めけめけ様の日々雑感

胴体力関係は、「N氏式胴体力」カテゴリ。

ぎっくり胸椎?

2006年02月21日 | 日記・雑感
随分と久々の更新になる。
ここの所やっていたことといえば、ライトノベルを読んで、昼寝して散歩してとニート生活を最大限に満喫していました。

最近、某武術研究会の稽古会やセミナーに出ている。
随分と前から会員なのだが、就職してからほとんど顔を出していなかったのだ。
18日と19日に出席した。
久々ながら武術というのは難しくて面白い。
ここでは対練という約束一本組み手の練習をおこなう。
相手に中段(もしくは上段)を突かせて、その攻撃を捌いて、技を掛けていく練習である。
自分で言うのもなんだが、かなりしなやかに太極拳等の型をこなすことができるようにはなってきたが、それと相手に技を掛けることは別問題である。そこに面白さがある。

18日、そこで失敗をした。
その時、練習していた技は、相手の右順突きを右足を前に出しながら体を開いて避け、左手で相手の伸びた右拳を押さえ、自分の右肘を相手の右肘に乗せて相手の肘を曲げ、外側から反時計回りの螺旋を描くように右腕を伸ばして相手のお臍の前あたりに持っていく技である。
こうすると相手の腕の肘が極まる。どのように極まるかというと、ボクシングのような構えをして、右拳を空中に固定したまま、肘を内側時計回りに回して(回されて)いくような状態である。この技を相手に掛けられた時、相手の人は体格がよく力が強い人だったので、肘がかなり痛くなった。そこでそのまま体を左に回して右肘を上に上げ、合気道の四方投げを受けた時のような体勢になりながらも、抜け逃げた。しかしその時にかなり背中に無理をかけたようだ。

その日の夜から、胸椎の真中と右肩甲骨の間の奥から嫌な痛みが発生し始めた。
ぎりぎりと螺旋の錐をねじ込まれているような感覚だ。
19日の朝になっても痛みはやわらがず、あくびをしてもくしゃみをしても、首を傾けても痛みが走る。首や、時によっては手先までびりびりと。

おかげで19日のセミナーでは非常に難儀をした。
先生にその痛みを相談すると、
「身体の伸ばしすぎ、練習しすぎだと思う」
「いや、それが全然練習していないんですが」
「じゃあ、ひょっとしたら最悪あばらにひびでも入っているかもしれないから医者に診てもらいなさい」
と非常に不吉なことをいわれる。確かに痛みはかなり芯から来る感じのもので、骨といわれても、なるほどと思わせられる。
不安に慄きながら20日に整形外科にいってレントゲンをとってもらったところ、診断は
「肩こり」つまり骨には異常がなかったということだ。
となると、やはり考えられるのは前記の関節技から逃げた時に、奥のすじでも引っ張ってしまったのだろう。
困ったことだ。
うむむ、かなり深刻に痛い。右腕の動きによって痛むが、つながってるから左腕を動かしても少し痛い。
幸いにもスワイショウの動きは痛くないのでスワイショウでほぐしながら、湿布を貼ってしばらく静養しよう。

教訓:関節技から無理に逃げるとより悪い結果を呼ぶことがある。おとなしくタップしとけばよかった。



「拳児」は名作だよね

2006年02月12日 | 日記・雑感
「拳児」という漫画がある。中国拳法を日本でメジャーにした人の一人であるあの松田隆智先生が原作をやっている漫画で、拳児という少年が八極拳という中国拳法を中心に修行しながら、いろいろな人に会って成長していくという物語だ。
私はこの漫画を高校生時代に友人の薦めで、借りて読んだ。大変面白かった。
ジャッキー・チェンに憧れていた私が紆余曲折の上、武術式の錬体を趣味にするのに至ったのにはこの作品の影響も深いだろう。
今日散歩しながら、つれづれと沸いてくる太極拳もどきの動きをしたりしていると、ふと脳裏にその漫画のあるエピソードが浮かんだ。強敵になすすべもやくやられた拳児に、老師が陳式太極拳の3動作
起勢、金剛搗碓(こんごうとうたい)、懶扎衣(らんさつい)を何百回もやらせるというエピソードである。
気になったのでブックオフでそのエピソードを探したら16巻に載っていた。
そして私は驚愕した。
陳式太極拳の起勢は、腕を挙げた際に掌が上を向いているではないか!

私は、先日、起勢とスワイショウの記事を書いた。そのときには簡化太極拳の起勢をイメージしていた。簡化の起勢は腕を上げ下ろしする間、掌はずっと地面に向けたままである。
私自身起勢の記事にこう書いている。
「両手を持ち上げていく。その際に前腕をかすかに外旋させる。
掌は下に向けたままで橈骨を意識すること。」
ここで外旋ということを書いたのは、腕を挙げる際に前腕を外旋させた方が、末端まで力が伝わるような感覚があったからである。
前後のスワイショウの記事では
「手を前に振りきったときには掌が上を向くように、後ろに振り切ったときは掌が後ろにむくようにする。
前に振るときは前腕が外旋、後ろに振るときは内旋するわけである。」と書いた。これも自分の中から出てきた感覚に正直に書いたのである。
今回、「拳児」がその感覚を補強してくれたような気持ちがした。
うれしくて、その巻を買ってしまった。
もちろんその3動作をやるためだ。

大体、太極拳は動作が多すぎる。簡化ですら24も動作があるのだ。
私のような記憶力に自信のない人間にはしんどい。
だから私は、起勢と楼膝拗歩だけをやっていたりする。
これだと超簡化クイック2式太極拳である。
ちょっと急げば7秒でできる。

起勢、金剛搗碓、懶扎衣もこの3つだけでやれば、インスタント陳氏3式太極拳だ。
・・・・数回やってみたが、超簡化2式太極拳の方が身体は練れるな。
ま、金剛搗碓がかっこいいからいいか。あれやるだけで陳式太極拳の雰囲気出るしね。
蟷螂拳における蟷螂捕蝉式みたいなもので。

合掌もいいかもしれない。

2006年02月11日 | 日記・雑感
合掌という姿勢がある。胸の前で左右の掌を合わせるものである。
この合掌というのは身体にいいらしい。気のめぐりが良くなるとか言われている。

合掌40分行というものがあって、合掌したまま40分いると、一回で癒しのハンドパワーが一生涯身につくといわれている。注意点は肘を心臓より高くしておくことらしい。
これにはいままで、20回くらいチャレンジしたがいずれも3分持たなかった。
癒しのハンドパワーは習得困難だ。

股関節の捉えを続けて胴体を開発していくと、脚には充実感が出てくる。この充実感はむやみに筋肉を緊張させている感覚とは少し違う。地面からの反作用を十分に体幹部に伝える感覚が出てくる。これがいわゆる剄力というものかもしれない。

いっぽう腕はふにゃふにゃになってしまう。力感がなくなってしまうのだ。
この違いを考えた時、ふと合掌がいいのではないかと思った。
脚は、足と地面そして股関節の両端から力が加えられている。
腕は肩関節から垂れている。

バネを想像してみると上下から押さえられたバネは力を発揮する。
しかし、片一方の端だけを持ってぶらぶらさせたバネは力を出さない。

となると腕に充実感を出す為には合掌して手を固定するのがいいのではないだろうかと思ったのだ。
合掌して適度に力を入れると、関節が締まり腕の神経が活性化するような気がする。
ちなみに合掌なんて宗教じみててあほらしいと思う方も居ると思うが、手先を固定する鍛錬法として、壁を押したりする練習法が武術にはある。

でも、人の見ている前で合掌やると新興宗教にはまった人みたいだから気を付けながらやろう。タイなら不自然じゃないんだろうけどね。

こうなったら、宗教ついでに般若心経でも暗誦するか。適度に声の振動が身体を伝うし、自然と呼気が長くなる。呼気が長くなると副交感神経が優位になり、ストレスにいいらしい。ついでに、暗誦に心を使えば雑念が静まる。

胴体の開発の順序

2006年02月10日 | 日記・雑感
どうもここの所、首が痛い。
右耳の下から鎖骨の中点あたりに伸びる筋が特に痛む。
首を支える筋肉は、肩関節や鎖骨付近からピラミッド状というか、
富士山状に伸びているのだが、どうもそのあたりが気になるのだ。

ついこの前までは胸骨周りが凝ったように痛かった。
おかげで、楼膝拗歩をやるときにえらくしんどかった。
それがややすっきりしたと思ったら今度は首である。

これは胴体を開発する際に出てくる、萎縮が感覚化される痛みであろう。
一瞬神経痛を疑ったが、神経痛を感じるほど引き伸ばす体操をしていない。

これは経験則だが、胴体が開発されるとき、まず、今まで感じていなかった萎縮が感覚化される。それまではそこにある萎縮を感じていないのである。それを感じて、すこしづつほどくように動かしていくと、ある時その萎縮がなくなっていることに気づく。楽にしなやかに身体が動くようになる。そのように身体の開発は進むのだが、

その開発は胴体の下から上に進む。ざっと骨盤→腰椎→胸骨といった具合である。胸骨の次は鎖骨と首ということみたいだ。日々精進だなあ。

「母性社会日本の病理」河合隼雄 講談社α文庫

2006年02月08日 | 日記・雑感
難解な本であった。この本を理解することはできなかった。

できる範囲で私なりに要約すると
「世の中にはいろんな考え方があるけど、それぞれ長短あって、どれが一番いいとか、最良の答えとかって存在しないよね。」
といった感じである。

前半部分の「母性原理」と「父性原理」という言葉を覚えただけでよしとしよう。
「母性原理」というのは「わが子はすべてよい子」というスローガンである。
「父性原理」というのは「よい子だけがわが子」というスローガンである。

日本は母性的な社会だという。ゆえに性善説が尊ばれ、皆一体の没個性であり、
「和を以って尊しとなす」わけで、「場の倫理」というものが重要視される。
「場の倫理」というのは絶対的平等と平衡を最高倫理とする倫理観であり、
山本七平のいう「空気」や「日本教」にも通じるものだろう。

仏教は母性的な宗教であるし、キリスト教は父性的な宗教である。
なんと親鸞の夢の中に出てきた救世観音は
「汝宿報によってたとえ女犯するとも、われ女身となって犯され、一生の間よく仕え、臨終には導いて極楽に生まれさせよう」とお告げしたという。
徹底的な受容による救済である。

キリスト教は十戒に代表されるように神との契約を守るもののみ救うという宗教である。
ゆえに西洋の社会は契約社会であり個人に対する義務と責任が明確である。

そんなキリスト教から母性原理に満ち溢れたマザー・テレサなどが現れているのはなかなか興味深い。「補償」というやつだろうか。

ユング心理学に興味のある人は読むといいです。「日本むかし話」が楽しく見られるようになるかも。

なお、私は救世観音のお告げを知った時には、これって萌えキャラ信仰だよなあと思った。
詳しくは「電波男」「電波大戦」を読むと理解できるが、
「俺は綾波レイを心に抱いて生きる。現実彼女はレイの身代わりに過ぎない、そして人生という一時の夢が終われば、あとは永遠に綾波と遊ぶんだ!」というような思想である。

萌えは、実は仏教思想だったのか。昔の僧は菩薩とか観音様に萌えていたのか。お遍路さんでは「同行二人」というしな。これは脳内彼女だよね。

「蟲と眼球とテディベア」日日日 MF文庫

2006年02月07日 | 日記・雑感
日日日(あきら)は現在18歳(19歳かな?)で数々のライトノベル賞を取っている若手天才作家である。
今日アマゾンで検索したら18冊本を出している。
・・・・・つくづく神だね。
面白い(売れると判断される)物語をそれだけ作れると言うのは、全く才能だと思う。

日日日の作品を読むのはこれで2作目だが、若干ありきたりな印象を受けた。
極めて平易な文章で、読みやすいのだが、読了後、何も残らない。
ライトノベルの定石的要素の組み合わせと技巧のみで物語が構成されているような感じを受ける。
なんというか、人間的情念がないのだ。すくなくとも、私には情念を感じることが出来なかった。
作者の若さの故だろうか。
情念がない作家としては西尾維新もそうなのだが、西尾維新はその技巧が余りに高いために、許せてしまう。まるで高度な人工知能が心のある人間であるかのように見えるように。でも「ネコソギラジカル下巻」は今4つの出来だったが。

さんざっぱらけなしているが、それでいながら最後まで読了させる力はあるし、こういう物語を思いつくという時点で素晴らしい才能であることは論を待たない。

というわけで「蟲と眼球とテディベア」この本は典型的な「砂糖菓子」だ。ま、好きだけどねそういうのも。

何かと言うと「眼球えぐっちゃうぞ」という眼球抉子(がんきゅうえぐりこ)通称グリコが可愛い。つまり萌える。
オオカミヘアに銃口のような闇色の瞳、不純物のない純真な声。感情も感覚も摩滅しきった不死の少女。
ありきたりだけど萌えるでしょ?

グリコ萌え!!

今日は歩く

2006年02月07日 | 日記・雑感
「歩くことは最高の薬である」
これは古代ギリシャの医学の父ヒポクラテスの言葉として有名です。
最近1日10時間以上寝るだけ寝て、本ばかり読んでいたので、体がちょっとおかしくなっていたので、この言葉に習い、歩いてみた。

歩くと言うのは回転のスワイショウと似ている運動なんですよ。
歩行から移動を抜いて、大きく動くと回転のスワイショウになるのです。
丹田から動くように心掛けて歩いていると、久しぶりに太極拳をやりたくなったので、
うろ覚えになった正宗太極拳をやってみた。動きを丹田に集めて、丹田から手足に伝える。
そんな感じを追求しながらやってみた。
外出して45分。全く汗もかかず、息もあがらずに帰宅。てくてく歩いて太極拳やっただけだからな。

それでも、気がつくとおなかの中が疲れていた。上々だ。

そして本屋にも行く

2006年02月06日 | 日記・雑感
久しぶりに家から出たので、渋谷のブックファーストに行く。
ここでなら見つからなかった本も見つかるだろう。
見つかった。
「母性社会日本の病理」河合隼雄 講談社+α文庫
「子供部屋に入れない親たち」押川剛 知恵の森文庫
「蟲と眼球とテディベア」日日日 MF文庫
「とある魔術の禁書目録」鎌池和馬 電撃文庫
を購入。後半2冊はライトノベル。これは人に薦められてない。「実弾」にはけしてならないけど、私は「砂糖菓子」が好きなのだ。ちなみにフリスク(ミント菓子)も大好きです。

そして
立ち読みしたのは2冊

「自殺する前に読む本」
私は基本的に社会のお荷物なので、よく自殺をうっすらと考える。でも大概の自殺は怖かったり痛かったりするので小心者の私は考えるだけで自殺未遂すらした事がない。
寝ている間にそっと絞め殺して欲しいがそんな芥川龍之介「歯車」な希望は今の時代、通らない。
気がつかない間に脳天を狙撃してもらうってのもいいな。依頼した記憶を催眠術か何かで消してもらって。ともあれ、怖くない自殺も大変なので生きてます。

さてこの本は、偉人の名言、死に様、生物のトリビア等で構成された箴言集です。
偉人の死に様と言うのは大概「まだやりのこした仕事があるんだ!」系の生きる意志に満ち満ちた言葉を吐いて死んでるので、すごいなとは思いますが、いまいち共感はしがたいです。
ちなみに、手塚治虫の最後の言葉は「仕事をしたいんだ。仕事をさせてくれ!」だったらしいですし、逸見政孝さんの最後の言葉は「3番の方が正解です。」だったらしいです。
私の寿命でよかったら使いますか?あと40年ほどありますんで、消費量が多そうな偉人が使っても数日は持つと思いますよ。

名言の方は、結構弱い人にも優しいので好きです。
「力はあなたの弱さから生まれるのです」フロイト
「全ての存在はそこにあるだけで宇宙に受け入れられているのです。そこに最大の価値があります。」マザー・テレサ


トリビアの方は、「どっこい生きてる」と言う感じで驚嘆しきりです。
「人体の中にはおよそ100兆の微生物が生きている。一人の体の中に地球全人類60億の1万倍以上の命が生きている。」
これはすごいっすね。自分が死んだら100兆の命がパーですよ。なんだか大帝国の帝王や神様になった気分してきませんか?

というわけで、一通り読んだら、「生きなくては!」と言う気分にすこしなります。
つらい人は読むといいです。

「セックス依存症だった私」
これは、こういう人間もいると知ることがいいので、読んでおくと良いと人に薦められた本だったのですが、超速斜め読みで読み飛ばしました。
愛のない家庭に育ち、ドラッグとセックスに飽け狂った女性の手記です。
極めて自己中心的で快楽をむさぼり、嘘を日常的につく彼女の人生は受け入れがたいですが、その彼女の原動力と通底したものは確かに私の中にもあります。
教育と自律がつくづく大事ですね。
ちょっと「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」に通じるかもしれないです。

今日は精神科に行く。

2006年02月06日 | 日記・雑感
とりあえず、読んだ本の報告。
スウィフト「ガリヴァー旅行記」
中島敦「山月記」他5編
山本七平「日本はなぜ敗れるのか」「日本人とユダヤ人」
井沢元彦「「攘夷」と「護憲」」
・・・・
「素晴らしい」と先生は言ってくれた。
でも「大人は大概読んでる本だからね。」とも言った。

そうなのか?私はよく知らなかったが、
大人と言うのは随分とハードルが高いものだ。

診断書を貰いなおして、3月末日まで仕事を休めるようにしてもらった。
その間、頑張って教養を詰めなくては。

「人生は飛車角落ちの将棋です。負けて当たり前」と
「絶望に効くクスリ」の中で荒俣宏大先生がおっしゃっていたが、
世の中には王将以外のコマが全部竜王と竜馬で構成されている人もいれば、私のように王将以外は歩が3枚といったような奴もいる。
そういう人間が生きていく為には、よほど棋士の実力を上げなくてはならない。
難儀なものだ。