
田母神という戦後生まれの元空幕長は、戦争の惨禍から何も学ばず、不戦の誓いも忘れ、果ては政府見解までないがしろにするという、自分自身で過誤と歪曲の何乗もの愚劣な「説」を唱え、一応自衛隊から放逐された。それが退職金を満額もらえる定年退職の形であり、早めにやめさせた以外には懲戒の要素がないのは、戦時中に将官が軍規違反をしても軍法会議等にかけられず、不問に付されたことがあるのに似ている(たとえば海軍乙事件で、福留繁参謀長がゲリラの捕虜となり、軍機密書類を敵のゲリラに奪われたのを、海軍上層部は擁護し、軍法会議にかけず、福留は要職に留まった件など)。
こうした荒唐無稽な言説が、ある程度まかり通っている背景には、戦争体験の風化がある。それは人の記憶も、戦争体験者が年々減っていて、語り継ぐこともままならないといったこともあるが、終戦直後に占領軍が来る前に大量の軍関係書類が焼却され、特に軍の機密にかかわる書類がほとんど残っていないことから、文書の裏付けがしにくいということもあろう。
そこで、大いに意義があるのは、金石文の刻まれた記念物、軍関係の建物、民間に残る軍関係の記録などで、戦争遺跡を残すということは、そういう戦争体験の風化に対し、物で戦争の記憶を伝えるということに他ならない。それは「負」の記憶であるが、正しい歴史を伝えるためには、耳障りのいいことばかりでなく、嫌なことも含めて記憶しておらねばならないのだ。

先日といっても、8月の9-11日であるが、名古屋で第12回戦争遺跡保存全国ネットワークのシンポジウム愛知大会が開かれた。なお、会場は名古屋市千種区の名古屋大学であった。当日は、約120名の参加があり、全国から様々な報告がなされた。小生はもう年で暑さがこたえるため、当日は親戚に出席してもらい、資料などは後で送ってもらった。
記念講演で宗田理さんの豊川海軍工廠の話があるはずだったが、本人が体調不良とのことで、それはなく、戦争遺跡保存全国ネットワークの各委員や名古屋大学の方から報告があり、豊川海軍工廠については「豊川海軍工廠跡地利用をすすめる会」の伊藤さんからの報告があった。
愛知県には、豊川海軍工廠跡や名古屋陸軍造兵廠、瀬戸地下軍需工場跡、陸軍第15師団司令部庁舎跡、豊橋連隊跡、など、305もの戦争遺跡があるそうだ。
シンポジウムのなかで、沖縄戦での「集団自決」の記述をめぐる大江健三郎氏と岩波書店に対する、元陸軍海上挺身隊戦隊長らの訴訟は、訴訟を起こした「新しい歴史教科書をつくる会」側が南京大虐殺に関して世論をミスリードしようとしてうまくいかないために、沖縄に目をつけたということが説明された。
その報告をおこなったのは、沖縄平和ネットワークの村上氏。沖縄住民の言葉の引用のなかで、住民たちが隠れたガマのなかで、幼い子供が泣き出したのに、あらわれた日本兵から毒入りおにぎりを渡して殺すことを命じられたある家族が、子供たちだけを死なすのではなく、みんな死ぬ時は一緒に死のうとガマを出て、米軍に遭遇して隠れたり、海水入りの食べ物を食ったりして新しいガマを求めて右往左往したことが語られた。

この訴訟については、一審、二審とも、沖縄戦での「集団自決」への軍の関与を認め、原告の主張を退けた。大阪高裁の判断の通り、沖縄住民は勝手に軍の保有する武器である手榴弾で自決したのではなく、軍から支給された手榴弾などで、軍の関与のもとで「集団自決」したのである。
またぞろ、原告らは上告したが、歴史の真実は変わらない。
その歴史の真実を正しく伝える、裏付けの重要な要素が戦争遺跡である。今、史跡・文化財として指定・登録された戦争遺跡は、144件あるというが、それはまだまだ少ない。文化財に指定されていない、戦争遺跡の保存は、所有者の善意によるところが多いわけで、その意義を理解しない所有者の都合で容易に壊されたり、原型をとどめないように改変されたりする。こうした戦争遺跡は、別に美しいものだけではない、なかには不気味なものも多いだろう。にも関わらず、我々はその保存に関して、今まで以上に行政側に訴えていく必要がある。
(写真上段:豊川海軍工廠跡に残る空襲時に爆弾が落ちて出来た穴、中段:戦争遺跡保存全国ネットワーク・シンポジウム愛知大会、下段:沖縄戦での沖縄住民)
根戸消防署は傍目には老朽化が著しいようには、見えないのですが、何か問題あるのでしょうか。
柏市は財政難なのかもしれませんが、折角残っている戦争遺跡を無碍に壊すのでは困りますね。なんらかの保存は考えられないのでしょうか。
高野台近辺では建物として残っているのは、馬糧秣庫だけですが、門柱が公園に残ってるほか、ある場所に歩哨所があります。あとは土塁くらいかと思いますが、まだあるかもしれません。
こんなイベントの情報があります。
よろしければ、どうぞ。
タイトル『元軍医に聞く柏市内の軍隊』
根戸の高射砲、東部83部隊と14部隊(近衛工兵連隊)など、
当時の柏の軍隊の様子を御高齢の元軍医さんに伺う貴重な機会です。
日時 2月22日(日) 14時~
場所 カルチャー花野井坂
(柏市松葉町6丁目マルエツ前 塾クセジュ上)
講師 馬場一馬氏 (元陸軍近衛工兵連隊付き陸軍病院軍医・大尉)
会費 無料(講演後の会出席の方は1000円)
お問合わせ先 090-2523-6113 青山様
会に参加した親戚の者に聞くと、馬場元軍医がなかなか本題に入らないのでやきもきしたとのことでしたが、参加されて有意義だったようで何よりです。
ほとんどご近所の人ばかりの小さな会でしたので、もちろんマスコミなどにも出ていませんが、毒ガス関連で貴重な話も出たようで、柏九条の会のチラシにも記事がありました。
なき馬場元軍医の庭にあった歩哨舎は、地域の人たちの働きかけがあって現在営門のある高野台の公園に移設されました。 12月26日に設置し、27日にコンクリで周囲が固められて現在養生中です。もうご存知と思いますが。あとは年明けに柵など仕上げの工事をして終わりです。
あの公園は国有地であり、柏市が国と交渉したようです。最初は難色を示したそうですが、結果的には営門横に移されております。馬繋柵などは移設されておらず、どうなったのか年明けに確認しようと思っております。