めけめけ様の日々雑感

胴体力関係は、「N氏式胴体力」カテゴリ。

絶望に効く薬(山田玲司)

2005年10月30日 | 日記・雑感
絶望に効く薬の5巻を読了。
この漫画は漫画家の山田玲司がいろいろな第一線で戦っている人等に会ってその人々の物語を聞く事で絶望に効く薬にしようという対談漫画である。
毎回毎回読むたびに思う。
世の中にはすごい人がたくさんいるもんなんだなあって。

彼らに比べると僕なんていろんなところからの切り貼りで世の中を適当にこなしている甘ちゃんのぬるま湯蛙に過ぎないんだと思う。

でもそんな僕の存在を許してくれているこの世界の度量の広さというものも感じて最近は幸せだ。

今回は
富野由悠季の「つながりが見えないことが要するに絶望なんです。人は人から認められて初めて安心できる存在なんだ。」「他者がいて初めて自分がいるんだ。」
西原由記子の「自分で自分を誉めてあげていいんですよ!」
森毅の「「弱いと思わせたほうが得や」と思うで」
等がピックアップできる「いい言葉」としてはあったが、

伊藤明さん、渡部陽一さん、重松清さん、押川剛さん、デービッド・ブルさんの回はピックアップし切れないほどすごくて心に強く刺さる話だった。

とにかくこの本は世の中にはすごい人がいて当然すごくない人もまたたくさんいて、ああ世界って大きいなあと思うのに最適な本です。ぜひ読んでみて!


バランスボールの振り方について

2005年10月28日 | めけの独善的身体の練り方(我流)
今日は美坂式鉄球(バランスボール)について書こうと思う。
このバランスボールとはよくスポーツジムなどにおいてあるゴム製の大きなボールではなく、
両手で包めるくらいの大きさの俵型の鉄球である。
2kgのものと3kgのものがある。
これを手にもって上下に振ることで中心軸と腰肚の感覚を高めるそうだ。
昔、私が飛龍会の講習会に行ったときに指導員の方に振り方を習った。
そのときの振り方は、スクワットのように腰とひざを上下させ、鉄球の軌跡が垂直線を描くように上下に振るものであった。
そのときはみんなで500回振ったが、はっきり言って周りでやっている人がいなかったら50回目くらいで投げ出していたくらい膝が疲れた。

今は別の振り方で2kgのものを50回~100回ほど気が向いたときに振っている。
別の振り方とは、「丸める/反る」で振るのである。
鉄球を腹の前で両手で包むように持つ。
そしたら仙骨を入れ軽く反って鉄球を頭上まで持っていく。
次に鉄球が上に行こうという慣性に対抗するように、肚を縮め丸まってへその前まで鉄球を引き戻す。
その際に骨盤が開くのでバウンドするように再び骨盤を締め、反ることで鉄球を頭上に持っていく。
この際に鉄球が上に行くときは、腰が少し前に移動するような感覚、下に引き戻すときは腰を少し後ろに引く感覚で行う。
この振りかただと、脚はほとんど疲れない。
鉄球の軌跡はへその前から頭上まで1/4の楕円のような軌道を描く。
この振り方で実践してみると何よりも丹田の収縮力の鍛錬になる感覚がある。また、骨盤が仙骨を中心に揺り動くような感覚が出てくる。
鉄球の軌跡から考えると、昔から鍛錬として重視されている薪割りや、重い木刀の素振りなどと酷似しているような気がする。
伊藤先生は「普通の人なら1000回、身体活動のプロとして生きていきたい人は10000回は軽く振れなきゃだめですよ」などと言っていた。
それに比べると自分の取り組み方はまだまだ甘すぎるが、振り方としては飛流会で教わったのよりも「丸める/反る」で振るほうがいいような気がする。特に肚への効果が高い。鉄球を持っている人は試してみて比べてみて欲しい。

太極形意二行拳(たいきょくけいいにぎょうけん)

2005年10月27日 | めけの独善的身体の練り方(我流)
もらった仕事が予想外に早く終わったので、
敷地の端で(簡化の)楼膝拗歩→三体式→劈拳→楼膝拗歩→三体式・・・
の繰り返しをしてこれぞ「太極形意二行拳」なんて一人悦に入っていました。
改めて馬鹿だ俺。でも横の試力と縦の試力が入っているから結構いい型かも。

気が昇る

2005年10月26日 | めけの独善的身体の練り方(我流)
相変わらず丹田がマイブーム。
今日も肥田式の鉄棒を使うトレーニング等で丹田を鍛えているのだが、
丹田をきたえているとたまに急に頭が猛回転しだして躁病に近い状態になることがある。
これは昔武術の先生に聞いたのだが、丹田等を鍛えるとエネルギーが集まりやすくなって丹田に溜まるようになる。
溜まりすぎた気は脳に昇っていって禅病を起こすことがある。
つまり精神に異常をきたすことがある。
武術の師匠等で頭がおかしい人がいるのはそのせいだと述べていた。
それを避ける方法が発勁の空打ち。
丹田に溜まったエネルギーを解放するらしい。
聞いた時はほんとかねえと馬鹿にしながら聞いていたが、
今日丹田を鍛えていたら「うひょー」と叫びだしたい衝動が出てきて躁病になりかけたが空打ちで事なきを得た。
本当だったんだなあ。
最近軽い躁っぽいのも薬を変えたのと丹田を鍛えたのも一役買ってるのかもなあ。皆さんも丹田の鍛えすぎにはご注意ください。
あと気功やイメージトレーニングをしている人もそうなりやすいそうなので気をつけてくださいね。

久々にライトノベル読了

2005年10月25日 | 日記・雑感
「滅びのマヤウェル」
なんとなく素人っぽさを感じる作品だった。
それは文体が平易な言葉で書かれてるのにすんなり読めないことといい、
物語を構成するあらゆるパーツがどこかで見たようなパーツで溢れているところから来るのだろう。
悪く言えばパクリの嵐。
きれいに言えば多くの作品にインスパイアされた作品。
こう書くとなんか駄作みたいだが、
さすがにスーパーダッシュ小説新人賞大賞受賞作品。
かなりクライマックスでは燃えて萌えるし、
エンディングに向けてきれいにまとまっている。
ヒロインのある燃えるシーンでは一瞬「魔砲使い黒姫」を思い出してしまったが、それだけ王道ということで。
お暇なら一時の気まぐれにはなるでしょう。なんてえらそうに言ってみる。
こうやって見るとやはり西尾維新、藤原祐、平坂読は言葉に対するセンスが抜群にあるなあなんて一人思う。

鬱対処法その2

2005年10月20日 | 日記・雑感
あとここ最近で鬱になりそうなときに私を救ってくれたものがある。
「ふたりはプリキュアMaxHeart」である。
このアニメのDVDを見ているといつしか没頭できて燃えて萌えて元気になる。それと林原めぐみのCDもいい。「いまさら林原なんて(プ」と思っていたが「VINTAGE S」というアルバムを借りてきて聞いたらそのポジティブな歌詞とアニメソング調のメロディに凄く癒された。

仕事中、周りのおじさんたちは、やれテニスがいいとか、ゴルフがいいとか、釣りがいいとか山登りがいいとかいろいろ薦めてきてとりあえずなにか休日にやれってことでこれは心の病をもつ俺を心配しているんだろう。それはありがたい。けれども押し付けるならばまったく余計なお世話である。

「俺の魂を救うものは俺自身で選び取る」

もちろんアニメや林原めぐみが嫌いな人もいるだろう「あざとい。オタク狙いに過ぎる」なんて批判はあるだろう。だが、少なくとも僕自身がそれに救われたことは事実なのだ。
救う力があれば鰯の頭でも神様になる。
自分を救うものを素直に探すことは大事だと思う。

めけ式鬱への対処法

2005年10月17日 | 日記・雑感
ここ5日ほど躁転していたらしく非常に楽しく人生が過ぎていった。
躁病は病気じゃなくて神からの祝福だと思うねまったく。
願わくば一生の8割は躁病でいたいものだ。
今日の夜少し鬱の取っ掛かりを感じた。あ、来そうだなってやつが。
そこで分かった。私の鬱の原因の一つを見つけた。それは暇だ。
私は中くらいの忙しさで立ち振る舞っている状況じゃないと元気でいられないのだ。
忙しすぎると今度はいらいらしすぎてしまうからね。
そしてその暇の原因は無感動無趣味が原因だ。私はいつからか物事に関する感動が薄いのだ。ゆえに強い喜びや打ち込みを感じることがめったにない。ライトノベルが今は好きだが、一日に何冊も読むわけではない。ここ数日は手を出していないくらいだ。でも一人家にいると時間の使い方に困ってしまうのだ。なんだか音楽鑑賞とか読書とかに没頭しきれないのだ。ラノベは電車に乗っているときなどは読むんだけどね。それか寝る。
何事にもめんどくさがって手を出さない。ゆえに暇になる。暇になると鬱になる。このリンクが分かったのだ。つまりめんどくさくても何かやったほうが私の場合はいいのだろう。
ここまで書いて思ったのだがこれって森田療法的だなあ。やはり効果あるんだろうなあ。

丹田てなんぞや(めけ式超秘伝)

2005年10月16日 | めけの独善的身体の練り方(我流)
最近丹田がマイブームである。
しかしこの丹田という言葉、武術の世界でもあるし、気功や仙道の世界にもある言葉である。ここで筆者が丹田をどのようにとらえているかまとめておこうと思う。
以下の話は、筆者の知識と感覚においての私見であることを最初に明記しておく。

丹田の話の前に重心移動の力について説明しておこう。よく武術の世界では老人でも達人となれば大柄な男相手に互角以上に戦うことができるという話しがある。よくよく考えるとおかしな話である。老人は、一般的に大柄な若い男性よりも筋力に劣る。そんな老人でも若い男性に対抗しうる力がある。それが重心移動の力である。一般的に体重は軽めの人でも40kg普通の人なら60kgというかなり重いものである。体重という重い質量が動くときのエネルギーを利用するのだ。そして運動という面から見た場合人体の中には柱としての骨、滑車としての関節、動力及び伝達ベルトとしての筋肉、錘としての内臓がある。
つまり重心移動の力とは内臓の重みを効率よく伝えることであり、
中国武術ではそのための力の発生方法を沈墜勁と呼び、
その発生させた力を全身を協調させて伝えることを纏絲勁と呼び、
重心が前後左右に釣り合う力を十字勁と呼んだ。

そして丹田とは、広く骨格で言うと腰椎一番から股関節(または大腿骨上半分)までの部分である。ちなみにこの部分をデューク更家は上半身でも下半身でもなく「中半身」と呼び重視している。この場所は内臓の重量を支えている部分である。つまりこの部分のコントロールにより内臓の重量を生かした身体運用を可能とする場所であり、その要となるのは仙腸関節の可動である。そしてそのコントロールに深くかかわっている筋肉が腸腰筋であり、上手くコントロールできる人間には臍下の下腹部に球状様の感覚を生じる。これは腸腰筋の筋感覚と中半身(=全身)の重心バランスが整合する感覚である。

以上が現在の筆者の知識と感覚に基づく丹田の理解である。何かの参考になれば喜ばしい。

一人焼肉に挑戦してしまった。

2005年10月16日 | 日記・雑感
今日は朝から精神的調子がすこぶるよく、数ヶ月か1年ぶりにこんなに普通の精神状態になれたんじゃないか、新しく増えた薬のアンプリットが合ったのかなと思いながら、朝バナナと飲むヨーグルトの朝食を済ませた。
昼ごろになっておなかがすいてきたところに、どこかから中華風の海鮮野菜炒めっぽい匂いがしてきてなんだか中華が食べたくなってきてしまった。
しかし近所に中華料理屋なんてあっただろうか。
知らないけどラーメン屋なら知ってるからそこにでもしようかと車で出かけたところ道端に焼肉屋さんがあった。
焼肉かー焼肉もいいな。
この時間だったらランチか何かやってるだろうと焼肉に変更。お店に入る。

「お一人様ですか?」
「そうですけどランチとかやってますか?」
「うちはランチはやってないんですよ。」
「そうですか。」

じゃあ帰りますとはいえず。
お店に入って普通に肉とちしゃ菜とライスを頼んだが、

これって一人焼肉じゃないか。

いわゆる一人カラオケとかそういう普通は複数人でやる遊びや食事を一人でやる勇者の行為。
私は昔一人カラオケはもちろん一人遊園地という荒行をこなしたことがあるが、一人焼肉は初めてだった。

注文の品が届きもくもくと焼いてちしゃ菜で包み食べる。旨い。
しかし会話はまったくない。一人だからな。

うむ、こういうときに友達というのは欲しいものだが気心の知れた友達をいまさらこの香川で作るのは難しそうだ。
この一人焼肉、普段の大勢の焼肉のペースで網に肉を載せると拾いきれずに焼きすぎになってしまう。なかなか奥深し。
別に悲しくもむなしくもなかったな普通の旨い食事だった。また今度も行こう。しかし、昼食に1,647円はかかりすぎだな。焼肉屋って高いなあ。