箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「学ぶ」とは

2020年05月25日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ

授業をする学校の先生の中には、「教えなければ」という意識が強く、生徒にすべて教えようとする人がいます。

 

教師からの説明がどうしても多くなります。そうなると生徒は「聞く」ことが多くなり受け身の学習になりがちです。

 

でも、そもそも生徒の興味関心は長くは続くものではありません。教師の話術がいくら優れていても、聞くだけでは限界があります。

 

聞くだけでは生徒の集中力はだんだん下がっていき、教室内がざわざわしたりするか机の上にうつぶせになり、寝始めることになりがちです。

 

すぐれた教師は、あまり多くを教えません。生徒が「これはどういうこと?」と興味関心をもち、「もっと知りたい」「もっと学びたい」と思うと、それだけでその教師は、半分以上役割を果たしていると、私は思います。

 

生徒はどんなときに「学ぶ」のか


人は環境が新しくなると学ぶものです。


「え、そういうこともあるのか」とか「へえ、それは知らなかった」となると、目をカッと見開き、知識や情報がたくさん入ってきて、よく吸収します。

 

たとえば、国語で短歌を習い、「ひさかたの」はにかかる枕詞であり、枕詞というものを知った生徒が、枕詞を使い自分で短歌を創作する活動につながっていきます。

 

②人はやり方を教えてもらうことができ、それをいかす機会があるとき学ぶものです。


教わったことは試してみたくなります。教えてもらった知識や技能を活用できると、なお突っ込んで学ぼうとします。

 

数学で例題を解き「三角形の合同条件」を教わりました。それを使い証明の練習問題に取り組むなどはこれに当てはまります。

 

③人は挑戦するとき学びます。


挑戦するのは自分の意思で「よし、やってやる」という意欲に基づく行動です。

体育の大縄跳びで、連続20回跳べることを目標にするとき、どのようにすれば跳べるようになるかいろいろと工夫をするのは、挑戦しようとするからです。

 

ただし、挑戦は不安になったり、迷ったりするのがつきものです。まわりの支えが欠かせません。そのため、よき教師は、生徒に挑戦をすすめ、生徒と伴走するのです


現在、分散登校が始まっている自治体が多いですが、わたしはこの「学ぶ」という点でも、とくに中学1年生の通常授業が早く始まることを望みます。


文科省は3年生を優先としていますが、3年生は2年間の学びの積み重ねがあります。


学ぶことを知った生徒は、自分から学習できるのです。





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