めけめけ様の日々雑感

胴体力関係は、「N氏式胴体力」カテゴリ。

恋愛はしばらくお休み

2005年07月30日 | 日記・雑感
俺は二言めにはもてたいもてたい言ってるけどほんとうにもてたいのだろうか。
私はもてない男である。この28年間彼女と言う存在がいたことが数日しかない。その数日も実際問題、恋愛に必須のデートやその他もろもろをせず、せいぜい学校から一緒に帰るくらいだったのでそんなもん勘定に入れなければ、人生=彼女いない歴である。
もちろん、私もことあるごとに「彼女欲しいですねえ」「もてたいっすねえ」と言っている。
キャバクラにも通い詰めたし、ヘルス嬢に告白したこともある。もちろん撃沈したが。

ある日、「ホーンテッド!」というライトノベルを読んでいたときのこと。唐突に悟った。

「俺は恋愛したいんじゃなくてラブコメしたいんじゃないだろうか?」

そのとき読んでいたのは、すぐ死にたがるネガティブ美少女に惚れられてしまい、お弁当を作ってこられたシーンのこの台詞
「せ、先輩!私先輩の分もお弁当を作ってきたんです!い、いっしょに食べませんか?あ、あの……やっぱり駄目ですか?そ、そうですよね、私が作ったお弁当なんて食べられませんよね。腐った生ゴミみたいな味がしますもんね、そんなものを毎日食べている私はきっと生ゴミにたかる蠅以下の下等生命体なんですええきっとそうですこんなもの捨ててやる!飛んでけ私の人生ごと!」

この台詞の「飛んでけ私の人生ごと!」が痛くツボにはまってしまい、こんな恋愛したいなあとつぶやいたのだが、即座にこれって恋愛じゃなくてラブコメだよなあと気付いた。

俺はラブコメしたい

→ラブコメができる人材はとてもじゃないが現実にはいない(今まで会ったことがない)

→ゆえに仮想ラブコメの鑑賞(ライトノベルとかアニメとか)で我慢しよう

の3段論法で落ち着いたのだが、現実の女性に対して頑張る気はさらに萎えた。

本田透は「電波男」の中で恋愛資本主義からはじき出されたオタクは自ら「萌え」という市場をつくりだしその中に愛を注ぐと言ったことを書いているが、それがわかってしまった訳だ。

さて、しかし世の中多数の男女がしたい恋愛というのも実はこれに似ているのではないだろうか。恋愛ドラマ、小説を鑑賞することによって恋愛したいという気分が盛り上がり、近場の異性に飛びついてみる。これが恋愛と呼ばれているものではないのだろうか。

だからこそ、世の中には「本当の愛」を探している人間が満ち溢れるのではないか。

ドラマや小説の中にあるような「本当の愛」を体験できるような環境や相手は実はほとんど存在しない。
「稲中卓球部」の中で前野が
「奴らは(世間で普通にくっついている男女は実はうんめいのあいてでもなんでもなく)とりあえずだ」
と喝破しているのが思い出される。

結論:恋愛は求めても手に入らない。あがくだけ無駄。普通に生きていてそばに来てくれる異性と仲良くなれたらいいね。

科学する野球レッスンと胴体力

2005年07月30日 | 日記・雑感
「胴体力」でブログを検索して役に立ちそうな記事を探したがすくない。
しかし、
「水生夢宿」
「ドラマーな日々」
のブログの作者は胴体力的に優れた文章を書く。
たぶん胴体も私などよりはるかに動くだろう。
非常に参考になったのでトラックバックした。

胴体的に云々というのはあくまで、文章からの推察である。そもそも、私自身が普通の人より動かないくらいの胴体なのだし。

「ドラマーな日々」の記事にあった「科学する野球」という本を図書館で探したら「科学する野球レッスン」という本(作者は同じ)があったので、ざっと眼を通す。

私は野球には興味がないので
(そもそも競技スポーツは一般的に嫌いです。フィギュアスケートとか女子バレーとかシンクロとか体操とか見てて美しいのは好きだけれども。)
野球の技術に関連しそうなところは飛ばして、胴体力と親和性の高そうなところだけを読んでみた。

この作者は「捻り」を重視しているようだ。
胴体を捻ることによって起こる内部応力を使うといっている。

簡単に言うと新品の消しゴムの上下を持って捻ると消しゴムはよじれる。離すと元に戻る。
この弾性力こそが「捻り」の力の源だとしている。
捻る際には軸足のつま先を内側に入れ、膝は曲げないことを再三再四にわたって書いているのはやはり捻りの際の重要なポイントなのだろう。
この部分は捻りは胴体の3つの動きの中で最大のパワーを生み出すといった伊藤氏と同様の認識である。
また、股関節の捉えについても漠然と理解していたようで、腰を入れることも重要視しているようだ。

また、走り方について独特の走り方を推奨していた。
まず、前足の着地は踵からするといいらしい。
つま先から着地するとつま先→踵と接地する際に後ろ向きの力が発生してしまう点と、つま先の着地は着地の瞬間、足首と膝という2箇所のばねで腰を支えることになるため不安定になりがちだという話だ。
さらに、人間はもともと四足動物だったのだから、筋肉のつき方や反射を利用すべきだといって、腕を軽く内旋させて(直立して腕をぶらりとたらしたときに通常は人差し指の側面と親指の爪が前方を向いているはすだが、内旋させると手の甲が前方を向く)掌で空気を掻くように、あたかも四足動物の前足が地面を蹴るかのように使って走ることにより、よりモモが上がり、速く走れるという。

ほかには、捻りの際に軸足と反対側の足の踵を下に突き出すようにすると捻りが強くなるそうだ。
総合的に非常に身体を動かす際にも役立ちそうな本なので興味のある方は購入してもいいと思う。私自身は購入してないが。

胴体力に触れているブログを探していて一番役に立ちそうだった話。
「捻り」の限界でさらに息を吐ききるともっと捻れる。  以上

教えられれば人は何でも出来るものです(斉藤一人)

2005年07月30日 | 日記・雑感
仕事で悩んで(うまく出来ない、やり方がわからない、教えてくれない)いることを上司に告げると細かいことでもとりあえずは知ってる人に聞けと言われた。
重要なことなのだと思う。
だが私は苦手だ。
大体私が就いているような一般事務にとって、仕事というものは簡単である。
とりわけ分解してみれば。書類に穴を開けたり、書き込んだりそろえたり電話したり・・・これが難しいという人はあまりいないだろう。
しかし手順については別である。こればかりは知らなければどうしようもない。
ただ、私が思うには、そういった手順ややり方については最初から詳しく教えればいいと思っている。「仕事は盗め」などともいうが、そもそも、芸事のように師匠と弟子でもその実ライバル同士というわけでもあるまいし。というわけで私はろくに教えもしないで率先して聞きに来るのを待っている係長はじめ他の職員は怠慢だと思う。これが、好きでやってることならいくらでも他人に頭下げて聞くけどね。仕事は効率的に出来るのが一番だし、みんな好きでやってるわけじゃないんだから自主性を重んじるってのはちょっと違うような気がする。

なりきり塩田でGO!

2005年07月24日 | 日記・雑感
股関節の捉えをつくって歩くときには歩幅は狭くしたほうがいいです。
これは股関節の切り替えが意識しやすくなるからって本に書いてあります。
(スーパーボディを読む165ページ)。
そして軽く伸ばす縮めるを意識しながら、
地面が玉砂利だったら拇指丘の辺りだけへこむ(へこませる)
位の心持で歩いてみるとなかなかいい感じです。
これを「なりきり塩田剛三歩き」と命名。
この土日はでも鬱転でひたすら寝ていたので歩いてない。
明日からなりきり塩田で行こう。

股関節の捉えとは

2005年07月24日 | 日記・雑感
股関節の捉えとはなんだろうか。
今の私の稚拙な感覚から言うと、
地面に足をついたときの反力が股関節付近に感じられる状態である。
反力ってなんじゃいという方は、手を壁について押して欲しい。
手首や肘に押し返されるような感覚が出るだろう。
それを反力と定義しておく。

さらに、言葉を変えると股関節の捉えは股関節に胴体の重さが乗った状態である。
こう考えると、股関節に重さがまったく乗らない人はあまりいないが、100%股関節に乗っている人もそういないことが理解されるだろう。
つまり、股関節の捉えとは「ある」「ない」というものではなく
「強い」「弱い」・「鋭い」「鈍い」・「深い」「浅い」
というくくりで理解すべきものだ。
(便宜的に捉えがある程度以上に「強い」人を「(捉えが)ある」、「弱い」人を「ない」と表現することはある)

そして、誰にでも出来る正しい立ち方によって、股関節の捉えはその人にとって最高に強くなると考えられる。

強い捉えをつくって意識的に行動することで、身体は解放され、動きがよくなるが、捉えをつくらないで弱くして動いてしまうと、身体に緊張が起こり、動きが悪くなる。その積み重ねが、今の体の動きとなるのだ。私の身体が数年前より胴体力的に衰えたのも、捉えを意識的につくらなくなってしまい、捉えが弱くなり、その生活を数年続けたからだろう。

だからこそ、前傾して拇指丘に体重を乗せ、おなかをへこませ、胸を引き上げる「誰にでも出来る正しい立ち方」によって捉えを強くして普段から歩くべきだと思う。

久々にメンヘラらしい話題。

2005年07月24日 | 日記・雑感
おひさしぶりです。薬を変えました。
アモキサンをドグマチールに変えたら、
今まで異常にかいていた汗をかく量が減ったり、
便秘だった便通がよくなったり、躁転したり鬱転したりでした。
しかしこのドグマチールという薬。食欲増進効果があるんですよね。
ゆえに[でぶ薬]とも呼ばれる。また太るんかい。

本は手当たり次第に衝動買いせよ

2005年07月19日 | 日記・雑感
買った買った。本を6冊。

「ファントム・キングダム ザ・コンプリートガイド」
「絢爛舞踏祭 ザ・コンプリートガイド」
やっぱりゲームには攻略本だよねえ。今の時代ゲームに詰まった情報を味わうには攻略本は不可欠ですよ。と、言いながら本買った瞬間になんだか満足してやらなくなってしまう場合も多い。諸刃の刃です。

「マーフィー あなたは、何をやってもうまくいく!」
うーん。題名打ってて恥ずかしくなる感があるけど、潜在意識活用系の本は好きなんだよね。楽して成功って素敵な響きじゃないですか。

「飛鳥井全死は間違えない(元長柾木)」
元長柾木は「未来にキスを」や「sense off」といった哲学系思考グルグルなエロゲーのシナリオライター。どちらのゲームも非常に楽しみながらプレイしたので、今回は作者名買い。

「NHKにようこそ!(滝本竜彦)」
滝本竜彦はひきこもり経験のある作家。彼の自身の恥部を最大限さらけ出した「超人計画」は自覚的ダメ人間必携の書。その彼の2作目の作品がこれ。文庫化されてたので作者買い。
1作目の「ネガティブハッピーチェーンソーエッジ」は素敵な青春ライトノベルだったがこちらはどうだろうか。

「アンダカの怪造学Ⅰ(日日日)」
日日日はあきらと読む。晶の字の分解だろう。数々の賞を受賞しているライトノベル作家らしい。平積みされていて目に留まったのでとりあえず買った。

計6500円くらい買った。しかし本は安い。これを消化するのに少なくとも数時間を要すると思われるが、キャバクラには1時間いただけで6300円かかるのだ。それを考えれば、安い買い物である。本に関して言えば「衝動買いしろ」と自分に言い聞かせている。
もちろんはずれも多いがその場合はブックオフに持っていけばいいだけだ。もしあたりの本に出会えたなら、あなたは相当に濃密な時間を過ごせるはずだ。

「守」「破」「離」 

2005年07月19日 | 日記・雑感
「守破離(しゅはり)」という言葉をご存知だろうか。
物事を学ぶ際の3つの段階について述べたもので、
伝統芸能や茶道、剣道の世界などで使われる言葉である。


第一の段階である「守」

これは、指導者から教わったこと、型を寸分たがわないように行う段階である。
この段階では教えられたことに対して、どうしてこうするのか、もっといい方法があるのではないかなどといった疑問はひとまずわきに置いておいて、無意識のうちにこなせるまでその型に習熟する必要がある。


第二の段階である「破」

これは、基本的には型を踏襲しながらも部分部分で独自の工夫を凝らしてみたり、変えてみたりする段階である。しかし、あくまでも型が身についていることが重要である。歌舞伎の天才市川猿之助は「型があるから型破り、型がねーのは型なしよ。」といったそうだ。


第三の段階である「離」

これは、型から離れて自由に所作等を行う段階である。しかしこれは独りよがりな動作でいいとしているわけではなく、自由に動いていながら、型に含まれている道理からは外れずにいるという、高度な状態である。

芸能の世界等では類まれな天才が最初から「離」の段階にいて一流派を起こし、後進のために型を作り上げたりするのだが、我々凡人は、自分勝手に動くのではなく、最初は型に自分をはめ込まなくてはならない。

胴体力で言えば、捉えて歩くことを意識的に行い、3つの体操を行う段階が「守」である。「破」が細分化の意識を使った工夫、「離」が軸のイメージで動くことだと私は理解している。

仕事もそうである。最初はわけも分からず先輩のやる通りにやり、そのうちに自分なりの工夫を加え、いずれは、自分の判断で動けるようになる。

何が言いたいかというと最初から自分で自由に動いてうまく行く人はなかなかいないということ。

何事に関してもうまくいかない人は、「守」の段階がうまくいってないのかもしれません。

本音を言えば、俺が仕事でうまくいかなくてメンヘラになるのも、先輩方(60過ぎの嘱託職員)が仕事を全然教えてくれなくって「守」どころじゃないのに自分自身で「離」ができないとだめだって自分を責めてしまうから。最近そう思うようになって少し楽になった。

うまくいかない人。あなたが悪いんじゃないよ。教えてもらえなければほとんどの人はできないんだから。そして、人間は教えられれば大概のことは出来るようになるんだよ。だから、恥ずかしがらずに教えを乞おう。これは俺自身出来ていないこと。でも出来るようにやっていく。

虫に不戦勝

2005年07月18日 | 日記・雑感
台所の三角コーナーから小さい羽虫が発生しているのだが、

ついに今日ハエが発生した。

あわてて、ハエタタキ。キンチョール。虫パウダーの三点セットを購入して凱旋すると、
いなくなってた。敵と戦わずして別れる。これ兵法の奥義なり。
しかし、いつでも戦闘に入れるように準備はしておこう。

物には魂があり、言葉には力がある(らしい)

2005年07月18日 | 日記・雑感
車のガソリンを入れて洗車した。ペーパードライバーなので未だに緊張する。
洗車すると愛車の性能が上がる気がする。やはりあらゆるものに魂はやどっているのですよ。ですから自分が使うものには愛のある言葉をかけて可愛がらなければいけません。(電波ゆんゆんな眼をして)でも、なんか使ってるものに「ありがとう」「よく頑張ってるね」と声かけをすると壊れにくくなったりするらしいよ。どうせ気のせいでも損はしないから、取り合えず、愛車には名前をつけていつもほめてる。