ブログを読み返して、少々困るときがある
「これ、何のことを書いているの?」
ブログに限らず、日記にしてもそうだが、
毎日書き綴っていると、それは日常の一部分であって、
さして説明を加えなくても、何について書いているのかは
特別意識をしないで、書きなぐる事が多い
しかし、読み返して見るときには、
ちょっとした温度差と言うか“主語”がない文章では
自分で書いておきながら、解読に手間取る
それは、走り書きした手帳にも言える事ではあるが、
日記やブログの場合は少し違う
では何故、あえてボカして書くのか?
それはその、時流に乗っている自分を恥じているのである
書くことが負けだぁ!と思ってしまうから、
あえて“主語”を隠してしまうのだろう
さて、今回、早くもベストセラーになりつつある本がある
斉藤智裕さんの処女作「KAGEROU」がそれ
予約段階から凄まじい人気で、発売二日目にして
映画化の話も各社からオファーが来ている!とか
この本、発売前からいわく付き(?)の名作である
なにせ、少し前までアイドル俳優だった人が、
知らぬ間にドラマに出なくなって、
何をしているのか?と誰もが気に掛けなくなった途端、
懐かしい名前の出版社の、栄誉ある大賞を受賞し、
しかも、だ
少し前までタレントだったと言う事を隠して応募したのに、
一作目で大賞まで取ってしまうほどの出来
しかもだ
驚くのは、こっちの方かも知れない
この斉藤氏
この小説を最初から映画化するつもりで執筆したとか!
まさに事実は小説より奇なり
よく言ったものだ
ねづっちでも、ここまでは整えまい
胡散臭いとは云わない
ただ、これだけベタな脚本がもしあるとすれば、
恥ずかしげも無く実行できたものだと
感心する
最近読書にハマっている小生ではあるが
今のところ、斉藤先生の「KAGEROU」を読む予定はない
いや、読みたいと思っても、いまや売り切れ続出で
手に入らないようだから、
読めない!と言う方が正しいかも知れない
と、これだけ書いておけば、
この日、僕がどのような心境で
水嶋ヒロ氏の事を見ていたか、読み返しても
わかるだろう
「これ、何のことを書いているの?」
ブログに限らず、日記にしてもそうだが、
毎日書き綴っていると、それは日常の一部分であって、
さして説明を加えなくても、何について書いているのかは
特別意識をしないで、書きなぐる事が多い
しかし、読み返して見るときには、
ちょっとした温度差と言うか“主語”がない文章では
自分で書いておきながら、解読に手間取る
それは、走り書きした手帳にも言える事ではあるが、
日記やブログの場合は少し違う
では何故、あえてボカして書くのか?
それはその、時流に乗っている自分を恥じているのである
書くことが負けだぁ!と思ってしまうから、
あえて“主語”を隠してしまうのだろう
さて、今回、早くもベストセラーになりつつある本がある
斉藤智裕さんの処女作「KAGEROU」がそれ
予約段階から凄まじい人気で、発売二日目にして
映画化の話も各社からオファーが来ている!とか
この本、発売前からいわく付き(?)の名作である
なにせ、少し前までアイドル俳優だった人が、
知らぬ間にドラマに出なくなって、
何をしているのか?と誰もが気に掛けなくなった途端、
懐かしい名前の出版社の、栄誉ある大賞を受賞し、
しかも、だ
少し前までタレントだったと言う事を隠して応募したのに、
一作目で大賞まで取ってしまうほどの出来
しかもだ
驚くのは、こっちの方かも知れない
この斉藤氏
この小説を最初から映画化するつもりで執筆したとか!
まさに事実は小説より奇なり
よく言ったものだ
ねづっちでも、ここまでは整えまい
胡散臭いとは云わない
ただ、これだけベタな脚本がもしあるとすれば、
恥ずかしげも無く実行できたものだと
感心する
最近読書にハマっている小生ではあるが
今のところ、斉藤先生の「KAGEROU」を読む予定はない
いや、読みたいと思っても、いまや売り切れ続出で
手に入らないようだから、
読めない!と言う方が正しいかも知れない
と、これだけ書いておけば、
この日、僕がどのような心境で
水嶋ヒロ氏の事を見ていたか、読み返しても
わかるだろう