言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

北朝鮮の核弾頭搭載ミサイル、ムスダンが日本全土を射程に

2010-11-25 | 日記
産経ニュース」の「日本全土を射程 北朝鮮がムスダン発射準備」( 2010.11.25 01:33 )

 北朝鮮が中距離弾道ミサイル「ムスダン」(射程約3千キロ)の発射実験を数カ月以内に実施しようと準備を進めていることが24日分かった。朝鮮半島情勢に詳しい情報筋が明らかにした。北朝鮮は10月の軍事パレードで、ムスダンとみられる新型ミサイルを登場させたが、これまで発射実験は行っていない。実験によって実戦可能であることを“宣言”するとみられる。北朝鮮軍による韓国国内への砲撃で、朝鮮半島情勢が緊迫化しているなかでの弾道ミサイル発射準備は、北朝鮮のさらなる挑発行為といえる。

 ムスダンは在日米軍基地が集中する沖縄まで射程圏に収める。北朝鮮で核弾頭を搭載するミサイルはムスダンが最初になるともみられている。北朝鮮はこのほど米専門家に寧辺(ニョンビョン)の新たなウラン濃縮施設をみせており、ムスダンの発射実験はウラン濃縮とも密接に関係しているといえそうだ。

 同筋によると、発射は北朝鮮との間でミサイル開発で協力関係にあるといわれるイランとの間の共同作業で進められ、実験結果に関する情報などは両国で共有するという。

 さらに、同筋は「イランからの代表団が10月10日の軍事パレードに招待され、VIP席で観覧していた」と語った。代表団はイランのミサイル開発に携わるSHIG社の幹部らで構成されていたという。SHIGは北朝鮮とのミサイル協力にも深く関わってきたとされ、米国などは大量破壊兵器拡散に関与していると制裁措置を講じてきた。

 ラヂオプレス(RP)によると、10月のパレードで、ムスダンとみられるミサイルは、大型のミサイル発射台付きの車両に搭載され、8基が確認された。

 米海軍の弾道ミサイル発射監視艦「オブザべーション・アイランド」は23日に米海軍佐世保基地に寄港した。ミサイル発射に備えた動きの一環とみられる。

     ◇

 在日イラン大使館の話

 「在京イラン・イスラム共和国大使館は、イランと北朝鮮との間には弾道ミサイルをはじめとする、いかなる軍事協力関係も存在しないと強調する」


 北朝鮮が中距離弾道ミサイル「ムスダン」(射程約3千キロ) の発射実験を数か月以内に実施しようと準備を進めている、と報じられています。



 「日本全土を射程」

 と (報道の) 記事タイトルにあります。(報道) 記事本文には「沖縄まで射程圏に収める」とあります。日本はますます、大変な状況に置かれつつある、とみてよいでしょう。



 北朝鮮が「実験によって実戦可能であることを“宣言”する」ためには、どこかの方角に発射しなければならないわけですが、どの方角に向けて発射するか、といえば、それはまず間違いなく、日本の方向でしょう。どう考えても、(核を持つ) 中国 (大陸) に向けて発射実験をするとは考えられません。(核を持つ) ロシアの方角もありえないでしょう。日本を飛び越えて、太平洋に落下するように発射するものと思われます。

 日本はいま、中国・韓国・ロシアと領土をめぐって対立していますが、北朝鮮とも、拉致事件などの問題を抱えています。

 日本は本格的に、防衛力強化を図るべきではないかと思います。



 そしてその際、

 日本に向かって飛んでくるミサイルを「撃ち落とす」ことを考えるのみならず、日本に向けてミサイルを「発射させない」ことを考えることも、重要ではないかと思います。

 北朝鮮は核を持っています。「核ミサイルを日本に向けて発射するぞ」と脅されれば、日本は「お手上げ」になってしまうのでしょうか? これでは、日本は中国の属国になるどころか、北朝鮮の属国にもなりかねません。



 日本に向けてミサイルを「発射させない」ためには、(外交努力も重要ではありますが) 日本に向けてミサイルを発射すれば「報復するぞ」と言える態勢が必要不可欠だと思います。

 日本も、核武装を真剣に検討すべきではないかと思います。



 なお、核武装 (核の傘) についての私の意見は、「核廃絶は不可能、核の傘は必要」に述べています。「核廃絶は、どんなに叫んだところで、現実には不可能」であり、「日本が率先して核の傘をはずし、他国が同調するのを待ち続けたところで、なんの効果も」ない、と思います。

司法修習生は研修医にはあたらない

2010-11-25 | 日記
47NEWS」の「司法修習、8人に1人落第 7月の卒業試験、過去最低」( 2010/08/24 21:17 )

 最高裁は24日、司法試験に合格した修習生が法曹(裁判官、検察官、弁護士)資格を得るための7月の卒業試験で、受験者223人に対し、合格は195人にとどまり、約12・6%に当たる28人が不合格だったと発表した。8人に1人が落第した計算で、合格率は過去最低だった。

 現在の司法試験は法科大学院出身者対象の新試験と従来の旧試験が並行して実施され、修習期間も異なる。今回の卒業試験は主に2008年の旧試験合格者が対象。受験者のうち75人は過去に不合格となった再受験組で、うち21・3%の16人が再び落第。初受験の148人に限れば不合格者は8・1%の12人だった。

 5科目(民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護)のうち、1科目でも合格点に達しなければ落第となる。不合格科目は多い順に刑事裁判の12人、民事裁判の11人と続き、複数科目を落とした修習生もいた。

 不合格者は希望が認められれば、新試験の修習生向けに11月に行われる卒業試験を受験できるが、再び全科目を受けなければならない。


 旧司法試験に合格した者のうち、ほぼ1割が司法修習終了時に行われる試験 (二回試験) に不合格となった、と報じられています。



 この試験 (司法修習終了時に行われる試験) に合格しなければ、司法試験に合格しても法律家になる資格が得られないのですが、

 ほぼ1割が不合格になったというのですから、司法試験合格をもって、事実上法律実務家になることが確定した、と考えてはならないことがわかります。



 法律実務家 (弁護士など) のなかには、新司法試験合格者はレベルが低い、旧司法試験制度に戻すべきだ、といった意見を述べるかたもおられますが、

 この1割という数字は、「旧司法試験に合格した者のうち、二回試験に合格しなかった者の割合」ですから、「新」司法試験に合格した者の成績は、もっと悪いと考えてよいのではないかと思います。

 とすれば、新司法試験・旧司法試験のどちらに合格したかを問わず、「司法試験に合格すれば、(事実上) 誰でも法律実務家になれる、といったものではない」と考えてよいと思われます。



街の弁護士日記 SINCE1992」の「司法修習の給費制廃止に反対する

研修医には給与、法律家には貸与、この図式は単純に不公平である。

医師と弁護士の違いは、医師は国家試験に合格すれば、医師の資格があるので、給与制になじみ、弁護士は国家試験に合格しただけでは何の資格もない素人なので、給与になじまないということによるもののようだ。

なぜ、同じように国家試験に合格しても一方は資格があり、他方は資格がないのか。必ずしも合理的な根拠があるわけではない。

国家試験に合格した段階で、弁護士の資格を与えれば医師と同じなのである。国家試験に合格した弁護士を「研修弁護士」と呼べばいいだけである。

確かに、「研修弁護士」にそのまま何の監督もなく一人だけで実務をやらせれば、ミスもするだろう(最も、新人弁護士でも事情は同じだが)。飛び抜けて優秀な一握りを除けば、法律家として一人前にやれるだけの技量がないのもそのとおりであろう。「研修弁護士」なのだから当たり前だ。


 ただ、国選弁護などは、「研修弁護士」にやらせれば、お義理でいやいや国選をやっている僕のような弁護士よりよほど熱心に取り組むに違いない。現に僕も、研修中熱心だったのは、刑事弁護と刑事裁判だった。刑事弁護では、僕の起案した極めて悪筆で読みにくい最終弁論をそのまま指導弁護士が法廷で読み上げてくれたし、刑事弁護の講義では、教官も気づいていない被害者証言の矛盾をついて褒められたりした。刑事裁判では、沖縄差別絡みの少年事件で、家裁への逆送を主張して職業裁判官による意見と正面から対立し、僕の意を少し汲んでもらったこともあった。

「研修医」も、だれの監督もなく、一人で診察・治療を行う訳ではあるまい。まさか「医師」の資格があるからといって、研修初日にメスを握らせて手術させる訳でもあるまい。

だから、困難な国家試験に合格したという段階で、研修医と同じく、法律家も十分に「研修弁護士」の資格に値する能力があり、研修期間中の給与を保障すべきことは医師の場合と何らの違いもないのである。


 研修医には給与が支払われるのに、司法修習生には給与が支払われない。これは不公平である、と書かれています。



 「お義理でいやいや国選をやっている」というのはどうか、とも思いますが、それはともかく、



 「司法修習生」は「司法試験合格者」のなかから選ばれます。

 冒頭、(私が) 述べたように、「司法修習終了時に行われる試験に不合格となり、法律実務家としての資格を得られない」者が「かなり多い」のであれば、すなわち、「司法試験合格者 (司法修習生)」のうち「ほぼ全員」が法律実務家になれるわけではないのであれば、

   司法修習生を研修医と同視するのはおかしい、

と考えなければなりません。どちらかといえば、

   司法修習は、研修医の研修ではなく、
         医学部学生の臨床実習に相当する

と考えるべきだと思われます。

 言うまでもありませんが、研修医の研修には給与が支払われますが、医学部学生の臨床実習には給与は支払われません。給与が支払われるどころか、逆に (臨床実習を受けるために) 学費を支払わなければなりません。



 したがって、司法修習生を研修医と同列に置いて「給費制廃止は不公平である、おかしい」などと主張するのは、「どこか変」だと言ってよいと思います。むしろ、司法修習生を医学部学生と同列に置いて「給費制維持は不公平である、おかしい」と主張することこそが、「自然」ではないでしょうか。

 司法修習生を研修医と同列に置こうとするのは、「給費制維持」という「結論先にありき」の発想だと思われます。実質的にみれば、司法修習生は医学部学生と同列に置くべきではないかと思われます。

 そしてこの主張は、「司法修習生の労働者性」を否定すべきであると考えられることと、矛盾なく結びつきます。



 実質的にみて、司法修習生は学生であり、(あえて医師になぞらえるならば) 研修医ではなく医学部学生にあたる、といってよいのではないかと思います。

韜晦之計

2010-11-24 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.198 )

 一〇〇年の混乱のあと、中国を平定したのは毛沢東の共産党だった。
 建国後の共産主義中国は「反帝国主義」と「反覇権主義」を叫び続けたが、毛沢東の本心は違っていた。赤い始皇帝である毛沢東は、大躍進政策を進めるにあたって「一五年でイギリスに追いつき、三〇年でアメリカを追い越す」と宣言した。このスローガンも、また同時期に進めていた核兵器開発に対する異常な執着も、世界制覇を夢見た毛沢東の野望のあらわれだったと言える。
 そして世界制覇の夢は、毛沢東ばかりでなく、全中国人の夢でもある。大中華帝国の復興こそが、中国人にとって何より重要な面子 (自尊心) を満足させてくれる物語だからだ。それを実現するためなら、どんな苦難にでも中国人は耐えられる。すでに述べたように、中国人には病的とも言える我慢強さがある。世界を制して一〇〇年の屈辱を晴らすためなら、国民は飢餓にも圧政にも平気で耐えられるのだ。
 結局毛沢東の野望は叶うことなく潰えた (ついえた) が、その代わり、文化大革命中の彼は、西側世界、東側世界に次ぐ「第三世界」という概念を提出した。中国をその世界の中心に置き、みずからをその最高指導者と称した。
 毛沢東の死後復活した小平は、毛よりはまだ世界が見えていた。中国の実力を見据え、「まだ時期ではない」と判断したは「韜晦之計」を命じ、「時期が来るまで爪を隠して力を養え」と戒めた。
 尖閣問題がそのいい例だ。
 七〇年代に日本とのあいだで尖閣諸島をめぐる領有権問題が持ち上がった。七八年に来日して日本の閣僚と懇談した小平は、「こういう問題は一時棚上げしても構わない。次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。みんなが受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」との談話を発表して尖閣問題を先送りした。これも「韜晦之計」である。当時の中国の国力からして、戦後飛躍的な経済発展を遂げ、しかもアメリカと軍事同盟を結んでいる日本と争っても勝ち目はない。だからこそ「しばらく棚上げしよう」とは言ったのだ。
 情勢が変わってきたのは、九〇年代に入ってからである。
 江沢民時代の九〇年代半ばから中国は、徹底した愛国主義教育でナショナリズムの高揚を促しはじめる。この時期の共産党は、中華帝国の最盛期である清朝前期の皇帝たち――第四代康熙帝、第五代雍正帝、第六代乾隆帝――の物語を続々とつくらせ、偉大な中華帝国が復活しつつあると、暗黙のうちに国民に鼓吹 (こすい) しはじめた。中央電視台 (CCTV) は三大皇帝に関する大河ドラマを毎週連続で放送し、彼ら満清皇帝を主人公とする小説が国家最優秀図書賞を受賞した。
 当然のことながら、その裏には「借古諷今 (昔の例を借りて今に喩える)」という政治的な意図が隠されている。一連の物語は、大清帝国を築いた過去の偉大な皇帝たちに、現代の皇帝である江沢民の姿を投影させたものだったのである。
 経済発展とともに軍備増強を着々と進め、二〇〇〇年代に入って世界列強の一角と目されるようになると、中国人の心の奥底に眠っていた野望と怨念が蠢動 (しゅんどう) しはじめることになる。
 〇八年にオリンピックを成功させ、ほぼ同時期にアメリカが没落の兆しを見せはじめると、中国人は「韜晦之計」を破って、野望の片鱗を露 (あらわ) にし出した。
 〇九年三月、フィリピンとのあいだで南沙諸島をめぐる領有権問題が再燃すると、中国は南シナ海に軍艦を改造した大型監視船を投入し、新法を制定して実効支配に動いたフィリピンを実力で制した。このとき、事実上諸島の領有宣言をしたフィリピンに対し、官民挙げた中国側の反発は凄まじかった。ネット上には「該出手時就出手! (中国はやるときはやる=七九年に小平がベトナム出兵を決めたときの発言)」という言葉が飛び交い、「韜晦之計」はすでに時代遅れだ、といった類の過激な主張が氾濫する。中国の覇権主義が殻を破って首をもたげはじめたのだ。
 覇権という言葉は紀元前の春秋時代からすでに使われており、中国の歴史はいつも覇権をめぐって争う歴史だった。覇権を奪取した者が王となり、敗れた者は賊となる。そこに正邪の基準はない。ただ、強いか弱いか、勝つか負けるかである。勝って天下を統一した者がすべてを決し、過去の歴史はいかようにも塗り替えることができるからだ。
 覇権とは天下に向かって号令をかける権利のことである。かつて中国が世界のすべてであった時代、天下とは中国そのものを意味したが、現代の天下は違う。現代の覇権主義とは、五つの大陸と七つの海洋すべてを制して自分のものにすることだ。
 そして、ようやく機が熟しつつある、と中国人は感じはじめている。こまこそ世界統一の夢を――その言葉が全中国人の喉元までこみ上げている。


 中国は世界覇権の奪取を目指している。小平は「韜晦之計」を命じ、実力がつくまでは、すなわち「時期が来るまで爪を隠して力を養え」と戒めた。そしていまや、中国は「韜晦之計」を破り、実力行使に踏みだしつつある、と書かれています。



 世の中には、尖閣諸島についての小平の談話「こういう問題は一時棚上げしても構わない。次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。みんなが受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」に共鳴し、「その通りだ。さすが中国だ」と感心する人 (日本人!) もいますが、

 これは「弱者の戦略」であり「韜晦之計」である、という著者の指摘は、もっともだと思います。

 これに対して、小平の談話に共鳴する人 (日本人!) は、

   小平の真意は「韜晦之計」ではない。
   どうしてそのように「ひねくれた」受け取りかたをするのか、

と疑問を提起するでしょう。しかし、中国が (経済発展による貧困の解消を後まわしにしてでも) 貧困に耐えながら核兵器開発に邁進したことを考えれば、「どう考えても韜晦之計である」とみるのが適切だと思います。



 問題の要点は、中国を「信用するか、疑ってかかるか」です。

 日本人の感覚としては、他人を「信用する」というのが発想のベースになるのは当然だとは思いますが、先日の尖閣沖漁船事件では、「日本側からぶつかった」などの「嘘」が中国によって発表されていましたし、「漁業監視船」という名称も「カモフラージュ」っぽい感じがします。東シナ海ガス田にしても、中国は日本との約束を一方的に破ったと報じられています。とすれば、「疑ってかかる」のが当然ではないかと思います。

 すくなくとも中国の態度は「信用しづらい」わけで、そのような状況下で「信用し続ける」のは、「よほど人がよい」か「馬鹿」かの、どちらかでしょう。



 私はこの本で初めて知りましたが、「第三世界」が毛沢東の提出した概念であるとすれば、そこには、「あくまでも世界のリーダーでありたい」という中国の「対抗意識」が動機として存在していると思います。

 このような中国ですから、著者の説くように、中国はあくまでも世界制覇 (世界覇権) を目指しており、すべてはその目的に向けられている。もちろん、小平の談話は「韜晦之計」である、と考えてよいのではないかと思います。すくなくとも、中国側の意図を疑ってかかることは必要だと思われます。

中国の最終手段は「戦争」と「革命」

2010-11-23 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.186 )

 アメリカの衰退を見て、共産党の指導部も俄然強気になった。
 〇九年二月にヨーロッパを訪問した温家宝首相は「今回の世界金融危機の原因はアメリカにある」とはっきり指摘し、「今後もひきつづき米国債を買うか否かは現在検討中である」と、アメリカに対して脅しともとれるような発言をした。
 また、ポスト胡錦濤候補の筆頭に挙げられている習近平国家副主席も同時期に南米を訪れ、メキシコ在住の華僑たちが催した歓迎パーティーで酒を飲み、舌禍事件を引き起こしている。
「中国が一三億の人口を食わせているのは、人類に対する最大の貢献だ。腹いっぱいなのは一部だけだの何だのとヒマな外国人がうるさく言っているが、余計なお世話だ。中国は革命も飢餓も輸出していないのだから、我々がとがめだてされる理由はどこにもない」
 などと、習は発言。これがメディアに乗って世界中に配信され、物議を醸した。
 これら中国首脳部の強硬発言は、共産党政府が国際社会からの非難も、そして中国経済の破綻をも、真には懼れて (おそれて) いない証 (あかし) である。この自信がどこから来るかといえば、たとえ絶体絶命の経済危機に瀕しても、中国はそれを乗りきるだけの最終手段を持っていると彼らが考えているからだ。
 それが、戦争と革命である。
 仮に現在推進中の大型公共事業がうまくいかないと判断すれば、中国は国際社会の制止を振り切ってでも人民元の大幅な切り下げに走るだろう。当然のことながら諸外国とのあいだに摩擦が生じるが、それでも中国は切り下げを断行するだろう。現在、中国政府が世界に向かって保護主義の中止を訴えているのはこのためである。
 では、それでも各国が保護主義を解除せず、輸出が伸び悩んで経済がどん詰まりに行き詰まったら、中国は次にどんな手を打つのか?
 間違いなく、戦争を仕掛ける。経済摩擦を理由に周辺国に言いがかりをつけ、地域紛争を引き起こすだろう。
 まず、狙われるのが台湾だ。
 現在の中国人民解放軍の力量からすれば、短期間での台湾併合は決して不可能ではない。圧倒的多数の国民はこれを熱烈に支持するだろう。その勢いを駈って、尖閣列島や沖縄やその周辺の諸島に手を伸ばし、日本との紛争も充分あり得るだろう。
 戦争経済はなにもアメリカの専売特許ではない。アメリカがやっていることを中国がやって何が悪い――中国人は本気でそう考えている。
 ここに巨大な需要と雇用が生まれ、経済は活性化する。当然のことながら在日米軍との小競り合いも想定されるが、中国側はさほど心配していない。米軍の近代兵器がどれほど強力であろうと、民主主義という政治システムは最終的に大量破壊兵器の使用や大規模な殺戮を実行することができない――先のイラク戦争のケースを分析して、中国側はそのことをすでに見抜いているはずだ。
 だとすれば、戦争をやって中国に損なことは何もない。少なくとも、戦禍による一〇〇万程度の人命損失は、中国にとって大きなリスクではない。
 そして、もう一つの最終手段が革命である。
 現在の共産党政権における絶対命題は、唯一つしかない。それは、一党独裁体制の恒久的な維持ということだ。
 四九年、共産主義革命によって政権奪取に成功した毛沢東は、国内の地主ら資本家の土地や財産をすべて奪って国有化し、労働者や下級農民に分け与えた。もし経済が完全に行き詰まったなら、これをもう一回やればよいというわけだ。
 現在中国に駐留する外国資本は総額一兆五〇〇〇万ドルをはるかに超え、先述のように中国国民の総預金額も二一兆元を上回った。これをすべて没収した上でふたたび鎖国してしまえば、経済問題などたちまちのうちに解決できる……。
 我々はなにも机上の空論で、荒唐無稽な仮説を弄んで (もてあそんで) いるわけではない。これは、普通の中国人が日常生活のなかで普通に思いつく、ごく普通の発想である。外国人がそれを知らないのは、普通の中国人が面と向かって外国人に言わないからだけの話に過ぎない。
 第二章で詳述した通り、現在の共産党幹部のなかには小平以来の改革解放路線で堕落腐敗した党政府に憤激し、もう一度農民と労働者による革命をやりたくてうずうずしている連中が多数存在している。蓄えのない九億農民のほとんども、四億都市住民のかなりの部分も、共産党が外国人と新富人から富を奪って分け与えてくれるというなら、これに異存のあろうはずがない。革命の支持基盤はすでにでき上がっているのだ。
 戦争か、革命か――。
 もし中国がその二者択一を迫られるときが本当に来たなら、それはそのときの党内勢力が左派に傾いているか、右派に傾いているかで決まるだろう。現在のように右派が優勢ならば躊躇なく (ちゅうちょなく) 戦争をはじめるだろうし、左派が実権を握っていたならこの機を逃さず革命を断行するはずである。


 中国は国際社会からの非難も、中国経済の破綻も、恐れていない。なぜなら、中国首脳部は中国は絶体絶命の経済危機に瀕しても、それを乗りきる最終手段があると考えているからである。それは戦争と革命である、と書かれています。



 中国が国際社会からの非難を恐れていない、というのは、中国がノーベル平和賞の受賞式への出席を、世界各国に対して「圧力をかけて」阻止しようとしているところからも、読み取れます。もちろん、先日の尖閣沖事件における対日強硬姿勢からも、それは読み取れます。

 著者によれば、中国の動きとして予測されるのは、まずは内需の拡大であり、それが失敗した場合には次の策、人民元の大幅な切り下げによる輸出拡大である。このとき、輸出拡大が不可能とあらば、中国は戦争か革命を断行する、というのですが、



 この読みは、おそらく正しいのではないかと思います。

 理由を述べます。

 第一に、内需拡大はもっとも穏健な策であり、まっさきに試みられる政策であることに、異論はないと思います。現に中国は、内需拡大を試みています。

 第二に、最終手段が戦争であるという部分も、おそらく正しいと思います。前回、世界恐慌時のデフレは、戦争によって終了しました。戦争は膨大な軍需を発生させます。需要不足は一気に解消します。また、戦争によって敵国の生産設備を破壊すれば、世界的にみて生産能力が低下することになり、この面でもデフレ (生産能力が高すぎて物余り) は終了することになります。中国は戦争をいとわない態度を示しており、いざというときには戦争がある、と中国首脳部が考えているという分析には、説得力があると思います (「台湾問題についての米中台の姿勢」参照 ) 。

 第三に、外国企業・外国人の資産を没収したうえでの革命には、外国と戦争になるかもしれないというリスクを伴いますが、中国首脳部が戦争をいとわないなら、これは革命を思いとどまる根拠にはなり得ません。

 第四に、戦争か革命に踏み切る前に、もっと穏健な策、すなわち人民元の大幅な切り下げを行う、というのも、当然といえば当然でしょう。



 日本としては、「中国経済が破綻すれば中国は崩壊する、そうなれば日本が中国に侵略される危険性が激減する」などと考えるのではなく、その逆、すなわち「中国経済が破綻すれば中国は日本を攻撃する (可能性が高まる)」と予測したうえで、対策を講じておくことが望ましいことはいうまでもありません。(あなたが上記推論には説得力がないと考える場合であっても)「最悪」を前提に考えておかなければ、いざ攻撃されたときに、大変なことになります。

 したがって、中国が強大化しようが弱体化 (=経済破綻) しようが、日本は攻撃されるかもしれない。「かもしれない」どころか、「その可能性は高い」と考えて対策を練っておくに越したことはないと思います。そしてその対策とは、日本の防衛力の強化なのではないかと思います。

 なお、「対中経済支援は日本を危険にする」と考えられる以上、「中国経済が破綻すれば日本は侵略されるかもしれないので、対中経済支援をしよう」などと考えるのは対策とはいえないと思います。

中国の漁業監視船派遣に込められた政治的意図

2010-11-22 | 日記
産経ニュース」の「周辺に中国漁船いないのに…「正当な任務」尖閣諸島沖で航行中の監視船」( 2010.11.21 00:42 )

 沖縄・尖閣諸島沖の魚釣島沖の接続水域(領海の外側約22キロ)内で20日朝、確認された中国の漁業監視船2隻は、深夜になっても同水域内で航行を続けている。2隻は日本領海内には侵入していないが、接続水域内を領海線に沿って4~7ノットで周回。同庁の航空機と巡視船が警戒に当たった。

 第11管区海上保安本部(那覇市)によると、2隻は漁業監視船「漁政310」と「漁政201」。同庁の航空機と巡視船が領海に侵入しないよう無線などで警告したのに対し、漁政310は「われわれは正当な任務に当たっている」と返答した。しかし、周囲に中国の漁船は確認されていないという。

 2隻はいずれも中国農業省漁政局に所属。310は今月16日に就役したばかりで、最新鋭ヘリコプター2機が搭載できるほか、最新の通信システムも装備。中国国営新華社通信は「海洋や漁業の権益を防衛する新たな有力武器」と評している。

 ただ、同庁によると、実際にヘリを搭載しているかは確認できなかったという。

 中国は漁船保護を理由に監視活動を常態化する方針を表明しており、16日には310が尖閣諸島へ向け広東省広州市を出港していた。

 官邸は20日午前、領海侵入の可能性もあるとみて、内閣危機管理センターに情報連絡室を設置した。

 同島周辺海域では、10月にも中国漁業監視船の航行が確認されており、海保では警戒を強めていた。


 中国漁船がいないのに、中国の漁業監視船がいる、と報じられています。



中国語翻訳者のつぶやき」の「大型漁業監視船、尖閣海域へ

中国の大型漁業監視船「中国渔政310」が16日、「日常のパトロール業務と漁業権益保護業務のため」、広東省の広州から尖閣諸島沖に出港しました。

この「中国渔政310」ですが、総トン数は2580トン、長さが108メートル、幅が14メートル、航続距離は6000カイリで、最高速度は22ノットにも達する中国最大の漁業監視船で、船上には2基のヘリが搭載できるヘリポートも備えてあるほど充実した設備が備わっています。

これまで当ブログで紹介した、以前尖閣沖で巡視活動をしていた「中国渔政201」「中国渔政203」は総トン数が900トン余りでしたから、今までのと比べると実に2.5倍の大きさだということが分かります。

この「中国渔政310」自体は、日中が尖閣諸島問題に揺れる9月29日に広東省湛江市で完成したのですが、実のところ「中国渔政310」建造の目的は尖閣諸島での漁業監視ではありません。今年3~6月に南シナ海の南沙諸島で多発していた中国と東南アジア周辺国との紛争に対し、中国が南シナ海での権益を拡大することを目的として建造されたものです。

その証拠に進水式の記事には、尖閣諸島に関する言及は1つも無く、「南シナ海での法執行を行う」とだけしか報じられていないことが分かります。しかも、「中国渔政310」は尖閣を含む東シナ海を管轄する東海漁政局ではなく、南シナ海管轄の南海漁政局所属の船舶なのです。つまり「中国渔政310」の今回の「尖閣諸島沖での漁業監視」はいわゆる「ついで」の任務であり、この後向かう南シナ海での漁業監視こそが本当の任務なのです。

ここから、今回「中国渔政310」が尖閣諸島沖に向かったことに関しては、中国政府の日本政府に対する1つのメッセージにすぎないことが分かります。ですから、「中国渔政310」がこれから尖閣諸島にずっと滞在すると考える必要はないですし、中国が日本に敵がい心をむき出しにしたと考える必要もないでしょう。

また逆に言えば、中国が尖閣海域に投入できる漁業監視船にはまだ限りがあり、常時尖閣付近の海域で巡視できる大型監視船を配備するにはまだ「駒不足」なのだということが分かります。


 尖閣諸島沖の中国の大型漁業監視船は、「日常のパトロール業務と漁業権益保護業務のため」である。本来の任務は南シナ海での漁業監視であり、日本政府に対する1つのメッセージにすぎない。中国が日本に敵がい心をむき出しにしたと考える必要もない、と書かれています。



 「中国語翻訳者」さんの意見は、中国政府が「日常のパトロール業務と漁業権益保護業務のため」であると発表していることと、南シナ海管轄の南海漁政局所属の船であることを根拠としているのですが、

 「尖閣沖に中国の漁業監視船 (ヘリ搭載)」で述べたように、漁業「監視」船とはいっても、中国漁船の取り締まりを目的としているとは考え難く、漁業監視船という名称は「名目・口実」である、と考えられます。

 漁業監視船が尖閣沖にいたとき「中国漁船はいなかった」と報じられていますので、漁業「監視」は「名目・口実」である、と断定してよいでしょう。実質的には中国による侵略 (または領土拡張) の一環である、とみてよいのではないかと思います。



 とすれば、上記「中国語翻訳者」さんの理解は、中国に対して「好意的すぎる」のではないかと思います。誤解のないように書き添えますが、私は中国に好意的であってはならないと言っているのではなく、「公平ではない (客観的ではない)」と言っているのです。

 南シナ海管轄の南海漁政局所属の船舶である点についても、漁業監視船という名称と同様、一種のカモフラージュであるとみる余地があります。また、わざわざ南海漁政局の監視船を尖閣沖に派遣した裏には、なんらかの政治的意図があるものとみられます。その政治的意図が判明していないにもかかわらず、「中国が日本に敵がい心をむき出しにしたと考える必要もない」とまで言い切ってよいのか、いささか疑問があります。



Searchina」の「中国は「尖閣諸島領海に進入成功」と報道、「日中が一触即発」―韓国メディア」( 2010/11/22(月) 11:13 )

  中国・広東省の政府紙「南方日報」は21日、中国農業省に所属する「漁政310」と「漁政201」が尖閣諸島(中国名:釣魚島)海域に進入することに初めて成功したと報道した。 韓国メディアがこれを伝えている。

 「漁政310」に同乗した南方日報の記者は、20日の午前6時ごろに同船が釣魚島海域に、初めて進入したことを電子地図上で明確に確認したと伝えている。

  一方、日本の海上保安庁は20日、中国の漁業監視船2隻が、尖閣諸島から23キロ離れた地点まで接近したものの、領海を侵犯することはなかったと明らかにしている。

  韓国メディアは、尖閣諸島沖で中国の漁業監視船と日本の巡視船が対立しながら、日中の領有権紛争が再び激化する兆しを見せていると報じている。

 日本側は、中国の漁業監視船による尖閣諸島領海への進入を妨いだと発表したが、中国側は進入に成功したと主張し、継続的にパトロールに出る構えを見せていると伝えている。

  今回の中国による進入は、日本の実効支配に対して問題を提起し、国際社会にこの海域を紛争地域として認識させようとする攻勢的な対応と指摘。今回投入された「漁政310」は、Z-9A型ヘリコプター2機を搭載し、ブロードバンド衛星通信設備との光電子追跡システムなど、最先端の装備を備えている。60日間の航行が可能で、最高速度は22ノットに達する。 中国の漁業指導船の中での速度が最も速いハイテク船であると紹介している。

  これらの監視船は、尖閣諸島周辺で10日間ほど留まりながら作戦を継続する予定であり、領海進入を繰り返す可能性が高いとの見方を示している。(編集担当:李信恵・山口幸治)


 中国・広東省の政府紙「南方日報」は、漁政310と漁政201が尖閣諸島(中国名:釣魚島)海域に進入することに初めて成功したと報道した、と報じられています。



 「日本の海上保安庁は20日、中国の漁業監視船2隻が、尖閣諸島から23キロ離れた地点まで接近したものの、領海を侵犯することはなかったと明らかにしている」とも報じられていますが、

 仮に日本領海を侵犯することはなかったとすれば、「南方日報」の報道は何なのでしょうか? これは一種の「敵がい心をむき出しにした」行為だといえるのではないでしょうか?

 また、中国の漁業監視船が日本領海を侵犯しなかったのかにも、まったく疑問がないわけではありません。日本の海上保安庁を信頼したいとは思いますが、現在の内閣は「中国に異様に配慮している」とみられますので、内閣が中国に配慮して「領海を侵犯することはなかった」と嘘を言っている可能性も (たんなる可能性としてではなく、現実的に)「ありうる」と思います。



 漁業監視船に込められた政治的意図は、「おそらく、中国による侵略 (または領土拡張) の一環である」とみてよいでしょう。

 日本としては、尖閣諸島に対する「実効支配」が奪われる危険性を考え、「中国との対立もいとわない」対応をすべきではないかと思います。