沖縄の修学旅行では、平和学習の一環として、沖縄戦の際に使用された自然洞窟・ガマで生徒たちが沖縄戦の追体験をする活動があります。
沖縄戦(国内で唯一の地上戦が行われた場所)で住民たちは、ガマに避難し、防空壕がわりに使用したのであり、それがいまも残っています。
ガマの中は真っ暗で、かすかな光もありません。
そこで、平和ガイドの人が戦争の当時の話をしてくださり、住民の4人に1人が犠牲になった、80年近く前の沖縄戦の実相に生徒たちはふれることになります。
しかし、あまり知られていませんが、沖縄戦では自然洞窟だけでなく、米軍の上陸に備えて、住民により掘られた壕もたくさん残っています。
その壕はおもに軍の拠点になったり、負傷兵の野戦病院がわりに使われました。
沖縄戦の総指揮をしていた牛島満司令官が拠点としていた、那覇市の「第32軍司令部壕」は有名ですが、それ以外の重要な戦跡は崩落が進み、保存に向けた取り組みも十分には進んでいません。
本来、避難場所や軍の施設は見つかりにくい場所に作る必要があったため、探し出すことも簡単ではないという事情があります。
そこへいくためには、うっそうとした樹木のしげみをかきわけ入らなければならないことが多いのです。
しかし、戦跡は遺構です。遺構は、当時の戦争の様子を語るのです。
沖縄戦の実相を照らし出され、修学旅行生は深く学ぶことができるのです。
なんとか維持費を予算化して、説明員の駐在費をねん出し、場合によっては文化財に指定するなどの対策をして、戦争体験者が減ってきている今、戦跡を遺構として保存していくのが望ましいと思います。