マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

すっごいおばさん、則天武后

2008-12-24 09:35:16 | 古代史

全101話の韓流大河ドラマ「淵蓋蘇文・ヨンゲムソン」も96話まで見終わった。あと少しで終わるぞー。

李世民も死に、蘇文も死にそうで、自分の後継者に長男の男生を指名している。そして最終的に彼は二人の弟に裏切られ高句麗は亡びる事になる。真実はそうではないと思うが、それはそれとして、問題は唐である。

世民の次に高宗が即位するが、世民が死ぬ時、「武称の人間を宮廷に入れてはならない。」と言ったのを無視し、宮中へ招き入れた則天武后という女が問題である。

史書によれば、高宗の正室は皇帝の寵愛が側室に行ってしまったことを嫉妬し、皇帝の気を引くために尼になっていた則天を宮中へ呼び寄せた。まさか彼女に自分が殺されるとは思わなかっただろう。則天と高宗は実は宮中では知らぬものがいないほど相思相愛の仲だったのだ。

彼はマザコンだったのだろう。

則天はなんと自ら自分の子供を殺し、その罪を皇后にかぶせ反対勢力をすべて一掃した。最後には唐を乗っ取り周を建国した。なんとまあ恐ろしい女だろう。

しかし、そこは物語だ。こんなことがあったとはとても思えない。結局、中国の史書というのは亡びた者を徹底的に悪く書き、天命に逆らったから滅びたと言う理屈をつける。業績を見れば彼女がすぐれた人材だった事は明らかだろう。

彼女は690年に即位するが、それまで仏教を弾圧していた政策を転換し、仏教を奨励、道教を弾圧し始める、そして自分は弥勒の生まれ変わりと称した。

これははっきり言って、政権基盤がまったく変わってしまった事を意味する。つまり、彼女は政権を獲得するために匈奴勢力の力を借りたということだ。彼女が失脚し、玄宗が即位するや再び仏教は弾圧されるようになる。

この時代を調べると、吐蕃(とばん)というチベット民族がそれに当たる。(トルファンともよばれ、諏訪という地名もそれだろう。)唐の周辺をうかがっていた彼等は仏教徒だ。おそらく則天と結びクーデターを起こしたのだろう。この国、吐蕃(とばん)というのは首都がラサにあり、興味深いことに伝説によれば鮮卑の拓跋族が作った国だといわれ、おそらく日本にも大きな影響を与えたことだろう。もともと北魏の支配者部族だったから、高句麗とは極めて密接な関係があったはずだ。

中華思想というのは道教のことで、仏教を推進した周は蛮族が支配していたのだ。中国では蛮族の支配した周を認めたくないばかりに彼女を必要以上に悪く書いたというのが真実ではなかろうか。(則天の実在はほぼ確実だろう。)

周(690ー705)は短い政権だったが、従来と違い、半島に対して干渉しなかったようだ。唐の圧力が失せた隙に渤海建国(698-)され、それは統一新羅に圧迫されていた日本に強い味方が現れたことを意味する。さあ、このあたりの状況の連立方程式を解かなければ日本の歴史は判明しない。なぜなら聖武天皇は仏教勢力と渤海勢力に翻弄され続けたのだから・・・。逆に言うなら、この当時の統一新羅は匈奴や鮮卑などに政権を奪われていた可能性があり、正史にはそれはでて来ない。後日ここを調べよう。

もう少しの辛抱だ、頑張るぞ。