箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

過保護とは何か

2020年02月13日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ
幼い子どもは、よく親に「見てて、見てて」と言います。 

見守ることは、子育ての基本中の基本です。

「稲を早く育てようと、田んぼの稲を引っ張ったので、稲が伸びなくなり、枯れてしまった」というエピソード(杞憂)があります。

相手が植物でも、動物でも、人間であっても、生き物を育てるときには、その成長を見守りながら、待たなければなりません。

待つことができない人は、子どもを育てるのが難しくなります。

ただし、待つといっても、漠然と時の流れを送るのではありません。

見守って待つのです。

「見守る」というのは、相手が「助けて」と言ったときに、応じることができるように見ていることであり、このことは思春期の子どもの子育てでは、とくに重要です。

また、植物の話に戻りますが、植物の世話をしていて失敗する原因は、おおまかに二つあります。

①水とか肥料をやりすぎるからです。

やりすぎると、根腐れを起こして枯れます。

②放ったらかしにしすぎるからです。

長い間、水をやらずにいると、水切れでこれも枯れてしまいます。

このことを子育てにあてはめると、①は過保護であり、②は放任です。

①も②も植物の世話をする人が、様子を見守っていないのです。

たしかに、子育てで子どもを保護するのは必要です。

しかし、過保護や放任は子どもをスポイルします。

保護とは子どもが必要とするものを的確に与えることでしょう。

大人から見て、これは子どもには必要ないと思うことでも、子どもにとって必要なものなら、ちゃんと与えます。

そうすると、子どもは情緒精神面で安定します。

放任とは、子どもが必要とするものを与えないことです。

ご飯が与えられないとか、学習に最低限必要な学用品が与えられない。

こうなると、子どもはいま生きている世界を諦めることにもなります。

家を出るか、自分の世界にとじこもるという影響を受けます。

ここまで読まれて、私は過保護なのか、いや子どものために愛情をかけているのが過保護だなんて・・・。

子育てにお悩みで、過保護という言葉に抵抗感を感じられる場合には、自分の行為と子どもの受け止めにズレがないかを考えてみます。

もしズレが見つかれば、子どもの受け止めに合わせてみます。

そうすると、不思議にも、子どもの表情に明るさが出てきます。


















コメントを投稿