井堀利宏 『日本の財政改革』 ( p.164 )
現在の年金制度は、建て前としては積立方式、実質的には賦課方式である。高齢化・少子化の流れを考えると、( 実質的にも ) 積立方式への移行を真剣に検討すべきである、と書かれています。
高齢化・少子化の流れを考えれば、( 実質的にも ) 積立方式に移行すべきである。この主張には、説得力があります。
その場合、著者も説かれているように、積立方式へ移行しようとすれば、二重の負担問題が発生します。
この問題について、著者は、「移行世代が団塊の世代であり、人口の厚みが大きい」 ので、「一人当たりではそれほど大きな負担にはならないと思われる」 とされているのですが、「完全に移行するまでに四〇年、五〇年かかる」 以上、これは根拠たりえないと思います。
この問題について、どう考えるべきでしょうか。
とりあえず、今後の人口推移 ( 予測 ) を確認します。そのために、
「国立社会保障・人口問題研究所」 の 「図3 年齢3区分別人口の推移:中位推計」
のグラフをご覧ください。このグラフを見ると、今後数十年間、生産年齢人口・年少人口は減少を続ける一方、老年人口・後期老年人口は増加を続ける、と予測されていることがわかります。
とすれば、時間が経てば経つほど ( たてばたつほど ) 、現役世代の負担が大きくなることになります。したがって、積立方式への移行は必要不可欠であり、しかも、移行は早ければ早いほどよい、ということになります。
この現状 ( 予測 ) に鑑みれば、「元年金数理課長、年金が本当は大黒字」 に引用した見解などは、
あまりにも呑気であり、実際の政策としては論外、
とみるべきだと思います。
現在、年金が黒字であり、巨額の積立金が積み上がっているならば、それはそのまま、将来、ほぼ確実に予測される年金破綻への備えとして、残しておくべきであり、それでもなお、資金が不足するはずであると考えるのが、通常の感覚だと思います。つまり、
これでもなお、積立不足であり、もっと積み立てなければならない、
と考えるのが、自然な発想ではないかと思います。
したがって、私としては、「団塊の世代」 云々はともかく、「積立方式への移行は早ければ早いほどよい」 と考えます。つまり、私は、著者が 「団塊の世代」 などと書かれている点には疑問があるものの、その他の点では、著者の見解を支持します。
なお、早目の移行が、「年金制度の世代間公平」 のうえでも、好ましいと思います。
現在の日本の年金制度は建て前としては積立方式であり、巨額の積立基金を保有しているが、実質的には賦課方式であって、働いている世代がそのときのお年寄りの世代を支える仕組みである。現在一番人口の多い四〇歳から六〇歳までの世代は、これから数十年間に引退していく。高齢化・少子化のなかで一番苦しいのが現在〇歳から二〇歳くらいまでの世代である。二〇年、三〇年後にはこの世代が、少ない人数で多くのお年寄りの年金を支えなくてはならない。したがって、このまま賦課方式を維持すると、彼らの年金負担は所得税負担よりもはるかに多くなってしまう。こうした事態を避けるには、早いうちから給付水準の引き下げなどの対応をする必要がある。公的年金は政府がコミットしている制度であり、たとえば、給付水準の引き下げを決定したとしても、来年からいきなり現在の老年世代の給付額を半額にするというわけにはいかない。日本ではここ四〇年、五〇年間、人口の世代間構成がいびつな状態が続いており、現行の賦課方式の年金制度は維持するのが困難になっている。
いままでは経済成長率が高く、勤労世代の賃金がどんどん上昇してきた。しかも、勤労人口は増加していた。したがって、勤労世代一人当たりではあまり負担をしなくても、お年寄りの年金給付をカバーすることができた。賦課方式の年金制度の収益率である賃金上昇率プラス勤労人口上昇率が高かったため、賦課方式は効率的な年金制度として機能していた。しかし、これからは高い経済成長率は期待できず、若い人の賃金の伸びも期待できそうにない。しかも、勤労人口が減ってくる。この状況では賦課方式の年金制度を維持しようとすれば、できるだけ早く年金の給付水準を大幅に下げるべきだろう。現在の年金制度では、個人差はあるが、給付額は標準的には月額二〇万円くらいである。これは先進国の中でもかなり高額の水準である。こうした高水準の給付を今後も維持して、公的年金だけで老後の生活をカバーするという政策を続けるには、それを支える若年世代の負担の面で限界がある。それだけに、政府は公的年金が必要最小限の生活費の一部でしかないことを、公的年金制度の理念としてもう少し素直に認めるべきであろう。いまの団塊の世代 ( 四〇-五〇歳代 ) に対して自分の老後の備えを自分できちんとしないと、政府は面倒をみられないということをはっきりさせるべきである。
わが国での世代間再分配政策の大きな部分は、賦課方式による年金制度によっている。長期的にはこのシステムを根本的に見直し、積立方式へ移行することが必要である。賦課方式を積立方式に移行することは、以下の点でメリットがある。(1) 積立方式では自らの負担と自らの給付が連動しているので、受益者負担の原則に合致している。(2) 賦課方式のもとでの年金負担が勤労意欲を抑制する効果が、積立方式ではなくなる。(3) 今後の出生率と労働人口の低下を想定すると、年金の収益率としてみた場合、賦課方式よりも高い収益率が期待できる。
したがって、いずれは積立方式への移行を真剣に検討すべきである。しかし、積立方式では積み立ててはじめて年金の給付がかえってくるから、完全に移行するまでに四〇年、五〇年かかるという問題がある。さらに賦課方式から積立方式への移行の時期での二重の負担問題 ( 移行期の勤労世代が自分の親の世代の給付と自分の世代の積立と同時に行う問題 ) も、現実には大きな問題である。特にわが国では、公的年金の給付水準がかなり高いので、移行期の二重の負担は無視できない。この問題はどのように解決すればいいだろうか。これは、現在の老年世代の給付を徐々に抑制し、段階的に積立方式に移行することで、十分解決可能であろう。わが国ではある程度の積立金がすでに存在しており、また移行世代が団塊の世代であり、人口の厚みが大きいことを考慮すると、二重の負担が発生するにしても、一人当たりではそれほど大きな負担にはならないと思われる。
現在の年金制度は、建て前としては積立方式、実質的には賦課方式である。高齢化・少子化の流れを考えると、( 実質的にも ) 積立方式への移行を真剣に検討すべきである、と書かれています。
高齢化・少子化の流れを考えれば、( 実質的にも ) 積立方式に移行すべきである。この主張には、説得力があります。
その場合、著者も説かれているように、積立方式へ移行しようとすれば、二重の負担問題が発生します。
この問題について、著者は、「移行世代が団塊の世代であり、人口の厚みが大きい」 ので、「一人当たりではそれほど大きな負担にはならないと思われる」 とされているのですが、「完全に移行するまでに四〇年、五〇年かかる」 以上、これは根拠たりえないと思います。
この問題について、どう考えるべきでしょうか。
とりあえず、今後の人口推移 ( 予測 ) を確認します。そのために、
「国立社会保障・人口問題研究所」 の 「図3 年齢3区分別人口の推移:中位推計」
のグラフをご覧ください。このグラフを見ると、今後数十年間、生産年齢人口・年少人口は減少を続ける一方、老年人口・後期老年人口は増加を続ける、と予測されていることがわかります。
とすれば、時間が経てば経つほど ( たてばたつほど ) 、現役世代の負担が大きくなることになります。したがって、積立方式への移行は必要不可欠であり、しかも、移行は早ければ早いほどよい、ということになります。
この現状 ( 予測 ) に鑑みれば、「元年金数理課長、年金が本当は大黒字」 に引用した見解などは、
あまりにも呑気であり、実際の政策としては論外、
とみるべきだと思います。
現在、年金が黒字であり、巨額の積立金が積み上がっているならば、それはそのまま、将来、ほぼ確実に予測される年金破綻への備えとして、残しておくべきであり、それでもなお、資金が不足するはずであると考えるのが、通常の感覚だと思います。つまり、
これでもなお、積立不足であり、もっと積み立てなければならない、
と考えるのが、自然な発想ではないかと思います。
したがって、私としては、「団塊の世代」 云々はともかく、「積立方式への移行は早ければ早いほどよい」 と考えます。つまり、私は、著者が 「団塊の世代」 などと書かれている点には疑問があるものの、その他の点では、著者の見解を支持します。
なお、早目の移行が、「年金制度の世代間公平」 のうえでも、好ましいと思います。