洗濯をした。ほとんど土曜日午前は、洗濯で埋まる。未だにベランダに出しっぱなしの二槽式洗濯機は、洗濯槽から脱水槽への移し変えがあるから、洗濯物を放り込んでほっとくわけにも行かない。そのうち、放り込んだら洗濯脱水乾燥アイロンまでしてくれるものがでるのかなあ。洗濯途中にはよく空を見る。坂本竜馬も空をよく見たという。「空はでっかいのう」竜馬ごっこ。そんなことをしていながら、生と死についてぼんやり考えた。老衰で死にかけている老人でもちょっとした切り傷などは自然治癒力で治る。生きながら死んでいく。といったことが今読んでいる本
「実践!「元気禅」のすすめ」に出ていた。それなら、心臓が止まってご臨終の後の切り傷はどうだろうか?多分治らないだろうな。なぜなら新しい血がこないから栄養が足りなくて細胞が餓死するのだから。となるとこんなことを考えてる「自分」は脳が作り出しているんだから心臓が止まったらやっぱ死ぬよなあ。脳細胞が生きているから思考するんだもんなあ。と思ったところで、となると、本当は脳だけじゃなくて全身の細胞も何かを思考しているんじゃないかと思い、ぞっとした。たまたま脳は口とか目とか耳とかに繋がっているから思考を形に出せるのであって、他の細胞は思考していながら、それを表現できないだけじゃないのか。と思ったのだ。とここまで打って、考えが変わった。次に続く