「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

日本海海戦洋上慰霊式 ~筥崎宮での神事~

2014年05月30日 | 海上自衛隊


さて、この日本海海戦って何?という方のために最初に説明をいたしますと、


日本海海戦は明治38(1905)年5月27日に、


東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊が、ロシア・バルチック艦隊を打ち破った、


日露戦争における海戦です。


日本以外では「対馬海戦」と呼ぶそうですが、実際に日本海広域に及ぶので、


日本海海戦と読んだ方が正しいと思われます。


この、日露戦争は、世の海軍女子(っていう言葉がそろそろ出てきそう)にとっては、


フレーズを聞いただけで目が輝いてしまう「坂の上の雲」でお馴染ですね。


日露戦争は、歴史上、有色人種が白人に勝利しえた、唯一の戦いであり、


まさに、歴史上の金字塔を打ち立てた戦いと言えます。


そして、この5月27日には、毎年、福岡市東区の筥崎宮において、


日本海海戦記念式典の神事が執り行われているのです。


…ということを、実は、私、昨年初めて知りました…恥ずかしながら。


で、昨年、護衛艦いせが唐津を出航した後、


実はそのまま博多港に向かったということを、


その日に知って、来年こそはこの式典に絶対出たい!!と思っていました…


が、すっかり忘れていました(笑)


5月のゴールデンウィーク入ってすぐくらい?に、


ネットでその記事を見つけて、あっ!!!!!と思いだし、


すぐに、地本に連絡し…なんだかんだあって…


ねじ込みました(笑)


行く!と決めたら行く!…それが私です。


ほほほほほほ(笑)


いろんな攻撃をしかけましたよ、ええ。(注※お金とかは捲いてません)









ってことで、満を持しての参加です。


ところが、その後で、お世話になっている関西のK先生のお知り合いで、


私も練習艦隊のレセプションパーティでお会いしたI先生から、


「チケットが1枚あまってるから、行かへん?」


とのありがたいお電話が…。


な~んだ、地本にねじ込む必要なかったよ…(笑)


でも、まぁ、せっかくなので、平日に休めそうな子の中から、


同郷のよしみで、カワイイ*とみちゃんをお誘いしていくことに。


博多駅で待ち合わせて、筥崎宮に向かいました。


神社に到着すると…



わ~!Z旗に自衛艦旗(以前、海自さんに「旭日旗」というと「自衛艦旗です」と言われたので~)


で、そこに掲げられた文字は、


「敵国降伏」


ちなみに、なぜこの神社で日本海海戦記念式典が行われるのかというと、


東郷元帥ととてもゆかりのある神社だからです。


明治38年8月19日、日本海海戦勝利の後、博多港寄港し、


元帥は、第二艦隊第四戦隊司令官瓜生外吉中将及び参謀長加藤友三郎少将を伴い、参拝されました。


この時、残念ながら、秋山真之中佐は同行されていなかったようですね。


ところで、この「敵国降伏」の意味ですが、一見とても好戦的に見えますが、


とんでもなくて、


武力によって敵を降伏させる(覇道)ではなく徳の力をもって導き、


相手が自ら靡き降伏する(王道)という、


国家国民の安泰のため我が国の進むべき道を示してあるようです。


集団的自衛権や憲法改正でいろいろもめている現在、


考えさせられる深い言葉ではないでしょうか。


そして、もう1つ、東郷元帥の縁の品…それは、あの


「聯合艦隊解散の辞」


が、筥崎宮では「神威赫赫」の書と共にこの解散の辞が掲げられているのだそうです。


びっくり。


そういう、東郷元帥ととても深い縁のある、この筥崎宮、


実はちょっと遅れて到着したのですが、


その時、ちょうど、記念式典で


「東郷元帥の謝辞」が読み上げられるところでした。


…こういう式典で、日本海海戦記念日といえども、


未だに、東郷元帥の謝辞が読み上げられると言うのには、


正直とても驚きました。


戦後、戦前の全てを否定してきたこの日本で、


おそらく今まで、ひっそりと続けられてきたのだと思いますが、


それでも、細い糸をつなぐように先人方が、海上自衛隊と共に、


この伝統を続けてこられたという事に、


万感の想いがこみあげてきました。


そして、多くの日本人はこのような事を知らないのだと言う事に、


深い悲しみを感じます。


続いて、佐世保地方総監部の総監池田徳宏海将のご挨拶がありました。



この時、最も印象に残ったのは、


「国難に際して、勇敢に戦った連合艦隊は帝国海軍の末裔としての海上自衛隊として

 …(中略)…国民の生命と財産を守る自衛隊の、あるべき姿…」


と仰っていたことです。(一字一句全てが間違いなくその通りではありません)


思うに、現職の海将の地位にある方が、公の場でこうはっきりと、


こういう事を仰るのはとても珍しいのではないのでしょうか?


私は、一人で相当驚き、かつ、とても感激しました。


このお言葉を聞けただけで、


来たかいがあったというものです。


そして、もう1つ感激したのが、


この話を聞いていた時、私のすぐ側1時方向には、


すらっとした、一等海尉殿が、かばんを持って微動だにせずに立っていらした…


そう、総監の副官を間近で見ていられたことです(笑)


いや~ステキですね~


総監のお話が終わるとほどなくして、場所を移動して、


出てこられる場所で待機してらしたのですが…


私ったら、見とれて写真とるのを忘れちゃったわ~


ごめんなさ~い。


あの、素敵な後ろ姿を取っておけばよかった…。







そして、式典が終わり、皆さんが出て来られました。





見送っていると、


どーーーーーーーーん!!!


という大きな音が。


なんだ?!なんだ?!とみてみると、


なんと、火縄銃で祝砲をあげているではありませんか。


毎年恒例のようです。




けっこうな音がしましたよ。


この音を聞きつつ、せっかく神社に来たので、ってことで、


おみくじをひきました、ら、


な~んと大吉


東郷元帥のお導きとご加護を賜った気分です…。


感激





さて、気分がさらに良くなったところで、


洋上慰霊式に向けて、バスで博多港に移動します。

 
そのバスが待っているところが…



こんな光景(笑)


す~げ~…


現代でこれだけ大量の旭日旗が並んでるところって、見た事ないわ…。


もちろん、反対側の歩道にも、もれなく並べてあります。


なかなかのインパクトですよ、これは。


もう、艦艇に乗ることに向けて、気分が最高潮ですよ。


1月以来、4か月ぶりの体験航海…いや洋上慰霊式に向けて、


博多港岸壁で待つ、


掃海母艦うらがに向かいます。


…続く。


日本海海戦洋上慰霊式~プロローグ:海上自衛隊に恋した日~

2014年05月29日 | 海上自衛隊


しばらく、間があいてしまいまして、ごめんなさ~い!


24日博多ゆる会⇒二次会⇒三次会

25日陸上自衛隊第四師団開設64周年記念行事際⇒ゆる会

26日疲れて動けず(笑)

27日日本海海戦洋上慰霊式⇒唐津東松浦政経講演会で司会⇒懇親会

28日掃海母艦うらが出航見送り⇒仕事




という、けっこう怒涛の濃い数日を過ごしてしましまして、


なかなかブログをUPする時間がない上に、


ネタだけは溜まっていってしまい、


何から書くかものすごく迷っていたのですが、


ここは、時系列ではなく、


私にとってもとても大きな意味のある、


この日本海海戦洋上慰霊式から書くことにしました。


日本海海戦記念日は、5月27日ですが、


その数日前の24日は、私にとって、


まさに、海上自衛隊に恋した日なのです。






もともと、軍事や戦略・戦術が好きで、しかも艦隊が好き(笑)だったので、


海上自衛隊にもずっと興味はありました。


特に、江田島という存在を知ってからは、その興味は一層増しました。


特攻隊の遺書に触れた時、


この時代の人たちのような男性が存在するとするなら、


それは、江田島で教育を受けた人たちに違いない!!と思ったからです。


誤解のないように言っておきますと、


陸上自衛隊や航空自衛隊がそうではない、と言っているわけではありません。


おそらく、もっとも色濃くそうであろうと思っただけです。


なぜなら、江田島は、この現代の日本において、唯一、


戦前の日本の、


美しい文化と伝統を、継承し続けることが可能だったところなのではないか、


と、感じたからです。


勝手に美化している、と思われても構いません。


私がそう感じただけで、それは私の感性なので、


そこに対する批判は甘受する気はありません。


そして、それが、まるっきり幻想でも思い込みでもない、ということを、


海上自衛隊を知る程に、確信しました。


海上自衛隊の艦艇を見に行ってみたいし、


海上自衛官と会ってみたい、


そう思い始めて、想えば10年以上経っています。


なかなかそういう機会に恵まれなかったし、


自分で探して行くほどのモチベーションは、まだありませんでしたので。






それが一転したのが、


ちょうど1年前の5月24日でした。


東京から戻り、仕事のあてもない中で、たまたま見つけたNPO法人で、


地元情報誌の編集に関わることになり、


編集会議の時に、


「今度、空母が唐津に来る」


という話が出ました。


この時は、私はまだ「護衛艦」という言葉すら知りませんでした(←以外でしょ?(笑))


わずか、1年前の話ですよ(笑)


変な知識だけ持っていた私は、


(は?空母?自衛隊って空母持っちゃダメなはずじゃん?空母が来るってどういうこと?)


と思いつつも、


はっきり言って空母(らしきもの)見たさに、


「その取材は、絶対に私が行きます!!」


ということで、なんなく、その切符を手にしました。








迎えた当日、


レゼプションパーティにも、取材ということで会費○○円のパーティに、


タダで行くことができると言うので、


下調べで、護衛艦見学はヒールとスカートは厳禁という事を知っていた私は、


パンツスーツにフラットシューズで、唐津の妙見岸壁に向かいました。


西唐津駅から、岸壁に向かって歩いていると、


大きなグレーの色の艦が見えました。


入港から見るはずが、予定よりも早かったらしく、


もう岸壁の近くまで来ていました。


まだ、かなりの距離があったのを懸命に走り、なんとか岸壁につくと、


ゆっくりとゆっくりと、艦が接舷しているところでした。


目の前にいる、この大きくも優美な艦が、


護衛艦いせです。



私が、人生で初めて見た海上自衛隊の護衛艦です。


まさしく、一目惚れした瞬間でした。


いせがゆっくりとゆっくりと岸壁に近づいている間、


人生であんなにドキドキしたことはないかもしれません。


また、あちこちで接舷の作業を慎重に進める、


海上自衛官たちの姿がとても印象的でした。


作業が終わり、しばらくすると、


艦長をはじめとする船員さん達が降りてきて、


艦の前に整列されました。



初めてこの場にいた時の気持ちって、わかります?(笑)


まさに、まさに、


この日が、私にとって海上自衛隊とのファーストコンタクトでした。


この時はまだ、


DDHという言葉も知らなくて、


いせがどんな役割なのかも知らなくて、


他にどんな護衛艦があるかもしらなくて、


CIWSやVLSなんて言葉も当然知らなくて(笑)


イージス艦という言葉は知っていても、


何をイージス艦というのかも知らなかったんですよ?!


いや、ほんとに(笑)






実は、ゆるやかな会の話も、ほとんど同じタイミングでした。


当時は、まだ幹事ではなく、


9月以降に引き継ぐことだけ決まっていた


お手伝いからのスタート。


この5月は、博多ゆる会の1周年でもあるのです。


そう考えると、昨年の5月から、


どれほど私の人生は急展開したことでしょう。


この日、いせが来た時から、


私の運命は変わった…というより、


ようやく、ようやく動き出したように感じます。






それまで、まったく関わることのなかった、


海上自衛隊と、一気に縁が結ばれたような感覚です。


そしてこの事を皮切りに、


なかなか身近に触れることのない潜水艦に、なんと乗ることもでき、


その翌月には、初めての体験航海をすることもできました。


護衛艦はるゆきです。


はるゆきもまた、とてもとても深いご縁を頂いた艦で、


この艦のおかげで、後にどれほどご縁が広がったかわかりません。


出会えたことに、感謝でいっぱいの艦です。






帝国海軍の末裔たる海上自衛隊に恋し、


海上自衛隊だけでなく、自衛隊全体を、自分ができることで、なんとか彼らを護りたい。


その想いだけで1年、走ってきた私にとって、


この節目での


日本海海戦洋上慰霊式参加は、英霊方には極めて失礼ながら、


私にとっては、一層感慨深いものでもありました。







この1年で、海上自衛隊をはじめ、


自衛隊とのかかわりが、どれほど大きく広がっていった事かわかりません。


わずか1年の間に、


たくさんの貴重なご縁を賜り、


数知れない楽しい時間を過ごさせて頂き、


多くの貴重な体験をさせて頂いたのは、


ひとえに、自衛官及び自衛隊関係者の皆様と、応援して下さる皆様のおかげです。


今年は、久留米駐屯地の防衛モニターを拝命させて頂いたおかげで、


今後は、陸上自衛隊の記事も増やすことができ、


ますます充実した記事をお届け出来るものと確信しております。








いつも読んでくださって、


いつもご訪問してくださって、


本当にありがとうございます。


日本を愛し、自衛隊を支え、応援していらっしゃる全ての方々に、


あふれる感謝をこめて。


















笑いたい時におススメ・・・それは、アノ国の軍隊(笑)

2014年05月22日 | 日記


…まぁ、私ってよく、悩みなさそうだとか、


めげなさそうだとか、


なんか、感情がないみたいに周囲から思われがちですけどね、


いちおう、ヒト科人間なんで、それなりに気分の浮き沈みは多少なりともあるわけで…


一般人よりも、その波が浅いってだけでですね…。


なので、気分が晴れない時だってむろん、あるんですけど、


そんな時は、とにかく、


おもしろいネタをネット上で探してみます(笑)







わりと、漫才とかも好きなんですが(ノンスタとサンドイッチマン好き)


最近のお気に入りは、


アメーバ大喜利とかおかんのメールシリーズとかなんで、


これらを、ニヤニヤして見つつ、軽くガス抜きする私


だけど、こんなもんじゃない、爆笑もののネタがあった。


イヤ、前から知ってはいたけど、


掘ってみると予想以上におもしろいネタの宝庫だったのだ、そこは。


それは、韓国軍(爆笑)


いやー、ほら、私って韓国大っきらいじゃん?


でもこれだけは、おもしろすぎて好感持てたね(笑)


いや、むしろ大好きよ


まぁ、一部のネットユーザーにとっては、


この時点で「ああ、あれね(笑)」と笑いを誘う有名な話です。


もはや凄すぎて、いちいち挙げていられないので、


ここは、陸・海・空から珠玉のネタ(じゃなくて事実なんだけど)を


1つづつご紹介しようと思う






はい、ではまずは韓国空軍からです。


枚挙にいとまがないくらい、いろんなネタがあり、マンホールの話が有名ですが(笑)


私のイチオシは、このネタ(いや、だから実話だって)


戦闘機内で後輩操縦士を教育していた空軍の少将が非常脱出装置を誤って操作し、滑走中に空中に飛び出すという事故が発生。

一瞬の操作ミスで10億ウォン(約7500万円)を溝に捨てる!

非常脱出装置は、レバーを操作して緊急時に戦闘機のキャノピーから座席ごと射出される仕組みになっていて、射出時にキャノピーは壊れてしまう。




教育をする立場だった…あまつさえ将官がですよ?


閣下と呼ばれる方がですよ?


これって、自動車でウィンカーと間違ってワイパー動かしちゃうレベル


めっちゃ恥ずかしいミスだと思うんだけど(笑)


私がこの少将閣下なら、明日から出勤する勇気は、ちょっとないわ…


恥ずかしすぎる…この少将閣下は、一体どうなったんだろう?


あ、得意のなんかのせいにするのかな?(笑)変な言い訳すんだろうね(笑)






さて、お次は海軍です。


海軍も負てはいません…いや、内容を見る限り、


おもしろさレベルでは確実に海軍に軍配が上がっていると思われ…。


こちらも、イージス艦がゴミにやられたとか「?」な話満載ですけど、


やっぱりこれでしょう、このネタ(だから、実話ですくどいですが)



…誰ですかこれを、日本が誇る「ひゅうが型」と間違えた人は


コレとだけは間違えないで頂きたいですね…ホントに。


韓国軍が総力を結集して作った、強襲揚陸艦「独島」です。


あ~、もう、ふざけた名前つけやがって~ってかんじだし、


(韓国だけに)パクってんじゃねーよって感じですが(うまいこと言った


大丈夫、天罰が下ってるから(笑)


韓国海軍の誇る軽空母を目指した艦艇がこちら。この独島級は強襲揚陸艦に分類される。軽空母に近いが、揚陸艦と命名されているとおり、港湾施設がない海岸にも歩兵や車両を上陸させる能力を持っている。イージス艦の護衛対象になる艦である。

盗っ人猛々しくも「独島」と竹島の韓国側の名称を付けている辺り、何をする目的の艦かはよく分かるだろう。
ちなみに、大きさ的には軽空母として運用できるほどの大きさを有しているが、今のところその予定はないとか。
ただし、この独島級の艦は最大速力で23ノットと、かなり鈍足なのに加えて、色々な設計ミスも。

韓国、パネぇっす。8000億ウォンも投入して建造された大型揚陸艦なのに、レーダーが作動すると、レーダーのビームが甲板に反射してレーダーモニターにゴースト(虚偽標的ゴースト)が発生するとか。
未完成のまま引き渡されて、一部は改善されぬまま運用しているとか記事には書いてあるが、流石にもう改修されたよね?(棒
ああ、そう言えば、搭載するヘリが無いって噂はどうなりましたっけ?

簡単に言うと、この記事、甲板に居る自軍のヘリを「迎撃」してしまう構造だという話。お粗末な話があったものだが、設計ミスなら仕方が無い(笑)
ゴールキーパーがオウンゴールをしてしまって、死者が出たら笑い話にもならない。

そもそも、韓国軍は揚陸艦で運用するヘリを持っていないのだが、大丈夫か?搭載できたとしても、12機程度のヘリしか運べないし(フランス海軍のミストラル級は16~35機程度まで搭載することが可能)、そもそも、どんな事態に備えて就航させたのかさっぱりよく分からない(棒)
ちなみにだが、艦上用ヘリコプターを確保出来ないので、貯水池の上でヘリコプター機動訓練をやっているとか。艦上用ヘリコプターは防塩処理が必要なのだが、専用のヘリを確保するだけの予算があるとか無いとか……。



イージス艦にもついているという、レーダーのゴースト発生機能と、オウンゴール機能が、


このフザケタ名前の艦にも、もれなく付けてあるらしい(笑)


それにしても、この艦ひとつでこれほどのネタ満載って、


どう思われますか海上自衛隊の皆さま(笑)


自分の甲板上にいるヘリ(つーか、そもそもそのヘリもない)を撃墜しちゃうって、


いったいどういうことなの~~~?(笑)


まぁ、はっきりいって引き合いに出すのも侮辱だと思うけど、


これ、どう思われますかいせの皆さま方


しかも、まだ終わらないから恐れ入る(笑)


……と思ったら、2番艦も導入とか、パねぇ!
記事を読んだら、未だ予算が付いただけで、実は1番艦も戦力化は2020年以降と言われているので、戦力化は更に後、ということになる。

何で韓国は入れ物だけ立派なのを作りたがるのか。

なかなかやってくれるな。
発電機4台が何れも故障で、立ち往生して曳航されるとか。「栄光の」韓国軍を地で行く話だな。まったく。
しっかし、4月に発電機2台壊して、9月の時点で直っていないとは一体どういうことなんだ?

ちなみに、こちらの記事でも触れているが、ヘリ空母扱いなのに艦載ヘリが無いので「独島のホテル艦」という別名があるらしい(苦笑)



発電機が故障して、ドナドナされたらしいよ(笑)


その昔、戦艦大和が「大和ホテル」と呼ばれていましたが、


むろん、それとはあらゆる意味で何もかもが一切違いますから


言うまでもないことですけど。


なんでこんなにおもしろいの?韓国海軍





この海軍の話で、もう充分お腹いっぱいかもしれませんが、


みなさん、まだ陸軍が残っていますよ?


でも、そうですね、


ここはもう、インパクト重視でシンプルに行きたいと思います。

(勘のいい人はおそらく、これで何のネタかピンと来たと思う…)


これは、もう、一目一目で充分


これを見た全ての人を爆笑の渦に巻き込んだであろう、


衝撃の映像が、これだ…


1 


2 


3 




…え~~~、もう、何これ(笑)


なんで?なんでこんなことになるの~?(爆笑)


もう、ネタ満載でおもしろすぎますが、もっと笑いたい方は、


コチラをご覧くださいませ。


この記事の太字茶文字部分の文章は全て、こちらからの引用です。

Annex to house





朝鮮半島って休戦中なだけでしょ?


なのに、なんでこんなに緊張感ないんだろう???


っていうか、今日もキナ臭いニュースがありましたね。


北朝鮮が韓国海軍の艦艇近くに砲撃


いや、この実態を北朝鮮が知ってたら、


確実に攻めてくると思うんだけど…。


だって、勝てそうだもん(笑)


この国って、ホントにいろんなことがヤバいなぁ。


ところで、来月から3ヵ月Rimpacですね。


もれなく、こちらのお国もご参加されるとのことで、


なんかまたやらかすんじゃないかと、期待心配です…。


あ、そうそう、前回のRimpacでは、イージス艦のミサイル(SM2)の


命中率がわずか50%だったらしいですね(笑)


今回、その機会があるかどうかしらんけども、


もうちょっと命中率が上がってるといいねぇ


っていうか、それもメーカーのせいにしてたらしいじゃん?


あのね、日本みたいにお人よしの国ばっかりじゃないんだからさぁ、


文句いえばどうにかなると思ったら大間違いよ?


あ、参加される海上自衛隊の皆さま、


Rimpacで韓国海軍がおもしろいネタを披露してくれたら、


ぜひ、こっそり教えてください(笑)


もちろん、ネットには一切公開しません。


私が一人爆笑するだけですので。


楽しいお土産話を期待しております














海上自衛隊英才(洗脳)教育・・・(笑)

2014年05月20日 | 日記


普段、私は何をしているのか?と


いろんな方から疑問視されていますけど、


4月からもっぱら、子守りをする日々を送っています。


…私の記憶が確かなら、自分で子供を産んだ記憶はないんだけど、


気がつけば、5月から、3歳児と乳児2人のベビーシッタ―状態。


このちびっこ達の母親の正体は、私の実の妹なので、


早い話、この子らは、甥っ子です。


4月2日に増えたんですね~。


なぜか、この2人の世話がまわってきているので、


昼間は自分が出産したかのように、つきっきり(笑)







朝、3歳児は、私の部屋の前にやってくると、


コンコンとノックをちゃんとして(しつけ厳しい)


「まゆみさぁ~~ん」


と、なぜか下の名前にさん付けで呼ぶ(これがカワイイ


「は~い」


というと、


「(部屋に入って)いいですか~?」


という。


だいたい、私の朝はこんな感じで始まっていました。


5月から幼稚園に行き出しだので、これがなくなったのがさみしかったりします…。


で、部屋に入ると、


私の部屋の一角は、


護衛艦で埋め尽くされているので、


これは、せっかくなので仕込まない手はない、と思い、


少しづつ、覚えさせることをたくらみました(笑)


もともと、2歳ですでに、JR九州の全特急を覚えていたので(←パパがJR職員)


これは、護衛艦もいけんじゃね?と思って、


ちょっとたくらんでみた。


とはいえ、特急電車と違い、護衛艦は(しらせ以外は)グレー1色なので、


さすがに、3歳児に個別の名前までは荷が重かろうと思い、


ざっくりした名称から仕込み始めた。


まず、手始めに仕込んだのは、


イージス艦(笑)


すると、けっこうすんなり覚えましてね~。



これをみると、


「いーじしゅかん」


と言うようになりました~


えらいっでかしたぞ~


まぁ、ヤツにとっては、


海上自衛隊の艦艇 = いーじしゅかん


と認識してしまっているので、


ここはもう少し、細かくいこうと、


次は、



「潜水艦」


にいってみました。


「せんしゅいかん」


と言葉は覚えたものの、


潜水艦の写真を見せると、


「これ、ちょっとイヤ」(←興味がないとこういう)


とあまりお好みではなかったご様子


なんか、黒いのが怖かったのかなぁ…。


そういえば、列車でもSLキライだしなぁ。


そんなわけで、


例のカレンダーをみると、


「いーじしゅかん、せんしゅいかん」


と取りあえず、両方言うようになった(笑)


護衛艦と潜水艦の区別はつけさせねばなぁ…。


ってことで、


「護衛艦」


という言葉もむろん、ちゃんと教えているけど、


「ごえーかん」


と言いはするものの、


カレンダーを見ると、


「いーじしゅかん」か「せんしゅいかん」


を気分で使い分けている感じ(笑)


卓上カレンダーのふゆづきを見ても、


「いーじしゅかん」(←ま、これはあながちまちがいでもない(笑))


うーん…。


あとは、上部の航空機群を見て、


「ひこ~き、い~っぱい


とうれしそうに言って、


「へりこぷたー」


というから、


では、せめこれは教えねばと思い、


次に仕込んだのはこれ↓↓↓↓



うふふ


2012年Keensordの時の、いせとジョージのツーショットです


このせいで、永久3月が決定していたのだけど、


気になって仕方ないので、下の暦の部分だけを切り取って次の月にする、


という荒業に出たカレンダー


これを指して、めんどくさいので


「空母(笑)、『いせ』よ~」(←いせだけ個別名前を教える)


と教えた私。


すると、意外とすんなりこのカレンダーを見ると、


「くーぼ いせ」


と言うではないの


うむ、でかした


もう、ただでさえ甥っ子は可愛くて仕方ないのに、


可愛さ倍増


また、雷蔵さんから頂いた「こんごう」をみて、


「いーじしゅかん」(手前のはるさめも今のところまだ「いーじしゅかん」)


と言ってお気に入りで、


私の部屋に来る時によく、


「まゆみさ~ん、いーじしゅかん見せて~」


と言ってくるのがカワイイ








そうこうしていると、


母がいきなり、


「ね、イージス艦ってどこで見られるの?」


と聞いてきたので、


「いちおう、佐世保にはいるけど~、そこは入れないから、

 近くで見ようと思うと舞鶴になるね~。なんで?」


というと、


「こーのすけ(甥っ子)が『いーじしゅかんみたい』っていうから」


とのこと。


半分は自分がみたいんだろうけど、孫をダシに使ってくる母(笑)


まぁ、せっかくなので、立神に行けるように手配したいなぁ。


そんな中、


この前もう一人のおばあちゃん(妹の旦那のお母様)が、


お土産に持ってきたおもちゃに、思わず目が釘付けになった。



「お義母さん!!!それ、ブルーインパルスですよね?!」

「そうったい。この前、鹿屋に観に行って来たったい~」
(※注「そうなの、この前鹿屋に観に行ってきたの」)


このおもちゃ、ボタンを押すと、キュイ~~~~~ンとエンジン音がする優れモノ。


甥っ子も気に入っている様子。


お義母さん曰く。


「近くにいた人たちも言よらしたよ~『こがんとに自分の息子が乗っとるとかどがんやろうね~』て。

 こうちゃん(甥っ子)パイロットになるね~?」
(※注「近くにいた人達も言ってらしたのよ『こんなのに自分の息子が乗ってるなんて
 どんな気持ちかしらね』って。こうちゃんも、パイロットになる~?」)


いやいや、お義母さん、こーのすけは護衛艦乗りですよ(笑)


っていうか、このおもちゃに対抗して、


イージス艦でもなんでもいいので護衛艦で、


こういうおもちゃをぜひとも作って頂きたいです


ボタンを押すと、喇叭が鳴って「出航よ~い」というヤツを…


…ってことで、以来、私の部屋にあるコレ↓↓↓↓



ちゃっかり、2番機以外の全ての直筆サインが書き込まれているクリアファイルです(笑)が、


コレを見て、


「こーちゃんの、こーちゃんの」


というようになった甥っ子。


「ブルーインパルスね~」


と教えると、


「ぶるーいんぱるしゅ」


とたちどころに覚え、


部屋に来ると、一通り、


「いーじしゅかん、せんしゅいかん、くーぼ、ぶるーいんぱるしゅ」


とそれぞれ指さして言うようになった(笑)


調子づいた私は、


「いーじしゅかんがみたい」というリクエストに応えて、


亡国のイージスのDVDを見せてみると…


微動だにせずに見ている(笑)


しかも、


対空戦闘シーンは食い入るようにみている(笑)


戦闘シーンが終わると、


「いーじしゅかんは?」


というので、


次は、観艦式を観せてみた。


するとなぜが、


「縦列陣を組んで~」のくだりで


「じゅうれつじん」(←気に入ったらしい)


とリピート(笑)…お前、本当にどんな3歳児だよ???(笑)


さすがに途中で、集中力が切れたらしく、


「崖の上のポニョ」


を観ることにしたのですが…


…これ、今まで気づかなかったんですが、


最後、ちょっとだけイージス艦が出てきていますね(笑)


びっくりしたわ~。


なんかちょっとカワイイ感じのイージス艦がいます。


甥っ子以上に喜んだのは私であることは、言うまでもないですよね~。







こんな感じで、ちゃくちゃくと英才(洗脳)教育を初めて見たのには、


ちょっと理由があって、


昨年末、レコード大賞だかなんだったかで、


三宅由佳莉三曹が出て歌い出した時に、


それまでキャーキャー言って遊んでいたの甥っ子がいきなり、


椅子に座って、微動だにせずにじっと彼女の歌を聞き出し、


歌い終わるや否や、


「さっ、あそぼ」


と言って、さっさと椅子を降りて遊びだしたことがあったから(笑)


なんか、不思議な子供だな~と思いましたね。


ちなみに、三宅由佳莉三曹の歌を聞いたのは、これが初めてです。


ん??コイツ、海自好きなんじゃね?と思った(←思いこんだ?)


それと、2歳になりたての頃、


コイツの座り方が…なんていうか…軍人みたいだったんですよ(笑)



ほら


私、こういう座り方って、昔の古い軍人の写真くらいでしか、あんまり見た事ないんですが(笑)


もちろん、誰も教えていません。


今は、もうちょっとリラックスした座り方になってますが。


ってことで、次は、敬礼を仕込んで、護衛艦見学に連れていくことを目論見中…(笑)


子供って、いろいろ大変ですけど、カワイイですね~

南スーダンでのPKO活動について

2014年05月18日 | 陸上自衛隊


昨日の記事で、集団的自衛権は、


PKO活動以外では、陸上自衛隊にはあんまり関係ない、


というようなことを書きましたが、


実は、ちょうど昨日、


南スーダンでのPKO活動に行かれていた方の講演を聞きました。
(あ、防衛協会の総会での講演会です)


第5使節団第9施設群群本部第3科の安在一等陸尉のお話です。






それにしても、自衛官の、


パワーポイントを使っての分かりやすく丁寧な説明には驚かされます。


企業のパワポ資料は、自己満足で不親切なモノが多いですが、


自衛隊のパワポ資料は、


「いかに、民間人に分かりやすく伝えるか」


「どう作ると、民間人が分かりやすいか」


という事を、とてもよく考えて作られているなぁと、いつも思います。


本当に、手抜きしないよね、いろんなことに。


で、話に無駄がないんですよね。


余計な話はしないんです。


だから、とてもわかりやすい。


民間企業も、少し見習ったら?と思う(笑)


朴訥として、話が上手いわけではないですけど、


こういうお話は、分かりやすいのが一番ですから。






さて、安在一尉は、本部付隊長として、半年以上、首都ジュバで


滞在している隊員たちの、食事の用意などの生活面の支援を主に、されていたそうです。


当然日本は、工兵(って書いてあった)として、インフラ整備を主に活動しています。


道路つくりとか、橋作りとか。


で、ちなみにこの工兵には、中国軍や韓国軍もいました…ので、


聞きたくて仕方なかった質問は、


「韓国軍が作った道路や橋のクオリティってぶっちゃけどうなの?」


ってことでしたが、きっと、人前では本当のことを言ってくれないと思ったので、


Q&Aの時には、質問しませんでした(笑)


あと、中国軍が駐屯しているエリアは、石油が多く産出しているエリアなんだって~。


ちなみに、この南スーダンは、すぐ北のスーダンから分離独立した国ですが、


部族間闘争だのスーダンとの国境未確定地域だの、元将官が率いている反政府勢力だのと、


日本じゃ考えられないくらい不安定で、危険な地域です。


この話を、


反政府勢力とか、分離独立とかって、誰かが資金援助や武器を提供して支援しないと、


こんな貧乏な国が勝手に内乱起こせるわけないよね~?と思いながら聞いていたのですが、


そもそもこれらを裏で糸引いているのが中国なんだそうです。(←森田社長談)


でた!!!!


こいつら、自国の利益のためなら、他の民族を踏みにじっても構わないっていう奴らよねぇ


で、自分たちは、工兵置いてインフラ整備のするという建前で、


ちゃっかり石油を横取りしてんのねぇ。


あ、でも中国や韓国とは、よく協力していたのだそうです。


なんか不思議~。






さて、中国なんかは置いておいて、


我らが陸上自衛隊の活躍なのですが・・・。


素晴らしいの一言です


雨季には、道路が陥没して、


道路というよりもはや水路と化している道には、


水が干上がると、そこは、住民たちのゴミ捨て場となっている、ひどい状態。


そのゴミをまず、丁寧に広い、


コンクリートを節約するために、丁寧に石を積み上げて側溝をつくり、


道路を作っていきます。


その仕事は見事というしかありません。


ココは結構地層が固いらしく、


ショベルカーのショベル部分がすぐにボロボロになるのだそうです。


だけど、圧倒的に様々な物資が不足している地域なので、


そう簡単に替えは手に入らないので、


隊員さんたち自ら、鉄板を取り付けて補強して作業する、というようなことをしていたのです。


安在一尉は、隊員に2つのことを徹底させたとのことでした。


1つは、「無理、というな」ということ。


「どうやったらできるか」


を考えるようにするということでした。


2つめは、「常に笑顔でがんばる」ということ。


これは、外で働く隊員たちのために、


ここでは娯楽がないので、せめて、


おいしい食事をつくろう、温かいお風呂をすぐに入れるように用意しよう、


ということで、モチベーションを維持するためにしていたのだそうです。


ちなみに、川から140トンの水をくみ上げても、浄化処理すると40%しか残らないので、


真水はとても貴重でした。


食事も、野菜などは、隣の国などから仕入れていたそうですが、


検問にひっかかるため、到着したときには、野菜が腐っていることがほとんど。


これだけ聞いても、いかに、我々日本人の生活が恵まれていて幸せかが分かると思います。


そんな中での活動だったのです。






お話の中で、私がもっとも素晴らしいと感動したのは、


自衛隊は、単なる工兵として道路や橋をつくればいい、という考えで赴いたのではなく、


南スーダンの国づくりというコンセプトで赴いていることです。


おそらくですが、こういうコンセプトを持って


このような地に駐屯している軍隊って、ないのではないでしょうか?


南スーダンは、小学校しか出ていない人たちがほとんどで、国民はまともな教育を受けていません。


そして、生活をしてくために不可欠な仕事する技術を持っていないのです、ほとんどが。


自衛隊は、道路を作る時に、地域住民を雇用し、


ノウハウを与え、自分たちで道路を作れるようにしました。


これまで、側溝にゴミを捨てていた住人には教育をして、ゴミを捨てる住人はいなくなったのです。


また、食事を作る技術や、ウェイターとしての接客技術を教え、彼らが仕事に就けるよう、


さまざまな民生活動も行った事です。


よく言います、飢えた者に魚を与えても意味がない、賢者は、魚の釣り方を教える、と。


こんな軍隊って他にあるんですか???


これほどまでに、善意に満ちて、建設的な軍隊って他にもあるんですか?


その話を聞いて私は、大日本帝国がその昔、


朝鮮半島や各東南アジアの国で行ってきたことを、想起しました。


私たちの祖先は、侵略などしていません。


欧米の植民地だった国に、中国の属国でしかなかった国に、


独立と尊厳と文化を伝えたのですから。


現代において、その一端を垣間見たような気持ちがしました。


自衛隊に継承されているのは、現在において失われつつある、


本来の日本人としての、もっとも大切な部分であるように、私は感じます。


そして、さらに美しいのは、自らの功を声高に触れまわらない所です。


なんでしょう…わかってくれる人だけ、分かってくれたらいい…


いや、


分かってくれる人がいるのなら、とてもありがたい!それで充分!


そんな気持ちを感じます。


だから、私は、できるだけたくさんの人に、


自衛隊、すごいんだぞ~~~を、


たくさん、たくさん、お伝えしたいと、いつも思っているのです…。