真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

2011年3月22日 火曜日 政府の言うことを信じて買い控えしていた   ら。

2011年03月22日 14時20分00秒 | Weblog
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昨日 :597歩 起床時間 :5時30分
血圧 :118  67 脈拍 :63 体温 :35.6℃  体重 :67.7㎏  雨
 5時台に目が覚めるなんて、年寄りにもどったかな。雨、被災地の事を思うと、辛くなる。
自然災害に、怒りをぶつける所がなく、心配のあまりに、口から出た言葉が、取りようによっては、人に大きな傷を与えてしまう、ようである。悪意は無いことをうすうすは、わかっていても、この、怒りをぶつける事が、出来ないため、言葉尻を捕らえて、非難する事で、怒りの矛先を曲げている。

 自国の事ではない、原発事故についても、国外は日本国民を好意を持って見てくれている。
原発の現場で作業している人たちにも「50人の名もなき英雄たち」と賞賛している。
そして日本のテレビでは、私は見ていなかったが、作業員たちの作業の姿が映し出された。

 驚いたのはその防御服で、私は、自衛隊や、消防士がつけている防護服をイメージしていたが、昭和49年当時、東海村の原子力発電所(研究所)の制御室を取材した折、着替えさせられた、防御服とさほど変わっていない、防護服であった。違う所はゴーグルやマスクをつけていないことぐらいであった。
 あんな薄手のもので、放射線量の高い所で作業することは、言いがたいほどの恐怖が、襲ってくるで洗う。
 彼らは私たちより、はるかに、被ばくについての恐ろしさを、教わっているはず。なぜならば、被ばくする事の、恐ろしさで、絶対に放射線漏れを出さないようにと、教育されてきたはず。
 被ばくすると、こうなる、チェリノブイリでは今も子供たちが苦しんでいる。
彼たちも親である。子供の事を思うと、自分を犠牲にする。
老い先が無いと、退職した人たちが、志願し、現場復帰している。   -その恐怖は、如何ばかりであろうかー
 日本社会は外国ほど、彼らを英雄視はしないであろう、
どんな事が起きても、現在現場で必死に作業している人たちは、私にとって、いや、日本人にとって、大英雄なのには、間違いない。
 涙が出てしまうほど、感謝している。

 被災地に、ヘリコブターが飛んできて、中からは米軍らしい軍人が降りてきて、救援物資を渡していく。言葉は通じなくても、地元の人たちにとって、言葉に表せないぐらい希望と勇気も頂いているように、飛び去るヘリコブターに手を振る人たちを見ていて、そう見える。
 日本人も、何かをしてあげなければ、と言う人がたくさんいた。特に若し人たちがボランティアとしてすぐに、駆けつけようとしていた。しかし政府は、救助の妨げになり被災地に迷惑かけると、拒否した。いまだに、政府は受け入れをする準備すらしていない。
 そんなことを思いながらテレビのニュースを見ていて、涙が止まらないのは、歳のせい、と花粉のせいなのか。

 買占めを控えましょう。被災地に出来るだけ物資を、と言うわけで、政府やマスコミの言うとおり控えていた。まずはガソリンがなくなった。米も残り少ない。インスタントカレーもあと少し。150gのご飯は100gにして、野菜類は買えないので我慢、
所がである、事押しとうとう花粉症か、それも家族全員、そう、ティッシュがなくなった。
 昨日妻と次男とでお店を見て回ったが、買えなかったとか。

雨が降ったので、長男を送って行った、ガソリンは既になかったので、特攻隊と同じ覚悟、途中何軒か寄ったが売り切れで、東伏見では、あと4台と言うところで売り切れとなる。運が良かったのか、長男を送ってすぐに並ぶ事が出来、30分も待たないで、3,000円までと言うことで20リットルにも満たない給油が出来た。
 その帰り、北浦の西友に寄った。ここの2階に218円でティッシュが少し残っていた。妻には200円までだったら、買ってくるね、と言っていたが、少しオーバー、電話を入れてみるが、この状態で、つながらなかった。ひばりが丘団地の西友で買おうと、後にした。ダイソーで乾電池を見ておこうと寄る。しかし節電で12時から。下の薬局でティッシュを見る。やっとあるのは高級品で500円近くする。仕方が無い人はこの値段でも買うらしく、在庫はあとわずか。水は単品で150円以上する。この間まで100円以下であったのに、そしてお一人様1個。コーポへ寄る。こちらのほうがまだましか、水1箱800円、そんな高給な水は買えない。何時も買っている500円以下と同じメーカー。ティッシュは売り切れ。見たくなかったがパンなど非常食になるようなものは相変わらず無い。節電で照明を落としているのでなお寂しい。団地西友へ寄る、ティッシュ北浦と同じものが280円、買わない。

 13時朝食をとった後、妻と次男はひばりが丘方面に買い物に行く。
私は雨が上がったのでバイクで、小金井街道マルフジ方面。
 ティッシュはなかった売り切れである。その先の薬局へ行って見入る、なかった。
最後の手段、1パックだけであったが179円で買うことが出来た。雨がまた降ってきたので急いで帰った。手や顔をよく洗った。

 16時過ぎ妻たち帰ってくる。ティッシュは仕方なく、かなり高いのを買って来ていた。
我が家は、我慢しきれなくなって、貧乏人らしからぬ買い物をする。
こんな感じである。
戦後、食料危機のとき、闇米は違法だからと買わずに、餓死した人の話を思い出す。

20時48分長男から電話があり迎に行く。車の中でラジオでニュースを聞いた。

文科省、福島第1原発から40キロ地点の土壌調査を発表、放射性ヨウ素と放射性セシウムを検出 3.22 20:59
 福島第1原発:土から放射性ヨウ素 35、40キロ地点で
 文部科学省は22日、福島第1原発から西北西に40キロと北西に35キロ離れた福島県内の2地点で、21日に採取した土1キログラム当たりから、放射性ヨウ素がそれぞれ4万3000ベクレルと1万6000ベクレル、放射性セシウムがそれぞれ4700ベクレルと1400ベクレル検出されたと発表した。文科省は「農作物などにどのような影響を与えるか分からないので、野菜などの放射性物質の数値に注意してほしい」と呼びかけた。

 また、40キロ地点の1時間当たりの空間放射線量は、5マイクロシーベルトだった。年間換算すると約4万3000マイクロシーベルトで、放射線業務従事者などに認められている5万マイクロシーベルトに近い値となる。

 このほか、北西約40キロの飯舘村の池の水1キログラム当たりからは、放射性ヨウ素2090ベクレル、放射性セシウム511ベクレルを検出。25~45キロ離れた9地点の大気中のちり1立方メートル当たりからは、放射性ヨウ素が3.5~5600ベクレル、放射性セシウムが2.4~860ベクレル検出された。文科省は「水源にとけ込む可能性は否定できず、水道水の数値にも注意してほしい」と説明した。

 都道府県で21日に採取した水道水では、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、新潟の7都県で1キログラム当たりの放射性ヨウ素が0.59~58ベクレル、茨城、栃木、群馬、東京の4都県で放射性セシウムが0.22~18ベクレル検出された。水道水の摂取基準は300ベクレル。20日の数値をやや上回る自治体があったのは、雨の影響で大気中の放射性物質が水源に流れ込んだためとみられる。ほかの道府県では検出されなかった。宮城、福島県は震災被害などで計測できなかった。

 都道府県に設置するモニタリングポスト(自動観測局、MP)は、22日午前9時時点で▽山形0.098▽茨城0.394▽栃木0.144▽群馬0.112▽埼玉0.113▽千葉0.085▽東京0.128▽神奈川0.105(いずれも単位はマイクロシーベルト)の8都県で大気中の1時間当たりの放射線量が通常値を超えた。

 山形県を除く7都県で、21日午後5時時点の数値を上回ったのも雨の影響とみられる。

 宮城県はMP施設に倒壊の恐れがあり、福島県は計測者の健康に配慮し測定していない。

 一方、福島第1原発から20~60キロ離れた福島県内の35カ所の屋外で、22日午前8時~午後2時35分にモニタリングカーで調査したところ、1時間当たりの大気中の放射線量は0.2~95マイクロシーベルトだった。

自由報道協会の主催による「東京都知事選予定候補 石原慎太郎氏記者会見」をテレビでみた。

 記者会見に登場した東京都知事の石原慎太郎氏は、11日に発生した東北地方太平洋沖地震を「未曾有の国難だ」と言及。24日に告示される東京都知事選挙へはもともと「150%出るつもりがなかった」と語ったが、今回の震災に際して東京を「防災都市」として作り直すことを決意し、知事選への出馬を決めたと述べた。

 また石原氏は、先日節電啓発担当大臣に就任した蓮舫氏が、同氏に挨拶に訪れた際のエピソードを披露。首都圏の節電に関して石原氏は、1970年代のオイルショック時に、電力の利用を規制した政令を告示し直し、ペナルティを設けて節電を強制するよう提案したが、「(蓮舫氏は)はぁという反応で、政令がなんたるかも知らなかったようだ」と批判的な口調で述べた。

 さらに震災に際して首相官邸からの命令系統が混乱しており「話にならない」と一蹴。阿久津幸彦首相補佐官から電話で、警察の放水車を現地へ派遣するよう依頼を受けた際のエピソードとして、石原氏は「そんなものはもう送ったじゃないかと言ったらモゴモゴ言って切っちゃった」と話した。また管総理から、「消防隊が現地で尻込みして動かない」と言われた石原氏が消防総監に問い合わせたところ、消防隊は現地に出向いたものの、迎えが現れず2時間待った末に引き返したのだという。また官邸が放水作業を行う消防隊に対して、放水活動を中止すれば処分すると通達した件に関して、石原氏が管総理に直接抗議したところ、申し訳ないと謝罪を受けたという。

 また石原氏は、地震発生に際して、津波による被害を「天罰だ」と言ったとされる件に関して質問を受けると、「この問題は、メディアの悪い兆候で、全体のコンテキストをとらえずに、一部を拡大して人を中傷するというのはフェアではない。ただこういう事態で天罰という、被災者の骨身にしみる言葉を言ったのは申し訳なかった」と述べた。

 19日の深夜「ハイパーレスキュー隊員の記者会見」時の涙のわけが、判ったような気がした。
ハイパーレスキュー隊員の記者会見
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