mimi-fuku通信

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つか こうへい&由見あかり『熱海殺人事件』:演出論と演技論。

2010-07-19 10:30:00 | 映画・芝居・落語


 本来であれば、
 <大分市つかこうへい劇団:『熱海殺人事件・売春捜査官』の考察>
 とタイトルを付けるべきであろうが、
 <つか こうへい&由見あかり『熱海殺人事件』:演出論と演技論>
 とタイトルを付けさせていただいた。

 7月14日の当ブログ内の記事。
 *劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。
 でも記述させていただいたが過去にNHK-BS2の番組【劇場への招待】で、
 由見(よしみ)あかり主演:『熱海殺人事件:売春捜査官』が放送された。

   ☆大分市つかこうへい劇団『熱海殺人事件:売春捜査官』☆
   出演・木村伝兵衛部長刑事:由見あかり、熊田留吉刑事:田中竜一
       戸田禎幸刑事:戸田禎幸、犯人・大山金太郎:吉田智則
   作・演出:つかこうへい (1997年8月:紀伊國屋ホール公演)

 私が、
 大分つかこうへい劇団の『熱海殺人事件』にこだわる理由は、
 
“劇作家:つか こうへい”に興味を持つ前に、
 “女優:由見あかり”への興味が先行したからだ。
 つかさんが亡くなった報道を聞き真っ先に頭に浮かんだのが、
 BS放送で観た『熱海殺人事件:売春捜査官』の映像だった。 

 手元につかさんが記した3冊の本がある。
 『小説:熱海殺人事件』(1996年・角川書店再販)
 『シナリオ:熱海殺人事件・売春捜査官』(1996年・メディア・ファクトリー)
 『高校生のための実践演劇講座:Ⅲ・演出論・演技論』(1997年:白水社)
 舞台『熱海殺人事件・売春捜査官』が初演されたのが1996年5月。
 シナリオを除く2冊の著作でつかさんは『売春捜査官』を意識した解説を披露。
 BS2で放送された東京新宿:新宿紀伊国屋ホール公演の映像を再確認し、
 “つか芝居&つかワールド”を探ってみたいと思う。

 【放送された由見あかりさんのコメント】
 &つか こうへいさん著作による解説。


 「元来木村伝兵衛役は男性が演じる役で女性の私がが演じることに、
 戸惑いはあったのですがつかさんが私なりの伝兵衛を求めたので、
 (最終的には)自由にやらせていただきました。」

 「好きなシーンは女性ならではのセリフで、
 “でもねここで引くわけにはいかないんですよ。
  ここで引くとやっぱり女は使いもんにならん。
  お茶汲みさせときゃイイってことになりますから、
  世の中の女の人のためにも私が心を鬼にして、
  踏ん張んなきゃいけないんです。”
 やっぱり働いている女性の人達はみんな(心の中で)思ってると思うんですが、
 中々(女性の立場で)表に出しにくい言葉じゃないですか。
 だからセリフ部分を強調して力を入れてやると気持ちいいですよね。」

  ~この作品では女性軽視の問題、同性愛者の生き様、在日朝鮮人問題等、
  差別された者の痛みとその中で強く生き抜く希望を描いた。
  しかしこの作品(1996年)では男性から女性に主役を交代させることで、
  これまでの男の美学から女の時代の女の美学に“すり変えて”書いてある。
  またこの芝居を引き締めたのは同性愛者の戸田刑事の苦悩であり、
  朝鮮人:李大全(戸田禎幸・二役)の叫びである。
  <小説:熱海殺人事件・解説より>

 
 ~相手のセリフを待ち言葉を正確に言おうとするだけでは駄目だ。
  必要なのは言葉の伝達であり断じて意味の伝達ではない。
  その人間のパッション(情熱)とそれを有効に伝えるリズム感なのだ。

  ~役者の本心をついた良いセリフだけが残ればいい。
  私が役者として信用できる連中は偽者のセリフになると、
  決まって言い澱んだり閊るので安心してカットできる。
  <演出論・演技論>

 
「(私は身体が小さいので)声が出なかったり動きが小さかったりと、
 稽古をする前は不安はあったのですが日々の稽古をしていく上で、
 自然と(発声や動きが)身についていきました。
 つか芝居の稽古は限界まで体力を酷使することで自信に繋げます。」

  ~私は生来の演出家であり今だかって文筆家などと思ったことがない。
  きっと私は言葉よりも信じられる“肉体や空間”を知ったからだろう。
  また(肉体や空間を)信じなければ劇団を維持することはできない。
  活字などが定着してしまえば演劇が演劇であるべき何かが失われる。
  <演出論・演技論>

  ~『熱海殺人事件』は4人だけで演じるシンプルな芝居だ。
  舞台には最小限
の道具しかなく4人の力量だけで演じる芝居は、
  役者のかかる負担や要求が普通の演劇の何倍にも相当する。
  そのために不屈のエネルギーで役者達は稽古に稽古を重ねることで、
  初めは拙い表現が次第に鍛え上げられていくと私は信じてやまない。 
  <演出論・演技論>

 「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚かされることがあります。
 平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。
 つか芝居は力で押し切る部分もあるけれど(本質は)自分の内から出てくる。」

  ~演出家である喜びは個性豊かな役者達の表情やセリフの成立。
  私は役者の肉体や完成が蠢く稽古の現場で活字を追うことがあっても、
  机の上で戯曲など書いたことがない。
  魅力ある役者と言うものが能のない作家に書かせ、
  能のない演出家に演出させてくれる。
  作品は役者の肉体を通して練り上げられ肉体とともに滅びる。
  つまり演出とは役者を愛し役者を憎む力のことだ。
  <演出論・演技論>


 
【大分市つかこうへい劇団

 大分市つかこうへい劇団は地元のオーディションで公募した素人劇団。
 活動は1996年5月~2000年12月までとされる。
 『小説・熱海殺人事件』(1996年再版)には作品上演年譜が示されており、
 大分つかこうへい劇団の初舞台は1996年5月:大分コンパルホール。
 1999年には日本の劇団として戦後初めて韓国で日本語による舞台公演。
 「韓国公演に周りの方々は“凄いことだ凄いことだ”と言われるですけど、
 自分にしてみれば韓国の役者さんと日替わりでやるんで面白そう。」
 由見さんが番組内で語った言葉の意味を調べてみると、
 韓国では1999年に日本の大衆文化の輸入が許可されソウル・大学路の舞台で、
 『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)の公演が行われている。
 ~参考として韓国人による『韓国語版:熱海殺人事件』の上演は1985年。
 解散までに国内112公演:観客動員は延べ4万8千人に上る。
 2000年12月31日(20世紀最後の日)に解散。
 
 【熱海殺人事件と演出(口立て)論】
 
 1974年11月~12月:舞台『熱海殺人事件』は文芸座で初演。
 1975年:つか事務所開設。
 1976年9月:つか事務所公演『熱海殺人事件』VAN99ホールで公演。
  出演:木村伝兵衛部長刑事:三浦洋一、熊田留吉刑事:平田満
     :ハナ子:井上加奈子、大山金太郎:加藤健一
 1985年:『ソウル版・熱海殺人事件』韓国ソウルで公演。
 と続き『熱海殺人事件』はバリエーションを変えながら、
 “つか劇団の代表的な演劇”として進化していく。

 基本的な原作の骨格を残しアプローチを変える。
 『小説:熱海殺人事件』で描かれるテーマは殺人者(犯人)の教育?
 話題にもならない陳腐な殺人事件を刑事たちの手で美しい殺人へと変えていき、
 新聞の片隅に掲載されるべき殺人者を犯罪史上に残る立派な殺人者へと教育。
 なんとも奇妙な物語である。
 『熱海殺人事件』の発案として著者自身が必ず語る例としての、
 “仕事がなく退屈な消防士が自ら放火して出動する実話”から触発。
 報道(大衆)が求める“絵になる事件”と埋没する絵にならない事件。
 『小説:熱海殺人事件』では同じ殺人事件でありながらも
 世間や報道が求めると殺人事件(=犯人像と動機)に焦点を当てる。
 そこには舞台『熱海殺人事件・売春捜査官』の主要主題である、
 女性軽視の問題、同性愛者の生き様、在日朝鮮人問題等の差別などは
 描かれていない。 
 つかさんは劇作家として必ずしも多くの作品を残してはいない。
 つかさん自身が述べるようにつかさんは作家や脚本家ではなく演出家なのだ。
 つかさん自身が小説中の木村伝兵衛部長刑事である。
 木村伝兵衛は殺人者に美学を見出そうと犯人像を創作する。
 つかさんも同様に芝居に美学を詰め込もうと役者像を創作していく。
 机に向かって書く新しい作品よりも出来上がった作品の価値を検証。
 役者のキャラクターに合わせた芝居(脚本)を再構築し、
 役者のキャラクターに合わせた役柄(演技)を当て嵌めていく。
 つか演出の妙技は目の前の役者を磨き光らせる技術であり、
 台本に書かれた文字の列記など所詮は価値がないと決め付ける。
 キャラクター像に合わせて次々と台本を変化させていく“口立て”の演出。
 ただし口立てとは本来役者同士の話し合いで行われる演出らしく、
 つか流の口立ては演出家の美学としてのみ成立し、
 原則的に舞台上でのアドリブは許されないようだ。
 ~大衆演劇(旅役者)が口立てによって芝居演出するのは長年の経験から、
 お客さんを読み解き“場にあったアドリブ”が要求されるためとされる。

 【演劇の現状と可能性】
 
 この文書で注目すべきは、
 大分市つかこうへい劇団が地方都市の市民劇団であること。
 どこにでもいる平凡な市民(日常的な生活)がつかさんの手にかかり、
 どこにも存在しない強烈なキャラクター(非日常的な人物像)に変化する。
 「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚くことがあります。
 平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。」
 と語る由見さんの言葉に垣間見える“つか演出”の秘密。
 平凡な市民の隠された内面を焙り出し“内に秘めたパワー”を開花させる。
 言葉中注目すべきは“誰もが何かのパワーを内に秘めている”だろう推測。

 つかさん自信が語る、
 「私は“芝居の華”とはハッピー・エンドではないかと考えている。
 劇場を後にするお客さんたちが明日を生き抜く希望になれば本望だ。」
 は劇作家つか こうへいのベースに流れる信念。
 つか芝居は学べば学ぶほどに暴力的なセリフとは裏腹の人への愛情を感じる。
 私が現在手にしている3冊のつかさんの著作物。
 読めば読むほどにつか舞台:『熱海殺人事件・売春捜査官』に心を寄せた、
 つかさんの心情を知る。

 『高校生のための実践演劇講座』の冒頭に、
 「様々な地方を回って嘆かわしいのは使い勝手が悪く見場ばかりが強調された、
 収容人数を誇るための大劇場(ハード)が増え肝心のソフトに目がいかないこと。
 ならばソフトを育てなければならないと北区や大分市の協力を得て若者を育成。
 稽古場では毎日のように夕方の6時~夜11時を過ぎる頃まで、
 仕事を持つ若い役者志望者達が身体の限界に立ち向かいながら励んでいる。
 大分市や北区だけでも団員募集をすれば数百人の若者が全国から応募。
 芝居(演劇)をしたい情熱が各地で眠っているのだろうと思います。」

 
 小さな劇場でマイクを使わず地声(生声)を張上げての熱のこもった芝居の追及。
 418人収容の紀伊国屋ホールをメイン劇場に据えた80年代の『熱海殺人事件』。
 その理由は役者のパッションを最大限に発揮できる劇場としての意味付けがあり、
 舞台の大きさや客席の配置により役者の立位置や目の動きが変わる演技法を、
 知り尽くした演出家の配慮が伺われる。

 集客力のある大劇場での演劇を否定(拒否)したつか芝居。
 私が“つか芝居”をテレビで拝見する度に感じた、
 大声を張上げるだけの大雑把で下品な芝居との印象を覆した、
 女優:由見あかりと大分つかこうへい劇団の舞台映像。
 “彼女の目の力に触れた時の衝撃”は今も新鮮に残っている。
 2010年:由見あかりさんは39歳となり今西あかりさんとして、
 地元大分県で家庭を持ち日々の暮しをされているようだ。
 
 ある女性から女優としての素晴らしい輝きを引き出したつか演出。
 彼にとって役者とは愛すべき者であり素人・玄人関係なく磨き上げた。
 失われた“つか演出”は再現できる演出家が暫くはでることがないだろう。
 自らの中に木村伝兵衛の美学を見出し徹底して追及したつかさんの美学。

 「テレビでは輝きを失った玄人役者が昔の名前で出ています。
 映画には具にもならない青い大根が多く並べられています。
 真実の演技を求めた多くの原石は陽の目の見ないままに、
 自分が持つ輝きに気付かず日々の暮らしを懸命に生きています。
 見つけることのできないもどかしさと過ぎていく時間。
 それを掘り起こすのが私の役目だと思っています。」
 そんな言葉が脳裏をよぎった。

 <ブログ内:関連記事>
 *劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100714

 *NHK総合:つかこうへい・日本の芝居を変えた男。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20101222

 ~以下記事転載:韓国で公演された熱海殺人事件売春捜査官について。

 *萬物相:つかこうへいこと金峰雄(朝鮮日報)
  http://www.chosunonline.com/news/20100714000042

 1999年に日本の大衆文化の輸入が許可され、
 ソウル・大学路の舞台で在日韓国人作家つかこうへいの、
 『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)の公演が行われた。
 韓国の警察官ミン・ワンスと、
 彼のところへ捜査技法を学びに来た日本の刑事が登場する。
 二人は腹違いの兄弟だ。
 初めは育ってきた環境や経験の違いから激しい愛憎を示すが、
 弟が日本に戻るころ思いを打ち明ける。

 「お兄さん。
 わたしたち在日韓国人は言葉はできなくても祖国を思う気持ちは、
 韓国に住む人に少しも劣っていません。
 あなたたちには足りない人間に思われるかもしれませんが、
 わたしは日本で育った自分に誇りを持っています。
 またわたしのような人間を今まで育ててくれた日本に礼を尽くして、
 恩返しするのが人間としての道理だと思います。
 お兄さん。
 『礼』というのはですね“人を許すということ”です。
 そして『義』というのは未来に向かって共に夢見ることです」
 そのセリフの通り在日韓国人2世のつかこうへいが、
 祖国と日本に対して持っていた考えは差別と抑圧と寂しさに苦労した、
 父の世代とは違っていた。

 つかこうへいは1948年に九州で生まれ、
 慶応大学文学部フランス哲学科在学中に演劇の世界に飛び込んだ。
 大学時代に全学共闘会議(全共闘)の学生運動が激しかったが、
 「他人の家に間借りしている身分で主人との争いに参加する必要があるのか」
 という考えから演劇に没頭した。
 つかこうへいが巻き起こした演劇の新しい風は、
 「つかブーム」という言葉を生んだ。
 評論家らは日本の演劇史を「つか以前」と「つか以後」に分けた。
 <金泰翼論説委員:朝鮮日報日本語版記事転載>

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