
私がかかわっていた箕面三中の生徒は、他の生徒との優劣があるこたに直面しても、自分としての努力をするという面を多く見せてくれました。
友だちとの比較で、一度は自信をなくすことはあっても、自分は自分ととらえ、努力はするし、他の生徒のできる点も認めて、仲間同士のつながりを生み出す集団だったように、私はふりかえります。
一般的に言って、いまの中学生は、中学生に限らず大人にもありますが、自分は努力をせず、安易なやり方で他者よりも優れていると誇示するということがあります。
たとえば、学習に関して、受験は他の生徒との競争だと捉えるむきもありますが、本来は自分が引き受ける問題です。
学力がつけば結果的にテストで高得点が取れるということであり、他者に負けないようにすることが学習の本来の目的だと勘違いをしやすいのです。
学習で努力が足りずに、学力が十分に伸びていないのなら、本人が成績が上がるように努力する必要が絶対あるのです。
部活でも同じです。
努力が足りずに、技能がまだ向上していないのなら、「もっとうまくなりたい」と練習に練習を重ね努力することは、どの生徒にとっても大切なことです。
いまの社会では、結果がすべてであり、結果をださなければ努力してもムダであると考える人もいます。
しかし、結果よりも、困難なことにもチャレンジして、それを切り抜ける力があるかで、人は評価されるべきです。
うまく結果を出した人は、競争に勝っている間はいいかもしれませんが、思い通りの結果が出せなくなると、精神的に落ち込む、または、不正なことをしてまでも結果を残そうとしないとも限りません。
学習は、周りの人から「よくできる子」と思われるれるためにするものではありません。人に役立つためにするものです。
また、学習や運動技能で優れていると言われる子でと、さらにできるようになりたいと努力しなければならないということでもあります。
いまの自分がそのままでいいかといえば、いいわけではないのです。
「よりできるようになりたい」という願いで、自分の努力を重ね、「できる子」のことをねたんだり、うらやんだりせず、自分を卑下したりもしない。
私は、三中の子に中学生としてどうがんばるかということを、学ばせてもらったと思っています。
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