千葉県の戦争遺跡

千葉県内の旧陸海軍の軍事施設など戦争に関わる遺跡の紹介
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柏陸軍飛行場跡地附近で新たに発見された秋水地下燃料庫(続き)

2010-07-31 | 柏市の戦争遺跡
*注意:標記遺構の場所は現在立入禁止、また8月8日の見学会は事前予約制(既に締めきり)です

森-CHANが7月27日のプレス発表で撮影した写真を、また送ってくれた。それと以前に撮影した地下燃料庫の内部写真もあり、それらを掲載するものである。

なお、今回の発表内容も含めて、千葉県の戦争遺跡HP http://www.shimousa.net/の「『首都防衛』の飛行場」に「柏とロケット戦闘機秋水」というページをアップしたので、そちらも参照して頂きたい。

1.柏市正連寺の秋水地下燃料庫 #5

地下燃料庫の上に集まる関係者



穴から内部を撮影しようとしている報道関係者



内部の様子(あいかわらず、森-CHANはいざという時の写真が下手である、光の玉は何だか分らん)



2.柏市正連寺の秋水地下燃料庫 #4

1とは別の地下燃料庫の上に集まっている記者たち(足元に小さな穴がある)



この地下燃料庫の内部



3.柏市正連寺の他の地下燃料庫

1,2とは別の地下燃料庫の内部



以上、撮影は森-CHAN。

4.柏飛行場東側国道脇の掩体壕跡

柏の葉からみて国道16線を挟んで東側の香取神社の近くにある無蓋掩体壕の残欠。一部の土手は消失しており、完全なかたちではないが、馬蹄形をなしていたことが容易に想定できる。




これは従来野馬土手だと思われていたもの。手賀の湖と台地の歴史を考える会の調査により、掩体壕であることが分った。

5.花野井交番裏にある秋水燃料庫跡

こちらは、有名になったコンクリートむき出しの燃料庫跡。



小さなタンク車で出入りするようになっていたが、今は出入口が塞がれている。



以上、撮影は染谷たけし氏。









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柏陸軍飛行場跡地附近で新たに発見された秋水地下燃料庫

2010-07-27 | 柏市の戦争遺跡
*注意:標記遺構の場所は現在立入禁止、また8月8日の見学会は事前予約制(既に締めきり)です

かねて柏陸軍飛行場附近で掩体などの調査を行っていた、手賀の湖と台地の歴史を考える会(代表:國學院大學上山教授)が、この4月4日にロケット戦闘機秋水の地下燃料庫を五基発見したという。場所は掩体と同じような場所であるが、多少位置がずれている。地下燃料庫は、秋水のロケット燃料の甲液(過酸化水素80%と安定剤)を保管したもので、上から見ればL字型をしており、一基の大きさはL字の縦方向が約20m、横方向が7から8m、高さは2.5m、幅2.5m弱で、径2mのヒューム管長さ2.5mのものを縦方向に8つ並べた形であり、端に換気孔があったという。

これは7月27日プレス向けに発表があったもので、読売新聞と朝日新聞に掲載されたほか、種々のネットニュースに流れている。

<地下燃料庫跡の発見時>



その発表には海軍で秋水の飛行訓練をしていた13期予備学生出身の、鈴木晴利元海軍中尉も駆けつけ、元山海軍航空隊から移ってきて、選抜された16名で厳しい訓練を今の茨城県の百里あたりでおこなったことや、その訓練はひたすら帰投を目指した滑空訓練が主体で、その他射撃もあった、射撃といっても五式三十粍機銃ではなく、通常の零戦に付いているようなものであったことなど、具体的に述べられたという。86歳でいまだ矍鑠とされ、HPの写真にもスマートな海軍士官らしさがにじみ出ている。

<地下燃料庫跡に立つ鈴木元海軍中尉と秋水研究家の柴田さん>


(柴田さんが抱えているのは、戦後近隣の人がそのあたりの秋水地下燃料庫から持ち出したという硫酸瓶。かつては液体燃料の過酸化水素が入っていたそうだ)

なお、同会では、8月8日に一般向け見学会をするそうだが、いろいろ保険だとかあり、また人数も絞って事前予約制になっている。

最終案内かどうか、森-CHANからの情報が今一つ明確でないが、概略以下の通りらしい。
また森-CHANによれば、同会のブログに詳細が書かれているとのことで、最初見たら何もかいていなかったが、二回目に見ると、該当の記事があった。よって、同会のブログを確認して頂きたい。

「手賀の湖と台地の歴史を考える会」のブログ http://teganoumi.blog62.fc2.com/

「手賀の湖(うみ)と台地の歴史を考える会」

(以下、同会の連絡文)

柏市正連寺で有人ロケット戦闘機・秋水の地下燃料貯蔵庫5基を発見しました。完全な形ではありませんが、内部の保存状態は良く、戦争中に使用されていたことも分かっている非常に貴重な遺構です。この発見した燃料庫のうち、2基の見学会を下記のとおり開催いたします。参加ご希望の方は、事務局までEメール、電話またはファクスでお申し込みください。
日時:8月8日(日)午前10時~12時
場所:①概要説明(午前10時~11時すぎ):千葉県立柏の葉公園・公園センターの大会議室
     (場所はhttp://www.cue-net.or.jp/kouen/kasiwa/annai/access.html)
②現地見学(午前11時すぎ~12時):公園センターから徒歩5分。徒歩で移動
参加費:500円(資料代、保険料込み)
申込方法:参加される方全員の「お名前」「性別」「年齢」「ご住所」「電話番号」を、会ブログhttp://teganoumi.blog62.fc2.com/、事務局☎・Fax04-7155-2351までご連絡ください。
※要予約、申し込み先着90人、少雨決行。また、道の部分の草刈りはされていますが、周囲は薮
(やぶ)です。長袖・長ズボン・足元のしっかりした靴でご参加ください。
問い合わせ:事務局(浦久)☎04-7155-2351、090-5560-2408

(以上)

<発見された地下燃料庫の内部>


なお、わが取材班もデジタル一眼レフ持参で、柏まで行く予定。遠路はるばるご苦労さん。

本来は館山に飛んでいる時期であるが、自衛隊の開隊行事は10月らしく、それまで延期するつもりらしい。それなら、茂原でもどこでも海軍基地に行ってきてほしいものだ。
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木更津の山中にあるB29搭乗員慰霊碑

2010-07-02 | 木更津市の戦争遺跡


日本軍の戦闘機などが様々な理由で墜落した際の慰霊碑は、全国各地に多い。しかし、米軍機が日本軍の戦闘機や高射砲などで撃ち落されるなどして、墜落したものの搭乗員慰霊碑が、全国に少数ながら存在し、千葉県にもあることは寡聞にして知らなかった。

偶然にも、森-CHANが知人から教わったインターネットのWEBマガジン「ヒコーキ雲」に掲載されていた日本航空協会の「航空と文化」誌97号の記事を航空会館で複写していたところ、その記事を書いた当の航空協会の職員の方から、千葉県木更津市の慰霊碑の場所や管理しているお宅の住所を聞いたのがきっかけで、実際に慰霊碑を当HP取材チームが訪ねるにいたったのである。

慰霊碑を管理しておられるのは、木更津市の影山順一さんで、慰霊碑を建立したのは、御父堂の影山金司さん(故人)であり、それも終戦から6年後に慰霊碑を建てたとのことであった。そのB29は1945年(昭和20年)5月29日横浜空襲を実施したB29の517機のうちの一機であり、木更津の「高射砲」(高角砲)が落としたものらしい。搭乗員12名は、即死の状態であったらしいが、遺体は殆どが大きく損傷した。そのなかで、珍しくほぼ完全な形で残った遺体は首から小さな靴を下げていたという。

他にも米軍機搭乗員の慰霊碑はあるが、これは最も古い部類である。

小生が興味を抱いたのは、普通の市民であった筈の影山金司さんが、B29の墜落を目の当たりにし、軍国主義の思想がまだ色濃く残っていた戦後間もない時期に、なぜB29搭乗員の慰霊碑を建立しようと思ったかである。兄弟が軍属として南海に散ったことも、戦争犠牲者はなんびとも平等だという考えにつながったと、息子である順一さんは想像しておられるが、それを行動であらわしたのは、なかなかできることではない。

慰霊碑の存在は、ごく一部の人しか知らなかったが、最近になって近くを通る館山自動車道が開通し、その残土を入れたために山林の一部が平坦になって、人が入り込みやすくなったことから、山菜とりの人に慰霊碑が発見され、米国大使館や木更津市長を招いた慰霊祭が行われるにいたった。その慰霊祭は、影山順一さんもいろいろ世話をして実現したものであり、親子二代にわたり、義理人情に厚い人なのかもしれぬ。

実は、この取材は今年初めに行っていたが、HPにあげるのが大幅に遅れたのは、森-CHANが仕事やら地域活動やらで、なかなか時間がとれなかったためである。こういう心温まる話は、何をおいてもすぐに上梓してほしいものだ。

木更津の次は館山へ行ってくれと言っているが、いつになることやら。

(写真はB29搭乗員慰霊碑~影山さんが持たせてくれたお茶を取材チームが供えた)

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