NHK-BS2では、
これまでに3作品の『熱海殺人事件』を放送している。
・由見あかり主演:『熱海殺人事件:売春捜査官』
出演:由見あかり 田中竜一 戸田禎幸 吉田智則
・阿部寛主演:『熱海殺人事件:モンテカルロ・イリュージョン』
出演:阿部寛 平栗あつみ 山本亨 山崎銀之丞
・石原良純主演:『熱海殺人事件:サイコパス』
出演:石原良純 鈴木聖子 鈴木祐二 小川岳男
我家の映像コレクションには幸い3作品総てのビデオ録画が残っており、
舞台映像:『熱海殺人事件』の総て確認する時間はないものの、
出演者達のインタビューやメイキング映像を確認してみた。
熱海殺人事件の3作品の中で一番最初に映像鑑賞したのが、
*大分市つかこうへい劇団:『熱海殺人事件:売春捜査官』
~1996年5月大分公演が初演で放送は東京での引越し公演。
つかさんの代表作である『舞台:熱海殺人事件』の木村伝兵衛役を、
初めて女性が演じた由見あかりさんのカッコよさにはぶっ飛んだ。
「警視総監殿。いま義理と人情は女がやっております。」
の決め台詞と決めポーズは“つか演出”の最高傑作との呼声も高い。
NHKでの放送は戦後初の韓国公演(芝居)が決まった直後の放送。
番組では主演の由見さんが舞台中継の放送後にインタビューに応じている。
舞台では大胆で強靭な演技を見せる由見さんは小柄でほんわかムード。
「声が出なかったり動きが小さかったりの不安はあったのですが、
日々の稽古をしていく上で自然(発声や動き)に身についていきました。
つか芝居の稽古は限界まで体力を酷使しますので自信が付きます。」
「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚くことがあります。
平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。
つか芝居は力で押し切る部分もあるけれど(その実)自分の内から出てくる。
働いている人達(女性達)が見ていてスカッとしてくれれば嬉しいと感じるし、
お客さんの反応や拍手を頂いた時に明日も頑張ろうと思う。」
「つか芝居は言葉のマジックで最初笑わせておいても最後に心に残る。
韓国公演に周りの方々は“凄いことだ凄いことだ”と言われるですけど、
自分にしてみれば韓国の役者さんと日替わりでやるんで面白そう。」
「実家はコンビニをやっているのでコンビニのお手伝いをしたり、
普段は家では料理をしたりと家事手伝いですね。」
と答える。
大分市つかこうへい劇団は地元のオーディションで公募した素人劇団。
しかし、
舞台で演じられた4人の高度な芝居はどんなプロの演者よりも素晴らしく、
つか演出、つかワールドと言われる世界の秘密を知りたく探ってみた。
それは(素人であれ玄人であれ)、
役者さんが持つ可能性を最大限に引き出す技術なのだろう。
厳しい稽古を通して成長する役者を自分の型に嵌めているようで、
役者の内なる可能性を見抜き言葉を連射砲のように当て嵌めていく。
“自分でない自分を発見させ自覚させていく=言葉のマジック”
その“口立て”の手法について、
つかさん自身の口から述べているインタビューを、
手持ちのビデオ映像に見つけたので下記に掲載する。
<稽古(口立て)について>
『サイコパス』のメイキング映像。
“つかワールドに挑む!石原良純の319日”から。
石原さんは北区つかこうへい劇団に35歳で入団。
基礎レッスンから挑戦する石原さんは、
舞台の基礎練習ができていないため不味さが目立つ。
北区きたこうへい劇団の役者さんの多くが20代の若者で、
本業(役者)だけで食べることはできずアルバイトを持っている。
石原さんだけが芸能の世界を生業としているが若い劇団員の動きに、
全然スピードが付いていけず本業俳優としての焦りを感じる。
つかさんが亡くなった折の報道では、
稽古に台本(シナリオ)が無いように語られているが、
演出助手の西澤周市さんが台本を元に立稽古を開始。
演技のベースができるまでは演出助手が演技指導を勤め、
つかさんが直接指導するわけではないようだ。
つかさんの舞台は照明と音楽と役者だけの簡素なつくりで、
その分役者の演技力が強く要求される。
石原さんは『サイコパス』の主役を射止めるも、
下手を打つと降板させられる緊張感がある。
配役が決まって初めてつかこうへい氏が稽古に参加。
ベースの台本で稽古をしながら、
つかさんが台本を次々と言葉で書きかえていく。
“口立て”と言われるつかさん独特の手法で、
つかさんが帰った後に劇団員達が台本を再確認し上書き。
4色のペンで記憶を辿りながら言葉を確認し何度も上書き。
つかさんの放った言葉の山を文字に書き換えるのは、
役者とスタッフの仕事のようだ。
つかさんは語る。
「役者が持つ執念を感じながら言葉を選び言葉を引き出す。
テクニックだけで2時間の芝居を持たせることは土台無理で、
役者の人間性や痛みや経験が出てこないと話に面白味がでない。」
役者を役柄(キャラクター)に合わせるのではなく役柄を役者に近づける。
役者が持つ表情や能力を引き出すための手法が“口立て”のようだ。
つかさんは語る。
「芝居(稽古)を通じて役者が成長(変化)することで台本が変わる。
役者が成長することで作品が成長し新たな可能性を求めて変えていく。
作家ってのは所詮4割の力で残りの6割は役者の力。
台本が成長する事は役者が持つ魅力をどのように引き出すかが肝心だ。」
<つかこうへい氏の遺言>
友人、知人の皆様。 報道で知ったつかさんの遺書を読み、 遺言書 *NHK総合:つかこうへい・日本の芝居を変えた男。 ~以下Web記事転載。 慶応大在学中からアングラ劇の活動を始め、 主な戯曲に つかさんは1995年に地方からの文化発信を掲げ、 つかさんの移動など日常を補佐した同市職員の後藤益信さん(49)は、
つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝く者は、
後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、
戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら娘に日本と韓国の間。
対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、
本当にありがとうございます。
白洲次郎氏の遺言を思い出した。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100522
一、葬式無用。
一、戒名不用。
昭和五十五年五月。
正子、春正、兼正、桂子 様
白洲次郎 (花押)
在日韓国人であったつかさんが育った時代は、
今よりもずっと民族差別が多い時代。
・由見あかり主演『熱海殺人事件:売春捜査官』
では民族差別や男女差別や同性愛差別を扱い、
・阿部寛主演『熱海殺人事件:モンテカルロ・イリュージョン』
ではゲイの心理描写やスポーツ・モチベーションの所在の確認を扱った。
そうした問題(人と人の差別意識)を舞台で取り扱うのは、
つかさんが育った環境や時代と大きく関係があるのだろう。
マイノリティの救済=何時か公平(いつかこうへい)。
自らが国内に於いてマイノリティ(少数派=差別対象)であった事実は、
夫婦別姓を選択し自らの遺骨を対馬海峡に沈めてくれと願った。
日本と韓国と2つの母国を持つ心の葛藤を理解することは無理だ。
何かの行動には必ず何かの動機付けがある。
つかワールドにかんじる“才能”は葛藤から生まれた産物。
と言うよりも才能は絶えず葛藤の中から生まれるものだろう。
つかこうへいさんの厳しい稽古と演者に身につく自信。
演者は苦しみの中で
“自分でない自分を発見する”
才能とは自分が知らない自分を発見すること。
自分に満足して立ち止まっているものに才能など芽生えない。
つかこうへい氏の遺言。
言葉を読んで理解できるほど簡単ではない。
白洲次郎さんでさえ墓を作る事は拒まなかった。
つかこうへいの遺言は、
日本人の死生観も韓国人の死生観も否定し、
独歩の死生観で語られている。
つかさんの遺言を、
思想としては理解できるが、
行動に移すことは凡人には無理なこと。
家族との信頼や世間との信頼が構築されなければ、
つかさんの遺言の実行は不可能だろう。
実現不可能な遺言が彼なら自然にうつる。
それはこれまでの、
つかさんの姿勢であり主張であり人生。
だから彼は多くの人達から、
天才と言われるのだろう。
<ブログ内:関連記事>
*つか こうへい&由見あかり“熱海殺人事件”の演出論と演技論。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100719
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20101222
*「対馬海峡に散骨して」:つかこうへいさん死去。
<中日スポーツ:Web記事>
→ http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010071302000145.html
戦後の演劇界を代表する劇作家、演出家、作家の
つか こうへい氏(本名:金峰雄・キム・ボンウン)福岡県出身が
2010年7月10日:午前10時55分。
肺がんのため千葉県鴨川市の病院で死去した。
葬儀・告別式は近親者で済ませた。
つたさんは今年1月に肺ガンであることを公表。
病院で治療を続けながら演出の指示を出し、
最後まで舞台への意欲を見せていた。
1974年に『熱海殺人事件』で岸田国士戯曲賞を、
当時最年少の25歳で受賞。
同年「劇団つかこうへい事務所」を設立。
『初級革命講座飛龍伝』
『ストリッパー物語』
などテンポの良い演出とユーモアで70~80年代初めにブームを起こした。
俳優の内面をさらけ出させる演出法など演劇を志す若者に影響を与えた。
1982年。
戯曲を小説化した「蒲田行進曲」で戦後生まれとして初めて直木賞を受賞。
深作欣二監督、風間杜夫主演で映画化もされ大ヒットした。
1994年。
東京都北区と95年には大分市と組んで劇団を設立。
北海道北広島市でも演劇人育成セミナーを開催するなど、
演劇による地方からの文化発信に貢献した。
「戦争で死ねなかったお父さんのために」
「広島に原爆を落とす日」
「幕末純情伝」
著書に在日韓国人2世としての思いをつづった
「娘に語る祖国」シリーズ
などがある。
~長女は宝塚歌劇団の女優愛原実花。
1991年読売文学賞。
2007年に紫綬褒章。
*「大分に勇気をくれた」と元劇団員ら早世惜しむ。
<西日本新聞:Web記事>
→ http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/184122
<大分市・つかこうへい劇団>を旗揚げ。
1年のうち3カ月を大分で過ごし、
地元を中心にオーディションで選んだ素人を役者に育て全国で公演を続けた。
2000年の解散までに国内112公演:観客動員は延べ4万8千人に上る。
1999年には戦後初めて日本語での韓国公演を成功させた。
『売春捜査官』の舞台で主役を演じた、
今西(旧姓・由見=よしみ)あかりさん(39)は、
「厳しくも優しい人だった」と振り返る。
“ピリピリした空気”の稽古場で、
厳しい口調でしかられ指導されたが、
部屋(稽古場)を一歩外に出ると、
「のどの調子が悪かったのか?」
「ちゃんと飯食ってるか?」
と声を掛けてくれた。
本番の舞台の袖から役者を見守るつかさんに温かみを感じたという。
劇団員となり実家の長崎市から大分市に移り住んだ田中竜一さん(37)は、
「今の私があるのは先生のおかげ。劇中の言葉が今も心に染みる」
と話した。
「バブル後の閉そく感の中、大分に勇気と誇りをくれた」。
創設時から劇団の事務局を務めた衛藤延洋さん(52)は、
「地方には光る原石がたくさんいる。問題は磨けるかどうかだ」
と言っては稽古後に団員を食事に連れて行っていた、
つかさんの姿を思い出し、
「シャイで気配りができ人情の機微が分かる人だった」
と目を赤くした。
同市は劇団に対し年間約3千万円を助成していた。
釘宮磐市長は、
「先生の精神を引き継ぎ今後も地方からの文化の発信に取り組む」
とコメントした。
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