箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

二つのものごとの間で過ごす

2022年03月17日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

コロナ渦においてのみならず、最近の日本では学校や職場では、「こうあるべき」という枠を押しつけられることが増えたように感じます。

困るのは、押しつける側に正義があるようなムードがあり、押しつけられた側は生きづらさを覚えます。

バッシングが起きやすく、ともすれば感染することも怖いが、周りから非難されることも怖くなるという状況です。

学校で言うなら、教師が窮屈さを感じて、それを児童生徒は肌で感じ、子どもの様子を見ている親も平常心を保ちにくくなります。

このように生きづらいという思いは伝わり、広がるものなのです。

人への攻撃は進行すれば社会を分断するようになります。

学校に限って言うなら、コロナ渦はたいへんだけど、なによりも教職員がイキイキとして児童生徒に接し、学校があまり感染防止だけを声を大にして言うよりも、「子どもたちはこんなに元気に学校で過ごしてますよ』という打ち出しをするべきです。

AIが進化し、インターネットの速度もここ20年間で格段に速くなりました。

答えが早く出るのを世の中全体が求めるのが今という時代です。

ところがコロナ災禍で、社会全体の動きが止まり速度が落ちだした反面、見えてきたのは、自分たちがものすごい速さで活動していたと感じた人も多くいるのではないでしょうか。

その点を見直すと、「余裕」が生まれ、他者へのあたりも減ったり、ゆるやかになるでしょう。

では私たちは、これからどう過ごしていけばいいのでしょうか。

コロナ災禍がおこる前の状態に戻そうとすると、かえって生きづらさを感じてしまうのではないでしょうか。

それよりも、今起きている目の前の状況にどのように対応するかを考えるべきでしょう。


また、今後、社会は人びとを監視する傾向が強まるようにも思います。

そうなると、いのち・健康かプライバシーかという選択を迫るようになるように思います。

しかし、世の中は二者択一でまわることは、じっさい少なく、二項対立ではなく、もっと中間で動いていることが多いのです。

その点を忘れてはならないと思います。


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