真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

8月8日 日

2010年08月08日 23時06分31秒 | Weblog
7,293位 / 1,448,251
昨日の歩数:288歩
起床時間 :5時20分
血圧   :120    64
脈拍   :64
体温   :36.1℃
体重   :65.5kg

下に行き礼服に着替えるのだが、妻が「小さい」というメモがポケットに入っていたのがあるが捨ててもいいよね」という。
「ちょっと待ってよ」と答える。
妻に言い分は小さくてきられないまま置いてある、もう着ないだろうから処分したい、というのである。すっかり私が痩せたことなど忘れてしまっている。
 出されたズボンを履く、すると握りこぶしを2つ入れてもかなりあまるというブカブカ。
捨てるという小さい方を履く。握りこぶしひとつだけのブカブカ。妻が出してくれた方は大きすぎて履けないのであった。危うく捨てられてしまい、珍しく聞いてくれたことに感謝する。それでなければ今日きていくものがなくなっていたはず。
 靴も何足か出してくれてある。その中に25cmというのがある昔は26cmできつくて26.5cmを履いていたことがある。これももう履けないよねと言っていたやつだ。それが履けるのであった。
 そんなことがあったが妻が次々息子たちを起こし、朝食も食べず、8時前に車に乗り込み家を出る。
 昨日弟からは10時から始めるので9時過ぎに親戚が来るかも知れないので来ていてと言われたので1時間早く家を出たのである。
 浦和の実家には8時40分に着いた。すでに弟の家族全員が待っていて部屋を片付け準備がすべて終わっていた。
9時半弟が戸田のお寺まで住職を迎に出かけていく。
9時40分最初の親戚がきてくれてその後次々においでいただく。住職の8時45分にはお出でになる。
10時調度から母の法要を始める。今回星座をしていたが45分間の法要の間星座が出来たことにまづは驚いた。
 無事法要が終わり、住職さんを武蔵浦和駅まで私がお送りする。
戻って、親戚全員で車に分譲してお墓に行く。
11時過ぎ全員がお墓の前に行くとお墓を間もおる住職がきてくれていた。
生前父のお墓参り以来、母と子の住職とで角質があり私がお話などしていたが、全員が先行を上げる間読経をしてくれ最後に喪経を唱えていただいた。親戚一同とても感激し感謝していた。
 最後に立ち寄りお礼と感謝の寸志をお渡しする。
車が駐車場を出るとき住職さんが交通整理をして見送ってくれた。
 別所まで戻り国道17号線沿いのいそ路へ行く。そこで予約した部屋で12時から懐石、母を偲んでもらう。
14時30分お開きとなり、弟家族と実家へ行く。休憩と雑談をして、15時親戚の叔母さんの忘れ物の杖を帰りに寄って届けることにして帰路に着く。
昔なんどか行った親戚の家、新しい道路などで着ていて無いのだ(見つからない)
 なんども抜かしを思い出しこのへんのはずと言ってみるが行当たらない、名前がないのである。弟に電話をして場所を案内してもらうそれでもない。そのうち妻と長男が、道路ができて引越しした話を聞いた気がするという。私は思い出せない。そこでもう一度弟に電話をして聞いてみる。歯医者があって、その角を曲がってと教えてもらうその場所にいる。しかし無いのだ。そこで初めて覚えのない名前を聞かされる。おばあさんの家の表札が代が変わって違っていたのだ。最初に来た家であったのだ。そんなことがあったが秋ヶ瀬の橋では正面に富士山を見て、16時10分家に戻る。家族と荷物を降ろし、そのまま直ぐに中央図書館へ行く。
14時から16時まで「図書館友の会」主催の「市民の戦争体験を聞く」が視聴覚ホールで開催されたが準備をお手伝いしていて当日法事のために出席できず、せめて片付けのお手伝いでもと駆けつけたのだ。
 しかしすでに片付けまで終わっていた。この下位には58名の参加者があったと聞いてよかったと寄ろこぶ。
 久木田さん関係で声のボランティア関係の方7人が録音などお手伝いしていただけたという。残っていたその方たちにお礼を述べる。
そして16時50分家に戻る。
 妻が夕食の支度をしたくないと言っている。「何かあれば言って」といい部屋に戻り横になってテレビを見て休む。
18時30分になって静かに妻が上がってきて「牛丼にしよう、行って」と小声で行ってくる。バックを持って下に行こうとして長男が高いいびきであることに気がつく。疲れて寝てしまっているのだ。それに気を使って妻は起すまいと小声であったのだ。
 駅前のすき家へ向かう。ヨーカドー前で妻が寄ってみようよというのでヨーカドーの駐車場へ入れる。
19時を過ぎているのでと何割引化になっているかも知れない寿司などのお弁当でも良いなというスケベ根性。しかし今日は良く売れていた。お弁当コーナーは残りあと僅か。こんな日はギリギリまでまったく値下げはしない。
 お土産コーナーなどを妻が見ていく。四国のおみやげ品コーナーなども出来ていてそこも覗く、何かのんびりしている。行く時どこかへ夜のは嫌だと言っていたくせにこの替りよう。すき家へ行く。そこし待たされお弁当を買って20時前家に戻る。
 ここでもう一つトラブル。息子立ちが頼んだなんとかカレーというのが違っているのだという。妻はメモを見ながら注文したという。
 しかしどうも石の疎通違いで店側が運の悪い事に新しいアルバイト注文を反唱したが内容が分かっていない。妻は妻で分かっていない結局はメニューの切る場所で違う品物になってしまうことがわかった。カレーが食べられない長男なのでまだ寝ている長男のため。並牛丼妻と私の分で大盛りにして。取っておくことにして。半分残った牛丼を妻と半分ずつ食べ「温玉彼などとか言うそれを妻と半分分けすることにする。
だいぶ残して妻はもういいという。私もそんなには食べられそうにない。ふと気が付き「ひょっとしてこれ大盛りじゃないのか」と尋ねるとそれが正解。残りは次男に手伝ってもらった。部屋に戻って横になっていると22時妻が上がってきて小さな声で「お風呂が沸いた」というので灘長男が寝ていることが知れる。
22時20分風呂から出る。パソコンの電源を入れる。
メールなどチェックをし体重表アマゾンランキング掲示板など。
23時4分今日のブログを書き始める。
23時半エアコンの音が煩く感じる。否これは雨音では。雨戸を開けて外を見る。強い雨脚で雨が降っている。階段の窓を閉めに行く・
そしてまたブログを今0時12分海岸を降りていく足音が聞こえる長男が起きたらしい。観に行こう。
 牛丼を持ってきて部屋で食べていたこれで安心そろそろ寝る準備を使用。
コメント
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