真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

「どろろ」

2006年12月02日 16時48分40秒 | 虫プロ

昭和44年4月6日「どろろ」の放送が開始されました。
手塚治虫原作の「どろろ」は昭和42年8月27日から昭和43年7月22日まで 「週刊少年サンデー」(小学館)に連載されました。
テレビ化を考えての連載で、連載当時は、白土三平の時代劇物や水木しげるの描く妖怪マンガがブームだったため、それを意識していなかったといえば嘘になります。
ですから、パイロットフィルムも昭和43年1月には完成しております。それは、13分53秒のカラー作品で作られました。なかなか放送は決まりませんでしたが、モノクロにして価格を下げることで、4月からの放送となったのでした。
 体の48箇所を魔物に奪われた百鬼丸が、魔物退治の旅を続けるという怪奇マンガでした。
戦国武将に仕える醍醐景光は、天下を取るという野望をかなえるために、生まれて来るわが子の体を、48匹の魔物に与えてしまいました。 そうして生まれた子供は、体の48ヵ所の部分が足りず、川に流され捨てられてしまいました。
時は流れ、戦(いくさ)の世を旅する少年・百鬼丸。実は彼こそが、魔物に体を奪われた赤ん坊の、成長した姿だったのです。 百鬼丸は、体を奪った妖怪を1匹倒すごとに、失った体の部分を1ヵ所取り戻すことができるのです。 百鬼丸は、どろろというドロボウ少年と知り合い、一緒に旅をするようになります。  しかし、どろろと百鬼丸の行くところ、妖怪や死霊が、次々と襲いかかって来るのでした。

どろろは日本の戦国時代を舞台として、東洋の伝説や説話に出てくるような妖怪が次々と登場してきますが、これらの妖怪は、すべて手塚治虫の考えたオリジナルです。 連載当時は、ちょうど水木しげるの描く妖怪マンガがブームだったため、それとくらべて語られることが多かったのですが、『どろろ』は、むしろ妖怪マンガというよりは貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)と見ることができるのではないでしょうか。

貴種流離譚というのは、身分の高い主人公が幼くして故郷を離れ、数々の苦難をのりこえて英雄になるという、昔からある物語の一類型のことです。 この「週刊少年サンデー」の連載は未完のまま中断しましたが、その後、テレビアニメの放映に合わせて、月刊雑誌「冒険王」に第2部が連載され、一応の完結を見ることになりました。
近年中国映画で「謝英雄伝」というのがありますが、まさにそれであり、このどろろもいつかは「謝英雄伝」みたいな実写で作りたいと思っていましたが来年先を越されてしまいました。あまり期待はしておりませんが。
http://www.dororo.jp
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三丁目の夕日をテレビにて放送、やっと見れた

2006年12月01日 23時40分44秒 | Weblog
三丁目の夕日をテレビにて放送、やっと見れた。
原作「夕焼けの詩」は小学館・ビッグコミックオリジナルに昭和49年から連載が開始された西岸良平作の漫画でありますね。BIG COMIDSとして単行本も出たので持っています。「夕焼けの歌 三丁目の夕日」は三巻目で昭和51年1月発行されていますが、どうも今回の映画は、この話を中心にして脚色したように見れました。時代設定を昭和33年としていますが、当時を経験してきたものとして、この作りかけの東京タワーを、小学6年生の東京見物で実際に見ています。また父が、芝白金町の自動車工場へ勤めていたので、出来上がっていくのを毎日見ていたわけで感無量でした、しかしながら西岸良平さんの原作を初めから見ているものにとって、期待はずれでがっかりしました、無理に都電を走らせる必要もなく、東京タワーを見せる必要もなかったので、CGなどを使い前宣伝では、昭和33年を、忠実に再現などと歌い上げておりましたが、あんなに、設定を大切にしている、というわりには、設定がめちゃくちゃで、正直、途中で見るのをやめようかと思いました。まず、六さんを女性にする必要があったのか。原作では、美人の奥さんが、車の修理を手伝い、車を運転もしていました。鈴木社長初め登場人物は、もっと優しく描かれていて、ともすれば悪人に移ってしまいます。初めてのテレビのシーンも原作の設定が昭和30年力道山や、街頭テレビは少し無理があります。それに原作では、わざわざ家の屋根にテレビアンテナがあるカットが描かれていますが、映画では室内アンテナで、東京タワーが出来ていないのに、異質に見えました。
第4巻のかくれんぼでバーアンテナが描かれておりますが三丁目の話とは違うように書いています。場所の設定もはっきりせず、上野から東京タワーが近くに見えるのは、限られた地域ですが、原作では、東京タワーが描かれていないので気になりませんでした。小説家茶川さんの話とあわせたため、無理があったのかもしれませんが、まだまだ後の話でした。一平と都電で高円寺まで母親を探しに行くシーンですが、都電で高円寺まで、直通でいける、路線は考え付かず、高円寺と都電を出す必要があったのかが疑問ですし、都電が木枠で作った山車のように見えてしまったのは、私の目が悪いのでしょうか。
これらの変なカットの数々は、前宣伝を意識するあまり、無理無理設定したためで、うたい文句の当時を忠実に再現と、嘯いたのはプロデューサーの責任だと思います。しかし、途中から、話が一変しました。演出が生き生きして、話に深みが出、実に泣かせる話となりました。今までの変な枠から開放されたせいでしょうか、見てよかったと、感じさせられたのです。無理な設定枠などなければ、とてもよい作品になったでしょう、初めのギクシャクしておかしいシーンがなければ、違う話としての良い作品であったと思います。
しかしそれでは、興業的には当たらなかったかもしれませんね、また最後のシーンにも無理がありました、上野から六さんは帰郷するはずです、見送るミゼットが左の土手を走ります、しかし上野から、最初の駅、赤羽までにそんな道は、存在しません。借りに次の大宮駅としても、荒川の土手となりますが戸田橋はかなり遠くにありました。赤羽から、大宮までは、京浜東北線と一緒の線路を使っていて、線路は高い位置にあり、平行して走る道路は、存在していなかったはずです。さいごの夕焼けのシーンもおかしいです、
遠景に東京タワーが見えその左側に夕日が沈んでいました。12月の晦日、そんな夕日は大田区とか、東京タワーの南側でなければ見れないはずです。上野から北へ見送っているなら、東京タワーがあってかかなり右側に富士山がありそれより右に夕日がなければならないはずです。忠実に再現をうたい文句にするならば、そんな初歩を見逃さないで欲しいものですね。
アニメに携わっていた頃、何かにつけて、それはおかしいという、抗議が来ました、「漫画だから、」と言い訳したことを思い出します。
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