真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

鉄腕アトム ミドロヶ沼の巻のなぞ

2006年06月13日 18時17分32秒 | 虫プロ
「鉄腕アトムは」手塚先生の校閲やチェックで各パートの、作業が中断され それでも無いスケジュールがますます遅れることになっていた。 あるときトキワ荘のときの鈴木伸一さんが挨拶に来た。 5月に鈴木伸一さん石森章太郎さんつのだじろうさん角田喜代一さん(つのだじろうの兄)藤子不二雄の藤子不二雄Aさん藤子・F・不二雄さんでアニメを作るためのスタジオ、スタジオゼロを中野のもとボクシングジムのあとをに作ったという挨拶であった。
 すでにアニメ制作にたずさわっていた鈴木伸一さんがいる、また初台の頃石森章太郎さんは月岡貞夫さんと手塚先生の代理で 東映動画の「西遊記」に関わっていた経験がある。
 鉄腕アトムの作画をまるまる1本、おねがいできれば、虫プロのスケジュールが楽になると手塚社長のすすめもあったので、スタジオゼロに任せることとなった。
(手塚先生は日ごろから、好きなアニメ作りを、他人にもさせてあげたいと言う気持ちを常々持っていた)
そして原作の「美土路沼事件」を任せることになり、鈴木伸一さんに演出を任せることになった、初めの前半を石森章太郎さん後半を鈴木さんが絵コンテをかいて、手塚先生の校閲を受けた。何度か修正を出されたなどで、はじめの予定よりスケジュールが遅れてしまった。それにまんが家ばかりの集団、動画の人がまだいなかった。 この頃まだ作画監督と言う考えも無かった。おのおのが特徴のある漫画家で既に名の売れた漫画家ばかりである。それぞれ特徴のあるアトムが描かれてしまった。
こうして鉄腕アトム『ミドロヶ沼の巻』は、「多忙な虫プロの社員の為に夏休みでも取れるように」と考えた手塚社長のもくろみは見事に外れてしまう、あまりにもアトムのキャラクターの違いに。虫プロのスタッフは修正するため、尚忙しい思いをさせられてしまったという、伝説が残った。その後スタジオゼロに仕事を依頼した記録は残っていないと伝えられている。

エピソード 
そのあまりの作品の出来の悪さのため手塚治虫が処分、燃やしてしまった、といいつたえられている、まことしやかな噂も流れているが当時の虫プロは、局へ収めるフィルム、と保管しておくフィルム、があったはず。それにネガフィルムがある。
それらをすべて取り寄せ燃やす、そんな面倒なことをする、手間や時間の余裕もなく、その噂はでたらめと言い切ることができるであろう。
エピソード
 ネガがなくなるのは、ライブの(バンクシステム)セルや動画を使って撮影からすればよいのだが、そのスケジュールもなくなったときには 師の頭の中には「あの時のあのカット」言う資料が整理されいた。指示して保管してあるネガ缶を取り寄せ、ネガをばらして必要なところを切って使ってしまった。すぐにネガネガ(ネガフイルムからネガフィルム)を起こして差し替えておけばよいのだが次の仕事に追われ、あとでしようとしているうちに整理が悪く行方不明となってしまったのであろう。
 なんにせよ先ごろ、発売されたDVDにはこの『ミドロヶ沼の巻』が入っている、アメリカでのフィルムが見つかったような噂であるが、サウンドは日本語、サウンドネガが有ったという事なのだろうか。

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3 コメント

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Re:鉄腕アトム ミドロヶ沼の巻のなぞ (虫プロファン)
2021-10-17 18:43:59
たしか1971年だったか1972年だったか、
そのころに広島で初のUHFテレビ局である
「広島ホームテレビ」が開局前の試験放送
時期に、夕方帯番組の形で虫プロ版の鉄腕アトム
を、最初流しておりましたが、その中では
間違いなく「ミドロが沼」は(再)放映が
されました。つまりその頃までは放送用の
フィルム(あるいはそれから作った業務用
のビデオテープ)は存在したわけです。
(本放送時代には放送用フィルムは、
フィルムネットで全国放送する関係で
複数のセットが存在したと思われます。
そのうちの全部あるいは1つをフジテレビが
自由に再放送に使える権利を持っていた時期
です。)

冒頭部、黒人がボートに乗っているシーンの
描写がまずかったのでお蔵入りになったのかなぁ?
とか、あるいは外注製作時に、権利関係に甘い
ところがあった、たとえば再放送をする場合に
どうなるのか、それともスタジオゼロの権利は
完全に買い取りだったのだろうかと、いろいろ
考えましたがわかりませんでした。

またLDやVHS、DVD化は放送とは別途契約が
必要になりますが、制作当時はフィルム上映か
テレビ放送以外には考えられないわけですから、
本放送中のスタジオゼロとの契約ではそのような
想定はありえなかったとおもうのです。
返信する
虫プロ (水谷光一)
2023-02-14 09:52:20
1984~1986までaicという制作会社に居ました。自宅は富士見台2丁目で虫プロさんのすぐ近くでした。当時の伊藤社長とお話したことがあります。皆様に大変お世話になりました。 
返信する
虫プロ (水谷光一)
2023-02-14 09:52:21
1984~1986までaicという制作会社に居ました。自宅は富士見台2丁目で虫プロさんのすぐ近くでした。当時の伊藤社長とお話したことがあります。皆様に大変お世話になりました。 
返信する

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