箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ところ変われば、習慣も変わる

2018年12月16日 08時23分38秒 | 教育・子育てあれこれ





東京へ行って、「ちがうな」と感じること。

その一つは、エスカレーターに乗るとき右側を急いでいる人のために空けることです。

名古屋でも、みんな右側を空けていました。

ところが、大阪では、ふつうというか、必ずといっていいほど左側をあけます。

みなさん、なぜこんなちがいがあるのを考えたことはありますか?

ただ、国際的には、どうやら左側を空けるのが一般的ルールだと聞きます。

そこで、私は、1970年の大阪万博が影響しているのではないかと、確証はないですが、思うのです。

私があれほどたくさんの外国人と会ったのは、大阪万博が、生まれて初めてでした。

当時、「こんにちは、こんにちは、世界の国から・・・」という歌が流行ったほど、日本にたくさんの外国人がやってきました。

そして、子どもたちは「こんにちは」やHELLOと言って、外国人と握手をしました。

そのとき、私が生まれてて初めて、黒人の人と握手をして驚いたことがありました。

それは・・・

黒人の皮膚は、体全体が黒色だと思っていたのですが、握手をするときに気がついたのは、手の甲は黒色でも、手のひらの中は黒色でないということでした。

これは、能勢で生まれ育った私にとっては、新鮮な驚きでした。

まさに、異文化との出会いだったのでした。

さて、そのことはさておき、エスカレーターの話に戻ります。

その当時、エスカレーターはすでにありましたが、新たに万博に導入されたのは「ムービングウォーク」(動く歩道)でした。

梅田の阪急電車を降りて阪急デパートへ向かう道にムービングウォークがついたのは、大阪万博後です。

国内初で、大阪万博で披露され、早足の大阪人にはうってつけだと、報道されたのを覚えています。

おそらく、EXPO70で、ムービングウォークやエスカレーターに乗るとき、多くの外国人が国際的ルールである左側を空けるという慣行を見せました。

だから、左側を空けるやり方が浸透したのではないかというのが、大阪だけが他地域とちがう理由です。

あくまで私見ですが。

ところ変われば、習慣も変わるのです。

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