箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「わからない」には価値がある

2021年03月01日 08時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの時代、わかりやすさが重宝がられます。

たとえばイベントのチラシや企画書にしても、パッとみてわかる情報になっていないと、見てもらえないし、読んでもらえません。

私が「学校だより」を作成するときはつねにそのことを心がけて、実行していました。

また、学級担任つくった学級だよりの原稿や学校発の保護者向け文書を決裁するときも同じでした。

文章の行間を詰めて、たくさんの文字を書いていれば、それだけで保護者は読む気が失せます。

そこで、文章を少なくして、行間を十分にとり、パッとみたとき文字だらけの紙面にならないよう修正していました。

また、インパクトのあるイラストや写真を効果的に挿入し、ビジュアルな紙面にするようにアドバイスすることもありました。

見やすく、わかりやすい印刷物でないと、広報誌や学校文書の意味がないとまで言っていました。

いまの時代、「わかりやすさ」が求められるのは紙面だけではありません。人が話すときでも、わかりやすく話すことが求められるように思います。

話が冗長で何がポイントなのか理解しにくい話し方は、一般的に好まれないのがいまの時代の風潮です。

テレビのバラエティ番組やワイドショーも、視聴者がわかりやすさを求めます。

それに応えるためか、出演者も短い時間で明快な説明をします。
そして、「これはこうだ」という断定的な言葉の方が、視聴者にはウケがいいようです。

くわえて、テレビ番組には、言葉の誇張もあります。

取材の結果を伝えてきて、途中で「とんでもない事実が判明した」とか「おそるべき結末が、その結末とは・・・」で視聴者の関心をひきつけておきます。
そして、いったん切ってCMをはさみ、チャンネルを変えさせないようにします。

そのあと、本当にとんでもないか、おそるべきかといえば、そうでもないような結末になっていたりして、誇張・誇大表現があふれているのが現状です。

そのような、問いを示して、視聴者の興味を掻き立てた後で明解な答えが出るという流れは、ある意味で「わかりやすさ」を番組ディレクターが求めるからでしょう。

しかし、人が実際に生活したり、生きていく中で、AかBのどちらであるというように明確な答えが決まっていることは少ないものです。

AかBだけでなく、AでもBでもないCの場合もあります。

しかし、「わかりやすさ」はCがあることを許さないのです。

よく似たことが、学校教育でもあります。

いまの子どもたちはすぐに正解を求めます。教職経験の少ない若い教師はそれに拍車をかけます。

答えが一つしかない質問を生徒に投げかけ、正しい答えだと「はい、正解!」と反応します。

わたしは、「ああ、この教師は学生の頃からずっと正解を出すことを求められてきたのだ」とも感じます。

また、いまの生徒が正解をほしがるのは、みんなと同じであるという安心感を求めるからでしょう。

答えが一つの質問しか出せない教師も問題です。

本来、生徒はそれぞれちがう存在ですから、ちがう考えをもっていても不思議ではありません。

「~についてどう思いますか」という問いを出し、個々の生徒がそれぞれちがう考えを発表できる授業がいい授業だと思います。

その場合も、「わかりやすい授業」を先行させるのではなく、わかりにくいから生徒が考えるのです。

「別の見え方もあるよ」という余地を残す授業は、生徒に思考することを促す、いい授業なのです。



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