愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

関ヶ原古戦場(6) 岐阜県

2017年05月08日 14時29分05秒 | 岐阜県
GWは皆さん、楽しめましたか。天気にも恵まれ、よい行楽ができたのではないでしょうか。
さて
久しぶりの投稿です。しつこく関ヶ原を掲載します。
関ヶ原の戦い開戦の地
先に「決戦の地」というのがありましたが、「開戦の地」というのもありました。案内板によれば、

「雨があがり、霧が晴れ始めた午前8時ごろ、東軍の松平忠吉と井伊直政が抜け駆けして宇喜多隊に発砲。天下の派遣をかけた国内最大級の戦いが、ここ関ヶ原で繰り広げられることとなった。」
そうです。


関ヶ原の戦い開戦の地の石碑

小西行長陣所跡
この地の西には天満山があり、その北側に小西行長隊が陣を取っていました。

小西行長陣所跡

案内板によれば、
「午前8時頃に開戦を告げる烽火を上げると、寺沢広高や戸川逵安(みちやす)らと戦ったが、攻め込まれ切り崩されてしまう。小早川秀秋の寝返りによって西軍諸隊は動揺し総崩れとなり、小西隊も敗走。行長自身は春日(揖斐川町)方面へ敗走した。」
そうです。
キリシタン大名であるため自害することはできず、敗走中に捕縛され、10月に三成とともに処刑されたそうです。

天満山

宇喜多秀家陣所跡
この天満山には宇喜多秀家が陣を取っていました。

宇喜多秀家陣所跡


宇喜多秀家陣所となった天満神社

宇喜多秀家も小早川秀家の裏切りで切り崩され、関ヶ原から薩摩まで落ちのびましたが、後に徳川に引き渡され、八丈島に流されました。なんと秀家はそこで84歳まで生きたということです。

小西行長、宇喜多秀家ら西軍は、小早川秀家の裏切りによって切り崩されたとということです。
コメント
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