マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

歴史の二回目

2008-12-13 10:25:45 | 古代史

さて、昨日一回目が済み、早いもので今日は私の思っている歴史の最終回です。早い?実は完結しないんだなー。昨日の主張は私がここ何年も考えていた結論の集大成なのです。それさえわかれば後はそれほど大変ではないと思っています。

一番悩んだのは、なぜ、中国の史書が、そして三国史記が、そして日本書紀が改竄され、捏造されたのかであり、その理由を、唐が高句麗に敗れた事、そして、則天が匈奴に国をゆだねてしまった事に求めたのです。この二点を中華思想で凝り固まった漢人はどうしても認めたくない、あらゆる手段を使っても抹殺するべき歴史だったと私は考えます。他にそれ以上の動機は考えられない。

この主張をしたのはおそらく日本で私一人じゃないかな。今まで私はそんな話は聞いた事がない。しかし、陰謀研究家として言えることは、「真実は誰も語っていないところにある。」のだから、誰も言わない以上、真実の可能性は十分にあるはずだ。

従って、①高句麗が唐と決戦する645年まで。②則天武后が唐を簒奪する690年。③則天が宰相張柬之に退位を迫られ中宗が再び帝位につき唐を復活する705年。

この三つの時代に合わせ、韓半島も日本も大幅に歴史を書きなおす必要が出てくると思う。

今日最終回なのは、実はあまりにも難しいのと、日本書紀に書いてある史実?をどこまで信じるかの結論が当分出そうにもないからです。全部否定する気にもならないし、もちろん、かといって絶対に正しいと思われるものは少ないのだ。

問題は日本では道教と仏教の盛衰。韓半島では唐との関係。高句麗が滅び渤海が建国されるまでの経緯。このあたりを慎重に調べる事でかなり判明してゆくのではないだろうか。

結局、日本も単独で存在できるわけもなく、半島や大陸の政争がそのまま影響してきたと思う。

先日も書いたように、匈奴は日本に仏教を持ち込み、高句麗は日本に道教と神道をもたらした。百済、新羅はあくまで騎馬民族に付属して日本に渡来し、職能集団として各地に文化をもたらした。それらの王族はあくまで傀儡であり、鮮卑に、あるいは匈奴によって共立されたものだろう。彼等の恐ろしいところは、自分達の存在を隠し、いっさい裏に隠れている事だ。

表の歴史は三韓から来た王権の歴史なのだろうが、実の歴史は支配者達のどろどろとした政争なのだ。しかもそれは今でも継続しているのだ。

その中で戦国時代の下克上というのは、身分の低い三韓の渡来人が身分の高い支配層に逆らったことを言う。おそらく明治維新もそれらの三韓の身分の低い被差別人を解放する戦いに見せて、実は支配者達が武家政権の一掃を計ったのだ。鎌倉以後、彼等はそのチャンスを狙っていたのだろう。武力では勝てないから商売人の振りをして影から政治を動かしていたのだ。

今後は今書いた内容を少しずつ裏付けていこうと思う。これが基本構造なので、仮に基本が間違っていた場合はすべてが崩壊する。崩壊した時は素直に報告します。でも、正しいと信じている。

唐が負けたという記事は桓檀古記以外にいくつか残っているようだが、今のところ私はしらない。本当はもう少し資料が欲しいのだが・・・。韓国の方、知りませんか?