愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

大桑城址 豊田市

2016年12月18日 19時54分19秒 | 豊田市
12月18日(日)。昨日までの寒さが和らぎ、史跡めぐりには絶好の日よりとなりました。今日は豊田市の下山地区大桑城と羽布城を訪れました。

大桑城
大桑城は「三河国二葉松」に「大桑村古屋敷 河合弥十郎」とだけ記されています。

「愛知の山城ベスト50」では、河合弥十郎がどんな人物か定かではないが、大桑城の城主ではないかとしています。また、「愛知の山城ベスト50」では、河合弥十郎に関して、家康の歴史を記した「東照軍鑑」の記事を紹介しています。

「東照軍鑑」はネットで公開されていましたので、河合弥十郎の関係する文を調べてみますと、以下のようでした。

義元に対抗した大桑城主河合弥十郎
(今川義元被改三州敵味方士事)
「天文十九年庚戌二月上旬今川義元三州敵味方ノ武士改サセ・・・・義元竹千代殿ヘ不従一家ヲ立テ有之衆・・・・大桑弥十郎大桑城主・・・・」


家康の麾下に入った河合弥十郎
大桑弥十郎属幕下事並滝山寺御見物事)
「(永禄八年二月)・・・同廿四日西三河田代大沼へ被出御馬松平飛騨守友貞ヲ以テ大桑ノ弥十郎ヲ引付御帰陣ノ刻・・・・・」


つまり、天文19年今川義元が三河の武将でだれが味方かを調べた時、大桑弥十郎(大桑城主)は義元に従わない武将であること。また、永禄8年に松平貞友が大桑の弥十郎を引き連れて(味方にして)滝山寺を見物したということ

ここから、大桑弥十郎ははじめ今川氏に対抗していたが、義元が死んだあとは、徳川の麾下に入ったことが推測されるということです。

川合さんが多い地域
行ってみて分かったことですが、この辺りには「川合」という方が多いようです。

大桑町の道路に立てられた「カワイ板金」の看板(Googleストリートビュー)

偶然かもしれませんが、道の脇に「カワイ板金」の看板があり、郵便局の近くの家は「川合」さんでした。それにこの近くに「川合」さんという私の友人もいます。

河合弥十郎はどんな人物か分かりませんが、「川合」と関係がある気がしました。

さて史跡は小学校の近くにありました。

小学校の横の駐車場の大桑城案内看板

小学校の脇にきれいに道が整備されていました。その道を登っていきますとすぐに大桑城址にたどり着きました。

大桑城址イメージ図

土橋
まずは立派な土橋がありました。

主郭への土橋

堀切
この土橋の両側には堀切がありました。

土橋東側の堀切

「愛知の山城ベスト50」では箱堀と紹介されていましたが、草が深く確認できませんでした。

主郭
土橋を通り中に入ると、主郭です。主郭から虎口や土塁が見えました。

主郭東側の土塁


主郭西側の土塁

主郭には標識と観音様が祀られていました。

主郭を守る観音様

河合さんという人に関心を抱いた城めぐりでした。
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