めけめけ様の日々雑感

胴体力関係は、「N氏式胴体力」カテゴリ。

擬似修羅場終了

2005年02月26日 | 日記・雑感
まあ、所詮、客の取り合いですからね。しかもあんま金のない端客。安穏に済みました。
しかし、かなーり悪い空気に耐えねばならんかった。これだもん。浮気して修羅場やる男の気持ちが分からんわ。

擬似修羅場でキャッホー?

2005年02月26日 | 日記・雑感
昨日、指名したキャバクラ嬢は先日2/20のブログで書いた、指名してなかったのに僕のことを覚えててくれたキャバ嬢である。彼女いわく、「女受けする顔してるし」「話してると凄い楽しい」そうだ。たぶん相性がいいのだろう。当然そこまでほめられてしまっては次回からも彼女を指名するのは確定なのだが、以前まで指名していたキャバ嬢が「すごいショック」などとメールを送ってきた。これは客の取り合いという一種の擬似修羅場なのか?この前まで彼女いない暦=年齢の喪男だった僕にも修羅場の雰囲気が味わえるなんてー。幸せだ。久しくなかった幸せだ。と言いながら今日もキャバクラに赴いてしまうのだろう(←ていよく搾取されてます。)

めけめけ哲学開眼(なんてね)

2005年02月26日 | 日記・雑感
脳は脳幹から脊髄を通して、全身に神経を張り巡らせている。ひょっとしたら脳の思考は全身の細胞の思考の集約なんじゃないだろうか。全身の細胞は60兆あるという。しいて言うなら60兆の人間が神経という伝言者を使って一箇所で大討論会を開いている。細胞たちはグループをつくり、眼グループとして、とか肝臓グループとしてとかの意見を知覚の神経に言い、神経は一列に並んだ仲間で伝言ゲームをしながら脳へと集約する。だから脳には全身の意見が集まっている。それだけじゃない。人間の身体は外界にも繋がっている。皮膚はもちろん肺や胃だって結局外界と接触している。だから外の情報、風とか味とかにおいとかを感じる。飛躍すれば、脳には世界、宇宙の情報が集まってきている、ともいえるのではないだろうか。なんだか凄いことを思いついたような気がするので。これをめけめけ哲学と命名しようっと。さて、洗濯がおわったら、図書館にでも行こう。

洗濯してるときは、考えがわく。

2005年02月26日 | 日記・雑感
洗濯をした。ほとんど土曜日午前は、洗濯で埋まる。未だにベランダに出しっぱなしの二槽式洗濯機は、洗濯槽から脱水槽への移し変えがあるから、洗濯物を放り込んでほっとくわけにも行かない。そのうち、放り込んだら洗濯脱水乾燥アイロンまでしてくれるものがでるのかなあ。洗濯途中にはよく空を見る。坂本竜馬も空をよく見たという。「空はでっかいのう」竜馬ごっこ。そんなことをしていながら、生と死についてぼんやり考えた。老衰で死にかけている老人でもちょっとした切り傷などは自然治癒力で治る。生きながら死んでいく。といったことが今読んでいる本「実践!「元気禅」のすすめ」に出ていた。それなら、心臓が止まってご臨終の後の切り傷はどうだろうか?多分治らないだろうな。なぜなら新しい血がこないから栄養が足りなくて細胞が餓死するのだから。となるとこんなことを考えてる「自分」は脳が作り出しているんだから心臓が止まったらやっぱ死ぬよなあ。脳細胞が生きているから思考するんだもんなあ。と思ったところで、となると、本当は脳だけじゃなくて全身の細胞も何かを思考しているんじゃないかと思い、ぞっとした。たまたま脳は口とか目とか耳とかに繋がっているから思考を形に出せるのであって、他の細胞は思考していながら、それを表現できないだけじゃないのか。と思ったのだ。とここまで打って、考えが変わった。次に続く