文部科学省がsociety5.0に対応する人材を教育で育てるという方針を打ちだしています。
society5.0は、AI技術の発達によって、定型的業務や数値的に表現可能な業務は、AI技術がとってかわる社会という定義です。
ところが、今の日本はAIに関する研究開発に人材が不足しているので、学校教育でそのような人材を輩出することをねらいにしています。
ところが、今の日本はAIに関する研究開発に人材が不足しているので、学校教育でそのような人材を輩出することをねらいにしています。
わたしは、AIに関する研究を否定をしたりはしません。
しかし、いま教育の目的を社会に役立つ人材の育成にしている点には、少々のとまどいを覚えます。
教育の目的とは、教育基本法が定める通り、「人格の完成」をめざすものです。
これからの社会を担っていく人を育てるという面が教育にないこともありません。
しかし、今の文科省の方針は社会に貢献できる有能な人材を育てる、ひいては国家に有益な人を育てることに、重きを置きすぎだと思うのです。
教育の目的とは、もっと崇高なもので、人間を形成することであり、人材育成が第一義にくるものではありません。
なんでもかんでも、学校教育にたのむのは好ましくありません。
日本は、なんでも学校教育に期待しすぎる傾向があります。
教師は、しつけなど本来は家庭教育が担うべき役割も引き受けています。
グローバル時代に対応するため、英語教育を分厚くするのも学校にお任せです。
プログラミング教育を推進するのも学校です。
それらが、山のように次々と中央から降ってきて、「やりなさい」です。
たくさんのことをやるので、学校の教師たちは疲弊しています。
しかし、教育とは発達途上にある子どもを大人に育むことが本質であることを忘れてはならないのです。
生身の人と人のかかわりが、人間を育てます。
その点だけは、見失ってはいけないのです。
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