「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

護衛艦「いせ」の皆さまと伊勢神宮へ ~外宮編~

2016年06月24日 | 護衛艦いせ


さて、いったんホテルに戻って、チェックアウトを済ませ、外宮へと向かいました。


外宮入り口まで行くと…真っ白い詰襟の皆さんが集まっていらっしゃいます。


…そうです。


今回、伊勢神宮参拝のためだけに、伊勢までやってきたのですが、もちろん、私のことなので、ただの伊勢神宮参拝ではありません(笑)


Facebookページでは、すでにUPしていたので、そちらをご覧の方にはお分かりいただけていたと思いますが、そう、今回は、


護衛艦「いせ」の皆さまとの、伊勢神宮参拝なのでした。


「いせ」と出会ってからというもの、伊勢神宮にも参拝に行ってみたいとは思っておりましたが、私の初お伊勢参りは、護衛艦「いせ」の皆さまと


と、決めていましたので、今回、それがようやく叶いました。


実は、昨年も機会は会ったのですが、残念ながら、お財布が瀕死の状況でしたので断腸の思いで見合わせることにしました…。






さて、このブログでも度々、艦艇内の艦内神社についてはご紹介して参りましたが、それに伴って、お祀りされているゆかりのお宮に、


定期的に行かれている艦艇は少なくありません。


で、まぁ、こういうことに対して、いちいち「政教分離ガー」とか喚く輩もいるようですが、別に何が問題あるんだって感じですね。


それにしても、真っ白い第一種は目立ちますね(笑)


参拝に訪れた方たちは、皆さん見ていらっしゃいました…まぁ、本当に目立つんだもの…集団だし。


そして、今回は、4群司令の伊藤弘海将補もご一緒されていました。


集まられた方々が、どうにも、艦長の高田1佐と、先任伍長さん以外知らない顔ぶればかりだなぁと思っていたら、


半分は、4群の司令部?の方たちで、後の半分は新しく「いせ」に来られた方たちばかりでした…どおりで~。





さて、皆で「火除橋(ひよけばし)」を渡って、神域に入り、手水舎に向かいます。



朝、内宮でお話を聞いた通り、手水舎の位置が確かに内宮と逆になってなっていました。


そして、そのまま真っすぐ正宮に向かいます。


外宮にお祀りされていらっしゃるのは、豊受大神さまという、衣食住、そして、産業を司る神様でいらっしゃいます。


こちらは、1500年前雄略天皇の御代に、天照大神さまが、お食事の時に、


「1人で食事をするのは落ち着かぬ故、豊受大神を呼ぶように」


と仰ったので、雄略天皇は夢から覚めるとすぐに、丹波の国から豊受大神をお呼びになって、


この伊勢の地に立派なお社を建ててお祀りされたのだそうです。


その、天照大神さまのご神慮は、実は


「皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、

 みずからお教えくださったものと考えます。」(伊勢神宮HPより)


と書いてあります…深い…。







そうしてたどり着きました、こちらが外宮です…と言いたいところですが…撮影していません…すみません。


もとより、内宮同様、中は撮影できませんが。


なので、真向かいにあった



…元正宮です…式年遷宮前はこちらに正宮がありました。


なんとなく、広さだけでも感じていただければと思います(笑)


そして、こちらをお参りさせて頂き、降りてから、一旦集合写真を撮られました。



間に合わずに、後ろから…(笑)


そして、そのあと…こちら…どちらをお参りしたのか忘れました…すみません…(ノД`)・゜・。



写真撮っているので、撮影しても構わない場所なのは確かなんですけどね…はて…???







さらに、結構あわただしく、このまま「せんぐう館」へ向かいます…いわば、資料館です。


ここでは、学芸員さんに案内して頂きました。(ここは、撮影禁止ですので、画像はありません)


印象に残ったお話しは、3つありました。


1つ目は、展示されていた日本刀についての説明された時です。


「我々日本人は、ここに刀があっても、何も不思議には思いませんよね?ですが、海外から来られた方は、必ず不思議に思われるのです。

 それは、神様がこういった武器を持っている、というのは外国ではありえないので、一体なぜ、神様なのに武器を持っているのか?

 と、不思議に思うようです」


…なるほど…考えもしなかったわ。


これについての答えは、


・そもそも、日本刀は単なる武器…すなわち、単なる人殺しの道具ではないということ。


・この刀を作る職人さんたちは、1000年以上、神様に刀を捧げることを生業する伝統を続けることができている。

 すなわちそれは、時折戦乱があったにせよ、日本が続いてきたという、平和の象徴でもあるということ


というようなことを仰っていました。


私自身、日本刀を、刀職人さんたちが作られる様子などを見ると、とても単なる人殺しの道具とは思えません。


まさに、神事であり、芸術作品であり、紛れもなく、職人さんと使い手両人の魂が宿っているものであろうと感じます。


そして、その部分は、なかなか外国人には理解できぬ点であるのは仕方のないことでしょう。


しかしながら、それが感じられない日本人も、残念ながら昨今はいるようでして、新しく決まった陸上自衛隊のエンブレムに対し、


しょうもないイチャモンつけている輩もおり、残念な限りです。


日本刀と自衛隊で言えば、共通点として、敵を倒すこともできる十分な能力はあるが、単なる戦闘目的にのみ存在しているのではない、


ということが言えるのではないかと思う次第です。


自衛隊と日本刀の両方に対しての本質的な理解をしていないと、そのあたりはなかなか分かるものではないのでしょうけども…。


2つ目は、式年遷宮の様子の人形が飾られているところでの説明でした。


日本中の選ばれた宮司さんたちが、この式年遷宮の折、神様のお引越しである「遷御」という一大行事に挑まれるのですが…


その役はそれぞれに決まっていて、誰か1人欠けても成立しないのだそうです。(←ちょっと船っぽいって思った)


さらに、この式年遷宮、なんと、立付なしなんだそうです(笑)


これはびっくりで…まぁなんといいますか、ちょっと観艦式を思い出しましたね。


海外の海軍さんが、予行初日であの縦列陣を見た時に、


「これは、何日くらい訓練したのかね?」


と尋ねると、


「今日が初めてです」


と返され、びっくりされる、という話を聞いたことがあるのですが、なんでしょう…こういうのって、日本のお家芸的なものなのでしょうかね?(笑)


そして、最後は…。


この資料館の一番奥に、正宮の正面部分の原寸大模型があり、ものすごい存在感で圧倒されます。


その前で、学芸員さんが


「ここ神宮のものは、全て、国内で採れる物しか使用していません。

 海外のものを使用すると、式年遷宮の際に、手に入らなくなる可能性があるからです。

 しかし、日本は、海外のもの一切使用せずに、国産のものだけで、これだけ立派なものを作ることができる、本当に素晴らしい国なのです。

 そして、皆さんは、この素晴らしい国を命がけで守ってくださっている存在です!本当に、頭が下がります!


と、仰って、深々と頭を下げられました。


4群司令と高田艦長以下「いせ」の皆さんは、少し、驚かれたような感じでした。


私も、傍で聞いていて正直、こういうお言葉が聞けるとは思っていなかったので、かなり驚きました。


しかし、日本で最も尊いお宮にお勤めされる方で、日本の神話や歴史を深く学ばれていらっしゃる方から、こういうお言葉が聞けると、


非常に感激、感動いたします。


そして、こういうことを言われた、というようなことは、自衛隊は絶対に自分からは言わないので、私、ほんっとに、心から、


今日、ここにいてよかった~~~!!!!と思いましたね(笑)


じゃなかったら、埋もれてた…この話…絶対に。


皆さんに伝えることができて、本当によかったです(ノД`)・゜・。


感無量になったところで、本日弐回目の内宮参拝に移動いたします。





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初のお伊勢参り

2016年06月22日 | 日記




かねてより、伊勢神宮参拝に行ってみたいとは思っていつつも、なかなか行く機会がなく、


私にとってのお伊勢参りといえば、もっぱら平仮名のほうの「いせ」でございました(笑)


そして先日、ようやく、人生初のお伊勢参りを決行することが叶いました(ノД`)・゜・。


そのためだけに、伊勢くんだりまで出かけ、ほぼ日帰りに近い状態での弾丸でお参りさせていただいた次第です。


深夜にようやく五十鈴川駅に到着して、電話でタクシーを呼んで乗り込むと、運転手さんから


「えらく遅い入りですなぁ(笑)」


といわれちゃいました。


私もこんなに遅くなるとは思わなんだ…。


そして、宿泊先の神宮会館まで運んでもらいました。


チェックインを済ませ、向かったお部屋は…



お~~~純和風修学旅行を思い出すお部屋


と、一人でめっちゃテンションが上がりました


そしてこの日は、さっさとお風呂に行って、早々に寝ました。


ホテルのサービスで、伊勢神宮早朝参拝なるものがありましたので、そちらに参加するために、明日に備えて早々におやすみなさ~い。







そして翌日、朝5時半には起きて、再度お風呂へ。


いうまでもなく、禊のつもりの朝風呂です(笑)


禊をしてから天照大神さまにお会いするんだと、一人意気込んでおりました。


お風呂からあがって、昨夜気になっていたこちららを頂きます!お風呂上りといえばそう!



フルーツ牛乳ですよ


「伊勢」って書いてあるぅ~( *´艸`)…これだけで満足


朝から非常に幸せな気持ちでいっぱいになって、集合場所のロビーに向かいました。


エスコートは、ホテルの女性従業員さんにしていただくのですが、彼女がまた、巫女さんみたいな雰囲気の上品で清楚な美人さん


わくわくして、ホテルを出ると…まだ0630なのに、じりじり暑い…


「…まだ朝早い時間なのに、ずいぶん暑いんですね…」


と、女性従業員さんに話しかけると


「そうですね。でも、中に入ると木陰がたくさんあるので涼しいですよ」


とのこと。


5分くらい歩いて、到着したのは…



いかかですか…この清々しく美しい鳥居…。


これほどすっきりと美しい鳥居を、私は未だかつて見たことがありません。


「皆さんはよく、伊勢神宮、またはお伊勢さんという呼び方をされると思いますが、正式にはただ「神宮」と呼びます」


ご存知の方も多いと思いますが、神社には格があって、最も高い格が「神宮」なんですね。


いうまでもありませんが、伊勢は、その神宮の中でも最も格が高いので、単に「神宮」と呼ぶ、ということだそうです。


さて、いよいよ宇治橋を渡ります。



ここが、五十鈴川ですね。


この柱みたいなものは、台風などで川が増水して流木等々流れてきた時に、ひっかけて食い止めることで、宇治橋を守るためのものだそうです。


そしてその宇治橋も、式年遷宮と同じく、20年に一度建て替えられているのだそうですが、たしか、式年遷宮と4年ほどずれている、


とお話しされたように思います。


その宇治橋は、船大工によって作られていて、船の、水を漏らさない技術がつかわれているのだとか…。


ちなみに、たびたびこのブログでも出しています



こちら。


この「いせ」と彫られた欅は、御用材だとしつこいくらい書いていますが、この欅こそ、こちら宇治橋の御用材なのです


…というわけでして、この宇治橋を歩くだけでも感動でいっぱいでした…(ノД`)・゜・。


渡り終えて鳥居を見上げると…



なんて美しい…。


この鳥居をくぐった瞬間、明らかに空気が変わったことを感じました。


式年遷宮の時に必ず出る御用材で、こちらの鳥居は作られるのだそうです。


ほかにも、別の神社の修復に使用されたりと、御用材は余すところなく使われ無駄にされないのですね。


こういうところが、日本の伝統と美学の結晶のようなお宮だと思いました。





歩いていくと、従業員さんが仰ったように、確かに涼しく、全然空気が違います。


歩くだけでとてもとても気持ちがよく、ずっと歩いていたい感じでした。


さらに行くと、手水舎がありました。



こちらでお清めをして、いざ…。



そして、次に立ち寄ったのが、五十鈴川です。



この日は少し水かさが増していました。


「ここは、禊をするところですか?」


と質問すると、


「いえ。それはもっと向こうです」


とのこと。


そしてその近くに、この五十鈴川の守り神である「瀧祭神」がお祀りされていました。



水が枯れないように、守っている神様です。


そして、少し歩くと



この奥には、別宮の風日祈宮があり、天気…雨と風を司る神様がいらしていて、かの元寇を退けた神風を起こし給うた神様と言われています。


ここまでは、お参りする時間が残念ながらありませんでした。






そして、いよいよ正宮へ…。



こここそが、わが国で最も尊い神様、天照大神様がおはす、正宮です。


そして、つい3年前…だったと思うのですが、出雲大社と同じ年という、極めて珍しい年に式年遷宮が行われましたね。


その元、お宮があったのは、



この奥だったのだそうです。


ここから先は無論、立ち入りできません。


この前の式年遷宮の時、20代~30代の若手の宮大工が多く参加したのだそうです。


式年遷宮は、周知のとおり20年に一度行われますが、この目的の一つに、技術と伝統の継承があるといわれています。


この時参加した、若手の宮大工から、次の式年遷宮の時には、次の世代に技術と伝統が継承されるのでしょう。


こういうことを知るだけで、日本人として生まれてこられたことに、感謝の気持ちがこみ上げてきます。


ここで、従業員さんからお話が。


「よく、何を叶えてくれる神様なのですか?という質問をされますが、お願いするのではなく、ここでは感謝をしてください。そういうところです」


と。


…私自身、そもそも神社はここに限らず、ご利益なんぞを卑しくも求めるところなどではく、お礼を申し上げる場所だと思っているので、


当然なのですが、今回特に、私がここにお参りしようと思ったのは、ひとえに、ここ3年間の「いせ」をはじめとする自衛隊をはじめ、


それに関わる様々なありがたいご縁を、いただいたお礼を申し上げるためでしたので、やっと、お礼が言える…そういう気持ちでいっぱいでした。


石段を上がって、お賽銭を入れ、二礼に拍手して静かに手を合わせてお礼を申し上げると、涙が出てきて、


…ここには、確かに神様がおいでになる…


と感じました。


空気も緑も水もお宮も鳥居も…何もかもが美しすぎるこの神宮は、他の神社とは明らかに別格の存在感でした。



石段を降り、改めてお宮を見上げると、


「日本人として生まれてくることができて、本当によかった」


という気持ちが、じわ~っとこみ上げてきました。






それから、少し離れた「荒祭宮」にお参りに行きます。


その手前に、



御稲御倉(みしねのみくら)があります。


三節祭でお供えするための、神宮神田で収穫した御稲が奉納されます。


この建物は正宮と同じ神明造になっていて、規模は小さいものの、その雰囲気を感じることができます。


そして、注目は屋根。



この丸太の数が、内宮と外宮の建物とは違っていて、内宮は偶数、外宮は一本少ない奇数になっているんだそうです。


そして、長く突き出たⅤの字の木も、内宮は先が二股に分かれていて、外宮はそのままだそうです。


そして、その少し先に…



です。


この立て札見て思ったのですが、


天照大神さまのことを「天照坐大御神」と書いてあるので、こちらが正式なお名前なのかなぁ?と今更思いました。



こちらも、石段下までしか、撮影できません。


ちなみに、先ほどお参りした正宮が「静」なら、こちらは「動」。


積極的とか活発という意味があるそうで、こちらでは、お願い事を聞いてくださるのだそうです。


なので、せっかくなので、こちらでは珍しくお願い事をしてみました。


…もう、感激でいっぱいです。







お参りをすませ、別行動で神宮を出て、おかげ横丁の方に歩いていきました。


すると、あの赤福本店発見!!!!!!


今回、これだけは絶対に食べて帰る!と決めていたので、さっそく入りました。


結構朝早くから空いているのにびっくり。



五十鈴川ほとりで、なんとも風情があります。



こういうお部屋、大好きです~( *´艸`)


そして、



これ!


時間が時間だけに、これが朝ごはんになっちゃったわけですが(笑)


しかし、赤福のお店は数あれど、お店で手作りしているのは、ここ赤福本店だけなのです!


その証拠の、三本の指でつけられたこの筋。


朝からでも、ペロッといただける、やさしい甘さでした。





…朝から、最高に幸せな時間を過ごさせていただきました。


しかし、これはまだ、この日の序章に過ぎなかったのです…。


この後、一旦神宮会館に戻って、チェックアウトして、外宮に参ります!!!


続く。





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日本海海戦記念日  ~洋上慰霊祭編~

2016年06月20日 | 海上自衛隊

ものすごく、続きまで間が空いてしまいました…申し訳ございません。


…さて、バスで岸壁まで移動しまして、やって参りました



今年は、DE234 護衛艦「とね」に乗艦させて頂きます。


ラッタル登って、乗艦すると、タイミングよくばったりお会いしたのは…管理部長殿( *´艸`)


相変わらず素敵です


少しお話しして、私は艦橋に上がるために、中に入りました…ら、



艦橋に上がるためのラッタルのすぐ横に、艦内神社がありました。


この紫の幕がなんとも神社っぽいですね~。


どちらの神様がお祭りされているのか見たかったのですが、後ろから人が来られるので、いそいそとラッタルを登りました。


あぶくま型は、「じんつう」で2回体験航海に参加させて頂いているので慣れたものです(笑)






…というわけで、艦橋。



おお!親切な張り紙!こういうの好きです


分からない人の多いと思うので、こういうのはとても親切でよいと思います。



艦橋の皆さまの様子。


この、出港前の雰囲気好きだなぁ~( *´艸`)


そして艦長席の上を見上げると…



香取神社のお札が。


…やっぱり、利根川つながりで、千葉の香取神社…だろうと思う。


ってことは、下の艦内神社も、当然、香取神社だったのかな???


お札が気になりつつも、外を見る。



この光景もなかなか見慣れてきました(笑)


そして、





艦長さんの背中シリーズです


働く男の背中っていいですよね


ちなみに、艦長さんは、元「いずも」の船務長さんだった方です。


パッと見、クールな方に見えたのですが、親父ギャグを連発されるとても愉快な艦長さんみたいです(笑)


残念ながら、今回珍しく、私はお話ししていないのですが、話しかければよかったなぁ


さて、ここでの一番のミッションは、そう!出港ラッパです!


今回も、しかと撮ってきましたよ


それではどうぞ~

護衛艦とね 出港ラッパ


気づきました?…これ、艦長の「出港用意!」も最初に入ってるんですよ~( *´艸`)





出港したので、艦内探検へGO


まず、目についたのが…





おお!護衛艦の聖域中の聖域、CIC


中を拝見することは絶対に無理なので、こういう戦闘訓練中のお写真があるとすごくうれしいですね


っていうか、私は、テンション上がる(笑)


さらに下に降りて、操縦室を目指して廊下を歩いていると…



「ダメ!ゼッタイ!」の萌え系イラストが…ではなく…、この前の熊本の地震における、災害支援活動のパネルが展示してありました。



こちらは入浴支援のパネル。


ちなみに、この「大和の湯」は呉総監部の防衛部長殿による命名です( *´艸`)


なんかうれしかった~


そして、たどり着いた操縦室。



ここでは、「帝国海軍と艦内神社」の著者、久野潤先生とばったり!…って、神社でももちろん、お会いしてたんですけどね(笑)


ここで、しばらく写真とったりお話ししたり…。


そして、甲板に出ることに。



とってもいいお天気に恵まれたので、すごく気持ちよかったです


ただし、暑かったので、めっちゃ日焼けしましたが…。


じりじりと、暑さを感じつつも、船首側へ。



体験航海で、ここまで船首付近に立ち入らせてくれるのは、なかなかの大盤振る舞いだな~と思ったのは私だけ?






そして、操縦室・艦橋・食堂・甲板をぐるぐる回っているうちに、洋上慰霊祭の時間が近づいてまいりました。


これくらいの時間に、艦内をウロウロしていると、ゲートルを着けて銃剣を手にした海士くんたちや、


正装した儀仗隊指揮官と出くわすのが何とも楽しいです


「おっつ?!そろそろかな?」と思っていると、艦内放送でその旨が告げられたので、後部甲板に向かいます。



準備ちう。


できるだけいい写真が撮りたいので、少しでも空いているところを探していると、たいていいつも、そのあたりにいるおじ様方は


「よかったら、こちらどうぞ」


と、場所を譲ってくださいます( *´艸`)


海の男だけでなく、海の男を敬愛する人たちも女性に優しいのですね~ありがたいことです


こういう時、若い(ように見えるらしい…人によっては)女性が、自衛隊に興味があるというのは、まだまだ、世のおじさま方にとっては、


驚くべきことのようで、だいたい


「…若い女性がこういう所にいるというのは、珍しいですね」


と言われます。


まぁもう言われ慣れているので


「そうですか?最近じゃ珍しくないですよ(笑)」


と私はいつも返すのですが、この時、場を譲ってくださった紳士は面白い方で、慰霊祭が始まるまでお話ししていました。


結構、私がいろいろ詳しいことが分かると


「いやぁ~うれしいねぇ…こんなに海上自衛隊を真剣に応援してくれている女性がいるというのは…」


と目を細めてくれました。


応援してくれる人がいることを喜ぶ人は、まぎれもなくその方も真剣に応援している人ということで、いわば同士。


好きな対象を、互いに同じ価値観で好きという想い、大事にしているという想いを共有できた瞬間というのは、なんとも幸せですね。


ちなみに、いくら同じ対象を好きでも、価値観が同じでなければ、相容れることはできないというのが、ファンというものだと思います。


価値観というのは、「されるといやなこと」が共通していることです。


これを書き出すと長くなるので、ここまでに致します(笑)






さて、準備が整い、第一種に着替えられた乗員さんたちが整列され、儀仗隊と指揮官が入場。





…私、とてもいい場所を譲っていただいたのですが、いい場所すぎて、ちょっと…近すぎた(笑)

久野先生から送ってもらった別のアングルからのお写真はコチラ…。



おおおお!これは美しいですね。


自衛艦旗も入っていて、非常に美しいショットです( *´艸`)


慰霊祭が始まり、艦長さんが、日露両英霊に対しての哀悼の意を表されたご挨拶がありました。


それからは、動画でご覧ください。


献花


弔銃



弔銃発射のあとの、ちょっとこの陽気な?感じのラッパは初めて聞きました…これ、なんか不思議だったな~。


この後、乗客も献花をします。


私も、もちろんいたしました。


日露戦争と言えば、世界史上、有色人種が初めて白人に勝利したという、ものすごい戦争です。


ましてや、この時代の日本は、まだ自国で軍艦すら作れず、借金をせねば戦争もできないような国でした。


わずか数十年で、ここまでの海軍を作り上げた山本権兵衛初めとする海軍人たちには、どれほどの苦労があったことか、想像もできません…。


しかし、そのわずかな年数で、最強と言われたバルチック艦隊を、疲労のピーク時にとはいえ、殲滅するに至ったという快挙は、


もう少し、学校の歴史の授業でも取り上げられるべき内容だと思います。


もちろん、陸軍が、難攻不落と言われた旅順攻略を成し遂げたことも。


それだけでも、きちんと子供たちに伝えることができるなら、どれほど日本人としての誇りを育てていくことができることかと、


思わずにいられません。


そんなことを思いながら、次々と献花され、流れていく花を見ていました。


私はいつも、特攻隊の遺書を読むと、今の日本をとても彼らには見せられないと、非常に申し訳なく思います。


同様に、明治時代の日本人にも、非常に申し訳なく思います。


共通している想いは、彼らが命を捨てて護ってくれたこの国は、彼らが命を捨てるに値する国であるだろうか…?ということです。


親が子を殺し、子が親を殺し、自分勝手な人間が増えてしまったこの国は、彼らが命を懸けて守る価値があったのだろうかと。


明治時代の日本人から見ても、昭和の大東亜戦争時代の日本人はすでに、劣化しているように感じていた人が当時はいたようです。


とすると、文明だけは進化し、お金だけは豊かになったのに、人間の質は明らかに劣化しているのが、この国。


この国の劣化を少しでも止めたいと願う次第です。


まだまだ、美しい部分が残っている今のうちに…。


そんなことを考えた、111Zでした。




…今回、「チャンネルNippon」にて、日本海海戦記念日について、また別の視点で記事を書いています。


下記にリンクを貼っていますので、よかったら覗いてみてください。






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各艦の画像と、歌のイメージの図柄や場所などの画像も貼っていますので、

和歌と艦艇の雅やかな雰囲気をお楽しみいただけるとうれしいです




日本海海戦記念日  ~筥崎宮での神事編~

2016年06月12日 | 海上自衛隊



今年も行って参りました!日本海海戦記念日の洋上慰霊祭。


…と言いましても、昨年は午前中の体験航海だけでしたので、「今年も」と、言えるかどうか微妙なとこですが(笑)


そして今年は、初の、神社での奉祝式典から参加させて頂きました。


お誘いくださった方には、心から感謝ですありがとうございます






さて、筥崎宮に向かいますと、今年もやはり…



参道はこうでした


いや~、これだけの自衛艦旗…いや、ここは日本海海戦記念日なので、やはり軍艦旗と書きべきか…は、


そうそう見られませんよね本当に圧巻です


そして、境内に入ると、



そうです…神社の門に、Z旗と軍艦旗真ん中に国旗これだけで、じ~~~~~ん…とします。


ほんとに、神社で国旗はともかく、軍艦旗とZ旗が掲げられていることはかなり珍しいのではないでしょうか…。


東郷神社とかなら、やっぱり掲げられているのかな?


あ、もちろん、いつもなのではなくて、日本海海戦記念日の時だけです、はい。


その門の中に入ると、生け花が展示してありました。



真ん中のお花は、いつもお世話になっている「学ぶカフェ」の主催者山本さんの作品です。


数か月前に亡くなられた、元戦艦「霧島」の乗員だった帆足さんを想って、艦をイメージして生けられたのだそうです。


こういう忍び方って、すてきだなぁと思います。






席についてしばらくすると、巫女さんが二人入ってこられました。



初々しさが、なんとも巫女さんらしいお二人でした。


神様にお供え物をされる儀式が行われ、祝詞が奏上されます。


…で、その祝詞の中で


「東郷元帥」とか「帝国海軍」とか「ロシア海軍」とかそういうフレーズが入っているのに、軽く驚きました。


なんというか、あまり祝詞っぽくない言葉なので(笑)


でも、その慰霊の神事なので、当然と言えば当然なのですけどね…ちょっと不思議な感じがしました。


神事の中でちょっと感動したのが、雅楽が生演奏だったことです。


これも、なかなかないと思うんですよね…だいたいは録音したものですから…。


そして、先ほどの巫女さんが舞台に上がられ、舞を奉納されます。(この時はさすがに録音したもの)


「悠久の舞」


という名前の舞でした。


余談ですが、私、10代の頃に巫女さんだったことがあり、一つだけ「浦安の舞」というのを習っておりまして、


それは、かの太安万侶の子孫の女性が作られた舞で、お祝い事の時に舞うもので、その唯一知る舞と、どう違うかを、楽しみに拝見しました。





「浦安の舞」は、始めは、手に檜扇を持ち、後半は鈴に持ち替えたのですが、この「悠久の舞」は手に桜を、一貫して持っていました。


舞自体は、おそらく決まった型があって、その組み合わせを変えたものだとお見受けしました…ので、何種類か舞を覚える場合、


これ、ごっちゃになりそうだなと思いながら見ていました(笑)


ついでに、またまた余談ですが、この巫女さんが身にまとっている白い衣装は「ちはや(千早)」と言います。


…ん?ちはや?…ええ、そうです。


海上自衛隊にもありますね、潜水艦救難艦「ちはや」。


とはいえ、潜水艦救難母艦「ちよだ」は千代田城に、潜水艦救難艦「ちはや」は千早城に由来するので、別に関係はないんですけどもね…。









さて、舞も終わり、一通りの神事が終わりますと、次に(たしか)詩吟の愛好家(?)の方々が出てこられました。


詩吟の出だしの


「三笠ぁぁぁぁ~~~~~」「興国のぉぉ~興廃ぃぃぃ~…」とか「Z旗ぃぃぃ~~~~」という部分だけは、分かりました…インパクトあって。


日露戦争に関するフレーズが、これでもか!というくらい盛り込まれていましたね(笑)


そして、その詩吟が終わりますと、(たしか)佐世保総監によるご挨拶がありました。


お話の内容は、やはりと言いますか当然と言いますか


「帝国海軍の伝統」


というフレーズはありましたよね、もちろん。


ちなみに、この帝国海軍の伝統の継承については、特に海幕長が強く奨めていらっしゃるのだと聞いています。


もう一度見直そう、というようなことを奨励されているのだとか…。


帝国海軍ファンにとっては、喜ばしいことなのかもしれませんが、現実は、知れば知る程、海上自衛隊と帝国海軍は違うので、


まぁ、現場の人たちは、ちょっと大変だろうなぁと思ったりもします。


あと、総監の前だったか後だったか忘れたのですが、一昨年の日本海海戦記念日の式典で読み上げられていたのは


「連合艦隊解散の辞」だったのですが、今年は、違っていました。


うろ覚えで申し訳ないのですが、連合艦隊司令長官東郷平八郎中将が、確か、明治天皇に対して、バルチック艦隊を殲滅させることを誓われた、


その覚悟を述べられているものだったように記憶しています。


いづれにせよ、あの有名な「連合艦隊解散の辞」ではなかったことに、ちょっと驚きました。


一昨年の神事についての記事で、その「連合艦隊解散の辞」が読まれた背景について書いていますので、よろしければ、コチラをご覧下さいませ。


ところで、この日本海海戦記念日ですが、今年は111回目だったのですが、


そのことを、海自さんたちが「111Z(ゼット)」と言ってらしたことに気づきました。


この翌日、私は呉にいたのですが、その時に、久しぶりにお会いした護衛艦「いせ」の高田艦長と、このことについてお話しした時も、


「今年は110…Zくらいですか?」


と仰ったので、海上自衛隊では、こういう言い方が一般的なんでしょうね。


なので私も


「…111Zです」


と答えてみた(笑)


まぁ、日露戦争と言えば「Z旗」なので、なのかな?おもしろい言い方だなぁと思いましたね。







そして、神事・式典が終わったあと、「直会(なおらい)」が行われるため、会場に移動。



そんなに広い部屋ではないので、人がかなり多く感じました。


この日、私は風邪をこじらせており、あまり食欲がなかったのと、薬を飲まねばならなかったので、お酒は遠慮したのですが…そのお酒が…



これ(笑)


この瓶、争奪戦になっていました(笑)


だろうね。


私は、席をはずしていた時に、今回私を連れてきてくださった方が、これを奪取してくださっておりました


何から何まで、本当にありがとうございました…


で、この方が、日本酒を確保してくださっている間、私は何をしていたかと言いますと、ずっと遠めからでもいい男っぷりが目立っていた、


佐世保総監の副官の元に押しかけていっておりました(笑)


この方、参加者のマダムたちに取り囲まれていらっしゃいましたね、えぇ…(笑)


背が高くて、誰が見たっていい男でしたからね~


ご本人の許可を得まして、お写真を公開いたしますよ



ねっ


っていうか、ご本人は実物の方が、何倍もカッコよかったです。


そして、毎度毎度書くけどもさ…本当に、副官って顔査定が絶対あるよねないとは言わせないわよ


と、言いたくなりますよ、本当に。


で、驚いたことに独身だそうで、思わず…


「えっ珍しいですね


と、失礼な驚き方をしてしまいました…すみません…。


だってさ、こんなにいい男なのになんで??????って思うよ????


そしたら


「…いやぁ、私、女性に対して気が利かなくて…」


と苦笑いされてました(笑)


そうかぁ…じゃあ、ここはやっぱり、私が一肌脱いであげるしかないわね…最近は、婚活イベントやってないけど…


副官さんのためなら、誰か紹介しますよ


と言う、話だけはしたものの


「……まぁ、でも、土日がありませんからね(笑)」


とのこと。


「文字通り、月月火水木金金ですね(笑)」


というと、笑って返してくれたその笑顔の素敵なこと…もったいないなぁ…


「今日も、この後、佐世保の海軍墓地に移動して、まだ慰霊祭があるんです」


…ですよね…本当にお疲れ様です。


そんな話をしていると、次々に、一緒に写真撮ってくださ~~~いという言うご婦人方が殺到し、撮影に笑顔で応じられていました。


その時、特別に、ご婦人からのリクエストにお答えする形で、室内にも関わらず撮影用に帽子を被ってくださったのが、先ほどの写真です。


そんな優しくステキな副官さんに、ステキなパートナーが現れますように…


そう筥崎宮の神様にお祈りしながら、後にしました。


さて、では、バスで岸壁に移動して、乗艦します。


続く。







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練習艦隊遠洋航海お見送り ~横須賀基地にて~

2016年06月04日 | 海上自衛隊

長らく、更新お休みしてしまい、申し訳ございません…。


え~…実は先月18日に、練習艦隊の遠洋航海への出港をお見送りに行ってまいりました。


たまたま、別件で上京する予定だった日に、うまい具合に偶然、練習艦隊出港が入り込んできた(?)ため、お見送りに行かせて頂いた次第です。


一昨年の海上自衛隊カレンダーの3月の、かしま艦上に居並ぶ、真っ白い詰襟を来た実習幹部生たちを見て、


「いつか、この出港のお見送りに行ってみたい!!」


と思っていたのですが、ようやく叶いました。


実は、昨年もチャンスはあったのですが、連日の遠征により、体調とお財布両方の調子を崩し、断念する羽目になってしまったわけです。


そして、満を持しての今年


しかも、出港は横須賀から


こんなこともあろうかと、念のため、無駄に始発の飛行機を取っておいて本当によかった…(ノД`)・゜・。


…とはいえ、1000出港ってことでしたので、ギリギリの到着…。


最悪、出港していった「かしま」の後姿を見送る羽目になることを覚悟していたのですが、1000時10分前には基地正門に到着し、かつ、


並みいるご来賓の皆さまのご祝辞のおかげで、出港時間は大幅に遅れたため、無事にお見送りすることができました(笑)


いつもながら、自衛隊にかんしてだけは、持ってる私…。






息を切らしながら、なんとか岸壁にたどり着き「かしま」の前に向かいました。



…実は、珍しくひと月ぶりに目にするグレーのおふね…。


鉄分と塩分切れに犯されていた私は、久々に鉄分&塩分を補給することが叶ったのです


あぁ…幸せ…( *´艸`)



かしまの前で整列する実習幹部生たち。


ちなみに、この日は風が強く肌寒かったです。


その中、微動だにせずに、ご来賓の方々や海幕長のお話を聞く実習幹部たち。


ひと月の国内巡行を終えて、これから世界一周に旅経つのですが、皆さんの胸中はどのような想いなのでしょう…。


そう思いながら眺めていると、音楽隊の演奏が始まりました


「宇宙戦艦ヤマト」です


これ、いきなりすぎて、撮影間に合わなかったんですよね…。


で、そのあと…いよいよ実習幹部生たちが各艦に乗艦する時が来ました


たしか、練習艦隊司令官岩崎海将補が、海幕長に、


「只今より練習艦隊出港します!」


と告げられてから、だったと思います。


それから、軍艦行進曲の演奏が始まりました


陣取った場所がよすぎて(?)「あさぎり」乗艦の実習幹部生たちが目の前を通ってくれたのは良いのですが、ちょっと近すぎました(笑)

実習幹部生乗艦



…しかし、毎度思いますが、この様子をお見送りされる親御さんや奥様、彼女さんたちのご心中はいかばかりでしょう。


私だったら、息子・娘のこんな晴れ姿見ちゃったら、涙で前が見えなくなりそうです(笑)


そして、乗艦した実習幹部生たちがこちら…



まさにまさにこれですよ一昨年のカレンダー


やっと実際に見ることができました(ノД`)・゜・。








左奥には「あさぎり」



そして、私がいた場所の目の前には「かしま」。



「せとゆき」は、残念ながら、「かしま」の奥にいるため、まったく見えません…。


そして、このまっすぐに伸びるレッドカーペットに注目。



…分かります???


手前の黒いゴム部分に、白いタグがあってあるのが。


これ、ここに立たれる「エライ方々」の役職名が貼ってあったんです。


なので、皆さんがお揃いなるとこんな感じ…。





ね?(笑)


ところで、夏服は、幹部は白い靴になるのですが、これ、実習幹部生の時に初めて白い靴を履く時、ちょっと感慨深くなるそうですね。


「あぁ…ついに…」


みたいな。


そうだよなぁ…。








ところで、お見送りに来た人たちに、自衛艦旗が手渡されていたので、せっかくなのでこんなショットを…。



無理やり入れてみた(笑)


さて、そうこうしていると、「せとゆき」の出港ラッパが鳴り、「あさぎり」の出港ラッパが鳴って…って、


ちょっと記憶があいまいで申し訳ないのですが、確かほぼ同じ時間に出港したと思います…違ってたらごめんなさい…。



「あさぎり」に帽振れする「袖の金色の幅が広い方々」。




当然ながら、この方たちも、○十年前は、同様に出港していかれた訳なので、どのような想いで見送られているのかな?


と思っていたのですが、特に気になったのが、昨年の練習艦隊司令官でいらした仲畑海将補です。


昨年は、司令官としてお見送りされる側にいらしたわけなので、どのような胸中でお見送りされたのか、気になるところでした。


目の前にいらしたのですけどね、さすがにちょっと聞けなかったなぁ(笑)








さて、そんな中、息せき切って、ちょうど私の隣に駆け寄って来られた、年配のご婦人。


「おおっ?!」


と思ったのですが、そのご婦人、目の前の「かしま」艦上に並ぶ実習幹部生を見上げて


「ああっいたやっと見つけた…はぁ…間に合ったよかった…」


と、息も切れ切れに仰ったので、


「…ひょっとして、お孫さんがいらっしゃるんですか?」


と尋ねると、


「ええ…そうなんです…」


と。


「どちらにいらっしゃるんですか?」


「あの…一番先頭に


「え~~~~っ…そうなんですね…。よかったですね…間に合って」


「はい…よかったです…」


お孫さんの晴れ姿…これから、半年間の遠洋航海に旅経つお孫さんをお見送りするために、息せき切って走ってこられたその老婦人を見て、


違う、ということは分かってはいても、…昔の出征を見送りに来られているような錯覚を覚えました。


目的が違うだけで、出港の風景やお見送りするご家族のご心中に、言葉に出来ない共通点を感じたのです…感覚的なものなのですが…。


もちろん、死地に赴くのと全く違うことはよく理解していますが、以前、知人のご両親が、江田島の卒業式でご子息の出港を見送る時に、


同様の気持ちになられたことから、遠くに長期間出港する艦を見送る気持ちは、死地に赴くか否かに関わらず、


何かしら同様の、寂しい気持ちを抱かせるものなのではないかと思うのです。


このご婦人の息せき切ってお孫さんをお見送りに走ってこられた様子は、古から海外に遠征する船を見送ってきたご家族と、きっと同じお気持ちで、


同じ様子で、ずっと昔から繰り返されてきた光景なのだろうな…と感じながら「かしま」の船首付近に立っていらっしゃるお孫さんを見上げました。



おばあさまは、お孫さんの凛々しいお姿を見上げて、一生懸命手を振っていらっしゃいました。







やがて、「かしま」がゆっくりと動き出しました。



ちなみに、タグボートにも、お見送り艦艇にももれなく「UW」が掲げられています。


写真にあまり映っていなくて残念ですが、こういうのがたまらなく大好きですね~( *´艸`)


出港ラッパが鳴り響き、しばらくして「帽振れ」の号令がかかりました。



一斉に帽振れ。




せっかくなので、自衛艦旗バージョン。



自衛艦旗を振ってお見送りするご家族の皆さま。


半年後、成長されて帰国される日を待ち遠しく思われていることでしょう。


皆様が、無事に帰国され、晴れて初任幹部として赴任されるであろういづれかの艦艇で、お目にかかれる日を、私もとても楽しみにしています。


練習艦隊のご安航をお祈りしております。








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