲の際、日本海軍の歴史の中で日本の戦艦としては最後に主砲を発射した。



そう、伊勢はレイテ沖海戦において、2隻の空母を護るために奮闘し、


戦いにおいて、ではなく、


燃料不足と機雷封鎖による航行不能状態時に、


最後は、洋上砲台として動けないまま、撃沈されました。


実は来月、護衛艦いせによる、


戦艦伊勢の洋上慰霊祭が行われる予定だったのです。


これは当然、今回のフィリピン救助で事実上の中止となりましたが、


なんだかいろいろと、歴史のつながりを感じざるを得ません。


レイテ沖で奮戦した戦艦伊勢の娘、


護衛艦いせが、レイテ沖でかつての仇敵と共に、


国際救助活動に向かう…


そのためのレイテへの突入。


新たな歴史の1ページを開く思いがします。






いせの、航海のご無事と、


任務の完遂、ご帰還を、心からお祈りしています。



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ブルーインパルスin芦屋

2013年11月19日 | 航空自衛隊
去る17日、築城に続きまして、芦屋の航空際に行って参りました!


それに先立ち、ブルーファンの知人が、


FBでブルー5番機の乃万さんの卒業に伴う


5番機交代劇のTV放送の内容をFBにシェアしてくれていたので、


事前にそれを見ることができ、


乃万さんのお弟子さんのデビューなのかぁと、


と思っていたら、奇しくも、乃万さん、


芦屋に転勤されていたのと事。


乃万さんも、愛弟子のデビューを、


熱い思いで見守られるんだろうなぁと、


感慨深い思いで楽しみにしていました


…ら、なんと、芦屋の航空際は、毎年雨で、


今年も、飛ばないかもしれない・・・との前情報。


えぇぇ…。


だけども、心ひそかに、


「いやいやいや…自衛隊の女神に愛されている私が行くんだから、

 きっと飛ぶだろう」(この内容に関してはコチラをご覧下さい笑


と思っていました(笑)





迎えた当日、始発のバスに乗り込む直前に、


結構な暗雲が立ち込め、本降りになりだした…。


私の幸運もここまでか?!と思っていたら、


遠賀川に向うにつれ、雨が上がっていくではないですか。


途中、先に現地で待っているお友達から、


プログラムの写メが届き、


確実にオープニングのT-4に間に合わないことが判明。


まぁ、仕方ないかぁ…と思っていると、遠賀川駅に到着し、


電車を降りた瞬間、


私の頭上を、T-4が5機(だっけ?)すごい勢いで飛んで来た!


え?何?お迎え?私のお迎えですか?


っていうか、やっぱり私、絶対に自衛隊の女神から愛されている!


と勝手に確信を深めましたね(←アホ)


こんな絶妙なタイミングで、


あきらめていたT-4が観られたわけなので、


こりゃ、ブルー飛ぶな、と思った私。


送迎バスに乗り、芦屋基地に到着して、


いつもお世話になっている、


築城基地の空自さんとどうにか合流。


売店で、ボールペンを購入。





それから、


近所にお住まいの空自OBのおじ様に連絡をする手はずになっていたので、


まだ見ぬ空自OBさんに電話で連絡をして、


築城基地の空自さんに、指定された場所まで連れて行っていただき、


OBさんとまたまた無事合流。


OBさんとは「はじめまして」なんですけども、


私は非常にずうずうしいので、あつかましくもご好意に甘え倒して、


勧められるままに、救難隊の事務所へ♪


いろんなOBさんたちや、ご家族の方が集まっていらっしゃいました。


実は、この基地祭では、


ブルーよりもなによりも、


ここでの時間が一番楽しい時間でした!!!


OBさんの元部下の方をご紹介いただいて、


いろんなお話をさせて頂いたのですが、


いやぁ、こんなに楽しい会話は久々でしたね!


7月のレゼプションパーティで、はるゆきの船務長さんと、


語り合った時以来の、充実感と楽しさでした!


東京から田舎に引っ込んで、


なかなか濃い話をする機会がなくなり、


寂しい思いをしていたので、


たまに、こういう機会があって本当にうれしいです!


また、お話する機会があるといいなぁ~


かつ、お弁当まで頂いてしまいました…。



すみません…本当にありがとうございました!






もう、満足感いっぱいの中で、


友だちと合流すべく、合流地点に向かいました。


その前に、


これまたいつもお世話になりっぱなしのHさんより、


お願いしていた、ある「ブツ」(←ヒ・ミ・ツ)と、


2012観艦式のDVDをGET!


この観艦式のDVDの感想は、後ほどレポートします




お友だちとお子さんは、犬の訓練(?)を観にいっており、


再び空自さんと合流♪


そこでまた、アイテムGET


空自さん、築城基地のカレンダーをプレゼントしてくださいました




ど~ですかコレ


めっちゃカッコイイですよね~~~~


なかなかセンスのよいカレンダーですよ~


っていうか、ほんとに、いつもいつもありがとうございます


なんかもう、ほんとにブルーとかどうでもよくなるくらい、


ここで大満足な私(笑)


そしてまた、


やっぱり、ブルーは飛ぶと聞いて、


やっぱり、私愛されてるよね、とニヤリ…(笑)


やっぱ、持ってるわ~。


あ、ちなみに、


この時点で、ブルー6番機のパイロットのサインもGET済みです。


紙切れだけど(笑)


RPGもかくやと思われるアイテムゲット率で、


ほんとに何が目的で航空際に来たんだ?!


って感じですが、いちおう、主目的はブルーですよ?(←ん?いちおう?)




犬(訓練犬)を見終えたお友達とも無事合流し、


天気も良くなってきたので、


地元アイドルに熱中して踊り狂っているヲタ共熱心なファンたちに、


心の中でエールを送りながら、


開門ダッシュ組が場所をとってくれている、


ブルー4番機5番機の間の最前列へ向かいました。


途中、3時方向に朝、私を迎えてくれた(わけではない)T-4たちが


整列しているのが見えました。(ちょっと遠いけど)




う~ん、かっこいい






で、ブルーの前で待っていると、


今日は、防衛大臣が来るということで、ほどなく、


黒塗りの大げさな車の列がブルーの前に並びました。


すると、後にいた女の子たちが、


「ナントカ大臣がくるの?誰?ゼンゼンわかんな~い」


とかせせら笑いながら言っているのが、私の耳を不快にくすぐった。


私はこういう手合いが大嫌いですね~。


自衛隊ファンだというなら、せめて、せめてだ、


自衛隊のイベントで挨拶するのは、


防衛大臣ってことくらい理解してから来い


といいたくなってしまうんですよ。


アホか、と。


あきらかに、名前が分からないのではなく、


防衛大臣という言葉が出てこなかった様子だったので・・・。


っていうか、自衛隊のファンならさ、


外務大臣とか法務大臣とかの名前はいいから、


やっぱ、防衛大臣の名前くらいは知っておこうよ…


…お嬢ちゃんたち(ってほど若くもなかったな…)





というわけで、スピーチなうの小野寺防衛大臣。





そうこうしているうちに、


整備要員のあいかわらずのカッコイイ登場に続き、


ブルーのパイロットの皆さまの、あいかわらずのステキな登場。


なんですが、私のスマホカメラでは遠すぎて、


写らず…。


すみませぬ~。


しかし、飛ぶのをあきらめていたのに、


奇跡的に風は強いものの(←スモークはすぐ切れちゃう)


空は雲が多いながらも晴れている!


だけど、飛ぶのね~と思っていた私。


しかし、甘かった!!!!


ほら、海自のイベントだと、敵は天気だけで、


天気さえ良ければ、なんの問題もなく実行されるじゃないですか?


ところが、だ。


空のイベントは、天気の問題をクリアしたと思いきや、


次に機体トラブルという事態が発生するわけで・・・。


機体に乗り込んだ、6人のパイロットをワクワクしながら見ていると、


急に、4番機にはしご(っていうの?)がかけられ、


4番機と6番機のパイロットが交代していた。


「????????」


すると、私の11時方向にいた激ヲタ非常に熱心なファンのおじさんが、


「6番機、機体トラブル!4番機と交代!」と言っている。


思わず、私は


「あの、機体トラブルだからって、なんで6番機の人がわざわざ4番機の

 人と交代して4番機に乗り込むんですか?」


とおじさんに質問。


「あ、4番機は一番使わないから」


「え?だからって何で交代なんですか?」


空自オンチな私はこのやりとりを5回くらい繰り返して


ようやくその意味を理解した。


つまり、空中演技において、6番機は絶対必要で、


あんまり使わない4番機と交代することで、


6番機として4番機を飛ばすということだと。


な~るほど。


このおじさん、


「昨日から6番機調子悪かったんだよね」


とつぶやいた。


何者???(笑)


そして、トラブルはこれで終わらない。


残り5機が滑走路スタートで並んだと思いきや、


またしても、おじさんが叫んだ!


「2番機、機体トラブル。4機で行きます!」


…え???っていうか、マジ、このおじさん何者?(笑)


そんなわけで、ブルーインパルス、4機での寂しい演技となりました。


しかし、周囲のヲタ熱心なファン達は、


「え!ってことは4機での○○(←なんかよくわからない演技名)なのか!

 それはそれでレアだな!!!」


と沸いている(笑)


そう、こういう発想ができないと、ファンとは言っちゃいかんな、うん。


私としては、何がレアなのかイマイチ分からないまま、


空を見上げました。


演技が始まっても、このおじさん、大活躍(笑)


「はい、次、右からくるよ~」


とか


「はい、次後!」


とか言ってくれる


みんなおじさんの誘導に従って、その方向を一斉に見るんだよね~(笑)


そして、空中演技が始まってからも、油断がならないということを知った私。


楽しみなキューピッド(というかこれしか知らない)の


直前で、おじさんがまたしても叫んだ。


今度は何?!


「ストップミッション!!」


は??何?なんなの?


「アンノン。コース内に旅客機かなんか侵入したかな?」


って、まじであなたは何者なんですか?(笑)


私は、おじさんの耳を見て、


「あの~、無線の傍受かなんかしてるんですか??」


と尋ねた。


「そうそう。これでね、パイロットの指示を聞いているんだよ」


恐るべし、空自ファン(笑)


ちょっと、海自ファンには想像がつかない発想でしたわ…。


あぜんとしていると、演技が再開。


やったぁキューピット


…と思いきや、ハートはできたんだけど(しかもめっちゃでかいのが)


4番機がいないので、


最後、射抜かない…ちょっと、これは寂しい…。


細かい演技の項目は分からないけど、


やっぱり2機も欠けると、


前回と比べ迫力が…と思わざるを得ないですが、


とはいえ、飛んだだけありがたいですよね


しかし、前回、隊長さんからサイン頂く時に、


「初めのが、今日ってものすごく運がいいですよ


と仰ってた意味が、初めて分かった


そういうことね!


天気の問題をクリアしても、機体。


機体のトラブルをクリアしても、ストップミッション、


と、さまざまな障害が立ちはだかってくるのが、


ブルーインパルスの演技なのだと、今回よく分かりました。


だから、前回の築城のような完璧な演技が見られるのは、


当たり前なのではなく、貴重なのだという事が。


ほんとに、さまざまな奇跡の上に、


ブルーインパルスの演技は成り立っているですね。


すごいな~。


でも、ちょっと残念なところはあったにしろ、


乃万さんのお弟子さんのデビューは果たせたので、


きっと、あたたかい眼差しで


愛弟子の演技を見守っていらしたことでしょう。


とか思っていると、


最後、パイロットへの花束贈呈役の、アイドルや少女達の引率として


乃万さんがご登場。


「あれ、乃万さんじゃない?」


とみんな(地方)アイドルそっちのけで、ざわざわ(笑)


実は、演技が始まる前も、


普通の作業着を着ている乃万さんを目ざとく見つけたファンの方々が、


彼を囲んでいたらしい…すごいな~(笑)


もうブルーのパイロットじゃないのにねぇ。


でもステキだから、分かるけど


あいかわずの人気っぷりでした。






しかし、このこともそうだけど、


ほんとに、海自と空自って違いますね(笑)


ファンの毛色(?)も違うし(笑)


今回も、空自イベントで、


楽しいカルチャーショックを経験した私でした













































フィリピンへの災害派遣から考える自衛隊の意義

2013年11月14日 | 海上自衛隊
フィリピンを襲った、未曾有の台風被害…。


ある市などは、住民5万人の全てが住む家を失い、


死者は検討もつかないとのことです。


日本も毎年毎年、台風被害を多く被っていますが、


ここまでひどい台風被害を経験したことはなく、


かの東日本大震災に匹敵する災害状況だと感じます。


一体どれほどの方が、


家族を失い、愛する人を失って悲しみにくれ、


明日をも知れぬ不安とも戦いながら、


1日1日を生きていらっしゃるのかと思うと、


何かできない事はないだろうか…と思わずにはいられません。





そんな中、自衛隊の災害派遣が決まりました。


1000人以上の、大規模な派遣となります。


これほどの大災害なので、


自衛隊の海外派遣は当然あるだろうな、と思っていましたが、


今回は、輸送艦おおすみ、補給艦とわだ、そして、


護衛艦いせもフィリピンに向うことが確定しました。





5月に初めていせを取材で見学した時、


最初に案内していただいた場所が、


あの広い格納庫でした。





ちょうど、この写真の反対側で、


災害時の対処についてのモニターを拝見したあと、


この格納庫で、災害派遣時にはどのような事を行うのかを説明して頂きました。


ご存知の方が多いとは思いますが、


いせが就航したのは、2011年3月15日でした。


言わずと知れた、東日本大震災の直後です。


この時いせは、就航したばかりで、


運用にまだ慣れていないということで、


さずがに災害派遣は見送られ、2DDHはひゅうがだけが被災地へ向かいました。


この格納庫では、かなりの被災者を収容することができますし、


医療設備も整っていますので、被災者の方たちには、


かなりの手厚い保護が受けられるであろうことは想像に難くありません。


説明を聞きながら、私は、


災害時の救済を想定した護衛艦ということに、


多少不思議な印象を受けたのを覚えています。






以前も触れましたが、


護衛艦は日本の法律上の呼び名であり、


英語では等しくDestroyer~駆逐艦~と呼称します。


駆逐艦である以上、人命救助というよりは、


敵との戦闘が目的であるはずのものですが、


それに加えて、戦闘能力を強化しながら、


人命救助にも活用できる護衛艦を作り得たのは、


皮肉ですが、


日本が「軍隊を持ってはならない」という


不文律があってこそだと思います。


戦闘目的だけが存在意義ではない…


…どこの国の軍隊でも、大なり小なりその要素はあるでしょうけども、


自衛隊ほど、真摯に丁寧に深く国民を助けてくれる武力保有部隊は


おそらくないと私は思います。


そして、他国でもそれと同じ真摯さを責任を持って救ってくれるのも…。


私は憲法改正派ではありますが、


奇しくも、この法律こそが、日本の自衛隊を、


世界で最も優秀な、国際貢献部隊にしたのだと考えます。


武力を保有していながら、それを使うことは許されず、


だったら何のために存在しているんだ、と心ないことをいう人たちもいる中、


税金の無駄遣いと罵る人たちもいる中、


そんな人たちすら合わせて、


世界でもたくさんの人たちを救ってきたのが、


日本の自衛隊です。


中には、それすら、


「自衛隊は災害派遣でしか役に立たない」


と悪口を言う人も居ます。


ですが、それの何がいけないのでしょう?


法律上の問題で、様々な制限を受け、


実際に行動できる範囲で、


最大限の能力を発揮して、多くの人たちを救っている。


できることはすべてやって、救助する。


何がいけないのでしょう?


自衛官の中にだって、


「自分たちは災害派遣のためだけに存在しているわけではない」


と忸怩たる思いを抱えている人だって、きっといると思います。


だけどそれでも、


任務が災害派遣なら、それを最大限に行う。


たくさんの人を救う。


軍隊の存在意義は、他国を侵略し、敵を撃滅するだけじゃない。


一番は、自分の国を護るということ。


であるなら、


自衛隊が、今のように国際社会で多くの国を救い続けるなら、


その国が善良な国でさえあるなら、


その国が日本に襲い掛かることはないので、


これも、侵略の抑止力になっているのだと思います。


だから、災害派遣しかしないから、


自衛隊は役に立たないなんてことは言わせない。


これほどの災害救助ができるのは、


きっと、日本の自衛隊だけだと思うから。





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