千葉県の戦争遺跡

千葉県内の旧陸海軍の軍事施設など戦争に関わる遺跡の紹介
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鉄道連隊演習線下志津支線

2010-03-21 | 四街道市の戦争遺跡


鉄道連隊のことを「千葉県の戦争遺跡」HPにのせてきたが、下志津支線については、殆ど記載していなかった。そのことを指摘され、また千葉駅周辺の廃線跡を歩くうちに、下志津支線の廃線跡を実際に歩いてめぐり、そのことについて書いてみようと思った。これは千葉の作草部から四街道の兵営にのびていたと考えられる路線である。

なぜ、千葉~津田沼沼以外に、下志津支線を作ったかといえば、それは演習というだけでなく、四街道の野戦砲兵学校や野砲兵第十八連隊に物資を送るなどの意図があった。

1910年(明治43年)10月26日に第一師団経理部が陸軍大臣寺内正毅に提出した「下志津軽便鉄道敷設ノ儀ニ付伺 」によれば、
「下志津屯在各部隊構内外ノ儀ハ一般ニ地質軽鬆ニシテ降雨ノ際ハ忽チ泥濘ト化シ運輸交通特ニ困難ヲ感シ候ニ付別紙図面ノ如ク四ツ街道停車場ヲ基点トシテ手押軽便鉄道ヲ敷設シ以テ一般軍需品ノ輸送並ニ構内排出物ノ搬出ニ任シ度候ニ付右御認可ノ上之ニ要スル経費別紙調書之通リ御増額相成度此段相伺候也」
とあり、四街道周辺に駐屯する陸軍各部隊のための軍需品輸送などに四街道駅を起点とした軽便鉄道を利用しようとしたことが分かり、それが鉄道連隊の演習を兼ねた敷設となったものと思われる。

しかし、この路線、途中にあとから下志津陸軍飛行学校ができ、四街道手前で路線変更している。また終点がどうなっていたのかが、よくわからない。
ただ、1919年(大正8年)にフランスから来日した航空使節団が四街道に来た際には、四街道停車場から下志津飛行場方面の三千米の軽便鉄道を敷設したということである。その後も、近隣の軍施設の変遷とともに、四街道周辺の路線は改廃を繰り返したと思われる。

<下志津支線の標石か>


こういう小さなことでも、分からないのはしゃくである。何とか究明したいが、その前にご存知の方がいれば教えてほしい。
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