言語空間+備忘録

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総合課税か分離課税か

2010-01-06 | 日記
井堀利宏 『日本の財政改革』 ( p.67 )

 日本の所得税制の理念は、次の三点にまとめられる。第一は、様々な所得を合算して課税ベースを決める総合課税の原則である。第二は、各種の必要経費を認め、人的事情に応じた最低生活費を免除する課税最低限の設定である。第三は、算定された課税所得について、超過累進課税率と呼ばれる税率を適用して、課税額を決定する累進所得税体系である。これは、課税所得を幾つかの所得階層に区分し、高額の所得階層に対して高い限界税率を適用する仕組みである。また、同一個人のすべての所得を合算して、これに累進的な税率を適用するものであり、直接税としての所得税が中心的な課税である。
 総合課税方式は、水平的公平性の原則とサイモンズ流の包括的な所得の定義を前提としている。「水平的公平の原則」 は、ある指標について同じ人々は同じ負担を負わなければならないことを意味している。したがって、包括的所得を水平的公平の指標とすると、包括的所得の同じ人々は同じ負担を負うことになる。ある期間の 「包括的な所得」 は、その期間における資産の純増と消費との和で与えられる。資産の純増または消費にあてうるものは、たとえずっと保有したまま、市場で実際に売却益を出さない資産からの未実現のキャピタル・ゲインであっても、総て所得とみなされる。総合課税は、この包括的所得に対して課税することを意味する。特定の所得のみを合算せずに課税する単独課税や、特定の所得のみに対して差別的な税率を適用する分離課税は、水平的公平の原則をおかすことになる。
 ところが、日本の所得税制では、長期にわたって有価証券の譲渡益 ( =キャピタル・ゲイン ) が非課税とされ、また、配当所得、不動産の譲渡所得等については分離課税扱いとなっていた。さらにマル優 ( 少額の貯蓄に対する利子所得を非課税とする制度 ) の管理が万全ではなく、その枠に事実上制約がなかったため、利子所得はそのかなりの部分が非課税扱いとされていた。一九八八年からマル優制度が廃止され、利子所得に対しては一律に二〇%の分離課税が実施された。このように現実には、資産関係の所得が総合課税の枠からはずれていき、ますます分離課税扱いになってきている。
 所得税から消費税への税体系のシフトは、課税原則でみた包括的な所得への累進的な税率の適用という総合課税の理念からみると、逆方向への改革といえよう。


 日本の所得税制は、総合課税・課税最低限の設定・累進所得税体系の 3 つの理念に基づいている。ところが、資産関係の所得が総合課税の枠からはずれ、分離課税扱いになってきている、と書かれています。



 資産関係の課税が別扱いになってきている、と書かれているので、その是非を考えます。

 私は、資産に基づく所得は、本人の努力によって得た所得とはいえないのではないかと思います。基本的に、資産は親からの贈与・相続によって得た場合が多く、本人が努力して得たものではないと考えられます。もちろん、なかには、努力して一代で富を手にした人もいるとは思いますが、その場合であっても、いったん資産を得たあとは、「ほとんど」 努力を要することなく、所得を得られます ( まったく努力が不要だとは思いません ) 。

 とすれば、資産関係の所得に対しては、( 一般の所得に比べて ) 高い税率を適用しても構わない、と考えられます。

 したがって、資産関係の所得を別扱いにし、総合課税の枠からはずすことは、合理的ではないかと思います。



 もっとも、上記引用を読むかぎりでは、資産関係の所得は、「事実上、優遇されている」 と考えられます。

 しかし、かつてとは異なり、いまの時代は、「カネ余りの時代」 です。産業発展のために、資本を優遇する必要はありません。資本が不足して困っているのではなく、資本の側が、投資先が不足して困っているのです。資本を優遇せずとも、有望な投資先には、資本が流入するはずです。また、資本が多少、海外に流出したところで、もともと余っているものが減るのですから、とくに問題にはならないと思います。

 したがって、資産関係の所得に対して、「税制上、有利な扱いをする」 のではなく、その逆、つまり 「高い税率を適用すべき」 ではないかと思います。



 上記の理由で、私は、資産関係の所得については ( 明快に ) 分離課税とし、高い税率を適用すべきである、と考えます。なお、他の所得については、原則に従い、総合課税の枠内で処理すればよいと思います。

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